二七六 ミュレス帝国建国演説
「今日、皆にこの場に集まって頂いた理由は、言わなくてもわかると思う。先日、天政府総裁のサティリアと、西のポルトリテ、そしてこのシュビスタシアに呼んだ。今回はまず、その結果を報告したいと思う。結果から言えば、我がミュレス大国改め、ミュレス帝国は、このシュビスタシアで、天政府と条約を結んだ」
条約の名を口にすると、民衆から一瞬、驚きの声が湧き上がった。
「そしてその結果、天政府は我らミュレス民族の、完全な独立を認め、文書として残したのだ!」
この瞬間、民衆から割れんばかりの歓声が広場を、そしてシュビスタシアの街を包んだ。エレーシーはその歓声が収まるまで暫くの間待ち、ようやく落ち着き始めたところでさらに続けた。
「この条約において、天政府はこの天夢地上戦において全面的に降伏し、条約以前、天政府地上統括府の支配した全領土、およびこれに付随する海および空を、ミュレス大国軍総司令官エレーシー・ト・タトー及びその後継者達に返還し、ミュレス民族を主とするミュレス民族国家の成立を認める。
これが、昨日、天政府と結んだ条約の一文である。
思えば我がミュレス民族は、この356年の間、天政府人達によって暴虐の限りを尽くされてきた。私は、このシュビスタシアの、皆が今いるこの船着き場で、天政府人の下で働かされていた。そう、私も、この街に住む仲間の例にもれず、あの向こうの村から、家族から引き離されてこの街で働くよう、強制されて来たのだ。
私腹を肥やす天政府人の影で、私だけでない、ミュレス民族の皆は、僅かな駄賃で、明日も分からない生活を強いられてきた。また、かつて我がミュレス民族が隆盛を極めていた時期があったことさえ教えられてこなかった、天政府人の教育を受け、我がミュレス民族は天政府人に隷属する民族であると、教え込まれ、我が民族としての尊厳さえも、忘れられてきた。
しかし、我々はこの3年間、いや、その準備期間も含めるとそれ以上、自らの尊厳と自由をこの手に取り戻そうとし、この川の対岸にあるトリュラリアで、我が民族が主体となる、『ミュレス国』を立ち上げ、我々を虐げてきた天政府人に立ち向かうことを誓い、そして我が民族の仲間を巻き込み、東はノズティア、北はメルンドに至る、ミュレシア全土的な戦いにまで発展させ、我が民族の力を天政府人に示すことができたのだ。
そして今日、我がミュレス民族は、その尊厳を存分に示し、世界が我々を認める、新たな国、『ミュレス帝国』として、新たな一歩を踏み出した。
今日からは、大手を振って、ミュレス民族の名を、この世界に叫ぼうではないか!
今日からは、我がミュレス民族が、正式にこの国の主体となる!
我がミュレス民族のための政を為すときが来たのだ!
だが、もちろん、この国にはミュレス民族以外の民族もいる。そしてその中には、これまで我らの上に立っていた天政府人もいる。しかし、我がミュレス民族の政府は、かの地上統括府とは違う。そして、我がミュレス民族は、かの天政府人とは大いに異なる。我がミュレス民族は、国内の他の民族に対しても、一定の理解と共生を図る、寛大な民族であることを、大陸中に知らしめようではないか!」
エレーシーはおもむろに外套の内側を弄り、花の紋章を取り出した。
エレーシーは一時、花の紋章をじっと眺め、目から滴る涙を外套で拭いながら紋章を掲げ上げた。
その途端に、前にいた民衆はざわざわと騒ぎ始めた。
「ここで一つ、話は変わるが……我が軍に従属していた者の中には見覚えがある者もいるだろう、この花の紋章を」
階段のそばで立っていたエルルーアも、エレーシーの突然の行動に驚いた顔を見せた。
「……私は、この荷卸し場でこの紋章の主と出会った。彼女こそ、何を隠そう、ティナ・タミリア前軍総司令官である。
彼女はハリシンニャ川の上流の村、ベレデネアからこの港まで荷物を運ぶ船頭であった。ティナと、私と、そしてフェルファトア統括指揮官。3人はこの街で出会った。ティナは……優しかった。それは軍でもそう感じた人はいるだろう。しかしそれ以前も同じであった。この荷卸し場で働く者ならば日常茶飯事であっただろう、天政府の都合で儲けが少なくなった時、そんな時でも、優しく声を掛けてくれた数少ない私の取引相手だった。
ある日、私は、天政府の決まりに背いて、私の方からティナに声を掛けた。そして、何を隠そう、ティナにミュレス民族の義勇軍と、ミュレス国設立を唆したのは私だった。ティナをこの戦禍に巻き込んだのが、この私だった。このシュビスタシアで出会い、声を掛けたあの日からティナは……」
エレーシーは一度俯き、口にしようとしていた言葉を一度飲み込み、気を取り直して再度頭を上げた。
「私は知っている。ここに集まっている皆の中にも、この戦争のさなかに大事な人の命を天政府人に奪われた者も多いことを。確かにこの独立は、我ら民族が一丸になって成した結果ではあるが、その一人一人においては、軍に入ったばかりに悲しい思いをしてしまった人が出てしまったことは、我々幹部に大いに責任がある。……私は、ティナを失った後に誓った。二度と、私とティナのような、戦禍の離別を味わってしまう者が我が民族から出ないようにしなければならない。そう改めて誓ったのだ!
ティナは、僅か21歳で私と、皆の前から……姿を消してしまった。しかし、この花の紋章は、ティナの唯一の、永遠の証だ。私はこの紋章をいかなる時にも胸に懐き、この戦いに挑んできた。私の傍らには、常にティナの援護があったと、そう感じた。
……ティナの目指した世界は、ミュレス民族の皆が富める世界であった。そして、ティナは自分だけでなく、民族の豊穣と和平を願っていた。
彼女を知らないものにとって、ティナ・タミリアという女性がどう映ったか、私にはわからない。しかし、彼女は軍総司令官という地位にありながら、好戦的ではなく、むしろ平和を望んでいたのである。
私達は、ティナの目指したこの富める世界を、同じく目指して行かなければならない!
私達は今日から、他の民族に縛られない、自由の身となった!
私達は今日、これまでの隷属の過去と完全なる別れを告げ、自由で、豊かで、平和な、我がミュレス民族国家を、皆の手で築き上げていこうではないか!」
言い終えると同時に右手を上げると、拍手と喝采が放射状に拡がっていき、最終的には広場に耳が痛くなるほどの歓喜の声が響き渡った。
エルルーアは頃合いを見計らい、エレーシーに合図を送った。
エレーシーはそれに応えるように剣を抜き、天高く突き上げた。
「宣誓!」
エレーシーの一声に、観衆の中で軍に属していた者は同じように剣を抜き、高く示した。剣を持たない者は右手を上げた。
「私、エレーシー・ト・タトーは、本日、地上天暦356年5月13日、新帝国、ミュレス帝国の皇帝の座に就き、ミュレス帝国の繁栄に我が心血を注ぎ、脈々と続く我がミュレス民族の尊厳と平穏を、未来永劫絶やさぬ為、帝国の統治に身命を賭する事を誓う。
一つ、既存の天政府主体の政治体制を全て破棄し、ミュレス民族主体の政治体制の構築を図る。
一つ、ミュレス民族の発展に寄与するべく、帝国内の安全なる通行を保障する。その為に、街道及び宿場の再整備に資する。
一つ、ミュレス民族の何人も飢えることのないよう、農工業を主体とした経済体制の構築を図る。
一つ、周りのいかなる国家にも比肩する国家を、このシュビスタシアを中心として創り上げ、我がミュレス民族の尊厳を高める。
一つ、周囲民族のいかなる攻撃にも対応するべく、帝国内の防衛体制の構築を図る。その為に、国境及び帝国外との関所を設定する。
前述五題の政に勉め、我がミュレス帝国を恙無く後世に残すことを、偉大なるネベルシアノの星に誓う」
エレーシーが宣誓を終えて剣を下ろすと、エルルーアは剣を収め、エレーシーの方を向き右手を上げた。
「私、エルルーア・タミリアは、エレーシー・ト・タトー皇帝陛下の下、ミュレス民族の威厳と平穏を未来永劫絶やさぬ為、そしてさらなる繁栄の為に身命を賭する事を、偉大なるネベルシアノの星に誓う」
エルルーアは、亡きティナの代わりに、黒猫族を代表して誓いを立てた。
すると剣を掲げていた兵士達は剣を収め始め、エルルーアに倣い右手を上げた。
「我々、ミュレス帝国臣民一同は、エレーシー・ト・タトー皇帝陛下の下、ミュレス民族の威厳と平穏を未来永劫絶やさぬ為、そしてさらなる繁栄の為に身命を賭する事を、偉大なるネベルシアノの星に誓う」
「ミュレス民族の未来の為に」
「ミュレス民族の未来の為に」
荷卸し場は、歓声と拍手に包まれた。そしていつしか、民族に伝わる民謡を歌う声がどこかから湧き上がった。
夢と消えた前の反乱の中で作られた歌であった。
東の山に煌く一番星が、幾千の星を連れて来る
民族の星 ネベルシアノ(Nevel-Ciano)
幾千年に亘る、破壊と発展の歴史を見守る星
星とともに永遠に光り続ける我ら民族
ミュレス民族は一つ
ミュレス民族は永遠に一つ
ハリシンニャ(Halicigna)川が地を分かつとも、中央山脈が空を分かつとも
民族の意識は決して分かつことはない
幾千年に亘る、結束の意識で繋がれた民族
雄大な大地とともに永遠にこの地に根付く我ら民族
ミュレス民族は一つ
ミュレス民族は永遠に一つ
それは、実に356年ぶりの斉唱であった。




