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眠れない夜

 

 いつまでも旅気分ではいられない。


 町や、湖や、森や。

 色んな所に連れて行ってくれたクラウスだけれど、さすがに一週間もすると仕事に戻らなくてはいけなくなった。


 王城に行っていた期間も長かったし、相当仕事が溜まっているらしい。

 執務室に籠ったり、騎士の訓練に付き合ったり、領地を見回ったり、毎日忙しそう。次期領主として期待されているようだ。


 お義父さんとお義母さんも(結局ゴリ押しに負け、普通にそう呼んでます)執務や訓練と、それぞれの務めを果たしている。義父さんは政、義母さんは武と完全に分業しているあたり、良い夫婦だと思う。


 三人とも、仕事が忙しくても私への気遣いは忘れなくて、三度の食事はみんな揃って沢山話を聞いてくれる。


 手持ち無沙汰な私を見かねて、コレットも刺繍や絵画、この国の歴史の勉強と、さまざまな趣味を勧めてくれた。

 でもこの家にいつまで居られるのかも分からない私が、色々手を付けて、物を増やしてもいいものなのかが分からなくて。

 結局散歩をしたり、本を読んだり、簡単なことしか出来なかった。

 そうやって一人で過ごす時間が増えると、次第に強烈な寂しさが押し寄せてきた。



 もう、家には帰れない。

 両親にも会えない、学校にも行けない。

 そして何より、こんな時いつも隣にいてくれたカイザーがいない。

 あの子は、ここにも、元の世界にも存在しないのだ。


 あの子がいない世界で。

 あの子が待っていてくれない、あの子が私を望んでくれない世界で。

 私が生きる意味などあるんだろうか。

 ずっとずっと、あんな風に毎日同じ場所で、私のことを待ち続けていてくれたのは、カイザーだけだったのに。

 元の世界で感じていたどうしようもない寂しさが、この世界にまで追いかけてきて。

 私はまた、上手く眠れなくなってしまった。






「お久しぶりです」

 珍しく俺宛てに、晴香様からの通信が来たと思ったら理帆の話だった。


「久しぶり、クラウス。この間、水晶玉で話した時に気が付いたんだけど。理帆の様子、少し変じゃない?疲れてる感じで。クマが出来てたような気もするし、大丈夫?眠れてるのかな?」


 この二人はすごく仲が良い。通信も頻繁だし、お互いを思いやっているようで少し羨ましくなる。


「理帆の様子ですか…すいません、ここの所忙しくて…」


 仕事が溜まりすぎているのは本当だった。


 せめて三度の食事くらいは、と一緒に食卓を囲んでいたけれど母や父に会話の主導権を奪われ、話しかけることもままならなかった。

 でも理帆はいつも穏やかに笑っていたし、そんな様子を見ているだけで満足してしまっていた。


「もう!何やってるのよ!」

 晴香の目が怒る。


「城で、いつも理帆のことを見守っていてくれていたから、クラウスなら大丈夫だと思って理帆を託したのに。あの子の家族はいつも輝帆のことで手一杯だったから、理帆の側にはカイザーしかいなかったのよ。カイザーが居なくなって、理帆はどんどん痩せて行って、希薄になって…あの子を失うんじゃないかと思って怖かったの。お願いだから、また同じ心配をさせないで」


「カイザー…それが理帆の大切な人の名前ですよね」

 人?と少し丸い目をしながらも晴香は頷いた。


 凹んだクラウスは晴香の驚いた様子に気が付いていない。

「くっそ名前までかっこいい…俺じゃ到底、彼女の大切な人に勝てる気がしません。思い出すだけで眠れなくなるほど好きだったんですよね?」

「うん…確かにそうだけどクラウスは少し勘違いをしている気がするよ…?」


 理帆はクラウスが犬だと告げなかったのだろうか。


 しかし、戦う前から負けた気になっているクラウスに腹が立った晴香は、その勘違いを正さずに話し続けた。

「カイザーは全然カッコよくなんかなかったよ!無職で、毎日理帆にご飯を食べさせて貰ってて、ずーっと家にいるし」

「ヒモ?それは俗にいうヒモですか?」


 惜しい。カイザーは鎖に繋がれていた。


「でもね、カイザーは理帆が帰ってくるといつも熱烈に迎えていたの。抱きしめて、口づけて」

「口づけ…!」


 立ち上がってハグをして、口の周りをベロベロ舐めていた。嘘は言っていない。


「理帆が修学旅行で一晩家を空けた時なんか、凄かったんだから。帰ってきた途端、嬉しすぎて漏らしたの」


 あの時は正直、バカ犬だと思った。


 理帆の帰りが嬉しすぎて、腹を出して撫でてもらう姿勢のまま、漏らしたのだ。理帆の制服もシーザーの体もびしょぬれになって、ひどい匂いがしたけれど理帆は笑っていた。



 今になって、ようやく分かった。


 あの時理帆の家族は一緒に帰ってきた輝帆だけを気づかい、彼女が家に入る前に扉を閉ざしてしまった。

 理帆にとって、あんな風に彼女の帰りを心待ちにしていてくれた存在は、ずっとシーザーだけだったのだ。だからあの犬の喪失に、こんなにも苦しむのだ。


「嬉しすぎて漏らす…それはさすがに人としてどうかと…でもそれも愛の深さゆえなんですね!」


「理帆は自分のことを一番に考えてくれる、大事に思ってくれる人にずっと飢えてきたの。寂しかったのよ。だから容姿とか地位なんて関係ない。クラウスが理帆を一番に思ってくれるなら、彼女をきちんと心配してくれるなら、その思いはきっと届くはずだから」


 理帆をよろしくね。

 水晶玉に写る晴香の目は、涙に濡れていた。

 クラウスは軽く、拳を握りしめた。






「話は終わりましたか」

 夜も更けた、塔の一室。

 クラウスとの通信を切った晴香が居間に戻ると、イェルクが暖かいお茶を準備してくれていた。


「ありがとう。まだ起きていたの?」

 イェルクは明日も執務で早いはずだ。

 寝ていて良かったのに、と言うと彼は開いたままのドアを指さし「すいません、ついあなたの話に夢中になっていました」と答える。


 イェルクは晴香の話が大好きだ。

 理帆やクラウスとの通信も聞きたがるから、差支えのない時はドアを開けている。


「物好きな人」

 晴香が笑うとイェルクは彼女の手を取り、口づけた。


「あなたの話も、綴る言葉も、私にとっては初めて出会った極上の物語なんですよ。この塔の全ての本と引き換えにしても、あなたの話を聞きたいのです」

「それって私にとっては最高の口説き文句なんだけど…分かって言ってるでしょう、ホントに恥ずかしい人」


 頬を赤く染めた晴香を抱き寄せる。

 金の髪に碧の瞳、暖かそうな黒のローブ。

 彼女の今の姿は、かつてこの図書館を管理していたイェルクの母に良く似ている。

 彼女がここに落ちてきたこと、今は亡き母と同じ髪、同じ目の色に変容したこと。

 全てが運命のように思えて、愛おしくなる。

 この世界に落ちて来た「星」は、イェルクに幸せをくれたのだ。


 願わくば彼の思いも届きますように。

 恋には不器用な、いとこの顔を思い浮かべる。

 理帆を見守る彼の顔には、誰の目にも明らかな恋慕の情が浮かんでいたけれど。

 肝心の姫君にはなかなか伝わらないようだから。


「続きはベッドで聞かせて下さい。あと、あなたの世界では漏らすのが愛情表現なんですか?」

「…ぜんっぜん違うから、絶対に漏らさないでね…」






 白い月が出ていた。

 森の町の秋の夜は寒くて、息が少し白くなる。

 今夜も眠れなくて、バルコニーから空を眺めていた。

 どこかへ帰りたいけれど、どこへ帰ってもシーザーはいなくて。


 それはいくら考えても、取り戻しようのない喪失だ。

 だから諦めて前に進むしかない、そう頭ではちゃんと分かっているのに上手くいかない。


「風邪を引きますよ」

 肩に毛布が掛けられて、その上から優しく抱きすくめられた。


「クラウス…?」

 どこから、と驚くとバルコニーの端に一本のロープが垂れ下がっていた。

 クラウスの部屋は一つ上の階だ。紐を伝って、降りて来たらしい。


「未婚女性の部屋に入ったと分かったら母に切り殺されますから、秘密にしておいてくださいね」

 ふふ、と思わず笑ってしまうと私を抱いたクラウスの腕がギュッと強くなった。


「あなたがそうやって笑ってくれると、やっぱり幸せな気分になります。初めて会った時から、あなたの笑顔は特別でした」

「ク…クラウス…⁉」


 頭でもぶつけたんだろうか。

 いつもならすぐ赤くなるはずのクラウスが、恥ずかしい台詞を口にしている。


「す、すいません…」

 良かった、やっぱりクラウスはクラウスだった。

 私が少したじろいだだけで、腕の力が弱まり、眉根が下がり情けない顔になる。


 そして私はどうにもこの顔に弱いのだ。


 そっと彼の腕に手を添え、軽く後ろにもたれ掛かる。

 そんな私の頬に、クラウスが軽く触れた。


「クマが出来てますね」

「あ…」

「気が付かなくてすいません。また、眠れなくなったのですか?」

「うん、心配かけてごめんね。ちょっと、ホームシックなだけ」


 だから大丈夫だよ、と笑った私を、クラウスはまた強く抱きすくめた。


「以前、一緒に寝るとよく眠れる、って言ってましたよね?もし良かったらまた一緒に寝ましょうか?」

「寝…」


 少し赤くなった私を見てクラウスが慌てた。

「いや!変な意味じゃなくて!未婚女性に手は出しませんから!枕とか、湯たんぽ代わりに使ってください!」


 ふふ。私はまた少し笑って、それから体の力を抜いてクラウスにもたれ掛かった。

 彼とくっついているだけで、暖かくて、眠くなってくる。

 やっぱりなぜだか彼の側は安心するのだ。



「ありがとう、おやすみクラウス…」

「えっ!ちょっ、立ったまま寝ないで下さいって!」

 安心しすぎ、とかちょっとは警戒を、なんて声が少し聞こえたような気もしたけれど。

 柔らかな眠気が押し寄せてきて、私は久々に心地よく寝落ちした。



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