一三二 天政府人とミュレス人の行き違い
無駄とも思えるほど広く作られた市長室の中には、しんと静まり返った冷たい空気が、どこからかやってきた風とともに流れていた。
「君達を一度追い返した後、東のシュビスタシアやルビビニアもミュレス人の手に落ちたと聞いてはいたが……次に来るときにはまさかここまで来られるとは思いもしなかったよ」
「何を……」
「そこまでして、このポルトリテが欲しいのか」
「もちろん。ポルトリテ、いや、このミュレシアは、元々ミュレス人が支配していた地。それを貴方達天政府人に取られて以降、私達ミュレス人は、天政府人のいいなりにしてきたんだから。それに気づいてしまった今、私達が望むのは、元の、自由を謳歌できる、貴方達のような他の民族に束縛されない、ましてや虐待なんてもってのほか。そういう生活よ」
「なるほど、まあ、話は分かる」
「ふうん……」
「しかし、地上統括府からこのポルトリテの政を任されている私にとっては、引き下がることなど到底できない」
「そう……まあ、そうでしょうね」
「百歩譲って、だ。百歩譲って、昔はミュレス人が自分でこの地を治めていたという事を君達が知ってしまったとして、それはもう数百年も前の事だ。今は我々天政府人が治めている。そして今年は地上天暦353年。この意味が君ならわかるね」
「ええ……アルピア・ト・タトー首領が蜂起してから353年……ということでしょう?」
「正しくは、天政府がアルピアを討ち倒し、このポルトリテの、私たちが今いるまさにこの場所に地上統括府を築いてから、353年が経ったということだ。そして、これまではそれで安定していたのだ。付け加えると、そもそも、その前から天政府人がミュレシアの支配をしていた」
「その前から……」
「ティトファー・ト・タトーという名前に聞き覚えは?」
「ティトファー……」
フェルファトアにはその名前を聞いたことが無いわけではなかった。すぐに反応するのは向こうの口車に乗ってしまうようでためらわれたが、話したがりの市長は、こちらの回答を待つ気もなく、話し始めた。
「アルピアが蜂起した数百年前に、天政府に戦いを挑んだ将軍がいた。それがティトファー・ト・タトー、その人だ」
「なるほどね」
「彼女の敗北から、我々による治世は始まった。それから何百年も時が経ち、いざ君達に政権を返したとして、それを正しく使えると。そういう自信が、果たして本当にあるんだろうか? 私はそう思うんだが」
市長は今まで以上に自信に満ちた表情で語った。
何故、この期に及んでこれほどまでに自信満々で話せるのだろうとフェルファトアは疑問に思いながら、顔色を一つも変えずにただ冷ややかな視線を送った。
「つまり……?」
「つまり、君達がどう思うかはともかく、経験豊富な我々が、君達ミュレス人を導いていくことがこの数百年当たり前であったし、それで上手く回っていたではないか。この関係を続けていく事が、お互いにとって良いことではないかと」
フェルファトアは、ティナやエレーシーの顔を思い浮かべながら、さらに目に力を入れて市長に詰め寄った。
「これまで上手く成り立ってきたから……まあ、貴方はそう思っているんでしょうが、これまでそれが当たり前だったから正しいと?」
改めて剣に手を掛け、これまでその上で話しをしていた机を一歩、一歩回り込みながら市長を追い詰めていき、辺りを見回しながら再び話し始めた。
「貴方が当たり前だと思っていることが絶対に正しいと、それが貴方達の正義だと?」
一歩、一歩、詰め寄っていったが、市長が怖気づく気配は全く無かった。
「それが君達のためでもある」
貴方に私達ミュレス人の何が分かってるというのですか。……等、様々な言葉が喉元まで出かけたが、それをぐっと抑え込み、ただ、物言わぬ圧力だけを掛けていった。
「もちろん、これまでシュビスタシア、ヴェルデネリア、そしてこのポルトリテで、お互いに多くの命が失われたが、今なら……」
市長がフェルファトアを絆そうと夢中で話しかけ、扉に背を向けた瞬間、一気に隙が生まれた。
「はっ!」
その瞬間を見逃さず、兵士の一人が剣の刃のない箇所で市長の頭を殴りつけた。
「和解の道を……うぐっ!」
話し続けていた市長は、彼女の一打で容易に気絶し、咄嗟に広げたフェルファトアの腕の中へと落ちた。
「……貴方はミュレス人の事を何も分かってないようね。しっかりと教えてあげましょう、これから……」
フェルファトアは、自分の胸元で動かない市長に、伝えたかった言葉の一片を呟いた。
「誰か、この市長を総司令官に引き渡して」
「はい!」
フェルファトアは机の向こう側で待機していた兵士たちを呼び寄せると、彼女達の手に市長を渡した。
二人の兵士は、やっとの思いで市長を担ぎ上げると、ノロノロと部屋を退出していった。
「これで、彼女達がティナに会って、向こうの隊が無事であれば、ポルトリテが占領できた事が伝わるでしょう。後は、ティナ達がこちらに来るのを待つだけね」
「そうですね」
「あ、そうだ。貴女達……」
「は、はい」
フェルファトアは、元々市役所にいたミュレス人の二人を呼び寄せた。
「貴女達、市役所の門のところで、私の仲間が来たら案内してくれないかしら?」
「わ、分かりました。……でも、もしも天政府軍が来たら……?」
「そうね……その時は、急いで私の所まで伝えに来て。そうしたら……その時に考えるから……」
「は、はい。分かりました」
二人は快い返事とともに部屋を後にしていった。
再びしんと静まり返った部屋では、フェルファトアと仲間の兵士の間で穏やかな空気が流れていった。
「失礼します」
フェルファトア達が市長室でこれからの事についてずっと話をしていると、先程指示を出した市役所のミュレス人がゆっくりと部屋に入ってきた。
「はい、どうぞ」
フェルファトアはほっと胸を撫で下ろし、彼女達を暖かく迎えた。
「タミリア総司令官とタトー統括指揮官がお見えになりました。只今お通し致します」
「分かったわ。ありがとう」
「フェルフ、よくやったわ」
ティナはフェルファトアの元に駆け寄ると、すぐに手を握って大いに喜び、彼女の栄誉を称えた。
「ありがとう、ティナ。天政府軍との戦いは?」
フェルファトアの方はというと、軍との戦いについていち早く状況を確認した。
「軍の方は、皆で捕縛したわ。街の方も、至るところに部隊を立たせて、しっかりと制圧しているわ」
「これで、ポルトリテはミュレス人の手に戻って来たわね」
「ええ」
「もっとも、フィルウィートや地上統括府市にも天政府軍の駐留部隊がいるから、これからは守っていかないと行けないわけだけど……」
「いくら天政府人とはいっても、その、フィルウィートとやらから一日では来ないでしょう?」
「ええ、まあ……」
「とりあえずは、ミュレシア一の大都市を奪還できたことを、喜んでおきましょう」
いつもは慎重に慎重を重ねるティナも、今日ばかりはこの雰囲気に酔いしれたいようだった。
二人で話をしていると、少し遅れてエレーシーも市長室に入り、ティナと同じく早速フェルファトアと握手をした。
「エレーシー、お疲れ様」
「フェルフも、お疲れ様」
「そういえば、皆は?」
フェルファトアは、これまで従えてきた大勢の兵士たちの事が気になった。
「もう皆、門の中に入ってるよ。天政府軍の見張り役の人は別だけど」
「それは良かったわ。それで、これからどうする?」
「そうね……まあ、数で圧せたとはいえ被害は0じゃないし、皆も頑張ってくれたから、ここでしばらくゆっくりしましょう。それに、ここでも勧誘すれば、もっと人が増えるかもしれないし」
「まだまだ必要かな?」
「うーん、フィルウィートや、その北にあるクーカルダルシアにも大きな駐留部隊があるという噂だし、何より地上統括府市には天政府軍の本部があるとも聞くし、必要じゃないかしら」
フェルファトアはさすがにミュレシアの全国を訪れてきただけあって、この先のまだ見ぬ街々にいる天政府軍に手を抜くような事はしなかった。
「まあ、仲間は少しでも多い方がいいよね」
「ここはシュビスタシア以上の大都市だし、結構引き入れたいわね」
これはどこの街でもやっていた事ではあるので、エレーシーとティナも納得した。
「そうだ、とりあえず、皆を休ませよう」
エレーシーとティナは、あくまでフェルファトア側の部隊の様子を確かめるためで、話し込むために来たわけではなかった。
フェルファトアは、これまで引き連れてきた兵士に市長室の守衛を任せると、エレーシー達と共に急いで市役所の建物を出た。




