序章 おいでませ、反幻想郷へ ーーWelcome to dystopiaーー
そこは荒野とすら呼べなかった。
赤茶けた地面に満遍なく稲妻のような亀裂が延々と伸び、無論雑草すら、蟻の一匹すら目を凝らして探したとしても見つからない、しばらくすれば誰もが「そんなものはないのだ」と容易に気づくような死んだ大地。
空気が限界まで乾き、喉がカラカラになっても、蛇口などおろか、海、川、湖、それどころか水溜りすら見つからないだろうと容易に諦められるほど乾いた大地。
ギラギラと照りつける日差しは、平凡な気温よりも肌をじりじりと焼くような感覚がある。
大地のところどころに突き刺さった、もはや何を表しているのかも判らないほど錆で赤黒く変貌した標識や、砕けて散乱し、鉄骨の突き出たコンクリートが、以前ここには文明が存在したのだと物語っている。
この大地を二つのボロキレのようなローブを羽織った人影が見えた。
一人は身長160cmほど、頭から膝まで、強い日差しから体を守るようにローブに包まり、かすかに覗く口元は涼やかで、歩くたびにチラチラと片側のみ三つ編みにされた銀髪おさげが顔を出す。
ローブから予想できる華奢な体の輪郭と、膝下からは白い肌が伸び、白い靴下と、黒いハイヒール~~ただしヒール部分はすでに折れてしまっている~~を履いていることから、性別は女であろうと推測できる。
一歩歩くと右へふらり、
一歩歩くと左へふらり、
今にも地面に突っ伏してしまいそうなほど危うい歩き方で、一歩一歩進むたびにジャラリ・・ジャラリ・・と鎖のような金属がこすれる音が聞こえる。
もう一人は身長は100にも満たないほど低く、おそらく子供であろうがそれゆえ性別はわからない。
”大きいほう”の旅人の後を追うようにローブを地面に引きづりながら歩いているが、足取りはまだまだ余裕があるようにみえる。
二人は言葉は交わさない。
行くあてはない、いや、どこに行けばよいかわからないといったほうが正しいか。
フラフラと代わり映えのしない景色を掻き分けるように、いつか何かしらの足がかりとなるモノが見つかると信じて歩く。
やがて”大きいほう”の旅人が力なく、崩れるように膝をつく。
その呼吸は荒く、もはや彼女の体力は限界であるということが見て取れる。
後続の”小さいほう”が慌てて駆け寄ろうとしたときだ。
「ニンゲンノニオイジャ・・・」
「ニンゲンノニオイジャ・アオ・・」
まるで石と石を打ちつけたような掠れた、どちらかというと音に近い声がひとつふたつ、そしてもうひとつの気配と順々に、二人を囲むように現れる。
「コノチクノニンゲンハ・・コロセトナァン・・・」
「コロセトオッシャッタッタヨ・・」
「スワコサマガ・・オウ・・」
”小さいほう”は”大きいほう”に怯えながら縋る様に寄り添い、”大きいほう”は膝をついたまま視界の端からこの物騒な声の主を確認する。
声の主は頭の下から枝のようにゴワゴワとした簾のような毛皮を巻き、その下方には足とおぼしきものは認められず、ふわふわと中に浮いており、
頭~~らしきもの~~は真ん丸く、中心に赤く光る~~おそらく目であろうか~~球体が埋め込まれており、四つの割れ目~~おそらく口~~がその中心へと伸びて、割れ目に沿ってパカパカと蓋のように開閉している。
その開閉する”蓋”の裏側では、多少距離があるにもかかわらず、粘着質の白濁した液体が糸を引いているのがわかる。
第一印象は蓑虫・・・の化け物。
にわかには信じがたいが、そんな空想の存在が自分たちの息の根を止めようと取り囲んでいる。
普通ならば死を予感させる状況に、”大きいほう”・・・の少女は怯むことなく、おもむろに立ち上がり直立する。
構えはない。ただ直立する。
”蓑虫”達は糸を引く口を開閉させながら距離をつめてくる。
少女に動きはない。少女に縋る”小さいほう”・・・の子供はがくがくと震えている。
”蓑虫”達は少女たちの諦観を悟ったのか少女たちに飛び掛る。
その瞬間。
少女の包まっていたローブが、まるで下方から強風が吹いたようにめくれ上がり、一瞬その姿があらわになる。
髪の毛は光沢を持つほど艶やかな銀色、両耳の横からきれいに結われた三つ編みが垂れ下がり、長さは肩につかないくらい、
頭には白いブリム、青地の膝下まで伸びたワンピースにエプロン、スカート口や肩から大きめのフリルが揺れており、腰の後ろには正面からでもわかるほど大きな白いリボン結っている。
この死んだ土地ともいえる場所に似つかわしくない・・・メイド姿に少女は身を包んでいた。
ローブは再び静かに少女の体を包み、フードが掛かっていないところ以外は元の通りにおさまる。
少女の瞳は緋色に光っており、かと思えばゆっくりとその光が弱まり、今度は暗い青色に落ち着いた。
少女は直立したまま何をした素振りもない。
ただ風が吹いてローブがめくれただけに見える。
しかし、周囲を取り囲んでいた3匹の”蓑虫”はバラバラに崩れながら地に落ちる。
少女の右手には銀色のナイフが握られていた。
そしてナイフの刀身には~~おそらく”蓑虫”達のものであろう~~青色の体液がべっとりと付着していた。
少女はローブの端で体液を拭き取り、汚れた部分を切り取り捨てる。
少女は足元で自分に縋っている子供のフードを下ろす。
現れたのは茶色がかったボブカットの~~おそらく~~幼女。
しかしその頭には猫科のような耳が生えていた。
幼女はその行動の意図に気づくと警戒心を宿した目でキョロキョロと辺りを見回す。
「だ・・・大丈夫みたい」
幼女の一言に安堵したのか、少女の体から力が抜け、豪快に地面へと突っ伏した。
横を向いた少女の口からは早い間隔で吐息が漏れ、顔は高潮し、しかし汗ひとつかいていない。
眼光は弱弱しく細まり、目線は定まっていない。
それを見た幼女は、少女が危険な状態だと確信する。
「どうしよう・・・どうしよう・・・」
幼女はふと思い出したかのように駆け出す。
走り方は四足、まさしく猫のように体を滑らかにたたみ、開きながら走る。
チラチラと細長い尻尾が二本、お尻のあたりからピンと伸びている。
駆け出した先には大きめの瓦礫だ。
幼女は瞬く間に瓦礫の上へと登る。
そして右手を水平にしてひさしにしながら辺りを見回す。
「見つけた!」
その先には大きめの建物の群れ。
そこがまだ生きている町なのかわからないが、そこに人間がいるのかどうかわからないが、あてもなく歩くよりはマシだろう。
勢いよく瓦礫から飛び降り、幼女は少女の下へと駆け寄る。
「ほら、立って!」
幼女は少女の肩を掲げて立ち上がる杖代わりになる。
少女は先ほどよりも大きくふらつきながら体を起こそうと力を入れる。
「大丈夫?咲夜?」
幼女は少女の名を呼ぶ。
「・・・っ・・・」
少女はそれに答えようとするが、喉がかすれてうまく声が出ない。
「咲夜?」
幼女はもう一度、咲夜と呼ばれた少女に呼びかける。
「・・・だ・・・」
「?」
「だ・・・いじょう・・・ぶよ・・・橙・・・」
咲夜は幼女のことを橙と呼ぶ。
「よかった、咲夜。向こうに街を見つけたから行ってみよう!」
咲夜はゆっくりと体を起こすと「よくやった」の意味をを込めて橙の肩を叩く。
「ええ・・行きましょう・・・」
二人は再び歩き出した。