二六九 いざ調印式へ
いよいよ、調印式が開かれるという日の朝。
幹部会議の前、朝も早くからエレーシーはとある場所に立ち寄っていた。
「これは……」
そこに広がるのは、川港の船着き場であった「広場」である。
今やそこにあった建物は、中が見えるほどに破壊され、床と階段が残るのみであった。
そして、以前は荷物や秤、台車などが所狭しと置かれていた荷卸し場は跡形もなく、ただただ広い平地が広がるのみであった。
しかし、エレーシーにとっては、ここは自身がずっと働いていたところであり、ティナと出会った、重要な思い出の場所であった。
エレーシーはその入口に立ち、ティナと出会ったその日の事を思い出していた。
あの日、彼女には何か特別なものを感じ、声を掛けずにはいられなかった。
そして、それが天政府人や地上統括府への反逆の拳を上げ、今日、このシュビスタシアで天政府からミュレス民族の国が承認される、講和条約の調印式が行われる。
「ついに、ここまで来た。ティナの遺志を継ぎ、私は総司令官として、天政府軍に立ち向かい、地上統括府を打ち倒すことができた。そして、まさに、二人で描いた夢……ミュレス民族が全てを決める、ミュレス民族の国がまさに、この地に復活せんとしている」
エレーシーは志を新たにし、この場を後にした。
ミュレス大国軍の幹部達は市役所の会議室に集まり、定例の幹部会議を開いていた。
しかし、この幹部会議は、調印式の最終確認の意味もあった。
普段であれば、統括指揮官のフェルファトアが司会進行を行っていたが、今日は始まるやいなや、エレーシーが口を開いた。
「皆、今日は天政府と、これまで約3年間に渡るこの戦争の終結を意味する、講和条約の調印式が開かれる。それには、シュビスタシア市役所の職員にも参加してもらうが、この場にいる幹部の皆も全員、調印式に出席するように」
「はい!」
「それじゃあ、調印式の流れをもう一度説明するわね」
この日の会議は、調印式の話に終始した。
「よし、もうそろそろ時間かな。皆、それじゃあ、会場に移動しようか」
エレーシーの一言で、幹部達はぞろぞろと席を立ち、市役所から会館へと全員で歩いて移動した。
「総司令官、統括指揮官。こちらへどうぞ」
会場に到着すると、エレーシーとフェルファトアだけが別室へと案内された。
「シアスティアさんは、こちらで式の最終打ち合わせを」
「うん、分かった」
アビアンは返事をして頷きながら、エレーシー達とは別の部屋へと移動した。
「その他の方は、式典会場内で並んでお待ち下さい」
「それじゃあ、皆さん。我々も行きましょう」
二人が抜けた後は、エルルーアがその他の幹部を誘導することになった。
エルルーア達が式典会場に入ると、 会場の真ん中には机と椅子が二対、対峙するようにして置かれており、その両脇に幅広い階段のようなものが作られていた。
会場は手前と奥に二つの入口があり、部屋の周りを廊下がぐるっと囲んでいるような構造になっている。
「皆さん、こちらに二列で並んでください」
幹部達は運営役の兵士の指示に従いながら、エルルーアを一番真ん中側に置いて、後列の者は段の上に上がるようにして並んだ。こうすることで、後列の幹部からも机が見えるという算段になっていた。
エルルーア達が会場に入ってから間もなく、同じ入口から天政府側の上役と思われる者達が入場し、エルルーア達と同じように二列で並んだ。
これがこれから友好関係を結ぼうというのであれば、少し会話などもするだろうが、戦勝国と敗戦国という対極な関係ということもあり、特に話すこともなく、無言のまま、異様な緊張感に包まれながら時を過ごした。
幹部達が待っている間も、ミュレス大国軍側のアビアンと天政府側のリーナイアが式典の運営役として協力しながら、会場の最終調整を行っていく。
その仕事は主には、必要な書類の確認であったり、式典の流れの再確認などであった。
無言のまましばらく待っていると、ミュレス大国側の入口からは、シュビスタシア市の職員をしているミュレス民族が50人ほど、そして天政府側の入口から天政府本国の事務官が同じく50人、それぞれ列を成して入場し、幹部達の向かい側に、3列で並んで待機した。
こうして、会場はミュレス大国側と天政府側に完全に分かれ、それぞれ幹部と事務役が中央にある机と入口までの通路を挟んでいるという状況となった。
しかし、これほどの人数が集まっていながら、誰も話をしようとはせず、厳かな雰囲気が流れていた。
その後もアビアンとリーナイアはチョコチョコと会場設営などを行っていたが、やがて別々の出入口から出ていき、本当に中央の机だけが会場に残された。
それからしばらく待っていると、ミュレス大国側からはフェルファトア統括指揮官、天政府側からはエルド統括局長がそれぞれ一人で同時に入場し、幹部達の前、詳しく言えば、彼女達の最も中央寄り、すなわち一番机に近いところにぽつんと立った。




