お忍びデート
館に用意された私の部屋は王城のものよりも広くて落ちつける雰囲気で、とても素敵だった。
城の部屋は高級ホテル風というか、いかにもお客様向けの雰囲気だったけれど、この部屋は若い女性向けに淡い色合いでまとめられている。
私のために準備してくれたことが伝わってきて、とても嬉しい。
でも、いつまでこの部屋に居られるのかも分からなかったので、素敵な日記帳や紙類には手を付ける気になれなかったのだけれど。
記録を残したい気もするけど、三か月後にはまた城に戻らなくちゃいけないし、その後のことは分からないし。
魔術師のツァハリアスさんは、誰か一人が王族に嫁いでくれれば、後は好きに過ごして構わない、と言っていた。
好きに、と言われても困る。
景子先生は学園の手伝いがあるし、晴香は塔の中の図書館に夢中で、いずれはこの世界を舞台に小説を書きたいなんて言っていた。
私も晴香と同じ文芸部出身だけど、付き合いで入部したようなもので完全に読み専。
適当に進学して、適当に就職したいと考えていた人生設計の甘い私に、いきなり好きに過ごしてください、というのもなかなかハードルの高い話だ。
まあとにかく、この先を考えるのは結婚式の後だ。
旅の疲れが出たのか、その日は泥のように眠った。
翌朝、張り切ったコゼットが着せてくれたのは膝下丈のワンピースと、柔らかい木綿地のエプロンだった。
ワンピースは朱赤の小花柄、エプロンは白でカントリーな雰囲気。
どことなくメイドさんの衣装に似ている。
普段は絹のドレスばっかりだったけれど、これはつまり。
「そうか!客人顔してないで、家事を手伝えってことだね!何でもするから、色々教えてねコゼット」
「いやいや何でそうなるんですか。理帆様をこき使ったりしたら、私が奥様に殺されますから!…クラウス様が領地を案内したいとおっしゃっていたので、今日はお忍び用のデートファッションです」
お忍びデート。
デート自体初めてなのに、お忍びとはこれいかに。
少し頬を赤らめた私を、コレットが微笑ましそうに見やる。
「坊ちゃんもすごく張り切って、色々コースを練っている様子でしたから。今日はお二人で、楽しんできて下さいね」
みんなで朝食を済ませた後(ちなみに朝の挨拶からお義父さんお義母さん呼称を強要された)門の前でクラウスと待ち合わせた。
初めて会った時のような、簡素なシャツとパンツ姿だったけれどその上に皮のベストを羽織っている。
これが庶民的なファッションなのだろう。
城からずっと、王子様然としたきっちりとした衣装だったから、少し懐かしい感じ。
肩が凝らなそうで、まくった袖も自然な感じで、本当はこういう服の方が好きなんだろうなぁ。
「似合ってるね」
軽く袖を引っ張って笑うと、彼の頬が赤くなった。
「か、からかってないで早く行きますよ!ほらっ」
そういって彼が右手を差し出すので、今度は私が赤くなった。
馬に一緒に乗ったり、一つの毛布で野宿したりもしたけど…
手つなぎデートなんて生まれて初めてなんだから、当たり前だよね⁉
療養地として有名だと聞いていたクラウスの領地は、避暑地としても最適なようだった。
秋の王城は、たまに暑い日もあったけれど(王宮には冷風の魔法が掛けられていると聞いた。万能だな魔法)この町に吹く風は涼しいを通り越して、少し冷たい。
よく晴れた日だったから日向は暖かいけれど、日陰を通ると少し肌寒くて、私は軽く身震いした。
「ああごめんなさい、寒かったですか?」
クラウスが腰の小さなポーチから服を引っ張り出す。
彼のものらしき、大きな上着。
これがなぜ小さなポーチに?と思ったけれど、どうやらこれも魔法らしい。
ドラえもんのポケットみたいで、便利だな。
「とりあえずこれを羽織っていて下さい」
クラウスの上着は、私の手が覗かないほど大きくて、暖かい。
何よりこうやって気遣ってくれることに暖かい気持ちになる。
「クラウスの匂いがするね」
微笑みながら見上げると、クラウスが赤くなって目を逸らした。
「あなたは色々無防備ですよね…あっ!それともクサいってことですか!す、すいません洗ってあるんですけど」
違うってば、と私はまた笑った。
この人と居ると、なぜかいつも暖かくて、安心できて、楽しい。
それは初めて会った時からずっとそうで。
カイザー似の人に、悪い人はいないんだよね、と私は微笑んだ。
町を歩くのは楽しかった。
温泉が湧いている土地だから、そこかしこから蒸気が吹き出して、蒸した野菜や卵を売っていたりする。
足湯らしき場所もあって、若い女の子も足を浸していたから真似をして入ってみると暖かいお湯の中をスース―する風のようなものが通っていて、ビックリする。
どうやらお湯の中に筋肉疲労を癒す魔法が流れているらしい。
サロ〇パス的なアレだろうか、と私は理解した。
文章を書くせいか、肩凝りの酷い晴香が聞いたら喜びそう。
事態が落ち着いたら一緒に来たいな。
その頃まで私がこの町に居られるかどうかは、分からないのだけれど。
街角にある小さなお店に、ひっきりなしにカップルが出入りしていた。
窓から覗くと、アクセサリーの店らしい。
「すごい人気だね」
「入ってみますか?」
「いいの?高くない?」
これでも一応次期領主なんですから一つくらいプレゼントしますよ、とクラウスが笑った。
店内は手を繋ぎ、頬を寄せ合うカップルで一杯だった。
この世界でも、ペアリングとかするのだろうか。
カップルが真剣な表情で選んでいる指輪コーナーはさすがに場違いだろうと、私は店の隅のネックレスに目を向けた。
キラキラした銀の鎖に、同じくシルバーで葉っぱのかたちの小さなペンダントヘッド。葉っぱの根元には小さなつぼみのような蒼い石が飾られている。
クラウスやカイザーの瞳のような、淡くて綺麗な蒼。まるで夜明けの空の色だ。
…値段が付いているのだけれど、この国の貨幣単位をまだ理解していないから高いのか安いのか分からない。
欲しいけれど値段の分からないようなものを強請るのはどうなのか、と悩んでいるとクラウスが脇から覗き込んできた。
「欲しいのはこれですか?…って、俺の目の色と同じ石ですけど…」
いいんですか、となぜかためらうクラウス。
「ごめんね、やっぱり高かった?まだこの国の通貨を理解してなくて」
「いや、値段はとてもお手頃なんですけど、庶民的な店ですから。大丈夫です、あなたが欲しいならプレゼントします。いや、むしろこれを買わせてください!」
急に勢い込んでネックレスを購入したクラウス。
でも彼は私がそれを身に付けて似合う?と聞いた後から目を合わせてくれなくなった。
えっそんなにヘンですか…⁉
小さいし、控えめなデザインだから誰にでも似合うはずなんだけどなー、と館に帰った後も鏡の前で凹んでいると、コレットが目を丸くした。
「そのネックレス!まさか坊ちゃんからのプレゼントですか⁉」
「うん、今日買って貰ったの」
「なかなかやるじゃないですか!坊ちゃんも!…男性が自分の目の色と同じアクセサリーを贈るのは、『あなたは私の物』って意味なんですよ。だから色付き石のアクセサリーを付けた女性は彼氏持ちだって、みんな用心するんです」
「⁉」
クラウスが目を合わせてくれなくなった理由が分かった。
あの時ためらった理由も。はっきり注意してくれれば強請らなかったのに。
彼は照れ屋だから、口に出すのが恥ずかしかったのかも知れない。
「これ、交換してもらえるかしら…」
気に入ってはいたけれど、周りに余計な勘違いをさせるのはさすがに申し訳ない。
確か隣に同じデザインで石がついていない物もあったはず。
交換の話をするとコレットの顔がみるみる暗くなった。
「ごめんなさい、余計な話を…坊ちゃんからのプレゼント、そんなに迷惑でしたか?」
「ううん、違うの。意味を知らずに、私がクラウスと同じ目の色の物をせがんで買って貰ったから、申し訳なかったと思って。彼もなんだか恥ずかしそうだったし」
「坊ちゃん、嫌がってましたか?」
解せない、という顔でコレットが聞く。
「いや、張り切って買ってくれたんだけど…買わせて下さい!って。今思うと恥ずかしすぎて変なテンションになってたのかも。謝って、交換してもらったほうがいいかしら?」
「そんなことしたらあの人凹みすぎて浮上出来なくなりますよ…とにかく、理帆様が気に入ったのならそれでいいんです。ちょっと恥ずかしいなら、こうすれば大丈夫」
コレットは鎖の留め金の位置を少し長めに調節してくれた。
こうすればペンダントヘッドは胸の谷間の辺り、ドレスに隠れて見えなくなる。
「ありがとう、コレット」
服の上からペンダントに触れると、大切な人が側にいてくれるようで暖かい気持ちになった。
クラウスの瞳、カイザーの瞳。
とてもよく似た色だけれど、自分の中で二つの意味合いが少し変わってきたことに、その時の私はまだ気が付いていなかった。