一四九 フィルウィート郊外事件
「フィルウィートより北の街から来た人っていなかったっけ?」
エレーシーは、歩いていてふと気になったことをティナに話しかけた。
しかし、ティナから返事はなかった。
そればかりか、後ろの兵士達が妙に騒がしい事に気がついた。
「ティナ?」
エレーシーが振り向くと、そこには足を止めうずくまるティナの姿があった。
「ティナ、大丈夫?」
エレーシーは、彼女の様子から、ただならぬ事態であることを感じ取った。
「大丈夫……じゃないわね、これは……」
ティナは突然、息も絶え絶えにやっとの思いで言葉を返した。
「急にそんな……一体何が……」
エレーシーは狼狽えながらも、ティナの身に何が起きたのかと焦りながら、ティナの左腕の先に目を向けると、脇腹に一本の矢が深く刺さっていることに気がついた。
矢の胴部は細かくいくつかに割かれ、傷を広げていた。
エレーシーはその一瞬で、射たのは天政府人であると分かった。
彼らが使う、殺傷能力の高い武器の一つであったからである。
ポルトリテやフィルウィートで、多くのミュレス軍兵士の命を奪って来た、忌々しい武器であった。
「救護班! 救護班を!」
エレーシーはそれを目にするやいなや、護衛の兵士達に救護班を呼びに行かせると、持ち物の中にあった紐で開いた矢の胴部を縛り、これ以上傷が深くならないように、応急処置を行った。
「ティナ、今、救護班が来るからね」
「ありがとう、エレーシー……」
ティナは痛みに耐えながら答えた。
しばらく、二人の間に沈黙が流れたが、ティナが重い口を開いた。
「エレーシー……エルプネレベデアの治安管理所の事を覚えているかしら」
「エルプネレベデア? ……えーと……ああ、あの……」
「……今となっては、あの隊長の思いもわかるわ……」
「そんな……!」
エレーシーは、ティナが弱気になっているのを察すると、ぐっと抱き寄せて少しでも安心させようとした。
「……エレーシー……」
「何?」
「あの人も言ってたけど……もし、私に何か不幸なことが起きても……」
「ティナ……!」
エレーシーはティナの弱気な言葉を聞いて、ただただ抱きしめながら呼びかけるしかなかった。
一方、ティナはティナで、それ以降、涙が溢れて言葉を繋ぐことが出来ず、薄れゆく意識の中でただただエレーシーの手を握るしかなかった。
しばし見つめ合っていると、ティナは胸に輝くレプネムを血に塗れた手で外すと、エレーシーの手のひらの中にそれを収めた。
「これは……」
ティナがレプネムを自分に委ねた理由は彼女が言うまでもなく、エレーシーはそれを瞬間的に悟った。
「嫌だよ、ティナ。自分の夢は、自分で叶えようよ。ねえ……」
「そうね……それが一番ね……」
その瞬間、エレーシーの腕にさらなる重みを感じた。
「ねえ、ティナ……?」
エレーシーは何回か呼びかけてみるが、返事は返ってこなくなっていた。
「ねえ……ねえ! ティナ!」
何回も、必死になって身体を揺すってみても、やはり反応はなかった。
「何か様子がおかしいけど、何事?」
エルルーアは、前方から何やら焦っているような、それでいて静かな、妙な雰囲気を感じ取り、妙な胸騒ぎに背中を押されて、次の瞬間には隊列の横をすり抜けて、途中で救護班の一団を横目に見ながら、前方の様子を確認しようと走っていた。
前方まで来ると、まずエレーシーに後ろから声を掛けた。
「ティナが射たれた」
エレーシーは短く答えた。
「姉さんが……? ……姉さん!?」
エルルーアは姉の身体をエレーシーから奪うと、エレーシーがしたように、ひたすら揺すりながら呼びかけた。
「姉さん、しっかり……救護班は!?」
「呼んではいるけど……」
「ああ、そういえばいたわね。でも、これだと車がいるでしょうね。貴女、救護班に車を用意させて! あ、いえ、近くの車がいるでしょう。それを持ってきて!」
エルルーアは、護衛役の兵士に命令すると、再びエレーシーの方を見た。
「天政府軍の弓は殺傷力が高い……事は一刻を争うわ。救護班が到着したら、すぐに姉さんを車の中へ。私達も、フィルウィートへ撤退しましょう」
「撤退……か」
「ええ、もちろん。姉さんだからではない……ないけど、総司令官が不在では、私達もだし、何より兵士が落ち着かないでしょう? それに、時間はかかるけど、こんな田舎道より、フィルウィートの方が薬も揃うでしょう」
「なるほど……」
「とにかく、姉さんの命を優先的に考えましょう。そして、私達も。軍の幹部なんだから……」
「よし、そうしよう」
エレーシーは、衝撃からか、エルルーアに導かれるように、今後の全ての行動を決定した。
「救護班、到着しました!」
やがて、後方から救護班の一団が到着した。
「やっと来たわね。聞いているでしょうね、総司令官が天政府軍の矢に射たれたわ」
「総司令官……!?」
「聞いてないとは言わせないわよ。……とにかく、矢は縛って開かないようにはしてるけど、出血は多く、一刻を争う事態ね。この硬い地面に寝させるよりも、車に載せて、フィルウィートまで移動しながら処置して。お願いできるかしら」
「はい! 車……は……」
「車は今来てるわ。さあ、一刻も早く載せましょう」
話をしているうちに、列の後方から車が近づいてくるのがエルルーアには見えていた。
エルルーアは車を近くに寄せると、エレーシー達と協力して姉を車の座席に乗せ、救護班を一緒に載せた車を牽かせた。
「さあ、エレーシーさんも」
「あ、そうだね。皆! 撤退! フィルウィートまで急げ!」
「は、はい!」
「護衛はさらに幹部を守れ! 第二陣の攻撃がないとも限らない!」
「はい!」
エレーシーの号令に基づき、前方の部隊が二つに分かれると、一目散に来た道を引き返し始めた。
後方の部隊も、それに続くように引き返していった。




