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第一章 友達は大事にしよう! ~traitorous friend~ -3-

無事に南部街へと入ることが出来た咲夜と橙だったが、街の案内役として期待していた鈴仙は未だ扉の向こう。

一向にこちらに来る気配のない鈴仙に二人は待ちぼうけを食らっていた。

お互い特に重要な話は長くなるだろうとの事で、街に入ってからゆっくりと情報交換をしようということになっていた。

そのうちの一つにビル街での一件の話も含まれており、二人は詳細は知らないまでも朧げながら何か大変なことがあったんだろうと言うことは理解していた。

左右にウロウロしてみたり、屈伸してみたり、踵をつけたまま片足をパタパタ踏み鳴らしてみたりと落ち着きなく鈴仙を待つ橙と、ふらつきながらも直立で静かに待つ咲夜。


「来ないね」

「そのようですね」


10分ほど待ってみたものの、未だに言伝すらない状況に愚痴が零れる。

鈴仙はこの世界における様々な情報を持つ可能性のある二人にとって貴重な手がかりだ。

街に着いて落ち着いたら、出来る限り早い目にじっくりと話を聞きたい存在であった。

そう思っていた咲夜は肩透かしを食らった気分だ。

空を見上げてみると、もう空が黒ずんできている。


「おそらく先ほどの件で何か報告しなければならないことができたのでしょうね」

「あー・・・大変そうだったしねえ」

「連絡がないというのは少し腑に落ちませんが、彼女にも仕事がある以上、私たちが干渉する事はないでしょうし、向こうからしても私たちを優先する責任もありません」

「そうだね、じゃあ先に行ってようよ」


橙は早く待ちの中を見て歩きたいとあふれる感情を抑えきれない様子だ。

幻想郷で育った時間が長い橙にとって様々な店や出し物が密集する街という空間は新鮮に見えるのだろう。

同時に、人間に変化できる時間が限られているというのもあるだろうか。


「私たちは遊びに来たわけではありません。ですが、やっと羽を休めることの出来る場所に来る事が出来たわけですし、少しくらいならいいかもしれませんね」

「咲夜!」


橙が祈るように両手の指を絡め、嬉々とした目でこちらを見つめる。


「門限は八時、今から二時間だ。世話を頼むぞ、咲夜」


一瞬だけのハンズフリーで藍は橙のしつけの注意事項を咲夜に伝える。

咲夜は苦笑いを浮かべながら二、三度小さく頷くと、橙の表情には憂いが帯び、目には涙が浮かんでいた。




街並みは塀の内外でつながっているとは思えないほど華やかだった。

地面はしっかりと舗装されており、アジアの露店のような移動型店舗がその端に並ぶ。売っているものは雑貨や果物、軽食など様々だ。

どこから引っ張ってきているのか電気供給が為されているようで、建造物の窓からはもれなく灯りが漏れており、裕福さを演出していた。

咲夜と橙は露店で売っていたシシケバブを頬張りながら宿を探す。

はじめは自分たちが持っている紙幣がいまだに通用するのかどうか不安はあったが、そんなことは杞憂で、特に外から来た新入りや旅人は労力として重宝されるためサービスはいいらしい。

宿もすぐに見つかった。

街の中心に位置するそこそこ立派な建物で、部屋はセパレート。

宿屋のと言うよりは武器屋の、というような体格のいい主人に聞くところによると、この街でも一番サービスのよい宿とのことだ。

咲夜は一人分の代金を支払い、部屋に入ると用意されていたジャージのような部屋着に着替える。

メイド服では視線が・・・特に気にしないのだが、身体的にも気を休めるという意味で~~紅魔館のメイド長として失格という罪悪感を感じつつも~~軽装のほうがさすがに楽である。

橙は後で変化へんげを解いて猫としてこっそり部屋で合流する算段だ。

もちろん『猫娘』としての姿ではない。動物の猫だ。


「大丈夫でしょうか。節約せずとも払うだけのお金はありますよ」

「わかっているんだけどさ。今みたいな人型は結構燃費が悪いのは置いておいて、人妖の姿でも変化へんげしてるのには変わらないから魔力は食うんだよね。だからこの休憩が済んだら元々術は解いて本来の姿に戻るつもりだったんだ」


「なるほど」と咲夜は相槌を打ってはみるものの、さすがに正真正銘の人間である咲夜には理解出来ない悩みではあるので、聞き流す程度に留める。

合流した二人はひとしきり街を回るつもりではあったが、橙は疲弊の色が隠せない笑みを浮かべる咲夜の顔を見て、気を利かせたのか予定の変更して、夕飯にありつける場所を探すことになった。

辺りを見回してみるが、さすがにこの時世で食事のバリエーションを選ぶのは難しく、迷っている二人の目に飛び込んできたのは一件のおでん屋台。

猫が故に禁止されている食材が多々ある橙にとっても、シンプルでバリエーションに富んだおでんはベターであり、咲夜にとっても酒の飲める屋台という形式は願っても居なかった。

というのは、幻想郷からこの世界に来る過程となった”長旅”。

この”長旅”によって多大な精神的負荷をかけ続けた心身はわずかながらも崩れているのを咲夜は確信しており、現状、酒を~~正直好物であるということもあるが~~飲まずには安眠できない恐れがあった。

屋台の暖簾を分けるとワンカップのビンを周囲に無数に散乱させて静かに机に突っ伏している客が一人だけ。

改まった形式でなく、気兼ねない雰囲気も二人には好印象だ。

咲夜は二人の座るスペースの埃を掃うと、背もたれのない長いすに腰をかける。


「らっしゃい!何にしましょう」

「ちくわ!卵!オレンジジュース!」

「私はこんにゃくとがんもどきと餅巾着、あとお酒を一杯お願いしますわ」


屋台の大将は威勢よく承諾すると、すぐに出てきたのはコップとオレンジジュース、そしてワンカップだ。

咲夜と橙はおでんの品を掬っている大将を待たずして軽い乾杯をする。

生のあるまま、ここまで思惑通りに進んでいる事に対する喜びと、一先ず区切りをつけられた事に対する安心感を称える。

程なくして出てきたおでんを口に運びながら、咲夜はチビチビと酒をすする。

その際にどういった話をするのか考えてみる。

演技話をする場所でもないし、勿論、重要なこれからの算段を相談するわけにもいかない。特に第三者の耳がある以上、余計なことを喋らないように注意しなければならない。

話題を探している咲夜に、ご機嫌で卵を頬張る橙は口を開く。


「まったく、藍様ったら・・・。聞いた?さっきの」

「さっきの?」

「私達必死でここまで来てやっと休憩できるって時にだよ?『遊びは二時間だけ』ってさ。自分は向こうでゆっくりしてるんだよきっと」

「藍は藍で大変だと思いますよ」


そう言いつつ『なるほど主人の愚痴ならばボロを出さずに飲みの席でも自然に会話に話の華が咲くなぁ』、と咲夜は心の中で納得する。

そして『厳密に言うとボロしかないのだけれど』という自分に対するツッコミが湧き上がってくるのを無視する。


「かもしれないけどさ・・・。家に居ても口うるさいし。お菓子は食べるなとか、外で遊びなさいとか、早く寝なさいとか」

「それはそれは、橙も大変ですね」


次々と出てくる子供ながらの愚痴を、当たり障りのない返事で受け流していく。

しかしこの会話は藍に筒抜けなのではなかろうか。

向こう側で藍はどのような顔をして聞いているのだろうか。

愚痴が続いていると言うことは黙って聞いているということなのだろう。

普段の子煩悩な藍を知っている者からすれば、遠くにいる彼女の表情を慮ると気に病むような思いだ。


「それで、咲夜はどうなの?」


突然話を振られた咲夜の眉が弧を描く。


「レミリアの事だよ」

「お嬢様のことですね。ええ、不満ならばあります。秘密ですよ?」


レミリアとは十六夜咲夜がメイドとして忠誠を誓った永遠に幼き吸血鬼、レミリアスカーレットのことである。


(お嬢様、幻想郷の存在をいち早く受け入れた御方。私にとって全てを捧げるべき方・・・。しかし、お嬢様に不満なんてあったかどうか・・・)


咲夜はカップ酒を口に運びつつ、遠い目で我が主人に思いを馳せる。


(そういえば、お嬢様は元気でやっているのだろうか?私が世話しないでもちゃんと生きていられるのだろうか?)


咲夜と同じくレミリアに仕える紅美鈴を残してきたものの、今まで料理掃除洗濯等ほとんど全ての家事や身の回りの世話をしてきた咲夜は世間知らずで幼いお嬢様が上手に生活できているのだろうか。

不安が募っていくばかりではあるが、この仕事もレミリアの言いつけ。ならば命に代えてもそのご意思の礎を作らねばならない。

などと、主人に対する思いが膨らんでいく咲夜のフワフワした意識が橙の一言で引き戻される。


「ねえ咲夜!どうしたの、黙っちゃって」

「ああ、ごめんなさいね。お嬢様に対する不満・・・誇りが高過ぎて分相応な思考をされる所と、あとはちょっぴりアホなところでしょうか」

「あはは!何それ」


話を合わせたわけではない。

確かに本音なのだが、異なるところがあるとすれば、先ほど挙げた所も愛おしいと思っているところか。


「ところでさ、咲夜。ちょっと変なにおいしない?」

「え?」


咲夜は探すように匂いを嗅いで見るが、ほろ酔いで感覚が鈍っているのか、そもそも匂いが薄すぎるのか、嗅ぎ取ることは出来ない。


「わからないわね。橙だからわかるのでは?」

「そうかも」

「ああ、においますか?」


割って入った屋台の大将は、二人の後ろを指差す。


「あそこの店、くさやも売っていましてね。匂いが無いと評判なのですが・・・」


唐突にガシャン、という大きな音。

隣で突っ伏していた客が手に持っていたカップ酒のビンを台に叩き付けた音だ。

その客は立ち上がりズカズカと大将に指摘された店に歩いていき、怒鳴り散らす。


「あんたれえ!!いまなんりらとおもっへんの!!!こんらりかんに『くさや』って!」


消失した呂律から酔いつぶれ正体を失っているのは明らかなその客は「いいかげんりしらさいよ!」と謎の憤怒とともに、くさやの店の主人を理不尽にも一発ぶちかますと蛇行するように席へと戻ってくる。

そもそもこんな所にくさやはあるのだろうかという疑問を抱きつつも、いつのまにか破天荒な客に釘付けになっていた咲夜。

その客は先ほど座っていたところよりも、幾分か咲夜に近い席にドカリと座ると、肩肘を突きながらドロリと半身になりながら咲夜と対面する。

容姿は黒髪のショートカットの上部を大きな赤いリボンで小さなポニーテール、両耳横の髪を太めに赤い筒のような布で結っており、ほぼ全面が赤のスカートに赤のノンスリーブ、そして肩口が無くて露出しており、二の腕は細く手首まではブカブカの白い小袖に、おまけの様な黄色いスカーフ。

まるでラフな巫女服のようなものを着た少女。

左目には大きな眼帯をしており、その顔は予想通り蛸のように真っ赤であった。

酒に蕩けた巫女もどき少女は咲夜を見つめる。


「あんたらも苦労しれんのね」


先ほどとはうってかわって落ち着いた口調だから、かなり呂律は改善されている。


「ちょっろ大将!この人たちにカップ酒!」

「少し高い目のお酒もありますけど」

「カップらケ!」


咲夜と橙の前にカップ酒が置かれると、巫女もどきは自分の飲んでいるカップビンを前に突き出す。

この人も自分たちと話がしたかったんだな、と二人は察し、乾杯をする~~橙は未成年なので形だけ~~。


「聞いれよ。あらしの同僚もさぁ・・・」


二人は先程の考察を否定して、この人はただ愚痴を漏らしたいだけなんだと理解する。

「絡み酒はやめてください」と制す大将に、巫女もどきはとんでもないほど大きなアイ気を吹きかけると辺りに、それだけで泥酔してしまいそうな臭いが立ち込める。


「あの・・・それじゃあ私たちはここで」


苦笑いとも愛想笑いともつかない様な微妙な表情で咲夜は立ち上がり、橙もそれに続く。

折角奢ったカップ酒もそのままで早々に立ち去られた巫女もどきの少女は、悲しそうな表情を浮かべた後、咲夜と橙の酒を流し込む。




「もう店じまいですよ」


しばらく大将に絡んだ後、またしても突っ伏していた巫女もどきの少女は気だるそうに起き上がる。


「もう店じまい・・・」

「わかった・・・わかってるわよ」


そして立ち上がると、いまだに蕩けた目で屋台の大将の無機質な目を見つめる。


「あんた・・・」


「なんでしょう」と疑問を投げる大将に、少女はなんでもないと首を振って応え、そして厭味の篭った大きなため息をつくと呟く。


「また仕事が増えるのか・・・」


無造作に料金を台に置いて、屋台を跡にする少女。


「これは頭を抱える事態だわ」


微かに揺れながらもその足取りは強い。

手には拳が握られ、もはや人通りもなく暗い夜道を一人、真っ直ぐに目的地を目指すように進んでいく。


「ねぇ~えさんっ」


横から明朗な声がかかる。

こんな暗闇には似つかわしくないような透き通った可愛らしい声だ。

声の主を巫女もどきの少女は知っている。いや、知っているという言葉以上の結びつきと把握している。


「早苗、来ていたの」


視線の先には緑髪の少女。

蛙のようなヘアアクセサリーから蛇の様なものとその下に青いフリル付の白い筒型ヘアバンドで結っており、服装は巫女もどきのような巫女装束。

しかし、その色は上は白、下は青で一新されており、青いスカートには白い斑点のような模様が見て取れる。


「もちろんです!姉さんの居るところには私あり!姉さんとは一心同体ですよ!」

「一心同体ではないしその呼び方やめてくれる?」


辛辣で敵意まで見え隠れする巫女もどきの少女とは対照的に、早苗は尚も明朗、しかしそれは純粋なものではない、含みのあるものであることは容易に理解できる。


「何を言ってるんですか、血は繋がらずとも心は繋がってますよ」


モジモジしながら巫女もどきの少女に寄り添うようにスキンシップを試みる早苗を無言で突き飛ばすように巫女もどきの少女は歩を進める。

それに小走りで横に並ぶようについてくる早苗。


「あんた、何で来たの?」

「何でとは?姉さんが居るのだから理由など・・・」

「いい加減にしなさいよ、あんたが来る理由なんて」


早苗は顔に笑みを浮かべる。

しかしそれは先程までの明朗な表情ではなく、深い深い邪悪を孕んでいる。


「休暇ですよ。非番なんです。そんな時に一番栄えているナウい街に、しかも姉さんが居るところに遊びに行かない道理はないでしょう?」

「道理ねえ」

「道理ですよ。他に遊べる人が居ないんだから」


巫女もどきの少女は早苗に細めた横目を送る。

その視線にはまるで全てを理解したような呆気を含んでいるようにも見える。


「まあくれぐれも仕事の邪魔はしないことね」

「もちろんです!邪魔なんてしませんよ」


「多分」という極小の声に気づいたのか気づかなかったのか、巫女もどきの少女は早苗を無視するように足を速める。


「いい休暇になりそうですよ。ね?霊夢姉さん」




―――――――――――




宿に戻ると咲夜は倒れこむようにベッドに横たわる。

ボロボロで針のさびかけた時計は正確であるかわからないものの11時を回ったところを差している。

橙はまだ部屋に来てはいない。

少し寄る所があるのだと言う。

咲夜は、橙が後で合流すると言っていた意図が、咲夜をゆっくり休ませるための口実だったと悟ったが、現在の自分はすでに戦力どころか足手まといにしかならない事を自覚しており、気づかない振りをしたまま黙認した。

藍もついている事だし、最悪の事態にはならない。それは確信できる。


咲夜は枕に顔を埋めながら、此処までの経緯を反芻する。

幻想郷からここ反幻想郷ディストピアへとやってきたその間の”長旅”は想像を絶する程過酷なものだった。

咲夜達の拠点である幻想郷と反幻想郷ディストピアは別次元の存在だ。

正攻法では移動することは不可能。

そこで通ってきたのは次元の歪みと呼ばれた果てしない”道”。

藍によると『忘れ形見』とされるその”道”はいつ閉じてしまうかわからない状態で一刻の猶予も無かったとのことだ。

もし閉じ込められると戻ってはこられないだろう。

しかし、咲夜には迷いなど無かった。

迷うはずなど無い。

それがレミリアスカーレットお嬢様の御意思なのだから。

咲夜のような生身の人間にとって”道”はまるで異世界~~いや、他の惑星と言ったほうが適切か~~だった。

四方八方が青黒く、引っ切りなしに景色と呼べない景色が流れ続ける。

地面とは到底呼べない足裏との接合面はうねり続け、浮遊物などは一切無い。

空気はあるがその含有物や濃度、温度に圧力は場所によりまちまちで幾度呼吸困難になったことか。

”道”に侵入して早一時間で咲夜は意識が飛びそうになる。

到着したのは体感時間で3日後。

頭をシャッフルされるような、どちらに向かっているのかわからない状況が続いたために全く確信は持てないが、おそらくそれくらいの時間は経過しているだろう。

このような劣悪な”長旅”を完遂させることが出来たのは何故か?

それは十六夜咲夜の持つ異能力に起因する。


咲夜は枕の向こう側、ベッドの横に鎮座した時計・ルナダイヤルを見つめる。

十六夜咲夜の能力は『時を操る程度の能力』。

咲夜が持つルナダイヤルによって文字通り時間を操ることが出来る。

その効果は二種類。

一つは自分以外の存在の時間を完全に止めること。

この能力では、自分と流動物以外の存在が完全に空間に固定される。

この間、身に着けた衣類や無機物の所持品と咲夜のみ行動が出来るが、空気や水のような流動物を掻き分ける際には通常以上の負荷がかかる。

これは分子レベルで物質が固定されていることが原因で、実際はとんでもない倍率により膨れ上がった質量により物体が静止しているように見えるだけなのかもしれない。

そしてこの間に咲夜が物体に干渉をかけた場合だが、時間停止を解いた瞬間に一気に負荷が襲い掛かかる。

同じ場所に複数回干渉した場合、負荷は加算していく。

しかしこれほど凶悪な力ではあるものの反動は大きい。

能力発動時に動ける条件を満たす物体の行動範囲は、ルナダイヤルからの距離に反比例する。

例えば、ナイフを投擲した場合、咲夜からはナイフが進行方向とは真逆の加速度がかかるように勢いは弱まり停止する。

ナイフは能力を解いた瞬間、突然そこに現れたかのように出現し、問題なく進行方向どおりに飛んでいくが、それは無機物の場合。

面倒なことにこの法則は咲夜の血流にも影響が出るらしい。

能力発動時は咲夜を流れる血の動きが極端に鈍る。

結果、空間に半固定された空気も相まって、咲夜の身体中に栄養や酸素などが行き渡らなくなり、解除時期を見誤れば死に至る諸刃の剣。

そして二つ目の能力。

自分以外の時間の流れを遅らせる能力だ。

これは咲夜以外の生物には咲夜が『捉えられないほどの高速』で動くように見える。

厳密には前者の能力の軽量版で、実用性の高い能力だ。


咲夜はこの能力を繰り返し使い、ほぼ無いに等しい足場を固定して移動する。

途中で意識が途切れた橙をおぶさりながら。

それは水中を息継ぎしながら泳ぐよりも苦痛で塗れていた。

紅魔館のメイド長たるもの、ちょっとやそっとでは根を上げることなどありえないと思っていた咲夜ですら、ひとりぼっちの空間で叫び声を上げた。

死を意識しながら前進し続ける咲夜。

そして身心ともに削られ続ける煉獄のような”道”が終わったとき、咲夜に来たした代償は大きかった。

能力の持続効果が激減し、前者は半減の5秒、後者は数分だったものが十秒程になっていた。

連続発動が出来るか試してみる。

前者の発動後は眩暈や血管の収縮、呼吸困難などで連続発動どころか行動自体が難しい。

後者は連続発動は出来るものの、3度で前者の能力発動時と同様の効果が現れるようになっている。

それに加え、軽度の記憶障害と言語障害、精神疾患。

咲夜は自嘲気味に思う。

『この世界とは違うどこかの世界にいる私とは違う十六夜咲夜は、私なんかよりもずっと上手く強くこの力を使いこなせているのだろうか』と。



「咲夜」

「?」

「咲夜!」


ここは野原。丈の短く碧い草々と所々にシロツメクサの生えた草原が広がるのみだ。

咲夜は聞き覚えのある甲高い声に振り返ると、そこにいたのは小さな主人あるじレミリア・スカーレット。

淡桃の膨らんだドレスに身を包み、やわらかそうな帽子の右側には大きな赤いリボン。

そこからふわりとなびく癖のある銀髪がショートの長さで切りそろえられている。

真っ赤な瞳は瞳孔を縦に薄く縮こまらせ、背後から覗くこげ茶色の蝙蝠の様な羽は彼女が人外であることを物語っている。

腰ほどまでしかないその白雪のような肌の短躯を見て咲夜は彼女が傘を差していないことに気づいて慌てる。

主人が苦手とする日光を遮る傘、それは自分がさしていることを思い出す。


「屈みなさい、私の前に」

「かしこまりました」


咲夜はレミリアに日光が当たらないよう気をつけながらひざまづく。

首に細い紐のようなものがかかるのを感じる。

雑に削られて角のたった、しかし大きく、そして美しく透き通った赤い宝石の首飾り。


「お嬢様、これはいったい・・・」

「我が魔槍グングニルの欠片から取った結晶よ。名前は・・・そうね、紅欠晶ロザリオオブスカーレット首飾クリスタルりとでも呼びましょうか。これが必ずあなたを守ってくれるでしょう」

「ありがとうございます!お嬢様。この上ない幸せです。ただ、名前が長すぎるのでロザリオと呼ばせていただきます」


少し不満そうな顔をするレミリアに、咲夜は微笑で返す。

柔らかく閉じた目で視界が遮られた瞬間。

レミリアは咲夜の首に抱きつく。


「絶対に戻ってきなさい」


首に手を回したまま対面した主人の眼には大粒の涙が溢れている。

主人と同様の感情がこみ上げてくるのを感じた咲夜は、必死にそれを押し殺すように再び微笑む。


「かしこまりました。最愛なるお嬢様」


満足したように咲夜の首から降りるレミリア。


「頼んだわよ咲夜。絶対にあの―――――


ブラックアウトする世界。いや、ホワイトアウトと言うほうが正しいか。

咲夜はいつの間にか眠っていたらしいことを悟り、一瞬で現実に引き戻された原因となるこの現状を悟ることが出来ない。


「う・・・ぐ・・・ぁ・・・」


強い圧迫感とともに自分に跨っている巨躯に視線をやる。

この人物には見覚えある。

宿屋の主人だ。

巨躯の男は咲夜に跨ったまま首を絞めている。

その瞳は無機質に暗い。

咲夜は慌てて太もものホルダーに手をやる。


(しまった!)


ナイフ用のホルダーはルナダイヤルと一緒にスタンドの台に置いている。

つまり身に着けてはいない。

咲夜は急いで台へと手を伸ばす。

しかしそれに反応して巨躯の男は首に伸ばしていた両手を瞬時に片手に持ち替え、余った手でそれを払いのける。

それにより少しだけ指のかかっていたホルダーとルナダイヤルは床へと落ちてしまう。


(マズイ・・・呼吸が)


意識は徐々に薄れていく。

咲夜は暗転が死を意味していることを理解した。





――――――――


猫の姿に戻った橙が行き着いた先は街のはずれ。

この街には似つかわしくないほど原始的な穴倉のような洞窟にある祠。


その奥には先客が2人、いや3人居ることを岩陰から見ていた橙は認める。

二人は巫女装束のような服を着た女性。

片方は見覚えがある。

飲み屋であった泥酔客だ。

そしてその二人のさらに奥。注連縄に囲われるようにそれは居た。

薄暗い洞窟の中で、淡い青を表面のわずか一部に纏った白光に包まれてぼんやりと浮かび上がる少女。

少女は眠るように浮遊し、背中から生えた黒く大きな翼から、まばらに抜け落ちた羽を漂わせている。


(なんだこれは?)


思考するのは藍。

現地に居ない彼女ですら今まで感じたことの無いほど膨大なエネルギーを感じ取ることが出来る。


「「計画は」」


「破綻した」

「順調です」


二人の巫女は同時に口を開いた。

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