泥沼姫と恥ずかしがり屋の王子
次の朝は晴天だった。
朝日が眩しくて、かなり早い時刻に目を覚ましてしまったようだ。
隣を見ると胡坐をかき、上半身を起こした姿勢でクラウスが眠っている。横にならずに眠れるなんて、器用だ…。
喉が渇いたし、顔も洗いたい。昨日の温泉の水は飲めるだろうか、とそっと立ち上がろうとしたら手首を掴まれてギョッとする。
「おはようございます、どちらへ…」
問いかけたクラウスが私の胸元を見て頬を赤くし、あからさまに目を逸らす。確認すると、ゆるゆるだったシャツの襟が寝乱れて更に開いてしまっている。
「き、着替えて顔を洗ってきます」
私まで赤くなってしまった…。
制服に着替えて戻ると、クラウスが朝食の準備を整えてくれていた。暖かいお茶と、チーズを載せた黒パン。
「粗末なもので、申し訳ないのですが」
「美味しそうです、頂きます」
食べながら昨日の夜に聞きたかった、様々な事情を説明してもらう。
ここはアップラント王国。魔法や妖精、魔物が普通に存在する場所。
普段は平和な王国だが、豊かな土地の下には不滅の魔王が封印されている。
百年に一度、緩んだ封印を変えなおさなくてはいけないのだが、封印に必要な聖魔法の使い手はこの国の王の血筋を引いた者と、異世界からきた者の間にしか生まれない。
そのため、封印が緩む頃になると召喚の儀式で異世界の者を招き、王族との婚姻を結んでもらうらしい。
「ただ、今回は思いがけない事態になりまして…」
召喚の儀で招かれた異世界人は、王国の地図に星の印を残す。
その場所が彼らの降り立つ場所となるため、次代の王に最も近い、継承権一位の者が迎えに行くのが通例であるらしい。
ところが、いつもは一つの星の印が、今回は五つも地図に刻まれていた。
「何かの間違いだろうと言われていたのですが、印があるのに誰も迎えに行かないのは無礼に当たります。そこで第五位の私まで引っ張り出された訳なのですが。印の場所が底なしの沼地だったのでさすがにそれは無いだろうと思い込み、一人分の馬と食料しか準備して参りませんでした…」
なるほど、だから毛布が一枚だったのか。
それでも底なし沼で死にかけていた所を助けてもらったんだから、感謝しかないのだけれど。
それでもクラウスの懺悔は続く。
「申し訳ございません、他の者は馬車と侍女を率いて出かけたのですが、ここだけ貧相な出迎えになりまして…王子といっても自分は現王の弟の子どもで、傍流だからお金は無いし継承権だって第五位で、とても理帆様を迎えに行けるような人間では…」
どんどん眉根を下げ、悲壮な顔になっていくクラウスを見かね、私は口を挟む。
「クラウス様、王国の規模が分からないのですが王位継承者って何人くらいいらっしゃるんですか?」
「そうですね…王の血筋は大切にされてますから百人くらいはいるのかな?」
「百人⁉百人中五位?」
謙遜しやがって!この王子様がぁ!
「ちょ、クラウス様かなりの上位ランクなんじゃないですか…私なんて底なし沼に落ちてた泥だらけの異世界人な訳なんですが…私の方こそ王子さまに不釣り合いな落ち方ですいません、家だって賃貸だし顔も地味だし、姫とか、理帆様なんて呼ばれる柄じゃないんです。クラウス様、どうか私の事は 理帆と呼び捨てにして下さい、なんならリーでもいいですよ?」
「リ、リーはさすがに不敬かと…」
しまった、私の方が落ち込みすぎてクラウスが若干引いている。
それでも落ち着かないから、と呼び捨てを強要するとじゃあ俺のことも呼び捨てにしてください、なんて言う。
「いやぁ、クラウス様はだいぶ年上でしょう?さすがに失礼かと…」
「だいぶ年上⁉あの、自分まだ18歳なんですけど理帆様は…?」
18歳⁉このお酒の強そうな、敵だってガンガン倒せそうな偉丈夫が私と1歳違いだとぅ!
クラウスが高校の制服を着ている所を想像してクラクラしていると、察した彼から睨まれた。
「17歳です…改めてよろしくね、クラウス!」
敬語をやめたら、俄然話しやすくなった。
食事を片付け、二人で馬に乗り王城を目指す道中にも、様々な話をした。
「しかし、もう大事な人がいるんなら、理帆は異世界に帰っちゃいますよね…」
「いや、大事な人はもう亡くなりました…って帰れる?帰れるんですかぁ⁉」
「亡くなった⁉いや喜ぶのは失礼なんだけどそうなんですね…!」
小説の中では異世界は行ったが最後と決まってる。帰れるなんて夢にも思っていなかった私はクラウスの声が聞こえなくなるほど興奮した。
「いやいや、さすがに本人が帰りたいと強く願えば帰れると聞きましたよ?異世界人は王の次に偉い賓客ですから自由意志が尊重されています。前回の召喚では第一王子がイボイノシシに似ていたとかで、姫が次々帰還を選んでしまい大変だったらしいです…」
それを教訓に王家は美男美女を娶るようになり、現在の第一王子は国一番のイケメンなんですけどね、とクラウスは話を締めくくった。
もう一つ、私には気になっている話があった。
「クラウス、五つの星印のことなんだけど、私は事故にあってこの世界に召喚されたの。その時同じ車に乗っていた人間がちょうど五人なんだけど…」
「なるほど!もしかしたら理帆の仲間が同時に召喚されたのかも知れませんね。城に急ぎましょう」
しかし私が落ちた沼地は、国の外れだったらしい。
森を抜け、街道に出るまで三日掛かった。
一人分の非常食しか持ち合わせていなかったクラウスは鴨やシカを捕まえてきたり、森番の小屋からパンや野菜を購入してきたりと、日々てんやわんやで私の食事を準備してくれた。
事情があってここ数ヶ月食欲が無かったのだけれど、これだけ苦労を掛けたのだから…と頑張って飲み込んでいるうちに食欲も体力も回復してきた。
なにより食べないでいると、クラウスが「こんな食事しか準備できなくてすいません…」と叱られた犬のような顔をするのだ。さすがにいたたまれない。
そんな訳で森を出てのどかな農村地帯を抜け、大きな城門をくぐった先にようやく、石作りの大きな城、それから賑やかな城下町があった。
大きな噴水や所々に植えられた樹や花々が目を惹く、とても美しい街だ。
「すごい、キレイな町!クラウスの家もこの辺にあるの?」
「本邸は北の領地の屋敷ですが、城下にも別邸がありますよ。城内にも部屋がいくつかあるので、好きな部屋を使ってくださいね」
「王子様め…」
六畳の部屋を弟と二人で使っていた私は、肩を落とした。