領主と奥方
クラウスの領地までは馬車で五日。
転移魔法も存在するけれど素晴らしい料金だから火急の時にしか使えない。
ちなみに元の世界の物を召喚して貰うのにも高額料金が掛かるらしい。
本や雑誌の召喚を頼んだ晴香は余りの高さに取り寄せを断念、「Amazonが恋しい」と泣いていた。
沼地から城までの旅は早さ優先、持ち物も最低限だったけれど今度は従者やメイドさんつきの馬車で優雅な旅行気分だ。
ちゃきちゃきした働き者のメイドさんはクラウスの館の人で、コゼットという名前だった。
黒い長髪を一つに結わえ、少しつり目の碧の瞳が印象的な、二十代のキレイなお姉さん。
クラウスが小さな頃から館にいたようで、彼のことを坊ちゃん、と呼んでいた。
「そんな訳で、坊ちゃんの足の付け根には今もその時の傷が…」
「ちょっと待てなんで今も残ってるって知ってる⁉」
「知ってますよー、ほくろの場所なんかも。ほらお尻の右の」
「勘弁して下さいコゼットさん!」
コゼットが来てくれたおかげで、馬車の中は大盛り上がり。
内容はだいたいクラウスの暴露話だったけれど。
二人の漫才に頬っぺたが痛くなるまで笑ったり、馬車の外の景色に見とれたり、途中の宿で食事を楽しんだり。
異世界人が現地の料理を伝えたり、異世界の料理本がブームになることも多いようで、翼竜のステーキ、羽ウサギの煮込みなんて謎メニューの脇にギョーザ、唐揚げ、フライドポテトなんて馴染みの料理が並んでいるのが面白かった。ちなみにクラウスはギョーザとビールが大好物らしい。
そんな訳で旅の時間はあっという間に過ぎて、気が付けばクラウスの領地が見えていた。
白樺のような、美しい樹々を抜けた先にある、森と湖の静かな町。
樹々に合わせてなのか、町の建物も白い壁で統一され、赤い石造りの道が美しかった。
城下町のような賑やかさはないけれど、家々の間隔が保たれ、それぞれに贅の凝らされた飾り窓の眺めは豊かさを感じさせる。
「落ち着ける、良い町だね」
ひとりごとのように呟いたら、クラウスとコゼットが笑顔で頷いてくれた。
二人とも、なんだか肩の力が抜けた様子で、とってもいい笑顔。
そうだよね、故郷はやっぱり落ち着くよね。
ほんの一瞬、もう帰れない自分の部屋を思い出し胸が痛くなった。
「もうすぐ、館に着きますよ!先に水晶玉で連絡を済ませておきましたから、領主様も奥様も楽しみにしていらっしゃると思います」
「母さんにも伝えたんだな…」
クラウスはなぜか、領地に着いてから外していた剣帯をまた付け直していた。
この町では要らないと言っていたのに。
尋ねてみたら、なぜかクラウスもコゼットも複雑な顔で
「家では必要なんだよ…」
「そうですね、私も館にいる時が一番警戒してます…」
と答えた。
「そういえば坊ちゃん、奥様についての説明は?」
クラウスのお母さん、アデーレ様。
貴族の妻としては珍しく、一般庶民から嫁いだ人で、熱烈な恋愛結婚だったと城の人からは聞いたけど…。
「ごめん、詳しく話してなかったね。その話を補足すると二人は職場で出会って結婚したんだ。つまり、俺の母さんは元父さんの護衛騎士。…悪い人じゃないんだけど、ちょっぴり血の気が多いから気をつけて」
血の気の多い、お母さん。
父がよく見ていた、昭和の映画の肝っ玉母ちゃんを思い浮かべて私は少し青くなった。ばんばん背中を叩かれたらどうしよう!?
もうちょっとしっかり食べておくんだった、と自分のひ弱な腕を眺めた。
ごめんね、晴香!帰るまでには体力つけるからっ!
けれども馬車を降りて対面したクラウスのご両親は、穏やかな笑顔を浮かべた優しそうな人たちだった。
クラウスと同じ銀の髪、蒼い瞳の男性が現王の弟でこの領地の主、グスタフ侯。
髪と目の色は一緒なのに、線が細いせいかクラウスよりもイェルクに似ている。
イェルクのお父さんはグスタフ侯の双子の弟だからね。
馬車の中で話題になったクラウスのお母さん、アデーレ様は、波打つ長い黒髪に碧の瞳が綺麗な女性だった。とても血の気が多いようには見えない。
ただ、背は長身なグスタフ侯と並ぶくらい高く、引き締まった体つきをしている。そして眉根に刻まれた、威厳のあるシワ。
クラウスはやっぱりお母さん似なんだね…。
挨拶をしなくては、と少し緊張しながら一歩踏み出した私の肩を留めたのはコゼットだった。
そしてクラウスが私を守るように前に出る。
「おかえりっ!」
歓迎の言葉と共に、アデーレ様が勢いよく振り下ろした剣を、クラウスが少し膝を折りながらも受け止める。
えっ、アデーレ様手ぶらだったよね⁉どっから出たのあの剣⁉
私の疑問を読み取って、コゼットが答えてくれた。
「奥様はいつもガーターベルトの位置に剣帯を止めています。そして訓練と称して突発的に切りかかって来るのでこの館にいるときが一番気が抜けないのです…」
グァキン!という金属がぶつかる音にかなりたじろいたけれど、すぐにアデーレ様は剣を引き、笑顔を見せた。
「少し筋力が弱ってるね。城で訓練を怠ったでしょう?頑張りたまえよ、次期領主」
「客人の前だからそういうのは後にしてくださいってば…とにかく、父上母上、星が印した地より異世界の賓客、佐伯理帆殿をお迎えしました。しばらくこの地にて養生して頂こうと思っておりますので、よろしくお願いします」
「理帆です!よろしくお願いします!」
慌てて頭を下げた私の手を、グスタフ侯が優しく握った。
「遠い地より、ようこそいらっしゃいました理帆様。しばらくなどとは言わず、是非この地に永住して、不甲斐のない息子を見守って頂けたらと思っております」
「どうか仲良くしてくださいね!理帆ちゃんとお呼びしてもいいかしら?私たちのことはお義父さん、お義母さんでよろしくね!」
…いきなりフレンドリーすぎる二人の挨拶に、私の動作がフリーズした。
不審者扱いされたらどうしよう、と悩んでいたから歓迎は嬉しいんだけど!いきなり距離が近すぎやしませんか、クラウスとの仲を勘違いされてやいませんかーー!
おたおたする私を見かねたのか、クラウスが私を背中に庇ってくれた。
「…何を勘違いしているかは知りませんが、理帆は家族と引き離されこの地に降り立ったばかりの傷心の身。今は彼女の療養を第一に考えて下さい。コレット、まずは彼女を部屋で休ませてやってくれ」
はい、と頷いたコレットから手を引かれる前に、私は慌ててクラウスのご両親にお礼を言った。
「あの!少し誤解があったようですが、暖かく迎えて頂けて嬉しかったです、どうぞよろしくお願いしますねグスタフ候、」
グスタフ候、アデーレ様、と言いかけた私の唇をちょん、とアデーレ様が指で塞いだ。
この人候の後ろに控えてたはずなんだけど⁉
元騎士らしい機敏な動きに怯んでいると、最後の言葉を訂正された。
「お義父さん、お義母さん、でしょう?クラウスとの仲はともかく、私たちのことはこの国での親のように思って欲しいの。それがこの館で暮らすためのたった一つの約束事よ。守ってもらえるかしら?」
「…はい、お義父さん、お義母さん」
久々に口にしたその言葉はどこか甘く、優しかった。
クラウスと理帆、コゼットたちが部屋に下がった後も、グスタフ侯とその妻は話を続けていた。
「二人の仲は勘違い…だと思う?あなた」
「うーむ、警戒心の強いクラウスの場合、いくら自分が迎え入れた異世界人とはいえ、気にいらない人間を連れてこないだろうからねぇ」
「当たり前でしょう!信頼できない人間を家に入れるような、防衛本能のない大人に育てた覚えはありません!」
だから家に連れて来た時点で嫁候補であると、二人は判断したのだけれど。
「あの子の好意、理帆ちゃんにはまるで伝わってないんじゃない?」
「育て方が…さすがに武力方面に偏り過ぎたんじゃ」
「あ・な・たが社交を教えなかったからでしょう?」
アデーレはスカートの裾から剣を取り出し、笑顔で突き付ける。
美しく猛々しい妻に、侯は一生勝てる気がしなかった。