第一章 友達は大事にしよう! ~traitorous friend~ -1-
廃墟と化したビル郡、その内一際大きなビルの廊下を少女はライフルを抱えながら飛び跳ねるように疾走していた。
身に纏ったゴツめの迷彩服の上から軍用チョッキを羽織り、腰にはウエストポーチ、背中にはパンパンに膨れ上がったリュックサックがガシャリガシャリと体に合わせて音を発する。
頭には簡素なヘルメット~~頭頂部から左右にすこしずれたところにウサギの耳のような形をした太めのアンテナらしきものがついているところ以外は~~を着用しており、そこからわずかに見える淡いピンク色の頭髪が汗でべったりと顔に張り付いているのが見られる。
見るからに軍隊、もしくはそれに近い団体に属している者と予想できる。
電気系統も完全に死に、通り過ぎるボロボロで錆とカビのにおいがする部屋の奥にある、もはやガラスの欠片すら残っていない窓から漏れるただでさえ昼間でも弱い日光が廊下の薄暗さを演出し、足元の壊れた機材らしきものに足をとられても、少女の疾走は止まらなかった。
その血の気の引いた白い表情は恐怖に歪み、汗を撒き散らしながら等間隔に途切れるような大きな呼吸をすることを心がける。
少女は追われていた。それも強大で凶悪で狂気的な”なにか”に。
少女は”あれ”から逃れるために上へと急いでいた。
現在はビルの4階だろうか。この廃墟ビルに入る前、目測で見た感じでは6階建て、その上は屋上になっているらしかった。
とりあえず少女は屋上を目指す。
走り回っていて判ったことは、このビルには4つ、上階に上がる手段があり、
一つはエレベータ~~しかしこれは電気系統の問題で、機能する形を保っているか確認することすら困難~~、
一つはエスカレーター~~しかしこれは上り下りともに朽ちて崩落しており、移動手段としての機能は完全に失われていた~~、
そして残りの二つは離れた場所にある二つの階段だ。
4階までは片方の階段を駆け上がっていたのだが、足場の崩壊と瓦礫の山で道を塞がれていた為、急いでもう片方の階段のある場所へと向かっているというのが現状だ。
少女は地に足が着かない感覚のままよからぬ想像をする。
このタイムロスが命取りにならなければいいが・・・と。
一般的に大きな建物の中で災厄から追われるとき、上へ上へ逃げる、というのは悪手だとされる。
しかし少女の場合はこれが最善手であると判断し、その考えは的をはずれてはいなかった。
ただし少女は致命的ミスを犯していたことを悔やむ。
4階まで上ってきたということは、上に行く手段しか残っていないということだ。
もっと早く、2階、もしくは3階に居た時点で、『窓から飛び降りる』という答えに気づいていたならば、自分は軽傷で済んでいたかもしれない。
しかしもう遅い。もはや屋上まで上り、そこから隣のビルに飛び移るなりなんなり・・・なにか方法を考えなければならない。
そんな事を考えているうちに目的の階段が目の前数メートルのところに迫る。
少女は足を止める。その顔からは一層血の気が引いており、冷や汗が滝のように流れ出ている。
眼前には”まだ”何も見えない。
しかし、少女の持つウサギの耳のようなレーダーは、その形に違わぬ空間把握能力を持つ。
しかしそれが故、少女に迫る最大限の恐怖を察知してしまっていた。
「る~んるるん♪ふんふふ~ん♪」
向こうもこちらの存在に気づいたと言わんばかりに幼い鼻歌が聞こえてくる。
まだその姿は見えないが、薄い壁を挟んで階段を上ってくる足音と、ゴボゴボと粘液が泡を立てながら広がっていくような音が聞こえる。
少女は”あれ”が満面の笑みで階段をマイペースで上ってくるのを幻視し、それにあわせて階段を上りきった”あれ”が壁の向こうから顔を出す。
「見~つけたぁ~」
「ひっ!」
赤く怪しく光る瞳、口からは鋭くとがった八重歯が飛び出ており、白いシャツと黒い一式物の子供用ドレスで上下を統一し、髪の毛は金色、右側の髪を少量だけ赤く小さなリボンで束ねている。
年齢は6つ、7つほどであろうか。
チャーミングな口元を鋭く吊り上げ、”あれ”は嗜虐的に笑う。
それを目の当たりにした少女は足が竦み、今にも失禁してしまいそうな勢いで体は脱力と緊張を繰り返す。
「んふふ、あれ?かくれんぼ・・・じゃなかったけ。おにごっこ?どっちでもいいんだけどさ。」
少女にとって生死を分かつ必死の逃走も、”あれ”にとってはただのお遊びでしかない。
「あ、これ返しとくねー」
”あれ”は無造作に、まるで自室のベッドにカバンを放り投げるような動作で何か球体を投げる。
それはゴロリゴロリと床を2,3回転する。
少女はそれがなんであるか薄々気づいてはいたが、恐怖と絶望から認めたい気持ちでその推測を全力で否定していた。
しかし、そんなことは無意味と言わんばかりに少女の足元に転がってきたそれが、少女を現実へと引き戻す。
「ふ・・副っ!?」
無意識に引きつった声がかすかに漏れる。
それは少女の属している部隊の副隊長、その首だった。
「今お腹いっぱいだからさー。ゆっくりじっくりと・・・」
口元が限界まで引きあがり、涙袋がいやらしく強調された”あれ”の表情にさらなる邪悪が宿る。
「飽きるまで遊んであげるね?」
少女はガクガクと竦む両足で必死に体を支えながら、自分の中の絶望が増幅していくのを感じていた。
少女の名前は鈴仙・優曇華院・イナバ。
種族は妖怪。
5年前の覚醒異変の早期から能力が芽生え始め、2年前の崩壊異変から能力覚醒に拍車が掛かると同時にその影響が体にも出始め、
人間だった風貌を残しつつも人間であった時の耳が退化し、変わりにウサギのような長い耳や丸いふかふかした尻尾が生え、ウサギの持つ特性や身体能力~~彼女は別段詳しいわけではないが、一般知識における範囲で~~を得ることとなった。
鈴仙は最初この変化についてどうしても受け入れることができなかったが、周囲でも同じような変化が現れる者もちらほら見え始めるにつれて、『そういうもんなのか』と妥協することに成功した。
一時期、師匠と仰ぐ人物から医療を学んでいたという過去があり、この反幻想郷で二つしかない崩壊前の様相のまま栄え続ける街の一つ・に属した後、
定期的に2つの街とその途中に存在する村々~~と呼べるかどうかは判らないほど粗末なところもあるが~~に支援物資や情報等をやりとりする”通信班”の一人として万能的な役割を果たしていた。
そんな彼女は今回の遠征の岐路の途中、この世界の最悪の一つに不幸にも遭遇することになる。
時は十数分前に遡る。
鈴仙の属している通信兵団は目的を果たし、彼女たちの街の近くにある廃墟ビル郡に差し掛かっていた。
それがいつもの往来ルートだ。
ほとんどが荒野と化したこの世界で、廃墟ビル郡という一見危険な道を選ぶ理由はいくつかある。
一つは”毛玉”が出る可能性が比較的に低いこと。
”毛玉”とは2年前から出現し始めた魔物で、神出鬼没に現れ人を食うとされる。
人を食う魔物であるが何故か人のにおいが強い場所を好まず、人の暮らすことのまず不可能な荒野とかつてオフィス街として栄え、まだ人が潜むスペースのあるこのビル郡のほうが出会う確率は低い。
荒野を行くよりビル郡のほうが安全なのだ。
もう一つは、先も少し触れたが人がいるかもしれないという可能性があるからだ。
オゾン層も破れた~~確認する術はないため憶測ではあるが~~この地で、日差しを遮り身を隠すことのできる、そして目立ちやすいこの場所は、滞在するのにベターな場所だ。
通信兵団はそういった人間を保護し、自分たちの街で暮らすことを勧める。
人手が足りないためだ。
なんとか人類の復興を望む彼女たちは、文明の残る自分たちの街に人間を集め、そして生命を拡大していく画策があった。
もちろん街に入るためにはいくつかの審査があり、それを行う関所が存在する。
その審査自体は甘いが、それは関所に来る前に通信兵団が精査するためということもある。
街に入れるべき存在か、自分たちにあだなす存在かどうか見極めるという重要な役割も担っているわけだ。
ならば潜んでいたのが盗賊などの悪漢の類ならどうだろうか。
通信兵団は、格好こそ軍隊や自衛隊のそれであるがあくまで素人、街で選りすぐられた人間たちが自衛のために訓練したにすぎない。
しかしそれでも隊でかかれば”毛玉”が2,3匹くらいなら問題にならないし、単体でも暴漢の一人や二人ならば造作もなくねじ伏せることができる。
人口が10万分の1程~~確認する術はないので確信に近い憶測~~に落ち込んだこの世界で貴重な精鋭部隊のひとつだ。
それに能力を持った覚醒者が二人も居る。
~~覚醒者とは、5年前の覚醒異変によって超常的な能力を得た人間である。覚醒にはいくつかのニュアンスが含まれており、様々な異能力をはじめ、身体能力・魔力・そして種族の変化が見られる。その全てが魔力覚醒に起因しているらしい。~~
一人は隊長である村沙水蜜。
本来では水場にて発揮される彼女の能力はこの世界では日の目を見ることは少ないが、彼女の場合、異能の力よりも身体能力にその影響が強く出たため、その不利を大きく補うこととなっている。
具体的に特化したのはその膂力。
村沙水蜜が街の出し物で彼女主催のウエイトリフティングの大会を開き、200キロほどの錘を持ち上げ圧勝したという記録がある。
それどころかエキシビジョンでその同重量の錘をもう一つ用意し、ハンドリングをするという離れ業を披露したまでだ。
ちなみに彼女の隊長である所以は戦闘力に加えて、そのキャプテンシーにも因る。
文明が残った街に行き着いた人間達ははじめから気概のあるものばかりではなかった。
しかしこの現状を打破すべく立ち上がったのが村沙水蜜である。
村沙水蜜は衰弱した人間たちの気概を奮い立たせて通信兵団を結成し、点在する残った人々と文明を共有することで希望をつなぎとめた。
この絶望の世界の中でも指折りの功労者にあたる。
そしてもう一人は鈴仙優曇華院イナバだ。
二年前から妖怪化が進んだ彼女だが、そういった者の方が魔力、身体能力ともに優れる傾向があり、加えて軍事訓練に対する才能が彼女にはあった。
なにより探知系能力に優れた彼女は隊の中でも重宝されることともなった。
臆病な性格の彼女は、最初そのオファーを断り続けたが、人間ばかりの街でくらす手前、妖怪化していく体を隠し切ることが出来ず、しぶしぶ通信兵団に入団したという経緯がある。
役職こそ後衛ではあるが、今では問題なくその責務は全うしているし、彼女自身もその抵抗はない。
通信兵団は12名、その中心となる二人の活躍もあり、実働から1年と余り、一人も欠けることなく任務をこなす敏腕集団となった。
そんな兵団が廃ビル郡の中に入った時だ。
「ちょっと待って・・・」
「どうかした、鈴仙?」
鈴仙が立ち止まり、その長い耳~~以後、ウサ耳レーダー~~をピョコピョコと左右に動かす。
「いる・・・。たぶん向こうのビルに一人」
隊長を含めた他の兵団達はざわつく。
放浪者の保護を名目上に挙げてはいるが、ここしばらくは対象となる者など居なかったし、それゆえ期待はほぼ皆無であったからだ。
「それで?対象の特徴はどうなの?」
「小さい、たぶん子供・・・かな」
「子供?こんなところに子供だって?」
隊員の一人は声を上げる。
「おそらく能力者かと思われますね。子供が一人で無事に居るなんて常人ならありえない。多少、警戒したほうがいいでしょう。」
副隊長が警戒の意を示す。
副隊長は鈴仙と同じく妖怪種に覚醒した一人だが、能力自体は覚醒はなかった。
鈴仙とは違った、よい意味で警戒心が強く、身体能力も村沙の次に高いため、副隊長の位置についている。
ちなみに何の妖怪かは明らかになっていない。
「いや、そうとは限らないさ。私たちのように拠点から移動する団体からはぐれただけかもしれない。鈴仙、その子は人間の形はしているんでしょ?」
村沙の問いかけに鈴仙はひとつ頷く。
「人間ならば考える選択の余地もないさ。助けに行こう」
村沙の提案に一同は肯定の意を示す。
もともとそういった目的もあるからだ。
「お~い」
「助けに来たよ」
鈴仙の指摘したビルに入った兵団は、念のため出入り口に二人残して子供の捜索にあたる。
隊員たちは口々に子供に問いかけるが返事はない。
「おかしいな、居ないのか?鈴仙、どうなんだ?」
「う~ん、遮蔽物が多くてわかりずらいのよ。室内に入るとどうしても精度がわるくなる」
「ん?」
一番奥にある部屋を探索していた隊員が持っている懐中電灯でこちらに合図し、こっちへ来いと手招きをする。
対象の子供を見つけたということだろう。
他の隊員たちもその部屋へと集まっていく。
部屋はほとんど光が入らず、オフィス机やイス、IT機器の残骸と思われるものが散在していた。
そしてその隅に少女が一人うずくまっていた。
本当に小さな少女だ。黒色の服が保護色になっているが、その頭髪は金色で、部屋に入るとすぐにそこにいるとわかった。
「大丈夫、お嬢ちゃん。怯える事ないよ」
「馬鹿、お前それ余計怯えるタイプの変質者文句だろ」
二人の隊員が少女へとゆっくりと近づく。
それにあわせて部屋へと村沙隊長も含めた5人が入る。
残りは部屋の外で待機だ。
少女は動かない。
少女の保護へ向かった二人の隊員は異変に気づく。
「なんだこれ?」
足元に黒い液体。
その液体は部屋中に浅く敷き詰められるように広がっており、ブーツを上げるとねっとりと糸を引きながら粘った。
「コールタール?」
最初は罠かと一同は判断する。
しかしすぐに、ここには少女しかいないと判断した鈴仙を信じ、これはこの少女が行った事だと理解する。
おそらくは自衛の手段のつもりなのだろう。
「大丈夫だよ、本当に。自分たちは君を助けに来たんだ。街の人間だよ」
「ひとまず一緒に街へ行こう。安心して?魔物も居ないし、寝床もある。食べ物もおなかいっぱい用意できるよ」
「本当!?」
少女は”食べ物”という言葉に反応するようにこちらを勢いよく振り返る。
その顔には満面の笑みが浮かんでいたが、怪我をしているのか下半分が赤く染まっている。
近づいた二人の隊員は一瞬ギョッと硬直するが、後方から見ていた村沙が叫ぶ。
「どうしたの、その傷!救護班!!」
そしてそれを遮るように鈴仙が叫ぶ。
「みんなその子から離れて!!早く!!」
一同は突然のことに理解が追いつかず、その場に立ち止まる。
続けて鈴仙が叫ぶ。
「おかしい!!外の二人が居ない!」
念のためもう一度ウサ耳レーダーで周囲を探索した際にわかった。
外の二人が蒸発したかのように消えている。
それとほぼ同時である。
ドサッ、と天井から黒く大きな液体が落ちてくる。
前方の二人は液体とは思えぬ音に驚いた後、それが床に敷き詰められた液体と同種であることを認める。
「あ~ビックリしたなぁもう!突然大きな声出さないでほしいなぁ・・・」
少女が言う。とても保護が必要であるとは思えないほど明朗な声だ。
動きがあったのは前方の二人だ。
いつの間にか、床の黒い液体が靴の底から太もも辺りまで上ってきていた。
コールタールではない。
ならば見たことはないがスライムの類か?
驚いた勢いで液体から引き抜くように足を上げる。
「うわああああああ!!!」
片方の足が無かった。
液体から引き抜いた部分がごっそり無くなっており、切断部分はまるで製造途中のソーセージのように窄まる様に塞がっている。
絶叫しながら倒れる隊員を尻目に、その場に居るもの全員が少女の口周りの赤が少女の血ではなく、他者の血である事を理解するのに時間はかからなかった。
続けて天井から落ちたものは黒い液体に包まった仲間の隊員・・・だったものだと理解するのも容易だった。
「全員退避!」
村沙が叫んだのが早いか、後続で入った村沙を除く四人に勢い良く黒い液体が粘りながら飛び掛る。
それに吹き飛ばされ、四方の壁に押さえつけられるように叩きつけられる四人。
四方が隊員の血で染まっている。
液体の支配から零れた手足が力なくぶら下がり、もはや彼らの生は望めないであろう事を物語っている。
先陣の二人はいつの間にか床に伏して動かなくなっている。
「ここは私に任せて逃げろ!!」
鈴仙を含んだ部屋の外に居た三人は急いで出口へと駆け出す。
「無理だよ。あたしの闇から逃れる事なんて出来ないんだから」
少女は立ち上がり半身になっていた体をゆっくりとこちらへ向ける。
「闇・・・?この黒いののことか?」
「おねーさんも同じ。あんたごときが適うわけないよ」
「やってみなくてはわからないでしょ?」
二人の声色は対照的だ。
平常といった少女の声に対して、村沙は恐怖に震え硬直する声帯から必死に掠れる声をひねり出している。
「まあいいよ。おねーさんは・・・プロレスごっこでもやる?」
「プロレス?一応相手と見てくれてるんだね・・・」
「あたしが悪役でぇ、おねーさんは」
「ベビーフェイス、正義役ってこと?」
「ん~ん」
少女の目が赤く光りながら満面の笑みが浮かぶ。
「椅子役」
はは・・・と乾いた笑いが漏れ、村沙の背筋を怖気が蠢いた。
鈴仙は走りながらレーダーの感覚を最大限まで研ぎ澄ます。
「駄目っ!出入り口は塞がれている!」
出入り口の辺りから外に出るための隙間が感じられない。
おそらく先ほど見た黒い液体が出入り口で待ち構えているのだろう。
「どうする!?」
鈴仙は他の二人に問いかける。
答えたのは副隊長。
「上に逃げよう!」
「了解!」
出入り口付近まで来ていた三人は出入り口側とは逆の方向にある階段に向かい、そして階段を駆け上がる。
「二階から飛び降りる!」
副隊長の提案に二人は同意して、道に面する側の部屋へと走る。
しかし部屋に入ったとたん鈴仙は気づく。
一人まだ来ていない。
窓のほうへ向かう副隊長をよそに、部屋の外に首を出してもう一人が来ていないか確認する。
廊下の向こう側、来た階段の辺りだ。
黒い液体が柱を作り、隊員の首のみを呑みこんで吊り上げている。
血の気が引くのを感じた鈴仙は急いで踵を返して脱出に向かうが、その視線の先にはすでに二階の窓まで黒く塗りつぶされ、絶望の表情で立ち尽くす副隊長が居た。
鈴仙は慌てて部屋から飛び出ると、瞬間、その部屋を包むように黒い液体が部屋の入り口を塞ぐ。
「”あれ”は・・ば・・化け物・・・!!」
・・・そして今に至る。
気がつくともう、鈴仙は”あれ”に背を向けていた。
それは彼女の真新しい経験と生存本能から当然の行動ではある。
焦りと恐怖と焦燥の中で、少女は驚くほど的確に生存への道を探していた。
(”あれ”は逆方向の階段から来た。ということは私がやってきた階段はもう塞がれている。当然”あれ”のいる方も・・・)
退路は塞がれている。
(おそらく3階以下はあの黒いので満たされている・・・と思う)
完全に四階に閉じ込められている常態だろう。
(しかし”あれ”はじっくりと私で遊ぶと言っていた。死ぬまで時間はある。でもそれは私を油断させるための時間稼ぎだったとしたら?)
鈴仙がそう思うのは彼女の中に思い当たる節があったからだ。
それは黒い液体の正体。
鈴仙の高性能な耳は”あれ”と村沙の会話を捉えていたのだ。
(黒いのの正体は闇・・・にわかには信じがたいけど。でもだったら二階の窓から出ようとしたときに黒いのが窓を塞ぐのが遅れた理由が説明できる。
おそらくあの黒いのは光に当たると性能が落ちる。だからまだ日差しの強く当たる四階の窓は覆えてない可能性がある!)
鈴仙は窓のある部屋に飛び込む。
(ビンゴ!!)
窓にはまだ”あれ”の闇らしきものは認められない。
鈴仙はこの窓から飛び出す決意をする。
しかし、どうやって?
いくら身体が人間以上まで覚醒しているとしてもビルの四階から飛び降りて無事が居られるはずがない。
間違いなく両足の骨折は免れないだろう。
そうすれば移動手段を失った自分はゆっくりといたぶられながら”あれ”に殺される。
なんなら毛玉にすら殺られるかもしれない。
ならば諦めるのか?
鈴仙が死を感じた瞬間、かつて師匠から聞いた言葉を思い出す。
『まだ死ねるなら生きなさい』
鈴仙の瞳に光が宿る。
それは”あれ”の恐怖やここから飛び降りる恐怖が消えたからではない。
まだ恐怖は確かに存在する。
しかし、それを考えていては行動に移せない。
だから少女は思考する。
この間、2秒にも満たないこの間、少女は妙案を出して決心を済ませる。
鈴仙は両手でほっぺたを二回強く叩くと、精一杯の力で背負っていたリュックを思い切り外へ放り投げる。
ドシャ!とリュックが地面につく音を待たずして鈴仙は助走をつけるため窓に向かって全力疾走する。
その途中、肩にかけていたライフル、腰のホルスターに差し入れていたハンドガンも外へと投げる。
それはわが身を少しでも軽くすると同時に、着地時に暴発の恐れを排除するという意味合いがあった。
「ウサギの脚力舐めんなあああああああああ!!!!!」
そして自分を奮い立たせるような大声で叫びながら、鈴仙は窓から飛び出した。