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クワイエットルーム   作者: 冬司
17/20

room17 弟よ

 ~あらすじ~


 ついにすべての過去が明らかになった。黒狗徐歌の目的は、徐歌の死に関わった者たちに、自分を弔わせることだった。真実を知った彼らはそれぞれの目的のために亡骸を求めて最後の戦いに赴く。

 亡骸を探す瀬山と清蓮。挟み撃ちの形で菊泉を狙う秋彦とちえり。そして、徐歌の養父であり、瀬山や清蓮、そして真澄に対して並々ならぬ復讐心を抱く黒狗景虎は真澄と対峙する。強力な法具を持つ真澄に対し、景虎はある切り札を明かす。



 room17 弟よ


 空中に浮かぶ密室は、不安定に揺れていた。安西真澄は足元をおぼつかせながら後退する。すぐに踵が椅子の足にぶつかり、よろめいた。

「それが、俺達の身に起こった真実だとでも言うつもりか」

 揺れているのは、自分の頭だと気づく。立ちくらみにも似た症状が出ている。

「徐歌の怒りが、俺達を二度殺そうとしている」

『僕たちはすでに式の参加者だ。これはあの子の魂を弔うための儀式なんだよ』

 そうか……

 徐歌。

 お前、死んじまったのか。

「可哀想にな」

 本当についてない娘だぜ。

 そりゃあ、ムカつくよな。怒るよな。

「くっくくくく……ああ。弁解する気はない。俺は親失格だ。あんたから見ても俺はただのクズ野郎だろうさ」

『泣いているのかい? 安西真澄』

 真澄は言われて初めて、自分の目に水滴が溜まっていることに気づいた。慌てて袖で目を拭うと、もうそんなものは一切溢れて来ない。

 悲しいという感情ではなかった。ただ何となく、寂寥とした気持ちで胸がいっぱいになった。この涙に情などない。しかし、魂の奥深くに刻み込まれた親子という絆がその涙を流させた。反射的に、娘の死の事実を自覚した自分の体が、本能で涙を流したのだった。なんとも不思議な気分だ。

「くっくっ……涙なんてとっくの昔に枯れちまったと思っていたが」

『君の涙に価値なんてない』

「かもな」

 真実を知ってなお、俺の生き意地の悪さは衰えないらしい。娘が何と思おうが、俺は生き残る。

「黒狗景虎、俺は貴様には殺されん」

 真澄は再びパラメトリック・スピーカーガンを構え、引き金に指をかける。すでに手中にある奴の命。真澄の指に伝わる冷たい感触がまさに、景虎の命だ。

 俺はそれを一瞬で粉々にできる。

「俺は貴様に殺される所以はない」

 何が娘の願いを叶えるだ。お前に徐歌の願いが分かってたまるか。勝手なことを言いやがって。

「死んだ娘に願いなんてあるはずがない。あの子はただ幸せになりたかった。それだけだ。この空間にいる者の死を望んでいる奴がいるとすれば」


 それは、お前だ。


 真澄の人差し指に力がこもる。そして、カチリ。と引き金が引かれる音がした。パラメトリック・スピーカーガンから今、目に見えない音が照射された。景虎にそれは命中し、間もなく奴の身体を粉々に吹き飛ばす――

 はずだった。

 景虎がお面の奥で含み笑いをこぼした。彼の身体に変化は起きない。真澄は動揺し、パラメトリック・スピーカーガンの数値を確認した。

 0 0 0だ。確かに攻撃は発動した。にもかかわらず、景虎には全く通じていないだと!?

「なんだ? どういうことだ!」

 すると景虎は自分の左手首に巻かれている地獄耳を見せた。0 0 0のままだ。微塵もダメージが入っていない。

『一ついいことを教えてあげよう安西。僕には優秀な部下が2人いるんだけど、その片割れが最近僕に反抗気味でね』

「あ?」

 景虎は徐に右手を挙げた。そして人差し指をピンと立てる。

 指を、指しているようだ。何の仕草か意図が分からず、真澄はつられるようにその指の先へ視線を向ける。

 真澄の目に飛び込んできたのは、籠の中を照らす電灯。

「なんだ?」

 いや、待て。何かある。

 あの電灯の端からはみ出ている黒いコードのようなものはなんだ!? 電線には思えない。明らかに小さすぎるし、細い。

『あいつはなかなかできる奴でね。前職で失敗して路頭に迷っている所を僕が拾ってやったんだが、全く、従順な狐になったよ』

「狐……」

『だが、やっぱり狐は狐か。人を食う奴だ。まさか親である僕を殺しにかかってくるとは思わなかった。フフフ』

 真澄は急いで椅子の上に登り、電灯を殴って破壊する。剥がれ落ちた電灯の裏から現れたのは、C4爆弾を思わせる小型の装置。3本の黒いコードがはみ出ており、粘土の真ん中から赤いランプが顔をのぞかせている。ランプは点滅しており、徐々にその間隔が短くなっていた。

『この法具は強力だ。食らえばひとたまりもないだろう。ひょっとしたら、僕も死ぬかも?フフフフ……どうする、ここで一緒に死ぬことにしようか? 安西』

「じょ……冗談じゃない!」

 これが何の法具かは分からないが、景虎の口ぶりからこの籠の中にいる人間を一瞬で葬り去ることができる威力を持つとみて間違いない。景虎は身に危険が迫っているのにもかかわらず余裕そうだが、コイツと話していてわかった。この男は自分だけは絶対に死なないと確信している。何かトリックがあるのか。身を守ることができる、防御系の法具でも持っているのか?

「くそったれが!」

 肘で窓ガラスを割ろうと試みるが、割れない。ならばドアだ。真澄は籠の入り口のドアを思い切り蹴りつけた。3回蹴りつけて、蝶番がはずれる。半開きになったドアの隙間に手をこじ入れて、思い切り引っ張った。

『残念、少し高さがあるなぁ』

 ここから地面まではまだ少し、距離がある。飛び降りれば無事では済まないだろう。だが、このままここで死を待つよりはましだ。真澄は意を決し、深呼吸する。

「俺は生き延びる」

 真澄はジャンプし、籠から身を投げ出した。建物の二階から飛び降りるほどの高さだ。打ちどころによっては行動不能になる恐れも――

 だが、少なくともここで死ぬことはない。

「ぐあ……!」

 体に衝撃が走った。特に左足に激痛が走る。着地時に受け身をとってみたはいいが、存外左足に負担をかけすぎたようだ。骨折しているのかもしれない。少なくともひびは入っているはずだ。

 そして、真澄が立ち上がる間もなく、上方からとてつもない爆音が響き渡った。今しがた自分と景虎がいた籠の窓ガラスが全て割れる。びりびりとした衝撃波が伝わってくる。慌てて腕輪を確認するが、この位置からでも0 6 1 。あの場にいたら木っ端みじんだった。

 観覧車は変わらず、ゆっくりと回っている。窓の割れた籠もそろそろ地上に戻ってくるだろう。あの爆発なら、流石に景虎も死んだのでは? むしろあれで倒せなかったら奴は無敵だぞ……真澄は左足を引きずりながら歩き、籠に近づいて行った。

 籠に近づいた真澄。しかし、彼は中を覗き込むまでもなく絶句した。

「お、お前……なぜ」

 黒狗景虎が、悠々と立ち上がり籠を下りてくる。


 あっはっはっは はっはっはっはっは


 耳障りな機械音声で笑う。

 その声は、彼の喉についている黒いスピーカーから発せられていると分かった。それに気づいた時、真澄の頭にある記憶がよぎった。

 センサーの当たり判定だ。この空間における人間の急所ともいえる。

 ここにいる人間は音を感知するセンサーが体に仕込まれているが、それは喉仏に位置する場所に仕込まれている。だが景虎は、自力で声を発することができないから声帯機を使って声を発している。

 ということは……まさか?

 こいつには最初から喉仏がない? センサーが存在しないということか?

「急所が、体のどこにも存在しないのか!?」

 だから腕輪の数値が0 0 0のままで死ぬことはないというのか。信じられないことだが、現にあの爆音は自分の腕輪には作用している。その渦中にいた奴がまだ生きているということは、景虎が唯一、自分達とは違うイレギュラーな存在であることを認めるしかなかった。

「くっ……!」

 まずいぞ。

 音で倒せないのならこの拳銃は無力。しかも自分は今怪我をしている。とりあえず真澄は足を引きずりながら景虎から距離をとった。

「どうやって倒せばいいんだこんな奴!」

 急所がないのなら、音で倒すのは不可能ではないか。いや、まて。何も音にこだわる必要などない。

 真澄は相手の体躯を観察し、ニヤリとほくそ笑んだ。年齢は分からないが、間違いなく俺よりも老齢だ。体も鍛えているわけじゃなさそうだし、体格も俺の方が恵まれている。

 怪我をしていても力づくで倒すことは可能だろう。

 真澄は痛む足を引きずりながら景虎に向き直った。そして、両手の拳を前に出して構えをとる。アメリカに留学していた頃にボクシングをかじっていた。護身用のために学んだ程度だったが、この老いぼれを一人倒すには十分な技術。

「ククク……何も恐れる必要はない。あんたより俺の方が強い。肉体的なアドバンテージがあるからな。なぁに、殺しはしないさ。ただ、再起不能にはなってもうらうがな!」

『桐島!』

 景虎がその名を呼んだ瞬間、背後に強烈な気配が迫る。真澄は咄嗟に振り返り、拳を放った。

 目前に迫る拳を、桐島は頬にかすらせてかわし、カウンターのパンチを放つ。こちらはもろに真澄の顔面を撃ち抜き、彼を吹き飛ばした。

「ぶっ!? ぐふぅぉあああああああああああ!」

 桐島はネクタイを直し、息を整えながら油断なく構えをとった。


『はははは。おいおい安西。僕が部下も連れずに一人で行動すると思うかい?』

「会長、無理をなさる。真澄があなたのいる観覧車に行ったときはどうしようかと肝が冷えましたよ」


 これは、まずいことになった……!

 この桐島という男は、学生食堂で相対したあの熊のような大男だ。見てくれから分かるその身体能力の強さは真澄にとって脅威だった。さっきの動きも素人じゃない。きちんとした訓練を積んだプロだ。元軍人とか、そういう人間かもしれない。

「いったん奴から距離をとるしかない!」

 真っ向勝負をかけても殺されるだけだ。

 真澄は足を引きずりながらその場を離れた。パラメトリック・スピーカーガンのチャージは今いくらだ?

「100! 1分40秒とは案外早く貯まるもんだな」

 桐島からある程度距離をとる。彼は猛然と真澄に接近してきた。手にはクラッカーが持たれているが、明らかに殴り掛かって来る勢いだった。

 だが、俺の銃で狙いをつける方がわずかに速い!

 真澄は銃を構え、桐島に向ける。

「死ね!」

 死の音波が桐島を襲う。彼は素早く身をよじってかわす素振りをしたが、弾が来るわけではない。パラメトリック・スピーカーガンの音波は照準のカーソル内に少しでも体が捉えられていればダメージを与えることができる。今、カーソルの中には確かに桐島の体は入っていた。

「!?」

 桐島はぎょっとして自分の左腕を見た。だが、その反応は真澄の望んだ反応ではない。桐島は安堵したようにニヤリと笑ったのだ。

「くそっ! 100で撃っても倒せないのか!」

 奴の身体が弾け飛ぶさまを期待したのに。

 前に学生食堂で戦った時も、銃を撃ったはずなのにこいつは生きていたから、何かしら音をガードする装備をつけている可能性があるのは予想していた。

「その法具……どういう仕組みか知らないが見えない弾丸のように音波を飛ばすことができるということか?」

 桐島の腕の数値は0 6 0。彼を倒すことはできなかった。

「このネクタイがなければやられていたな」

「音を防御できる法具か!」

 だが、ダメージを全く食らっていないわけではない。数値が下がり切る前にもう一撃入れれば殺せる。桐島の耐音ネクタイとやらはデシベルをおよそ40%カットすることができる。

 真澄は再び距離をとってパラメトリック・スピーカーガンによる攻撃を試みた。

 だが。

「チィッ! チャージは10しか貯まっていない! もう少し……」

「ふんっ!」

 桐島が動く。

 素早く蹴りを放ち、真澄の銃を弾き落とした。その動きは真澄には捉えられない。そのまま流れるような体さばきで真澄の懐に入ると、胸ぐらと腕を掴んで背負い投げをきめた。

「ぐはぁっ!?」

 だが馬鹿め! 近づきすぎたな。

 真澄はポケットの中に手を突っ込み、すぐさまクラッカーを取り出した。それを桐島の喉元に狙いをつけて紐を引いた

 桐島はそれをかわそうとしなかった。痛烈な破裂音が桐島を襲う。彼の数値は90を超えたはずだが、全く動じず平然として真澄に襲い掛かった。桐島はかわすために体勢を崩すよりも、このまま攻撃に転じるのを選んだのだ。真澄のクラッカーを持つ左手を捻り上げ、そのまま手首の関節を外した。激痛を感じて叫びそうになるのをぐっとこらえる真澄。

 さらに桐島は真澄に馬乗りになってマウントをとり、顔面を殴りつけた。巨木のような剛腕で繰り出される攻撃に目から火花が散り、何も言えなくなるほどの衝撃。あの火永とかいうチンピラの一撃とは比べ物にならないほどの強力な打撃だった。

 5、6発撃ち込んだところでようやく拳の雨が止まった。

「ふむ……これだけ打ち込んでも悲鳴を上げないとは。大した奴だ」

 だが、真澄ももはや限界のようだ。

 左手は使いものにならないし、足も折れている。顔も青あざだらけになり、鼻から血を流して二枚目が見る影もなかった。

 真澄はうつろな目で空を見上げて浅い呼吸を繰り返すのみ。まるで魂が抜けたように、全身から生気が流れ出てしまっているようだった。

「ひっ……うぅっ……ひっ」

「終わりだな」

 あとの始末は、会長の御心次第だ。桐島は遠くで一部始終を見守っていた景虎に向き直り、終わったと伝えた。

「会長」

『うん。見事だったよ。桐島』

 景虎は満足げに頷いて応えた。しかし、桐島は真澄にとどめを刺そうとせず、景虎の顔を伺っている。

『ん? どうしたのかな? 桐島』

 早くその男を殺せよ。僕の目の前でな。

 景虎は桐島をせかすが、彼は動こうとしなかった。桐島は、懇願するような面持ちで景虎に問うたのだ。

「菊泉は、あいつはどうなりますか」

『菊泉?』

 ああ、あの愚かにも僕を殺そうとした裏切り狐か。

『お前が処分しろ。誰の教育が間違って、この僕に牙をむいたと思っているんだい? 親に逆らうなんて言語道断だろ。お前はよく分かっているよね。桐島』

 お前が今まで生きてこられたのも、僕がお前の命を救ってやったからだ。

 景虎は桐島の問いをそう断じた。それを聞き、桐島は目を伏せた。

 俯いたまま彼は何も言わなくなった。まるで思案している様にも見えた。何か、大きな決断を下そうとしているが、果たしてそれが正しい決断か、未だに決められず迷うように。




 アメリカ合衆国の元エージェントだった桐島は優秀な工作員として様々な任務に当たっていた。それは物を奪ったり、誰かを殺したりすることもある、常に死と隣り合わせのハードな任務だ。ある日桐島は某国の機密情報を奪う任務に失敗した。処刑される寸前のところを何とか自力で脱出し、日本に亡命する。

 その亡命の手引きをしたのが景虎だった。桐島は遠縁ではあるが、黒狗景虎の親戚にあたる。古くからの大地主であり莫大な富を持つ黒狗家の力に縋ったのである。景虎は秘密裏に某国と取引をし、法外な金でもって桐島を救った。

 だから桐島は逆らえない。

 黒狗景虎に逆らうなど、許されないことだ。なぜなら僕は、お前の命を救ってやった――いや、新しい命を授けてやったんだ。それは親も同然。

 お前達は自分の親を裏切るのか。そんなこと許されると思っているのか。

『早く真澄を始末しろ。何をやっている?』

「会長……」

 桐島は動かない。真澄を殺そうとしない。ただ歯を食いしばり、拳を振るわせて景虎に訴えた。

「菊泉を、許してやってください! それを約束していただけなくては、俺はこいつを殺さない!」

『桐島ァ……!!』


 あいつは俺の弟みたいな存在だった。

 境遇だって似ていた。菊泉はこの風間市の隅っこで、人を殺して金を稼いでいた。いわゆる殺し屋だったのだ。そしてある日、ターゲットを殺しそこねて深手を負って、死にそうになっているところを俺に発見された。

 会長は俺と同じく、菊泉にも手を差し伸べてくれた。俺はそれに感謝し、菊泉にも会長を親として忠誠を誓うように教えこんだつもりだった。


 だが――そうですね会長。認めますよ。

 俺は教育を間違ったようだ。そして俺自身もまた、間違ったことをしているのだから。


「情はないのか。あんたに、親としての情が……俺達はあんたの道具じゃない!」

『お前たちにとって僕は親であり、神なんだ。はき違えるな。僕がいなければお前らは生きちゃいない。僕のおかげで拾えた命を、僕が自由に使って何が悪いんだ』

 菊泉を助けたい。

 第二の人生はずっと、あいつと一緒だった。もはや家族同然に思っていた。菊泉も自分をまるで肉親のように慕ってくれた。ただ、不安もあったのだ。菊泉の忠誠は、景虎よりもむしろ自分自身に向いていると。いつかこうなる時が来ると予感はしていた。

 菊泉が会長を裏切って殺しにかかる。それが起きた時会長は菊泉を許さないだろう。そうなればもう、自分のとる行動は一つしかない。

 弟を助けるんだ。

「会長。俺はあんたの『耳』の隠し場所を知っている」

『……何?』

「そこには今、菊泉が向かっている。秋彦とかいう男を追ってな」

 桐島は菊泉と連絡を取るのに使っていたトランシーバーを取り出して言った。

『はったり言うなよ。お前に僕の耳の場所を教えた覚えは――』

「式場J 劇場ホール。俺をあまりなめないでください。会長がこそこそと、あそこの客席に何かを隠していたのは見えていた」

 お面越しでも分かるほど、景虎は動揺しているようだった。

『き、貴様、僕を監視していたのか!?』

「監視じゃない。護衛だよ」

 さて、そろそろ俺の言いたいことが分かるはずだ。

「会長。菊泉を殺さないと約束してください。さもないと俺は、このトランシーバーで会長の耳を潰せと、菊泉に指示します」

『ふ、ふざけるなよ? そんな命令聞くわけ』

「あいつは、俺とあんたの命令、どっちを聞くかな?」

 憤怒の炎が腹の底で燃え盛るのを感じた。もう少しで、もう少しで徐歌を苦しめた怨敵が死ぬのをこの目で見られるというところで。

 あろうことか己の片腕の裏切り。こんなことがあっていいのか!? 許されない。絶対に。

 だが、自分には桐島を殺す力がない。満足に動かすことすらままならないこの体で桐島を倒すなど不可能だ。しかもこいつは、この僕を殺す手段を持っているのだ。

 それが現実。あまりにも気に食わない、認めたくない現実だ!

『クッ……ぬぐぐぐぐ……!』

 この僕の上に立つだと? 子の分際で親の上に立つだと!? 

 景虎はあまりの怒りに呼吸すらも乱れていた。だが、どうあがこうが景虎に勝ち目はないことは桐島も景虎本人も分かっていることだった。

 景虎はしばらくの間、体を小刻みに震わせるほど怒り狂っていたが、深呼吸を数回繰り返すことで落ち着きを取り戻したようだった。もっとも、怒りの炎は鎮火することなく、彼の心の奥底へと燃え盛る場所を変えただけに過ぎないが。

 もはや選択の余地はない。それに、目的は徐歌の無念を晴らすことだ。まずはそれに集中しろ。

 桐島と菊泉の処分はまた後で考える。

『いいだろう……菊泉の命は助けてやる。だからさっさと真澄を――』


 ごそり。


 布擦れの音。

 桐島の集中は一気にそちらへ向かった。

 真澄の手が、スーツの裏地に伸びている。

「しまっ……!」

 桐島は駆け出した。真澄の手には、黒光りする凶器が握られている。


 ――ざまあみろ。


 真澄の口元は邪悪に裂け、その拳銃をピタリと桐島に向けて狙いを定めた。


「うらぁあっ!」

 その引き金が引かれる寸前。桐島のキックが真澄の右手に命中する。引き金が引かれることはなかった。真澄は吹っ飛んだその拳銃を拾おうともがくが、桐島の方が速い。すぐに拳銃を拾い上げ、真澄から距離をとった。

「全く……油断も隙もない奴だ!」

 そうだった。コイツ、もう一丁拳銃を持っていたのだ。

 学生食堂でやり合った時はこっちのニューナンブM60を使っていた。あの未来感あふれる拳銃の方はあとから手に入れた法具だろう。

「危ないところだった」

『桐島! 早くとどめを刺せ!』

 真澄はまたポケットに手を突っ込み、次の手を出そうとしていた。その眼は凶悪な殺意が宿っており、こちらを睨みつけている。奴はまだ諦めていない。生きるために次の手を考えているのだ。

 恐らく奴の攻撃手段はクラッカーしか残されていないだろうが、いずれにせよ近づくのは危険だろう。この拳銃があれば遠くからでも奴を殺せるはずだ。

「数値は……0 5 0。大丈夫だな。発砲しても死ぬことはない」

 以前学生食堂で真澄がこの拳銃を使った時、奴の数値は80を超えていたはず。それで撃っても死ななかったのだから、この拳銃には使用者に対して音の影響が来ないように調整されているのだろう。

 この銃を使って遠距離から真澄を殺す。

 奴にこれ以上の反撃の手を出させるわけにはいかない。

「死ね。安西真澄!」


 パァン!!


 桐島は驚いた。

 拳銃を撃ってみて、胸をよぎったのは一抹の不安だった。


 ――思ったより音が大きいな?


 しかし、真澄の勝ち誇った笑みを見た瞬間、桐島は己の間違いに気づいた。真澄の身体に変化はない。嬉々として、こちらを見つめているその顔には期待感すらあった。

 恐る恐る腕輪の数値を確認した。赤い数字が激しく光り、点滅している。1 0 0。それは敗北の証だった。桐島はすぐに自分の身体が崩壊し始めていることを感じた。いよいよ立っていられなくなり、桐島は膝をついた。

「クックックックックッ……」

 よろよろと真澄が立ち上がる。おぼつかない足取りで落ちた拳銃を拾いに行き、桐島を嘲笑った。

「この拳銃、一つ仕掛けがあるんだ。お前はそれに気づかなかった」

「し……かけ、だ、と」

「この安全装置の紐。これを引くことで銃口にスピーカーを出現させられる。これをせずに撃てばどうなると思う? 運動会の火薬銃よろしく、撃った本人が一番の爆心地となるわけだ」

 全ては計算通り。

 真澄は拳銃のスピーカーを解除した状態で、わざと桐島に拳銃を拾わせたのだった。桐島に銃を撃たせて自爆させる。そのためにポケットに手を入れてクラッカーを所持していることを臭わせた。奴が確実に遠距離から拳銃を撃ってくれるように仕組んだ。

「この拳銃のデシベルは相当なものだ。いくらお前の法具があろうと、そんな至近距離で撃てば確実に50以上のダメージが入ると踏んだ。結果はお前の体が教えてくれる」

 くそ……!

 体の膨張が止まらない。血管が膨れ、破けて血が噴き出ている。目玉も飛び出してきてもはや世界も見えなくなった。

「ぐ……ああああ」

 腹が爆発し、内臓が四散した。力を失い、桐島はうつ伏せにどっと倒れた。息を切らしながらなんとか、最後の力を振り絞ってトランシーバーを掴んだ。


 菊泉――

 すまない、菊泉。俺はここまでのようだ。


 震える指でトランシーバーを操作する。最期に、あいつと話したい。必ず生き残れと、それだけ伝えたい。

 俺に残された最期の時間で。お前に――


 ぐしゃり、と無情に踏みつけられたその手は水風船のように破裂してなくなった。真澄はトランシーバーを拾い上げると、思い切り地面にたたきつけて破壊する。

 桐島はそれから何も言葉を発することなく、頭部が破裂して死亡した。




「会長。あんたの急所はここではない別のどこかに隠されているということだったな?」

 真澄はネクタイを締め直してそう問いかけた。

 よもや、ここまで自分の思い描く計画から外れてしまうとは思ってもいなかった。景虎は思わず後退してしまう。真澄の放つ獰猛な覇気に当てられたのだ。彼は桐島に顔を殴られ頬骨がゆがんでしまっているが、それがより恐怖を煽る化け物じみた雰囲気を漂わせているのだ。

「桐島との会話を聞いていたぞ? 劇場ホールの客席だったか? ン? おい、何か言えよ」

『そんなボロボロの身体で何ができる』

 僕には音が効かないのだ。奴が持っている法具は最強クラスだが、この僕には通じない。それに、僕も法具を持っていないわけではない。

 肉弾戦で奴を倒し、クラッカーでとどめを刺してくれる!

『いいだろう。この手で憎きお前を始末できるチャンスが訪れたわけだ。むしろ好都合だ』

 景虎は走り出した。

 老体ゆえに激しい動きはできないが、手負いの獣一匹くらいならば仕留められる。真澄に接近し、顔面にパンチを繰り出した。

 しかし、その攻撃はいともたやすくかわされた。さっきの桐島と戦った真澄にしてみれば景虎の攻撃など止まって見えるほどだ。

『くぅっ!』

 勢い余って転びそうになったが何とか堪えた。再び真澄に攻撃を仕掛けるが、今度は片手で拳を受け止められた。そしてそのまま握られる。

 苦し紛れに左手のクラッカーの紐を口元に持っていき噛んだ。それを真澄に向けて放とうとする。しかし、真澄は一切動じないどころかむしろ余裕の笑みを浮かべていた。その時、真澄のしているネクタイの色に気づいた。

 この落ち着いた紫色のネクタイは桐島がつけていたネクタイだ。『耐音ネクタイ』と呼ばれるその法具はこの空間で唯一、法具による攻撃を防御できる法具。真澄はすでにそれを桐島から奪い取っていたのだ。

 クラッカーは虚しく鳴り響いたが、真澄を倒すには至らない。

「思った通りだ。あの男が音から身を守る法具を持っているのは分かっていた。急所は首にあるのだから、首元を守れるこのネクタイがその法具だとすぐに気づいたよ」

 そう嘯くと真澄は景虎の右腕を思い切り捻り上げた。

『いたたたたたたたたた!』

 アメリカ留学時代、ボクシングを習うついでにブラジリアン柔術も少々かじっていたことがある。何がどこで役に立つか分からないものだ。

 真澄は景虎の腹に膝蹴りを食らわせると、右腕を掴んだまま跪かせた。そして、片足で右肩部分を踏みつけ、景虎の右腕を背中の方に捻り上げていく。

『アッ! いいいいいいい、たい! アアアアやめろぉおおおお……』

 真澄はやめなかった。やがて骨がきしむ音が聞こえてきて、ボキりと右肩が折れた。景虎は機械音声が雑音で乱れるほど悲痛な絶叫を上げた。

「これからお前を拷問してやる」

『ヒッ!』

「次は左肩、右足、左足。順番に折ってやる。大丈夫だ綺麗に関節の部分で折るから、内臓に傷はつかないようにしてやろう。ただし、ひどく痛むがな」

『こ、この悪魔が!』

 真澄は黙々と景虎の左腕をとった。あまりの恐怖に震えが走る。

 だめだ。僕の正気が持たない。四肢を全部折られる前に痛みのショックで死んでしまう。

『や、やめろ! 何が望みだ? 僕に何かをさせたいんだろう!?』

「話が早くて助かるな。要求は一つ。お前の部下の菊泉を呼べ。集めた亡骸を全て持ってな」

『ははは……僕を殺そうとした菊泉を僕が呼べと? あいつが素直に応じるわけ』

「応じるさ。桐島が危ない、早く助けに来い。と言え」

 桐島と景虎のやり取りを見て、その菊泉とかいう狐顔の男と桐島は薄ら寒い絆のようなもので結ばれており、互いの危機は互いに無視できないと読んでいた。

 菊泉の餌にはそれだけで十分だ。

 まぁ、もっとも? 桐島はすでに俺の手によって殺されているがな!

「場所は……そうだな。火葬場だ」

 そこはこの奇妙な空間の終着点だった。真澄はそこに全ての亡骸を集め、まとめて奪い取る作戦を計画する。

「会長、当然場所は知っているんだろう? まずはそこに俺を案内してもらおうか」


 俺は死なない。

 死なない気がするのだ。ハードな危機を乗り越えるたびに、俺は強くなっている。もはや、誰にも負ける気はしなかった。この空間で生き残るのはこの俺だ。

 徐歌、お前には悪いがこのゲーム、勝たせてもらうぞ。



 つづく



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