六八 ネベル・シアノに誓う勇気
エルルーアは、天政府軍一人ひとりの顔を睨みつけながら、いつ、どう行動を起こそうか考えていた。
統括指揮官のエレーシーは、天政府軍の背後のやや離れたところで足を止めているのに今しがた気づき、総司令官のティナは川の向こうである。
当面の戦闘の指揮を執るのは自分しかいないと感じていたのだった。
相手側は30人弱、それに対して、こちら側は3部隊合わせて数百人はいる。戦力差がなければ、天政府軍の制圧など容易いことに感じられた。
しかしこちらは、多少の訓練はしていても所詮は素人集団である。仮に向こうが手練揃いであれば、こちらも相当の戦力を失うことは容易に想像できた。
エルルーアも、情に深く、同胞を重んじるミュレス民族の一人だ。自分の中で、多数の犠牲者を出す覚悟を少しずつ、しかし着実に固めていかなければならなかった。
自分達の目的、すなわち民族の威厳の回復、隷属からの解放、そして自由な生活……
「民族の明日」は、まさに自身の手の中にあった。
それに、兵士達だって生半可な覚悟で自分達に付いてきてくれている訳ではない……と信じたいと思った。
「ミュレス人が各地で役場を占領していると聞いていたが、それが君達か」
均衡状態を破って最初に口を開いたのは、天政府軍の方だった。
「ええ、そうよ」
エルルーアは飄々としながら言い切り、天政府軍の口を塞いだ。
睨み合いが続くこと30分、エレーシーもエルルーアも、これ以上この状況を引き伸ばしたままにしておくことが無意味だと感じていた。
エルルーアは、この30分のうちに覚悟を決め、ふっと夜空を見上げた。
東の空には、一際強く光る星が見えた。
ネベル・シアノ、民族の象徴たる星である。
「……相手が相手だし……これまでよりは多くの犠牲は覚悟を……それが、自分でも……」
エルルーアは深いため息を付きつつ、向こう側のエレーシーと目で合図をした。
「……恐怖心を紛らわせるには……仲間……兵士と心を一つにして戦わなければ……」
エルルーアは正面を見据えた。
「……ああ~、ネ~ベル~シア~ノ~♪」
エルルーアは、周りを見回しながら声を上げた。
「一際強く~、夜の大地を~照らす~星~よ~♪」
エルルーアに続いて、アビアンも同じように歌い始めた。
「破壊されし~過去と~、栄光ある未来を示し給う星~よ~♪」
瞬時に意図を察したエレーシーは、周りの兵士を優しく叩きつつ、エルルーア達と同じように歌い始めた。
『ネベル・シアノ』。
歌詞の意味を深くは知らずとも、ミュレス民族ならほぼ間違いなく歌うことができる民謡の一つである。
「ああ~、ネ~ベル~シア~ノ~。闇の中に一つの道を示し給う~♪」
気づくと、ミュレス国軍数百人の兵士達は一斉に声を上げ、静寂に包まれた深夜のシュビスタシアの街中に響かんとする歌声で天政府軍の面々を圧倒していた。
「我ら民族を~導き給う~星~よ~♪……」
そして、この歌は本来ならば「芽生えの日」に行われる行事に関する特別な意味を持っていた。
「私は~民族の発展に命を尽くす~♪」
ミュレス国軍の兵士達は、途端に真顔になり、おもむろに剣を抜き、弓矢を番えた。
「星の示す時~、それは~♪」
兵士達は一歩一歩、歌いながら天政府軍の集団の方に歩み寄って行き、さらに天政府軍に圧力をかけた。尋常ではない恐怖を感じた天政府軍は、各々剣を抜いて臨戦態勢に入った。
「……今だー! ワーッ!」
その行事に従うように、曲に合わせて一斉に叫ぶと、市役所前で天政府軍を囲んでいた兵士達は一斉に天政府軍のいる入り口に押し寄せた。
「敵襲だ! 打ちのめせ! 市役所まで入らせるな!」
天政府軍の指揮官はミュレス国軍の強大な圧力に戦きながらも、ふと我に返り、襲撃に対抗すべく応戦するよう命令した。天政府軍は何も言われなくとも、入り口の前で半円状に並び、全方位からの攻撃に対応できる準備を即座に完了させた。
「行け! 行け! 行け! 攻め込め!」
エレーシーの部隊は少し離れたところにいたが、攻撃に隙を見せぬように全速力での突撃を命令した。
よほど鍛え上げられたと見える天政府軍は、各々の手に持った太刀を大いに振り回し、ミュレス国軍の兵士達を次々と斬りつけていった。
「わぁっ!」
「ひゃぁっ!」
半円状に展開された戦場のあちらこちらで、ミュレス国軍の兵士達の叫び声が次々と湧き上がっていった。
「救護班! 救護班!」
これまでの勝ちの雰囲気が流れていた空気から一転、一筋縄ではいかない展開に驚き、天政府軍に対してなかなか歯が立たないと見た兵士達は、幹部が何も言わない内に防戦一色になった。
傷ついた仲間を一人でも生還させようと救護班を守るように、天政府軍の剣を避けることしか出来なかった。
「くっ……防戦一方か……このままでは……早々と退くか? だが、退いたとしても……」
エレーシーもエルルーアも、計画には無かった思わぬ苦戦を強いられ、早くも撤退を視野にいれることになった。しかし、天政府軍が登場した今、この中央地区一の都市シュビスタシアで撤退すると、そのままミュレス国の消滅まで追いやられるのではないかという恐怖が頭をよぎった。
それは、フェルファトアがくれた教科書に書かれた、350年前の反乱の結果の再来であった。
350年前の「ミュレス国」の滅亡。それは現在の、天政府人第一主義とも言える地上統括府体制の興りでもあった。
その歴史を再度繰り返すことは、これまで以上の圧政を意味し、ミュレス民族自体の存亡すら危うくする事態をも招きかねなかった。
これを避けるためには、とにかくこの場で切れ目のない攻撃をし続け、シュビスタシア奪還を果たすこと。これが絶対条件であった。
「統括指揮官! ここは、攻撃を工夫しないと!」
参謀のエルルーアは、物量作戦からの変更をエレーシーに提案した。
「分かった! よし……」
エレーシーは、目の前で踊る剣を盾を駆使して避けつつ、頭の中で様々な作戦を試行した。
相手は、まさに一騎当千の様相を呈していた。
「よし、ここは『水のように』作戦で!」
「水のように……あ、分かった、『水のように』ね!」
特に打ち合わせをした訳ではないが、アビアンはエレーシーの暗号のような一言を受けて、とにかく盾を持った兵士を部隊の中から選び出した。
「お願い、先に登って」
アビアンは、選びだした兵士達に一言だけ告げ、次々と最前線へと送り込んだ。
「え? ……あ、はい! 分かりました!」
兵士達はアビアンの意図をなんとなく感じ取ると、目で合図を送り、手を軽く握るやいなや、意を決して天政府軍の集団の中に飛び込んでいった。




