一七四 処刑
エレーシーとイシェルキアの意地が静かにぶつかり合っていた。
「どう?」
「……」
「黙っていても、状況は変わらない。もちろん、誰かが助けてくれるわけでもない」
「……」
「仕方がないなあ。エルルーア、入ってきて」
エレーシーの言葉に従い、エルルーアが小屋の中に入ってきた。
エルルーアはエレーシーと同じようにゆっくりと入ってくると、イシェルキアの目の前で止まり、睨みつけるようにして見下ろした。
「はじめまして、イシェルキアさん」
「……はじめまして」
「私の目に、見覚えはないかしら」
エルルーアは自分の琥珀色の目を指差しながら、イシェルキアに見よとばかりに顔を近づけた。
「見覚えがあるはずだよ」
「まさか、貴女は……」
イシェルキアはその時、何かを思い出したかのように、思わず声を漏らした。
「さすがに、暗殺対象の顔の特徴はよく覚えさせられていたみたいだね」
イシェルキアは、エレーシーの言葉に、自分の漏らした言葉が自分の行いを証明してしまったことに気づいたようだった。
「さあ、私達の総司令官を……彼女のお姉さんを暗殺したんだよね?」
イシェルキアは顔を歪ませながら、これ以上はしらを切り通せないと思ったのだろう、重い口を開き始めた。
「……確かに……確かに、私はやったわ」
「やっぱり、そうか。それは何故?」
「何故? そんなの、決まってるじゃない。それが命令だったからよ」
「命令……」
「私達特殊部隊は、上からの命令を遂行するだけよ。その対象が、貴女達の総司令官であろうと、貴女の姉だろうと、誰だろうと関係ないわ」
「ちょっと、貴女ね……!」
エルルーアは今にもイシェルキアに掴みかかろうとする勢いであったが、それをエレーシーが止めた。
「まあ、まあ。……さてと」
エレーシーは改めてイシェルキアの方を向き、また厳かに口を開いた。
「これから、貴女を処刑する」
最後の宣告であった。
この言葉を言い渡されると、イシェルキアは苦悶の表情を浮かべた。
やはり、口ではどう言っていても、生への執着がないわけではなかった。
「でも、もしもこれから私達に協力するなら、考え直してもいいけど……」
イシェルキアはしばらく黙り込んだ。
「……いや、自分はたとえ腐っても、天政府人に生まれ、天政府軍に属したからには、ミュレス人に与することなどするものか!」
彼女は生より、天政府人としての、天政府軍の兵士としての誇りを取った。
「……そうか……」
エレーシーは一つ頷くと、エルルーアに指で合図をした。
これを受けて、エルルーアは一旦小屋を出ると、長い剣を持って戻ってきた。
これまたゆっくりとイシェルキアの元まで歩いていくと、剣を振り直し、刃を彼女の方に向けた。
「……後は、エルルーアの好きな通りに」
エレーシーはそう言うと、イシェルキアに背を向けて、腕を組んで時が経つのを待っていた。
この場を任されたエルルーアは、一旦イシェルキアの前に立った。
「まさか、この目で姉の事を思い出させるとは思わなかったわ」
「……私も、貴女の顔で、まさかあの顔を思い出すとは思わなかったわ。やはり、姉妹ね」
エルルーアの言葉に、イシェルキアは強気に返した。
「私達は三姉妹でね、ティナ姉さんは私達の姉だったのよ」
「ふうん、それで?」
「私はずっと、姉さんが心の支えになっていた。それは失って初めて気づいたの」
「へえ……良かったじゃない、それが分かって……」
「良くなんかないわ! 家族を殺されて、良い訳があるものですか!」
普段は冷静なエルルーアでも、姉の事となると、イシェルキアに煽られてはいるものの、冷静ではいられなかった。
「姉さんは私の目の前で亡くなった。そしてその時に、姉さんが目指していた民族の明るい明日を見ることも無くなった事が、姉さんにとってどんなに無念なことか……!」
エルルーアはあまりの熱弁のあまり息を切らし、息も気持ちも整えようと、イシェルキアの事を睨みつけながら、心を落ち着かせた。
「ふ、まあいいわ。姉さんが殺されたことは本当に不幸なことだったわ。でも、その犯人を、この手で葬れること。それは幸せなことね」
エルルーアはそう言うと、狙いをつけるようにイシェルキアの首元に剣を押し当てた。
「……くっ!」
イシェルキアが漏らしたその声は、剣の刃の痛みか、それともついに生を手放す事への無念さか、それは分からないが、彼女はこれまでの威勢も無くなり、涙を流し始めた。
しかし、エルルーアは彼女の涙など見ることもなく、剣を振り上げた。
「えいっ!」
そして、その手に恨みの全てを込めて、剣を振り下ろした。
暫くの時を経て、ごとっという鈍い音が響くと、その後にばさっという音がし、全てが終わったことがエレーシーにも分かった。
「はあっ……はあっ……」
エルルーアは興奮のあまり、しっかりと剣を握りしめた両手の力を緩めることがなかなか出来なかった。
「うっ……くっ!」
そして、力を無理矢理解くように、そのまま剣を床に叩きつけると、勢いよく小屋を出ていった。
「……皆、後は任せたよ」
エレーシーは後ろを向いたまま護衛部隊に命令を出すと、自分も小屋を後にしてエルルーアの後を追った。
エレーシーには、エルルーアの行った先が分かっていた。
小屋の近くには、ティナを埋葬した墓があったのだ。
彼女がそこに向かうと、思った通り、エルルーアは墓標の前で座り込んでいた。
「姉さん……姉さんを暗殺した犯人の事を、私の手で敵を討ったわ。これで私達は、これ以上姉さんの事を抱え込むことなく、姉さんの目指した、私達ミュレス人が平和に暮らせる世界を達成するために、また明日から進めることが出来る……」
エルルーアはそこまで独り言のように話すと、彼女らしくなくうなだれた。
これまでの力が一気に抜けたのだろう。
しばらく、エレーシーは彼女の後ろで見守ることしか出来なかった。
「エルルーア……」
「ああ、エレーシーさん……」
「気が済むまで、ここにいていいよ」
「ええ……」
二人は短い会話を交わした後、お互いに無言で墓標の前に座り、物思いにふけっていた。
エルルーアの言う通り、いつまでもティナの事でグズグズとしているわけにもいかなかった。
前に彼女がエレーシーに対して言い放ったように、ティナの目指した世界を実現する。そのために、地上統括府を打ち崩す事……それこそが、ティナへの一番の供養となるのだ。
そして、ティナを殺害した犯人を処刑することが出来た今、「ティナの暗殺」という呪縛から解け、また前向きに進めることが出来るのではないかとエレーシーは考えた。
ティナが眠る丘には、海からの風が涼し気に吹いていた。
それは、風に乗って北へと進軍するミュレス大国軍の未来をも思わせるのであった。




