room2 さて、式はすでに開催されました
room2 さて、式はすでに開催されました
「ぁ……蛙の、爆竹だ……昔流行ったんだ。蛙の口に爆竹入れて、爆発させて殺す。それと同じだ! 同じなんだ……ははは――」
部屋の片隅からそんな声が聞こえてくる。虚ろな目で天井にこびりついた肉片を見上げ、真澄がへらへら笑っていた。
「尋常じゃない……瀬山さん、大丈夫っすか?」
「ぐあ、うう……」
大丈夫なわけがない。
だが、自分より冷静な東太を見ていると、自然と落ち着きを取り戻してくる。だんだんと、頭の回転も戻り始めていくのを感じていた。彼は眼鏡についた血しぶきを服で拭い、かけ直す。
自分の隣には東太の他にもう一人いるのが分かった。
「森本さん?」
森本ちえりの頬にはうっすらと涙の痕があったが、この中では一番早く平静を取り戻していた様だ。
「さっき、僕の口に手を入れてきたのは君か?」
「はい、あの、すみません。その、必死だったもので。つい……」
彼女は俯き加減で呟くように喋った。
「み、皆……大丈夫かい?怪我とか……苦しくなったりとか、ないよな?」
一番大丈夫じゃないのはひょっとしたら自分かもしれないが、ここは意地の力で年上としての責任を果たすことにする。瀬山の呼びかけに、東太は頷いた。続けてちえりも小さく頷く。
3人とも床に腰をつけたまま身を寄せ合い、どこからやってくるかもしれない次の攻撃に備えて周囲を警戒する。
真澄が鼻をすする音だけが聞こえた。
それ以外に、この部屋で物音を立てるものはなかった。
瀬山はゆっくりと、深呼吸をする。生臭い匂いが鼻についたが、できるだけ匂いの元は見ないようにした。だが、それでも新しい空気を得た肺は、瀬山にその思考能力を取り戻させるのに一役買った。
疑問が、頭をよぎる。
「も、森本さん?」
急に声をかけられた彼女は、びくりと肩を揺らした。
「あ、はい」
「なんでさっき、僕の口に手を入れたんだい?」
まるで、叫ぶのを阻止したかのようだった。
「何か理由でもあるのかと……」
「あ、あの、すみません。咄嗟のことで。ただ、あの……瑠実さん? って人が叫んだ瞬間にその、ああなっちゃったんで」
肉片の散らばる一帯を指さし、すぐにひっこめた。
「なんとなく、叫ぶのは危ないかなって……そう思っただけで」
「なるほど。確かにそれは一理ありますね」
東太がその意見に同意を示した。そして、自分の左腕に巻かれた腕輪を掲げて見せてくる。そこには、ある変化が起こっていた。
0 3 2
「これ見てください。数字が……」
瀬山も急ぎ、自分の腕輪を確認した。
0 8 9
さっきまで0 0 0だったはずの数字が、変化を起こしている。これは単に十進法で32、89を指しているのなら、どういうわけか自分の数値が高くなっているということだ。それに、0 0 0の時は白い色で光っていた数値が、今は赤い色に輝いているではないか。
なんだこれは、何を意味している。
「さっきまで変化はなかったのに、これはあの女の人が叫んだせいかもしれない」
高ければ高いほど良いのか? それとも低い方がいいのか。だが、いずれにしてもこの数値が、二人が死んだことに何らかの関係があると見ていいだろう。
「森本さん……君の数値は?」
「私はもう、0 0 0に戻ってます」
彼女曰く、慌てて瀬山たちの方まで移動してきた時には、腕輪の数値が0 2 0と表示されていたらしい。だが、落ち着きを取り戻した後もう一度腕を確認すると、0 0 0に変化していたそうだ。
「どうやら、この数値は0 0 0がデフォルトのようだな」
時間と共に数値は0に戻るということか。瀬山はもう一度自分の腕輪を確認する。すると、思った通り数字は0 8 3を示していた。
「東太、君はどうだ?」
「俺はもう、0に戻ってます」
32あった彼の数値は、もう0になっていた。対し自分の数値はいまだに70台でゆっくりと減少している。数値の減りにも、個人差があるということか?
しかし、分かったことが一つある。
この数値は0を保った方が良さそうだ。何がトリガーとなって数値が増減しているのかは不明だが、なるべく今の状態を変えない方がいい。瀬山はもう一度深呼吸して落ち着きを取り戻す。この腕輪がくっついている部分は、脈拍を測ることができる手首だ。ひょっとすると、心拍数に応じて反応する仕組みなのかもしれない。
「分かりますよ、瀬山さん。落ち着きましょ」
東太は瀬山の考えを悟ったようだった。優しく、背中を撫でてくれる。その手の暖かさは、とても心強く思われた。
「ありがとう。東太、もう大丈夫だ」
「先生、数値は……」
「え?」
誰のことを言ったんだ?
聞きなれない単語で呼ばれた気がして、固まってしまう。ちえりは激しく首を横に振り、繕った。
「ご、ごめんなさい! 何でもないです。その、瀬山、さんですよね?」
「あ、ああ。そうだけど……先生って」
「反射です! その、あなただけ年上に見えたし。頼りになりそうだったから。学校の先生みたいだなって思って」
気が動転しているのだろうか。それとも、彼女の親しい教授が、僕に似ていたとか?
「……東太、彼女は君と同じゼミだったな。君は何ゼミだ?」
「片桐ゼミっすよ」
片桐教授か……認知心理学の。風貌は愚か、雰囲気も似ていないと思うが。
瀬山は首を傾げたが、もうあまり突っ込まないことにした。こんな状況で、まともなことを言っていられる方が異常だ。
「ところで、何だって? 僕の数値がどうかしたのかい」
「あ、はい。今はどれくらいまで下がったのかな、と」
瀬山はもう一度腕輪を確認した。0 6 6まで低下している。もしこれが心拍数に反応しているとしたら、確かに平常心を取り戻すにつれて数値が下がっているとれなくもない。
「おい、お前達……」
3人は声のする方に振り返った。
ずるずると、こちらに這いずる様にしながら顔を腫らした真澄がやってくる。瑠実が爆発した時すぐ近くにいた彼は、大量の血をかぶっていた。
「な、なぁ。教えてくれないか? ここはなんだ? 私達は、どこに連れてこられたんだ?」
「それが分かったら苦労しないっすよオッサン」
「僕らもあなたも、さして状況は変わらないと思いますよ」
「その、この二人は……実は何もかも作り物で。人間じゃなくてロボットか何かで、決してこの場で本当に爆発して死んだわけじゃ、ないよな?」
真澄は希望を求める様に瀬山たちの顔を順番に見つめるが、誰もそれを肯定はしない。だが、どうしてもこのじっとりとした暖かみを放つ赤い欠片は、気味の悪いリアルを突きつけてくる。
「そうだ。自己紹介をしようじゃないか。私は安西真澄。風間市役所に勤めている。不躾な呼びかけをしてすまなかったな。『君達』は見たところ知り合い同士のようだが、どうだろう。私も仲間に入れてくれないかな」
火永に殴られた跡が痛々しかったが、真澄は何とか笑顔をうかべる努力をしていた。そして、左手を差し出してくる。
瀬山は少し怪訝そうな顔でその手を見たが、感情論は捨てる。今はどんな相手だろうと味方を増やす方がいい。
いくらその手の薬指に、銀の指輪がはまっていようとだ。
「僕は瀬山鶫です。風間市立文芸大6年」
真澄は目を丸くし、鼻をひくつかせた。
「こちらは志乃山東太君。3年です。彼女は森本ちえりさん、同じく3年。二人とも僕の後輩です」
「ほーう」
つくづく、気に喰わない男だった。
コイツは今、間違いなく僕の経歴を馬鹿にした。いや、僕だけじゃない。芸大という特殊な進路を歩む人間をハナから見下しているのだ。
「へぇ、君は利口そうに見えたが……公務員は目指さなかったのかね?」
「えぇ、まあ」
「6年生? 就職は? 失敗したの」
「瀬山先輩は作家志望なんだ。そう簡単にいかない、難しい世界なんだよ」
良心で言ってくれたのだろうが、瀬山は東太の口を塞ぎたい衝動に駆られた。案の定、真澄の馬鹿にしたような笑みは広がりが増す。
「作家……ねぇ。そりゃあ、難しい世界だろう。でも、親としては高い学費払って大学通わせてるんだから。早く安定した職についた方がいいよね」
「今は、そんな話……しなくていいと思います」
瀬山は情けなくなってきた。
なんだか、後輩二人に必死でかばわれているような気がしてきて。
「すまない、大人からのアドバイスだと思ってくれ。私の家は皆国立出の公務員だったものだから、そういう……なんだ、『ゲイジュツ』の道に進む大変さとかがよく分からないんだよなぁ」
真澄は口元を手で覆いながら、軽く頭を下げた。
その鼻持ちならない態度は、3人ともはっきりと感じ取っていた。
コイツはあえてこちらを煽っているのだろうか。自分の方が立場は上だと、誇示しようとしているとしか思えない。もし本当にそんな思惑があるとしたら、協力関係など築けたものではない。
「あー、ところで……君の持っていたクラッカーだが、それはどこで手に入れたんだい?」
「ここに来た時、財布を入れていたはずのポケットに入っていたんですよ」
「そうか、どうやらそれは私も同じようだな」
そう言うと、真澄は自分スーツの内ポケットを探る。すると、青と白のストライプ柄が入ったクラッカーが現れた。
「どうやらこれは、ここにいる全員が持たされていると見ていいだろう。どうだ、君達も持っているんじゃないのか?」
「えぇ? 俺はそんなの持ってないっすよ」
心外だとばかりに手を挙げる東太。
確かに、持っているのなら最初に僕がクラッカーを見せた時、便乗してくるはずだ。
「私も……持ってました」
ちえりがおずおずと、ズボンのポケットから黄色のストライプ柄クラッカーを取り出す。
「志乃山君、持ってないの?」
「持ってないって! なんで俺だけ?」
「怪しいぞ……」
真澄はそう呟いた。その意図を瞬時にくみ取るには、少々頭を働かさなければならなかった。
「コイツは武器を隠している」
「武器!?」
瀬山は一つの可能性に気づいた。それは恐らく、真澄が抱いた考えと同じものだ。
「火永が爆発する前、僕はクラッカーを奴に放った。奴が爆発したのは……あのクラッカーが原因だったとしか思えない」
「そうだ。我々の持つこのクラッカーの中に、体を爆破させる即効性の毒ガスのようなものが仕込まれているのかもしれない。万が一身を守る時に使えるよう、全員に支給された武器なんだ。だが……武器っていうのは、護身用にも、先制攻撃にも使えるものだろう?」
真澄は徐に立ち上がり、クラッカーの照準を定めた。矛先は東太だ。瀬山は急いで彼の前に躍り出る。
「待ってください!」
「そいつは信用できないぞ。皆が力を合わせようって時に、足並みがそろわなければやってられない。私は自分の武器を出したんだ。君も隠し持ったクラッカーを出せ」
「俺は持ってない!」
「や、やめてください!」
「あぁ、もうここまでにしましょう。真澄さん、協力しようって言ったのはあなただ。僕たちは歩み寄る気でいるのに、一番輪を乱しているのはあなたですよ?」
こっちは、別にお前と組まなくてもいいのだ。
「3対1です。どうするんですか? 単独行動するか、協調するかしかありませんよ」
「しかし……」
「国立でてるからって、いい気になってるんじゃねぇぞオッサン。俺はクラッカーを持ってない。なんならボディチェックでもしてみろよ」
東太は寝間着のポケットを両方とも裏返し、何も入っていないことを示した。
「あの……あなたが殴られていたのを助けたのは、瀬山さんだと思います。だから、少しくらい大人になってもいいのでは」
ちえりの声はか細かったが、敵意を表すかの如くしっかりと真澄の顔を見据えていた。
真澄は舌打ちし、クラッカーを下した。
「いいだろう……3対1だものな。リーダーは、君がやるのか瀬山君?」
「……分かりました。僕がやります」
こんな状況でグループの先頭に立つことになろうとは、下手に歳をくっていると碌なことにならないなと思った。
とりあえず、4人の足並みがそろったのはいいが、これからどうするべきか。
老舗旅館の一室に似た部屋。そこに4人の人間と爆散した2人の人間が集結か。舞台としてはミステリー小説にありがちなシチュエーションだが、肝心の犯人は全く見当がつかない。そもそも、ここは密室なのか? 出入り口は自分が通ってきたドアと、襖のみだ。襖は半開きで縁側に続いているようだ。ひょっとするとあれを通って別の部屋に移動できるかもしれない。
だが、最も気になるのはこの部屋の真ん中にでんと置かれた棺桶だ。
眼前の出来事を処理するのに必死過ぎて、誰もあれを調べようと言い出さなかった。だが、落ち着いてきた今なら調べられる。
棺桶は綺麗な白い木材でできており、ちょうど、御遺体の顔にあたる部分が窓になっており、開くようになっていた。見るだけで、不安な気持ちに駆られる。中に潜んでいるものは、人間じゃないのではないか、ヴァンパイアでも出てくるかもしれない。
「気をつけろ、罠かも」
真澄がそんなことを言いだした。
くそ、それならお前が開けろ。瀬山は唇を噛むが、この状況では自分が開けるしかないだろう。慎重に、彼は蓋の取っ手に指をかける。
棺桶を暴いた。
溜息が出る。中には何も恐ろしいものは入っていなかった。全景を見なければ何とも言えないが、少なくとも人は入っていない。遺体が出てくるのも恐ろしいが、それ以上に罠の危険があったのだ。難なく危機を克服し、一同に安堵の声が漏れた。
「なんだ…空っぽなのか」
「全体の蓋を開けませんか? そこの留め金が外れるみたいです」
ちえりが指摘した通り、棺桶の側面に金具がついている。瀬山はそれを外し、東太と協力して棺桶の全体を覆う蓋をこじ開けた。
中が露になる。
そこには一個の録音機と、一丁の拳銃が入っていた。
安堵が一気に戦慄に変わった。
ますます現実味が薄れていく。どちらかというとこれは、ミステリー小説ではないんじゃないか。ここでいう犯人とはまさに手の届かない神のような存在であり、僕達は神の掌の上で遊ばれているだけなのではないか。
ゲーム小説がふさわしい……この手の物語には決まって、『ゲームマスター』と呼ばれる存在がニヤニヤ笑いながら苦しむプレイヤーたちの様子をモニターか何かで監視しているものだ。時々気まぐれのように、こういった武器となるアイテムを支給し、それを使わせて殺し合わせる。いつか見た映画でも、似たようなシチュエーションがあったのを思い出す。
タイトルは確か……『フェイク・ルーム』だったか。登場人物たちは密室に集められ、それぞれ違う武器を与えられる。武器は拳銃、ナイフ、斧、爆弾など多種多様であり、明らかな力関係があった。
あの映画の醍醐味は、自分がどんな武器を持っているかを相手に知られないこと、だった気がする。武器によって明確な力の差がある以上、弱い武器しか持っていない者は真っ先に狙われる。だからこそ、はったりと嘘を巧みに利用し、相手を欺いて弱い武器で強い武器を持つ者を倒す。そんな心理戦が際立つストーリーだったと記憶している。
……待てよ。
もし今置かれている状況が本当に映画『フェイク・ルーム』と似た状況ならば、武器は先程の『クラッカー』だったということだ。
とてつもない嫌な予感がする。この拳銃は見た所6発のリボルバー式で、日本の警察が使用しているような小口径のものだった。ここにいる者で最も弱いのは武器を持っていない東太と、もう使ってしまった自分、瀬山だ。次に強いのがまだクラッカーを所持しているちえりと真澄になる。
だが、ここで新たな武器、拳銃がもたらされたことで、もう一つ上の力関係が構築されるのではないか?
瀬山は皆の表情を確認した。拳銃の出現には一様に驚いているようだが、その真意に気づいているかどうかは分からない。
……いや、まて。
まだこれが馬鹿げた殺人ゲームだと決まったわけではない。だいたい、状況が理解不能なのだ。ここに来てからというものろくな情報一つないではないか。殺し合う理由もない以上、妄想だけで先走るのは危険だ。まずは、もう一つのアイテムであるこの録音機器を調べてみるのが先じゃないか。
「皆、とりあえずこの機械を再生してみよう。何か情報が得られるかもしれない」
「そうっすねー……拳銃、は流石にビビったけど。これは玩具か何かですよね?」
「万が一のことがある。これには誰も触るべきではないだろう」
お前が一番、怪しいんだ真澄、
拳銃を見た瞬間、お前の目の色が変わったのを、僕は見逃さなかったぞ。
瀬山はけん制の意をこめて真澄を睨んだ。彼は涼しい顔で録音機を手に取るだけだ。小さな円形の方向キーがついており、真ん中は再生ボタンだろう。その上部に電源ボタンがついており、その隣は録音ボタン。瀬山も使ったことがある、一般的な機体だった。
「これは市販されている録音機だな。すでにデータファイルが3つ入っているようだ」
ファイルは全部で16あり、そのうち3つに音声データが入っているらしい。再生した後に録音ボタンを押せば、そのファイル上に新しい音声データがそのまま上書きできるようになっていた。間違って操作すると、大事なデータを簡単に消してしまうことになるだろう。瀬山自身、この手の機械に何度辛酸をなめさせられたか分からなかった。
機体は真澄が操作した。彼は真ん中の再生ボタンを押し、01のファイルを再生した。
すると突然、『はっはっは はっはっは はっはっ……――』と、一定のリズムを刻むかのようにsofTalk音声の笑い声が流れ始めた。あまりに場違いなのんびりとした声色に、鳥肌が立つ。
「なんだこれは! ふざけているのか?」
1分ほど続き、音声は切れた。01のファイルにはゆっくりとした笑い声しか入っていなかった。
「真澄さん、次を再生してもらえますか?」
「ああ、分かった」
真澄は再生ボタンを押した。頼むから、何か情報をくれ。できれば、これ以上絶望的な状況を見なくてすむようなそんな情報を。
『どうもこんにちはみなさま』
同じ機械音声で、録音機は喋る。
声のバックに、永遠と般若心経が流れていた。ぽくぽくという木魚の音も聞こえてくる。
『お忙しい中遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。たくさんのお客様にお集まりいただき、故人もさぞお喜びになられていることでしょう。
さて、式はすでに開催されました』
その文句だけが、ひときわ大きく聞こえてくるように感じた。
『皆様に素敵なひと時を過ごしていただけるよう、以下のことを念頭に入れていただければと思います。
一つ。
式場ではお静かに。
故人は騒がしくされるのがお嫌いです。愛する故人のご冥福をお祈りする場ですから、皆様もどうか、従っていただきたい。
二つ。
皆様からはすでに香典をいただいております。
香典は後に、何らかの形でもって皆様に対し還元させていただきます。
三つ。
他の参加者様との争いは、事前に皆様にお渡しいたしました『法具』を使って行うことを推奨いたします』
「わ、悪い冗談でしょう……ね、瀬山さん?」
音声は切れた。
悪趣味な主催者は、この『式』とやらに自分たちを無理やり参加させたかったらしい。聞く限り、瀬山の予想は当たっていたように思えた。
……これは正真正銘、僕達に殺し合いをさせるデスゲームの世界だ。
言葉を濁してはいるが、この録音機は明らかにここにいる人間達を争わせようとしている。言葉の裏から、極大の悪意が感じられたのだ。瀬山は思う、自分たちは完全に囚われた。悪意に満ちた殺人ゲーム渦中に。これが現実だろうが夢だろうが、主催者の思惑通りに動くしかない。その先の結末など知る由もないまま。
真澄が顎を触りながら言った。
「……まず言えることは、できるだけ騒がない方がいいってこと。それと、どうもここには我々以外にも多く人がいそうだな。この建物は、思った以上にいろんな部屋があるのかもしれん」
それが問題だ。
他の人間達も同じような状況に見舞われているというのなら、この録音機も同じように手に入るようセットされているはず。つまり自分たちと同じように戦闘を唆されたということだ。
「それに、気になるのは奇妙な言い回しだ。香典とか、故人とか……葬式を思わせるような文句が多いが、その割には随分と不謹慎な言葉も多い」
真澄の言う通りだ。
瀬山もその違和感には気づいていた。素敵なひと時とか、もし葬儀で坊さんがそんなこと言いだしたらつまみ出されるぞ。
「くそ! 何が法具だよ……クラッカーのことを言ってるのか? 馬鹿馬鹿しい。それを使って他人と争えってことかよ! 俺だけ持ってないし……」
「待ってください。まだ争わなきゃならないって決まったわけじゃないですよ。さっきのメッセージにもあったでしょう? 推奨する、って言ってたじゃないですか。別に戦う必要なんてないんじゃないですか? そもそも、これを仕掛けた人は何が目的なのか、私にはさっぱりで」
「森本さん、楽観的すぎるよ! さっき見ただろ? 瀬山さんが撃ったクラッカーで、火永が死んだじゃないか。この音声を入れた奴はそうなることを分かっていて、わざと俺たちに危険な武器を持たせたとしか……」
「志乃山君!」
ちえりは東太の腕を掴んでそれ以上言うのを制した。見ると、瀬山が唇を噛み、右手をじっと見つめていた。その手にはまだ硝煙の匂いがこびりついている。
「せ、瀬山さん……すみません! そんなつもりじゃ……!」
「いや、いい……分かってる」
僕が使ったクラッカーで、奴は死んだ。
そうか、僕は人を殺したことになるのか。――いや、まだそうと決まったわけじゃない。クラッカーで人が死ぬなんて、ありえないだろう。だが、真澄の言う通り毒ガスでも仕込まれていたら?
出口の見えない迷路に閉じ込められた気分になった。背後から、人殺しの罪業が迫ってくるように感じられて、身震いする。今はこのことを考えない方が良さそうだ。でないと本当に、目の前が闇に閉ざされてしまいそうで怖い。
――目の前が闇に閉ざされてしまう。
瀬山はその文句が思い浮かんだことに、苦笑いをうかべた。
自分が小説でよく使う表現だったからだ。主人公が、初めて犯罪行為に手を染めたシーンで、よく使っていたのを思い出す。文脈は違えど、闇とか、暗幕とか、黒煙、とかいう似たような意味合いの言葉を用いていた。
「ははは、僕にお似合いの言葉だ」
「瀬山君、感傷に浸るのもいいが、まずは現状の分析が先ではないかね?」
真澄の声が聞こえ、再び目の前のことに対し集中が戻る。
彼は咳払いして続けた。
「一つ目のメッセージにあったが、どうやらここでは『騒いではいけない』というのが大前提らしい。どうだろう、あの二人は騒いでしまったから死んだ、とは言えないだろうか」
東太がハッと息を飲む。
「瑠実さんが叫んでから死んだのも、そういうわけか?」
「確かにそうだな。瑠実が爆発したのは彼女が悲鳴をあげた瞬間だった」
「じゃあ、あの男の人が爆発したのはクラッカーとは関係なかったってことですか?」
「音だ」
瀬山は呟くように言った。
「音をたてたから死んだんだ。僕はクラッカーを奴の顔めがけて放った。瑠実さんも叫ぶことで大音量を発した。もし……彼らの体のどこかに音声センサーのようなものでもついていたとしたら、どうだ? 許容以上の音量を感知すると、そいつを殺す仕掛けなのかもしれない」
「馬鹿な……それじゃあ、我々の体のどこかにもそんな仕掛けが仕込まれているというわけか!?」
「あり得なくはないっすね、この腕輪見てくださいよ。どこにも継ぎ目がないのに、何故か手首にはまってる。こんな技術見たことありませんよ。しかも、つけられてる時俺たちに意識なんかなかったでしょ。これを仕込んだ奴らは、好きなだけ俺たちの体いじくれたってことっすよ?」
しばらく静寂の時間が過ぎる。
誰もが、声を発するのさえ恐ろしくなったのだ。自分の体のどこかに訳の分からない装置が仕込まれているなんて、考えただけでもぞっとする。SFの世界かこれは。狂っているとしか言いようがない。
「とにかく……こうやって喋る分には大丈夫そうだ。絶対、何があっても叫んだり、大声出したりしないようにしないと」
瀬山の諭すような口調に、皆は重々しく頷いた。
「まだ、最後のデータを聞いてないぞ。ひょっとしたらここから逃れる術を教えてくれるかもしれん」
真澄は録音機を振って見せた。
……ここに僕達を連れてきた奴らは何かをさせたいんだろうか。今のところ肝心な点は掴めなかった。ここはどこなのか、何のために自分たちは連れてこられたのか。全ての答えは、この最後の音声データに入っていると見て間違いない。
「そうですね、ともかくそれを聞いてみましょう」
真澄は機械を操作し、03のファイルを再生する。
音声が流れ始めた。
『この式が終了する条件は二つございます。
一つ。
式場全体に静寂が満たされること。
二つ。
故人の安らかな葬送が実行されること。
なお、故人の葬送は火葬場で行うことができますが、実行することができる人数は限られております。
急ぎ、4つの故人の亡骸をお集めくださいますよう、お願い申し――』
真澄の行動は速かった。
彼は音声を再生し終わる前に、それを瀬山めがけて投げつけた。機体は彼の眉間に当たり、ひるんでしまう。その隙に、蛇のような動きで真澄の腕が棺桶の中の拳銃に伸びた。一歩遅れて、東太がそれを阻止しようと動くが、腕力でも真澄の方が勝っていた。彼は東太を押しのけ、まんまと拳銃を奪取すると、素早く撃鉄を下ろして一歩後ろに下がる。
銃口は瀬山の心臓にピタリと向けられている。
「ま、真澄さん……」
「馴れ馴れしく俺を名前で呼ぶな、瀬山君。そんなことでは社会に出た後苦労するぞ?」
勝ち誇った笑みをうかべ、彼はちえりの方を見やった。
「まずは年上に対する敬意を示してもらおうか。森本ちえり、お前の持っているクラッカーをこちらに投げてよこせ」
ちえりは竦み、体が動かないようだった。へたりと床に座り込んでしまう。真澄はいらいらを声ににじませながら再度迫った。
「聞こえないのか、早く、そのクラッカーをこちらによこすんだ!」
「森本さん、ここは従った方がいい」
瀬山の声でようやく、彼女の手は動いた。先程の黄色のクラッカーを、真澄の方に投げてよこす。あわよくばそれを拾う際に隙が生まれるかと期待したが、彼は油断なく目線をこちらに合わせたまま、クラッカーを拾った。
「銃を持っているのは俺だ。その機械が言っていることが本当だとすればコイツは『法具』で……相手を殺す力を持っていると考えられるな。そして、ここに一つしかないこの法具は、たぶんクラッカーよりも相当強力な武器になるってことだ」
真澄は銃口を向けたまま、襖の前に移動する。そして後ろ手で取っ手を掴み、横にスライドさせて開けた。美しい庭園が姿を現し、縁側も左右に続いていることが分かった。
「意味わかんねぇ! なんでこんなことするんですか !安西、俺お前のこと嫌いっすわ!」
「生意気なガキめ、まずは貴様から口をつぐませてやろうか? ん?」
「よせ、東太」
口では強気でも、東太には相手に進んで攻撃を仕掛ける度胸はない。分かっていたことだ。瀬山は一歩進みでて、両手をあげた。
「僕らを殺す気か?安西さん」
「さて、どうするかな……」
「あのメッセージから察するに、ここから出るには二つの条件を満たす必要がある。一つ目の条件はたぶん、ここに連れてこられた人間が全滅することだろう。もう一つは故人の葬送だ! 僕たちが生き残るためにはこれを実行するのが、一番希望があると思わないか?」
「だったらなんだ、俺と行動を共にするのか? ……ふふ、頭悪いな瀬山君。聞いてなかったのか? 葬送を行える人間は限られている。ここにいる4人が協力したところで、全員が助かる保証なんてない。だが……一人は確実に助かるはずだ。今、俺は最強の武器を持っているんだぜ、これなら他の奴をけん制できる。俺だけで動いた方が、安全にここを脱出できる公算は高いはずだ」
銃を向けたまま、真澄は襖をくぐった。そして、襖を盾にして隠れながら言った。
「俺にはな、お前らと違ってキャリアってもんがあるんだ。殺人で捕まるのはごめんだね。誰かを殺すのは最後の手段だ。……だが、もしお前たちが俺の邪魔をするようなら、容赦なく殺してやるからな。ククク、正当防衛ってやつさ」
彼はスッと縁側の奥に消えた。
瀬山と東太は急いで襖の方に走るが、すでに真澄は廊下の突き当りの角まで走り、角を曲がって見えなくなってしまった。
「畜生……!」
銃と、クラッカーを奪われた。くそ、これから必要になりそうなあの銃は、なんとしてでも手元に置いておきたかったのに。残された学生3人には、もう武器はない。だが、一つだけ奴が置いて行った物がある。
「この録音機、まだ喋ってる途中だった……」
そうだ。真澄はこちらの不意を突くために録音機のセリフを最後まで聞こうとしなかった。瀬山は急いで落ちている録音機を拾いに向かう。もう、藁にもすがる思いだった。
「なにか、言ってくれないか……少しでも助けになるようなこと、言ってくれ……!」
祈りをこめて、瀬山はファイル03を再生し直した。固唾を飲み、三人はそれを聞き入った。
『――なお、故人の葬送は火葬場で行うことができますが、実行することができる人数は限られております。
急ぎ、故人の亡骸をお集めくださいますよう、お願い申し上げます。
それでは最後に。
最初の亡骸の場所をお伝えいたします。『式場F 風間高等学校美術室』にて、故人の右足がいらっしゃいます。式場Fはここ『式場C 黒狗家別邸・雅の間』より2つ部屋を越えた先にございます。
皆さま、くれぐれも静かに、式をお楽しみいただけますよう。健闘をお祈り申し上げます』
やった!
式場F、確かにこの耳で聞いたぞ。
これは間違いなく重要な情報だ。真澄は愚かにもそれを聞き逃した。
「瀬山さん、俺たちこれからどうしますか?」
「恐らくだが、僕たちをここに連れてきた奴は何かしらの目的があるはずだ。それはたぶん、さっきのメッセージにあった、故人の葬送なんだと思う」
「そうかもしれませんけど……俺にはどうも、遊ばれている気がしてならないんです。そうじゃないすか? クラッカーとか渡されて、参加者と争いがどうとか。葬送とやらをやったところで、都合よく解放してくれるような甘い話じゃない気がするんですけど」
東太の言うことはもっともだが、今は少しでも希望を信じたかった。
「……確かにな。でも、今の状況じゃとりあえず進んでみるしかないんじゃないか? 恐らくだがもう、2人死んでる。このまま手をこまねいて良いことがあるとは思えない」
「そうっすね。まぁ、どっちにしろ俺は先輩に従いますけどね!」
馴れ馴れしく肩を叩いてきた。それは頼りにされてるってことなのか。僕は自分のことでも精いっぱいなのに、お前のことまで面倒見れるか分からないんだぞ東太……
瀬山はちえりの方に問いかける。
「森本さん、君はどうする? 僕らはとりあえず、式場Fって部屋に行ってみるつもりだけど」
「私もついて行っていいですか? 一人じゃ不安で……」
「うん、その方がいいよ。瀬山さんこう見えて結構ガッツあるからさ!」
「君は僕の何を知っているんだ……」
調子の良いことを言う東太を、瀬山は肘で小突いた。
眼鏡が汚れている。手汗がにじんだ手でこすってしまったからだろう。服で拭おうとしたが、着ているジャンバーにべっとりと血がこびりついているのに気づき、げんなりした。まだ、部屋の隅に落ちている大量の肉片を直視する勇気がない。他の2人もそのようで、意図的に視線を逸らしているのが見て取れた。
「……ここから出よう」
瀬山は録音機を財布の入っていない内ポケットにしまうと、真澄が出て行った襖へと歩いた。後輩二人もそれに従う。
しかし、瀬山が縁側に一歩踏み出した瞬間だった。
襖の影から躍り出た何者かが振るった、強烈な一撃を側頭部に喰らい、瀬山はなす術もなく倒されてしまった。
「瀬山さん!」
切迫したちえりの声が聞こえてくる。
幸い、意識はあった。だが、倒れた拍子に眼鏡が吹っ飛んだらしく、それをかけ直すために瀬山は地面に手を這わせるはめになった。
「これをお探しかい?」
真上から声が降ってきた。かと思えば、どんと背中に跨られる感触を覚える。そいつはぐりぐりと背骨に膝を押し付けてきて、瀬山は激痛に呻いた。
「おっと、そっちの二人も動かない方がいいよ?たぶんだが……持ってる法具はアタシ達の方が強いんだからねぇ~?」
猫なで声のような調子で紡がれる声色から察するに、どうやらコイツは女のようだ。
「や、やめろ……二人に手を出すな」
「ん、大丈夫だよ。手は出さないさ。まだね。とりあえずこれ、返してやるからこっちを見ろ」
前方に眼鏡が落とされた。瀬山は急いでそれをかける。
よし、視界良好。この女は油断したのか、僕の両腕を封じなかった。たいていの小説では、両腕がフリーな状態で敵に遅れを取ることはない。瀬山は思い切り地面に手を叩きつけると、その反動で一気に起き上がった。膝を背中に押し付けていたらしいその女は、あっという間にバランスを崩したらしい。「おっと?!」という、間抜けた声が上がった。
すかさず東太が走ってくる。女を押さえつけようと腕を掴んだ。
「待って! ちょっと待って! ストップストップ!!」
ようやく起き上がり、女の姿を確認することができた。
歳は20代後半か、自分よりも年上に見える。面長の顔なのに頬はこけており、随分と不健康そうだった。そして何より隈が深く刻み込まれていた。寝不足なのだろうか。髪も長髪のわりに手入れが行き届いておらず、そこら中にはねている。上は白ワイシャツに今時珍しいループタイを絞めており、下は明るい茶のスラックスを着こなしていた。
女はすでに東太に後ろ手を捻りあげられている。案外、簡単に逆転できてほっとした。女は慌てた様子でしきりに謝っていた。
「いたたた! 痛いって! 悪かったって! ごめんって! あわよくば武器でも奪ってやろうと、そう思っただけなんだ」
「何があわよくば、だ! 何者だあんた? いきなり襲い掛かって冗談じゃないぞ!」
「うーん、瀬山ちゃん? でいいのかな」
女はしたり顔で、驚愕する瀬山を嘲笑った。
「言ったでしょ、アタシらの方が強いんだって」
突如、縁側の下から二人の男が這い出てきた。こいつら、最初から庭園の中に潜んでいたのか。
男の一人は東太に襲い掛かり、あっという間に女から引き剥がされる。もう一人は部屋の中に侵入し、真っ先にちえりを狙った。白Tシャツにジーパン姿という学生風のその男は、すでにクラッカーを彼女に構えて持っていた。
「分かった! やめてくれ!」
男がちえりの喉元にクラッカーを押し付けるのを見て、完全に詰まされたと悟った。
瀬山は降参の意を表し、諸手を挙げる。
「オッケー、オッケー。キミは賢いよ瀬山ちゃん。法具がないキミ達にできることは降伏しかないからねぇ」
期待を込めるかのように瀬山は東太を見やったが、やはりだめだった。彼を抑え込んでいる男はガタイが段違いだ。よく見ると、その男は警察の制服を着ていた。
「……あんた、何者だ?」
「む? それをアタシが喋って何かメリットがあるのかしら?」
「暴力的な手段を用いずに会話を進めるための糸口が見つかるかもしれない」
女は探る様に目を細めたが、やがて涼しい笑みをうかべる。
「そうねぇ……じゃ、まずはキミが分かっていることを喋ってみてよ」
「あんた達は、こことは別の部屋で目覚めた、この式の参加者だ」
ふむふむ、と彼女はわざとらしく頷いている。なんだか、おちょくられている気分になった。それだけ相手は余裕たっぷりというわけだ。瀬山は慎重に、言葉を探っていく。
「そっちの部屋に録音機があったはずだ。それでいくつかの説明を受けたんだろ? あんた達3人は手を組み、ここを脱出できる可能性……故人の亡骸を探している。違うか?」
「ほう、ほう」
「その途中で、この部屋を見つけた。中で喧騒が起きていることが分かったあんた達は、その縁側の下に隠れて様子を伺っていたな? 僕の名前を知っているのはそのせいだ。部屋の中にいる人数が少なくなってから襲い掛かるために」
「ほーうほうほう、キミすごいねぇ? 概ね100点」
感心したように手を打ち鳴らす女。瀬山は苦しまぎれに先を続ける。
「残念だが、もう武器はないぞ。見てたのかどうか知らないが、真澄っていう男がさっき僕らの分のクラッカーまで奪って行った。差し出せるものなんてなにもない!」
「ブー! 惜しいな、10点減点! アタシらが欲しいのは武器じゃァないんだなぁ~?」
チッチッチッ、と軽快に舌打ちしながら、彼女は部屋の中に入って行った。そして、棺桶の中を確認する。中には何も入っていない。
「そこで見てたんなら、真澄を止めて銃を奪えばよかったじゃないか!」
警察の男に手錠をかけられた東太。黙れ、とばかりに床に顔を押し付けられ、口をつぐませられてしまった。
「真澄って奴が拳銃を持ち出すとこまでは見てたさ。確かに銃はヤバイ、もちろん実際の力は分からないけどもねぇ……ま、かなりの脅威になるのは間違いないでしょ、アタシの勘はよく当たるのさ。だから、安全策を取ることにした。よわそーなキミ達だけになる瞬間を狙ってたのよ。その方が簡単でしょ? アタシらが欲しいのは武器でもキミらの命でもない。……『情報』だからねぇ?」
「録音機が狙いか」
「3番目のファイルには何が入っていた?」
「……」
「教えてくれないのかい、瀬山ちゃん? さもないとちえりちゃんの体が弾け飛ぶわよ?ついでに東太ちゃんもね」
その言葉に応じる様に、学生も警察の男も、それぞれがとった人質にクラッカーを押し当てた。
……動揺を悟られるな。
奴らはこちらをすぐに殺す気はなさそうだ。目的が情報なら、こちらにもアドバンテージはある!
「なぜ3番目のファイルなんだ?」
まるで、その音声ファイルだけ聞きそびれたと言っているようだ。すると、その疑問を氷解させるように、彼女はポケットから二つの録音機を取り出した。一つは血がべっとりこびりついている。
「ここから3部屋離れた別の部屋で拾った。中は凄惨だったよ。誰もいない、っていうか……誰もいなくなったって感じかな? 元は何人いたのかさえ、分からんねぇ。さぁて、瀬山ちゃん、何が起きてたと思う?」
答えはすぐに思い浮かんだ。
「最初の一人が爆発し、全員が悲鳴をあげた」
「ビンゴ! アタシも同じ考えだ! そこまで分かってるなら話は早い。要はこの世界では、騒ぎたてることがデッドエンド。この血まみれの録音機の三つ目のファイルには、アタシらの持つファイルとは別の音源が入ってた。情報内容は、終了条件と、『この世界での戦い方』についての説明だった」
そうか……
録音機ごとに最後の情報が異なっているのか。と、言うことはこの女の持っている録音機にも違う情報が入っていた。だからこそ、奴らは自分たちの知らないこちらのもつ情報を欲している。
同時に、参加者同士が戦うことにさらに大きな意義が生まれた。戦って勝つことで得られるものは武器と、情報だ。特に後者は、訳の分からないこの現状を打破するためにも、この先を生き残るためにも最も必要なものだ。
僕らも一番、それを欲しているのだから……
「その顔を見るに、キミ達が持ってる録音機に別の内容が収録されていたのは確定的だねぇ。お姉さんに教えてもらえないかな? キミの持っているその録音機、アタシに渡してくれたら全員を見逃してあげましょーう」
ニッと歯を見せ、彼女は瀬山に手を突きつける。一見ふざけているようだが、この女に一切の油断はなかった。カラーコンタクトの入った目は金色に輝き、まるで蛇を思わせる。そう思うと口元から覗く八重歯も、毒牙にしか見えなくなっていた。
「……早くしな」
ちえりが、首を猛烈に横に振っている。渡すな、と言っているのだろうが、従わなければこの女は、容赦なく殺すだろう。そんな冷徹さが読める。
――すまない皆。ここは録音機を渡すしかないようだ。
「分かった。言う通りにしよう」
「瀬山さん!? ヤバいですって! 情報は切り札だ!」
「それしかないんだ!」
瀬山はポケットにしまっていた録音機を取り出し、彼女の手に乗せた。
「ふむ、いい子いい子! 瀬山ちゃん話が分かるね~?」
満足したのだろう。女は宝物をめでる様に録音機を撫でる。早速再生するつもりらしい。彼女は細い指で、録音機の方向キーを操作していた。ファイル03を検索しているのだろう。
やがて彼女はファイル03のデータを再生した。
『ふむ、いい子いい子!瀬山ちゃん話が分かるね~?』
瀬山は、笑いをこらえるのに必死になっていた。
先程自分が行った台詞を機械にオウム返しされ、女はきょとんとしている。
「え……はい?」
目が点になる、って表現は小説ではよく使われるが……実際に見るのは初めてだな。
「お褒めにあずかり、光栄だね」
焦り、もう一度再生ボタンを押すが、結果は同じだ。彼女は唖然として機械を見つめている。
「欲しいの、03のデータだけなんだろ?」
「おやおや……」
彼女はうかつにも、自分が欲しいデータの在処を言っていた。ならば簡単だ。その録音機はワンタッチで操作できる簡易的な物。さっきまで03のファイルを開いていたのだから、彼女に手渡す瞬間に録音ボタンを押すだけでいい。
すぐさま新しい音声が上書きされる。
「おい、どうするんだ清蓮。情報はこいつらから直接聞くしかなくなったぞ!」
警察の男が女をそう呼んだ。清蓮、それが彼女の名前か。
清蓮は唇の上に舌を這わせ、何事か思案しているように見える。
「なぁ、取引しないか? 僕の持っている情報と、あんたが持っている情報を交換しよう」
「清蓮さん! この女を見せしめに……」
学生風の男がクラッカーの紐を引こうとするが、瀬山の行動の方が早かった。彼は録音機を持って手がふさがっている清蓮の隙を突き、腕を掴んで自分の元に抱き寄せた。お互いの体を密着させたまま、二の次を告がれる前に釘を刺した。
「やってみろ! 二人を殺したら、僕はここで絶叫する。この女も、ただじゃ済まないかもな?」
自分で言っていて、なんとも変な脅し文句だと思った。いいのか? 叫ぶぞ! と、自信満々で吠えている。だが、実際にこれが効果てきめんなのだから、やっぱりこの世界はどうかしているとしか思えない。
「……キミ、知ってるのかな? 『センサーのあたり判定』のこと」
額を突き合わせるように、彼女に覆いかかぶさって瀬山は迫る。
「空想の産物だよ。癖なもんでね……」
「オッケー、オッケー……ここはひとまず停戦といこう。皆武器おいてー」
二人の男はクラッカーを放した。ちえりと東太も解放される。だが、油断なくいつでも飛びかかれるように構えているのは変わらない。
「おいおい、いつまでアタシを抱いてんだよー。このままキスでもする気なのかい?」
瀬山は清蓮を抱えたまま部屋の中へとけん引し、仲間の助けが届かないよう、隅の方へ突き放した。言うまでもなく、誰も近寄らない場所。火永と瑠実の破片が散らばる部屋の角隅だ。
「ひー……よりによってこんなとこめがけて放り出すとか! アイツさでずむだよ……」
清蓮は嫌悪感を露にするようにベロを出すが、その割にはあまり動じていない。血だまりの上を歩くのにも、何ら抵抗を感じていないようだった。
「全員、取引がすむまでその場を動くな」
縁側と部屋の境界に瀬山、その背後に警察の男。警察から7歩ほど離れた位置に東太が。部屋の中には3人。棺桶の傍にちえり、瀬山が最初に目覚めた部屋に繋がる、あのピンク色のドアの前に学生風の男。角隅に清蓮が立つ。
誰もうかつには行動できない、お互いをけん制し合う形となった。
だが、これでいい。
腹を割って話すためには、一切の力関係を排除して皆がテーブルにつかなければならない。
――主人公は絶対に、最後まで生き残れない。
そんな考えは捨てろ。
これは小説じゃない。僕は瀬山鶫、現実を生きる生身の人間。瀬山鶫なんだ。今はなんとしてでも、こいつらとの取引を成功させる。この空想じみた現実世界の中で、生き残る方法を考えろ。
――瀬山さん!
あぁ、『さん』づけで呼ばれたのはいつぶりだろうか。志も熱意も、何もなくなったこんな男しか頼る当てがない哀れな後輩二人。
彼らは僕の名前を呼んで慕ってくる。
いいのかよ、こんな奴だぞ。今だって足が震えて、倒れそうになるのを必死で堪えているような弱い男なんだぞ。
「それでもいいなら……頼ってくれよ」
運がいいな、東太、ちえり。
君たちはきっと生き残る。僕の小説は、主人公の傍にいた仲間だけは総じて生き残る確率が高いのさ。
二人の後輩が自分を頼っている。頼られた以上は、責任をはたさなければならない。瀬山はかつて抱いたことのない、生への渇望が心に沸き上がっているのを感じていた。
つづく