八〇 大義
次の日、朝日が昇るか昇らないかの早い時間に、エレーシーは目が覚めた。
「さあ、朝になったよ」
エレーシーは脇で眠り続けているネルメリアを揺すり起こすと、折角の自宅を惜しみながら部屋を出て、お互いにまだ眠いと言い合いながらも通りを下っていった。
市役所にたどり着き、玄関前で守衛役を勤めている兵士に労いの言葉をかけて扉を開けると、朝早いこともあって1階には誰もおらず、冷たい空気がそこに溜まっていた。
「ま、まあ、ティナとエルルーアはいるはずだから……」
少し呆然として眺めているネルメリアを安心させようと声を掛けた。
「もう起きてるのかな、それともまだ寝てるのかな……?」
エレーシーは、まず最上階の市長室に見当をつけ、階段を駆け上がった。
「ティナ、いる?」
エレーシーが市長室の扉を開けると、そこには予想通りタミリア姉妹がすでに起きており、二人でどこから買ってきたのか、朝食を並べて準備していた。
「あら、エレーシー。早いわね」
「そりゃあ、これからは地上統括府や天政府とも渡り合わないといけなくなってるからね」
「エレーシーさん、張り切ってるわね。朝はもう食べたの?」
「いや、そういえばまだだけど」
「じゃあ、エレーシーも下の港で何か買ってきたらいかがかしら? 私達は、それまで待ってましょう」
「ありがとう、ごめんね」
「いえいえ、いいのよ」
ティナに言われた通り、港の近くにある朝市でいくらか買い込み戻ってくると、アビアンも市長室に集合していた。
「アビアン、おはよう」
「おはよう。エレーシーの事だから、早いんじゃないかと思ったけど、皆早かったんだね」
「昨日の今日だからね。早く考えをまとめて行動に移したいよね」
「そうね、兵士の皆の休息日も必要だけど、あまりのんびりしてる時間は無いわね」
「でも、兵士募集の時間もいるよ?」
「それについてなんだけれど……」
エレーシーは、昨日、ネルメリアと話した兵士募集に関する不安を伝えた。
「だから、奪還した街から募るのも限界があるんじゃないかなと思ったんだけど……」
「うーん、確かに私達は『我が民族』っていう意識は強いほうだと思うけど、それと同じくらいに『我が街』っていう意識も強いのよね。自分の街が安泰になれば、私達に興味を示さなくなる人も少なくないかもしれないわね……」
「相手がただの天政府人じゃなく、天政府軍なら更にそうなるでしょうね」
「私達、相手がこれまでみたいに治安管理隊と一戦交えると思ってたから計画通りに来たけど、天政府軍が来ると分かってたら、多分もう数日はトリュラリアで作戦会議していたかもね」
「でも、これからあのような天政府軍と戦うことが続くとしたら、武器はもちろん、兵士だって多く必要になるわよ、そうは言っても、やっぱり」
「うーん……」
考えをいくら巡らせても、同じような会話を何周も何周も繰り返し、話は一向に進む気配はなかった。
そうこうしているうちに、外では日が最も高くなりつつあった。ティナはこの堂々巡りの状況を打破しようと、軍幹部達の意見を何とかまとめようとしていた。
「……結局、行軍を共にしてくれる兵士を、奪還した街で集めるのはどう考えても難しいということね」
「さっきから、それしか話してないね……」
「こうなったら、もう、まだ奪還できていない街から集めるしか……」
「うーん……」
「まあ、考えればそうだわ。これまでは私達の目的に共感してくれたし、数もまだまだ少なかったから入ってきてくれてたけど……」
「数が多くなったら、自分が入らなくても大丈夫ってこと?」
「そうよ。これだけ皆を引き連れてきたんだもの。我軍と普通の市民の間に隔たりが出来ても、それはそれでおかしくないと思うわ」
「そうなると……」
「……大義よ」
「大義?」
「私達には、再び、国を作り上げる大義があることを、この先の街にも広めるのよ」
「大義か……」
ティナやエレーシーが掲げていた大義。
それは、天政府人という他民族に奪われた自らによる、自らの民族の国をもう一度興すこと。そして、ミュレス民族の未来を明るくすることであった。
「それには……この本に書いてある『真の歴史』を拡めていかないといけないね」
エレーシーは、肌身放さず抱いていた教科書を改めて確かめるように取り出し、しばし眺めた。
「……そうね。私達がシュビスタシアやトリュラリアで仲間を集めたのと同じように、この先、ヴェルデネリアまでになるべく多く集めていきましょう」
「でも、どうやって集める? 地上統括府の圧力が強まっているみたいだよ。トリュラリアで聞いたみたいに……」
「でも、シュビスタシアより西にはそんなに大きな川は無いはずだし、時間を掛ければ……」
「街の入り口に関所が無ければ出来るだろうけど……」
「危険にはなるけど……やっぱり、夜動くしかないんじゃないかしら」
「夜のうちに街の中に入り込んで、そこで拡めて潜在的な兵士を増やしていくと……そういう事?」
「ええ、そうね……それが最善とは言えないけど、まあ、私達がとれる中では最善なんじゃないかしら」
「私もそう思うわ。出来る限りのことはしましょう」
「……よし、じゃあ、それで行こうか。しかし、ここから西の街か……」
エレーシーは、エルルーアの後押しもあって、この作戦を実践に移そうと心に決めた。今後の大きな方針が決まったところで、市長室の中を見回した。
「どうしたの?」
「いや、どこかに地図はないかと思って」
「地図、地図……そうね、私、下の皆に聞いてみるわ」
「ポルトリテまで載ってる地図がいいわね」
そういうと、エルルーアは即座に階下で資料をひっくり返している者に地図を見たかと尋ね始め、やがて一人の作業者から地図を受け取り、市長室に戻った。
「下にあったわよ。こんなものでどうかしら?」
「よし、これなら……」
エレーシーはエルルーアから地図を受け取ると、早速机上に広げ、シュビスタシアの場所を探し出し、そこからヴェルデネリアまでの道を辿った。
「ここからヴェルデネリアまでの道は……少なくとも3つある。海沿いの天地街道(註:大街道の別称)と、山間街道と、中央山地を掠める内陸街道。現実的な道は、この3つくらいかな?」
「フェルフ達も、このどれかを通ったとは思うけど、十人くらいの集団では、おそらく途中で奪還に関する活動はしてないでしょうね……」
「あくまでも、ヴェルデネリアで指揮をとることが一番の目標だったからね。それまでに戦闘はしてないと思う」
「山間街道なら、ベレデネアの南から街道に入って、そこからえっと……ネルスデネア、メセトー、エルントデニエ……」
「聞いたことのない街ばっかりだなあ」
「どれも小さそうな街だわ」
「兵力拡大を図るなら、やっぱり天地街道かしら?」
「天地街道なら、人通りも多いからね」
今後の方向が決まろうとしていたが、エルルーアは一つの街の名前を気にしていた。
「ディアゴリアがね……」
「ディアゴリア?」
エレーシーはエルルーアが呟いた、シュビスタシアとヴェルデネリアのちょうど中間に位置する都市の名前を聞き逃さなかった。
「ディアゴリアがどうかした?」
「ええ、私が学校にいたころに、このディアゴリア出身の子がいたの。それで、その子がディアゴリアの街について話してたのを聞いたことがあるんだけど、この街は昔から天政府軍が管理する街らしいわ。街全体が、一つの関所みたいになっているらしいの」
「なるほど、一昨日ここに来ていた天政府軍の一団も、ディアゴリアから来たのかもしれないね」
「それは下手すると、シュビスタシア以上に奪還に手こずりそうな街だわ。もちろん、早く奪還しなくちゃいけないのはどこも変わらないけど、数十人でしたっけ? それを相手にして非常に手痛い犠牲を受けた私達が今の時点で乗り込むのはちょっと気がひけるわね……」
「前もって歴史と私達の存在を水面下で拡めておくにはいいかもしれないね。だけど、私達が西征する時に通るのは……」
「そうね……下手に手を出すと、こっちの方まで帰ってこないといけなくなるかもしれないし……」
「そうなると、一番遠回りの内陸街道かな?」
「内陸街道にはどんな街があるのかしら?」
ティナの質問に答えるべく、エルルーアは地図上の道を辿っていった。
「うーん、あ、ミュッル=アミト=ルビビニアという街があるわ」
「ミュッル=アミト=ルビビニア……?」
ティナには聞き慣れないその街の名前だったが、中央山地出身のエレーシーは何となく知っているようだった。
「ミュッル=アミト=ルビビニア……ルビビニアは知らないけど、アミトというのは何となく知ってるよ。中央山地の、実家よりも麓よりにある場所だよ」
「じゃあ、その辺り一帯で一番大きいのかしら?」
「ここは中央山地の中でも結構栄えている街だと聞いたことがあるわ。シュビスタシアほどではないとは思うけど、山間街道にある街よりかは大きいんじゃない?」
「それなら、兵を集めながら西征するにはちょうどいいかもしれないわね。その方向で考えてみましょうか」
ティナは、エレーシー達軍幹部の話を取りまとめながら、一つ一つ確認しながら今後の計画について着実に決めていった。




