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三四 隣は何をする人ぞ

 一方、宿屋に押し込められた兵士達はおとなしく、黙って幹部達の帰還を待っているわけではなかった。


 各々の町で過ごしていたように、周りの同胞達と楽しそうに無駄話に勤しんでいた。


 見張り役を任されている市の職員から度々注意を受けるものの、それでも暫く経つと、話しで盛り上がっており、ついには見張り役の者も何も言わなくなっていった。


 宿屋の近くに住む人々は、強く疑問に思っていた。


 何故、これほどにまで大きな話し声が、隣近所の宿屋からするのだろうか? 


 十人、二十人ではきかない声量に、怪しさを感じていた。




「今日は、隣はやけに繁盛してるみたいだね」


 ノズティアの目抜き通りにある宿屋街の一角、天政府人が営むごく普通の宿屋で、宿の主人の言いつけ通りに掃除の準備をしていたミュレス人のシャスティル・アルベ(訳註:アーベとも)は準備のさなかに同僚と無駄話に思わず花を咲かせていた。


「まだ日も出ているのにね。どこかの団体さん?」


「えー? でも、かれこれ1時間ほどずっと騒がしいけど……」


「うーん……それはおかしいかも……泊まれないのかな?」


「こっちに来ればいいのにね」


 シャスティルは、隣とは一転静まり返っている廊下を見渡した。

 今日は、隣の様子も相まって、いつもよりも数段静かに思えた。


「……シャスティル、気になる?」


「……え?」


 シャスティルは、無意識のうちにそわそわとしていたが、それを同僚に見抜かれてしまっていた。


「そりゃあ、気にもなるよ。だってさっきから、騒がしくなったり、静かになったり……普通じゃないよ」


 同僚は特に気にかけていなかった様子だったが、シャスティルは外の騒音にますます心を乱されていき、それに反比例して仕事の手は止まっていく一方だった。


「……そんなに気になるなら、行ってみたら?」


 同僚の突然の提案にシャスティルはとても驚いた。


「えー? でも、出れないでしょ? 掃除もまだしてないし」


「いいの、いいの。そのかわり向こうからお客を引っ張って来れば、きっと喜ぶよ」


「喜ぶかな?」


「喜ぶよ」


 同僚の一言に、シャスティルは頭を振りながら考えたが、ついには好奇心の赴くままに外に出てみることにした。


「じゃあ、見てこようかな。掃除は任せちゃっていい?」


「ちゃんと、お客さんを引っ張ってきてね」


 その一言の裏側に、まるで生死を分かつ選択であるかのような真剣さを、同僚の瞳の奥に感じた。


「わ、分かったよ……」




 シャスティルが宿屋の玄関を開けて外に出ようとすると、いつにも増して多くのミュレス人が道端に集まっていた。

 道路に出て一人ひとりの顔を眺めると、全員同じ宿屋街で働いている面々だった。


「ねえ、ねえ。何の集まり?」


 シャスティルは周りの知り合いにそれとなく聞いてみた。


「それがね、よく分からないの。何故か街道院の役人さんが玄関に立ってるけど……」


「街道院の?」


「普通は治安院の治安管理員でしょ?」


「それはおかしいね。何か起こってるのかな……」


 シャスティルは、これまでの野次馬根性が急に冷えていくのを感じた。


 遠く、人混みの前の方に目をやると、閉ざされた扉を無理にでも開けようとしている同族の者の姿が見えた。


 5人ぐらいの同い年ぐらいの人たちが、役人の制止を振り切りながら、とにかく必死になって扉を叩いたり押したりしていた。


 流石にあそこまでして見たいものなんだろうかとも思ったが、この異常な状態で、何が起こっているのかをこじ開けてでも見たくなる気持ちは非常に良くわかった。


 建物の中からは、ますます声が大きくなっていった。


 玄関前の路上は、時間と共に人数が増え、徐々に収拾のつかない水準にまで達しつつあることをシャスティルは感じていた。


「前の方が結構盛り上がってるなあ……」


 次第に人だかりの雰囲気は悪くなっていくのを肌で感じ始めるとともに、頭の中で一つ、また一つ選択肢を思い浮かべ始めた。


「どうしよう、このままだと大変なことになるかも……逃げようかな、でも見ておきたいしなあ……」


 頭の中で延々考えているうちに、集団の最前線ではどんどん状況が悪化していき、すでに役人と一触即発の状態まで陥っていた。


 ここまで来ると、もはや逃避などという選択肢は次第に消えていった。


 それどころか、いつも大きな顔をしてノズティアの街を闊歩している天政府人や悪魔族の役人が、自分達ミュレス人の扱いに四苦八苦している様子をみて血が沸く思いすら感じていた。


「これは宿屋に客を呼び寄せるどころじゃないよ。そうだ、あの子も連れてこよう!」


 シャスティルはそう決断するやいなや、踵を返して自分の働く宿に戻ろうとした。


 その時、向こう側から血相を変えて走りくる治安管理隊の姿が目に入った。


 これで暴動の火蓋が切って落とされた。


 そう考える者はシャスティルだけではなかった。


「何を騒いでるんだ! 往来の邪魔になるから、散れ! 散れ!」


 治安管理員はミュレス人の集団の中に入りながら、道を切り開くように剣を振りかざした。


 しかし、一旦好奇心に火がついたミュレス人には、もはや自身の好奇心に勝るものは何もなかった。


「この中には何があるんですか?」


「なぜ、あの役人は中を見せてくれないんですか?」


 治安管理員達は、すぐさまミュレス人の群れに囲まれてしまった。


「知らん、知らん! 私達はただ道の真ん中で人が集まってると聞いたから出てるだけだ!」


「それなら、あの役人さんに開けるように頼んでくれませんか?」


 シャスティルも混乱に乗じて、何とかして騒音の正体を知るべく、普段ではし得ない交渉事を治安管理員に対して持ちかけた。


「ダメだ、ダメだ! ほらほら、君達も主人の仕事があるだろうが。さっさと戻れ!」


 ここまで無下にされると、萎びるどころか逆に燃えてくるのがミュレス民族だった。群衆はさらに大勢で、強く扉を開こうとした。


「街道院と治安院が手を組んで隠しているとなると、何かとっても大切なものを隠してるんだ」


「話し声のする……?」


「何だろうね」


「早く開けようよ」


「何で街道院の人はこんなに隠したがるんだろう?」


「何か都合が悪いんじゃないの?」


「気になるね」


 最前線では口々に話しをしながらも、扉に手を掛けて、精一杯の力で開こうとしていた。


 建物内の役人も扉の向こうで引いているらしく、内外でのせめぎあいが続いた。


 代わる代わる扉に手を掛けていき、力が緩まることなく引き続けていると、次第に中の明かりが漏れ出てくるのが分かった。


 扉はやがて、これまでに見たことがないほど撓み、悲鳴を上げ始めていた。


「わあ、壊れる、壊れる」


 どこかから湧き出た一言は、ミュレス人達を一気に理性的にさせた。これまで無我夢中で開けようとしていた手を一斉に離すと、その途端、扉は逆に内側へと勢いよく開いた。


 ついに自分達の前に開かれた騒音の主達の姿を見て、ノズティア市民は衝撃を受けた。


 そこには、自分達と同じミュレス人達が、剛性な防具をつけ、帯刀した状態で何百人もそこに詰め込まれていた。


「しまった! 急いで市長に連絡だ!」


 内側で扉を押さえていた街道院の役人は、扉が開いた衝撃で飛ばされてしまったが、直ちに我に返り、一人は必死の形相で市役所の方へと走り出した。


 後ろの方でミュレス人達の対処に追われていた治安管理員も、その様子を見て唖然とし、ただただ固まっていた。


「み、みなさんは何をしてるんですか?」

 シャスティルは、待機していた兵士の一人に質問した。


「あれ? ああ、この街の人ね? 私達は、ミュレス国の兵士よ」


 優しそうな兵士の目に、シャスティルは心を奪われた。


「ミュレス国?」


「そう、タミリア総司令官がね、立ち上げて下さったの」


 シャスティルは、この二言だけで既に分からないことばかりだった。


「ミュレス国……? 天政府は……」


「トリュラリアから、ノズティアの西までの街道沿いの町はね、もう天政府人のものじゃないの。私達、ミュレス民族のものよ」


 そう言うと、兵士はシャスティルの肩を手繰り寄せ、優しく二回叩いた。


「そ、そうなんですか……?」


 シャスティルは遠慮がちになりながら、満面の笑みを浮かべている兵士の顔を見た。


 ここまで押し込められている中、兵士から滲み出る自信に圧倒されながらも、なんとかこの状況を理解しようと試みていた。


 ふと辺りを見回すと、見知った顔の者達が、各々兵士達から同じような話をしていた。


 そして、誰もが西の町に住む同族に対する羨望の言葉を口にした。


「私達の民族の国が出来たんだって?」


「西の町では、天政府人の言いなりにならずに暮らせるの?」


「国軍の指導の下なんだって」


「それでも、天政府人に怯えない生活をしてるんでしょ?」


「いいなあ……ノズティアも……」


 ノズティアに住むミュレス人一同、未だ得体の知れない「ミュレス国」に希望を抱きつつあったのだった。

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