九五 森の中の屋敷
北の門をくぐり、そのままずっと緩やかな坂を登り続けていくと、やがて森の向こうに一見くたびれた屋敷が姿を現し始めた。
エレーシーが見慣れていたシュビスタシアの市役所にも匹敵するほどのその館は、役所か倉庫以外に見たことが無く、このような郊外には似合わないほど大きく思えた。
「ミティリア、あそこに見えてきたのが、その元貴族の方のお屋敷?」
エレーシーは見えてきた館を指差して尋ねた。
「ええ、そうです、あれですね」
改めてその館を目の当たりにし、そこに一歩一歩近づいていくと、これまで抑えてきた緊張感が心の奥底からじわじわと滲み出てくるようだった。
エレーシーは会ってからどう話し始めようかだとか、どういう風に説明しようかなど、いろいろと考えを巡らせているうちに、屋敷の前まで辿り着いてしまった。
「さて、それでは皆さん、準備はいいですか?」
ミティリアはエレーシー達を気遣ってか、後ろを振り向いて確認した。
「ええ、問題ないわ。行きましょう」
エレーシーよりも先にティナが答えたので、エレーシーは胸中では不安に満ちていながら、黙って頷くしかなかった。
「えーと、使用人の方、使用人の方……あ、いた」
ミティリアは屋敷の周りでうろうろしながら窓から中の様子を伺っていると、一つの部屋の前で立ち止まり、窓を叩いた。
「もしもし」
「はい、ああ、メノドーさん。今日は何の用事ですか?」
「今日は金工互助会の用事じゃなくて、別件の用事なんですが……」
「別件の用事? メノドーさんにしては珍しいですね。わざわざお越しということは、よっぽどな話なんでしょう」
「そうですかね? ところで、ウェレア様はいらっしゃいますか?」
「ウェレア様ですか? いらっしゃいますけど、事前にご予約とかは……」
「してないです。してないですけど、ちょっと急に話したいことができたものですから……」
「夜までに終われば良いと思いますけど、確認してみますから、ご用件をお聞かせ願えますでしょうか?」
「はい、もっとも、御用があるのは私ではなくて、彼女達なのですけど……」
ミティリアはここぞとばかりにティナ達を紹介した。
「はじめまして。ミュレス国軍総司令官のティナ・タミリアです」
ティナは臆することなく自己紹介をした。
「は、はじめまして。私は同じくミュレス国軍統括指揮官のエレーシー・ト・タトーです」
「ほう、あなたもタトーさんというんですね」
シュビスタシアでは結構いたけれど、ここでは珍しいのだろうかとエレーシーは若干不思議に思った。
「しかし、ミュレス国軍……? 聞いたことありませんが……」
使用人の方は、ふと小首をかしげた。
「私達は、私達ミュレス民族の解放と自立を目指して、地上統括府や天政府人と戦っているんです」
ティナは卒なく説明を続けた。
「なるほど……ミュレス民族の解放と自立……」
その言葉に思うところがあったのか、使用人の方は不敵にも見える笑みを浮かべた。
「そういうことでしたら……少し、ウェレア様にお話をお繋ぎしてみましょう。それまでどうぞ、中へ……」
使用人の方はそういうと、玄関口に回って扉を開け、ティナ達を中へと誘った。
外観こそ市役所のようであったが、一旦玄関をくぐってみると、これまでエレーシーが見たこともないほどに広々としており、シュビスタシア市役所を襲撃した時に感じた荘厳さを思い出していた。
ただし、こちらはシュビスタシアとは違って、昼でも薄暗く、ところどころ補修されていないようなところも目立っていた。
「それでは、こちらでお待ちになって下さい」
ティナ達は、一階にあるやや広めの部屋に通された。
その部屋は大きな窓が印象的で、部屋の中央に机があり、それを椅子が囲むようにいくつか置いてあるだけの簡素な部屋であった。
「ここまで来ると……ちょっと緊張するわね」
ティナは落ち着きなく部屋を歩き回り、気持ちを落ち着かせようとしていると、ふと壁に掛かっているものが気になった。
「あら、これは……?」
壁には金物細工が惜しみなく施された様々な装飾具や武具が掛けられ、展示されていた。
外からの陽光を受けて、きらきらと光り、部屋中に乱反射の光をあちらこちらに映していた。
「おお、この装飾品、かなり細かく作ってあるね」
エレーシーもティナが眺めていた金物細工に興味を示し、近くで眺め始めた。
「ああ、それらはおそらく、このルビビニアの職人達が作った物の一部だと思います」
二人の後ろからミティリアが説明を加えた。
「そういえば、確か貴女は金工職人とも通じているんだったかしら?」
「ええ、そうです。この町は『金物の街』ですから。このト・タトー家も、古くは金工職人互助会の元締めを大々的にされていたそうですが……」
「なるほど、それで、ここにたくさん飾ってあるわけね」
「ええ、今も互助会に顔を出されていますし、多分、今も増えているんではないでしょうか」
「これ、全部買われてるのかしら?」
「古い物はご購入されていると思いますよ。最近のものは分かりませんが」
3人で話していると、やがて使用人の方が戻ってきた。
「ミティリアさんとお連れの方々、ウェレア様のご準備ができましたので、どうぞ、応接室の方へ……」
先程通された部屋はどうやら応接室ではなく、ただ来客者を一旦通すための予備の部屋といったところらしかった。
先程の部屋でかなり楽しめたティナ達は、これ以上により荘厳な応接室がどのようなものなのか、期待に胸を弾ませつつ、貴族の方にいよいよお会いする緊張感を持ちつつ、応接室の前まで移動した。




