1話 邂逅
街が燃えていた。辺りは一面火の海で、四方から耳を裂くような悲鳴がこだまする。しかし、騎士には周りの悲鳴など聞こえていなかった。どうでもよかった。騎士は涙を流し、その腕にもはや人とも竜ともつかぬ怪物を抱えて慟哭する。
ーーその日騎士は護るべき誇りを失った。
◇◇◇
短く揃えた灰色を帯びた銀髪、黒衣に身を包み、腰に黒い鞘の剣を差した青年、リュウは大陸の西側、共和国領の南端の小さな街、カルネの宿屋にいた。五日前にアルトの村を発ち、道中で魔物を倒しながらも、なんとか目標だった昼前に、この街にたどり着くことができたのだ。
「なあリュウ。 今回はどのくらいここにいるんだ?」
この街に来るまでの道中で消費した食料の買い出しに行こうとしたリュウに、今日で六度目の再開となる馴染みの宿屋の主人、マルクに声を掛けられた。
「そうだな⋯⋯ 明日の昼には発つ予定だよ」
「早いな。今回はアルトの村から歩いて来たんだろ? 一週間はかかったんじゃねえか? このご時世一人で旅をして賞金稼ぎなんて物好きだよなあ」
このご時世、という含みのある言い方に苦笑しながらリュウは答える。
「そんなに大変な道でもないさ。寝込みをオークや山賊に襲われることはあったけど⋯⋯ 五日間くらいで着いたよ」
リュウの常識離れした発言に今度はマルクが苦笑することになった。
「旅に出る前は傭兵をやってたんだっけか? それで金も持ってて、一人でオークの群れと山賊を追っ払えるほど腕も立つのに、なんだってわざわざそんな危険な旅に出るんだ? 俺だったら田舎に帰って宿屋でも出すけどなあ」
「そういうあんたも筋骨隆々じゃないか。俺だったら旅に出て人助けをして美味い酒を飲み歩くけどなあ」
とまぜっ返すと、隣にいたマルクの妻、マーラに咎められるような目で睨まれた。
「余計なこと言わないでちょうだい。この人なんて昔軍にいただけで今はもうただのバカなおっさんなんだから」
「おい、それはひどいぞマーラ⋯⋯俺の話はともかく、お前さん夜はうちで飲むだろ? 酒は入ってるから楽しんでくれよ」
一般的な宿屋のロビーは酒場と兼用して使われており、酔いつぶれた客を泊めてやるという話はよくあることだった。
「そうだな。久しぶりにマルクのおっさんの美味い飯を肴に頂くとするよ」
ガハハと嬉しさと照れくささを隠さず豪快に笑うマルクを横目にマーラは神妙な面持ちでこちらを見る。
「本当にこのご時世また会えて嬉しいわ。聞けば行く先々で魔物を討伐したり山賊を壊滅させたりしてるらしいじゃないの⋯⋯、 この前来た時もカルネの森に出たオークの群れをなんの報酬もなく討伐してもらっちゃったし、困っている人を助けるのは良いことだけど、もっと自分を大事にしてね⋯⋯」
「今は騎士団もあまり動けないからな。動ける人間が動くべきだし、それに飲み代宿泊代タダっていう報酬を貰ったじゃないか」
そんなの報酬に入らないと抗議の視線を送るマーラを横目にリュウは宿屋の出口に向かった。
「ま、そのうち足を洗ってどこかで隠居生活でもするさ。とにかく今日はゆっくりさせてもらうよ」
今度は苦笑ではなく含みのある笑みを浮かべ、宿屋を出た。
ーー その笑みに深い哀しみと後悔を含んでいたのには誰も気づかなかった。
◇
買い出しを終え、宿屋に戻ると行商人らしき男がマルクと何か話していた。マルクがリュウの何かあったのか、という視線に気付くと、ばつが悪そうな顔をして説明してくれた。
「またカルネの森の様子がおかしいらしい。魔物達の数が増えて行商人の護衛達だけじゃ危険みたいでーー」
マルクの話を遮るように持っていた荷物を渡してリュウはまるでこの世の終わりのような顔をしている行商人と、まさかまた一人で行くんじゃないよな?と不安そうな顔をしているマルクを見つめて言った。
「だいたいわかった。俺が蹴散らしてくる」
「ほら見ろ! なんでこいつがいる時に限って魔物が出やがるんだ! お前さん疲れてるんだろ? ほんとに死んじまうぞ!」
一転して希望の表情を浮かべた行商人とは裏腹に、マルクは血相を変えて抗議してくる。もちろんリュウの身体を心配するが故に、だが。
「大丈夫さ。前来た時、この辺の魔物に強いやつはいなかったからな。それにーー」
リュウは何かを言おうとしたが、すぐに別の言葉を続けた。
「まあやばかったら逃げてくるよ。日が暮れる前には戻ってくると思うからさ」
◇
あの行商人は四日後には森を抜けた先の商業都市アランで大事な商談があるらしく、アランに向かおうと、護衛を二人雇って森に足を踏み入れたとき、二人の護衛では歯が立たないほどの量の魔物と遭遇してしまい、なんとか逃げて来たらしい。
アランまでは最低でも丸一日はかかり、魔物討伐隊を騎士団に派遣依頼しても、今は到着に五日はかかってしまう。魔物を討伐できる力を持った頼れるものもおらず、絶望に暮れていたところ、腕利きの賞金稼ぎ、リュウが宿屋にいることを聞きつけて、マルクを通して魔物討伐の依頼をしようとしていたらしい。
しかし、リュウの身体を気遣ったマルクが、明日にしてくれ、と突っぱねていたところ運悪く(?)リュウが帰って来てしまったようだ。
マーラから聞いた今回の事の成り行きを思い出し、マルクの優しさに感謝の念を抱きつつも、苦笑しながら街から歩いて数十分の距離にあるカルネの森にたどり着いたリュウは、一度腰に挿した剣を抜刀し、刀身を見つめた。
灰色がかった白い刀身を囲うように、刃の部分が煤を思わせるくすんだ黒い色をしていた。 そこからまるで植物が巻き付くように、刃と同じく、くすんだ黒い紋様が走っている。幾多の戦場を共に駆け、多くの敵を切ってきた相棒を胸の前で構え、眺める。
「まだ⋯⋯ 許しちゃくれないか」
そう呟いて納刀し、森に足を踏み入れた。
ーー 木々が鬱蒼と覆い茂る森の中を歩いていると、この森全体を包む違和感に気づいた。
魔物の気配が全く感じられないのだ。このカルネの森でこんなことは初めてだった。
「何が起きてるんだ⋯⋯」
リュウの呟きも風に揺れる木々に吸われ誰の耳に届くこともなく、ただ木の葉のざわめきが森を包んでいるだけだった。しかしーー
「きゃぁぁぁぁぁーーーーー!」
少女のものと思しき悲鳴。リュウはそれを聞くや否やそちらに向かって全力で駆け出した。
数秒もしないうちに少し開けた場所にでたリュウは、 そこで腰が抜けた様子の白いワンピースを身に纏った少女に気づいた。先端に光り輝く魔力が込められたであろう宝石のついたペンダントを首にかけており、栗色の長い髪が風に揺れている。
その視線の先には大型で四足歩行の魔物が今にも彼女に襲いかかろうとしていた。 その魔物は禍々しいたてがみと強靭そうな鱗を全身にもち、獅子に似た顔から唾液を垂れ流している。
少女はこちらに気付いたようで目に涙を浮かべ恐怖でか細くなった声で助けを求めてくる。
「助けて⋯⋯」
少女の視線で気付いたのか、魔物も首を動かしてリュウを一瞥し、まずは腹ごしらえからだ、と言わんばかりに少女に襲いかかった。
「いやぁぁぁぁーーー⋯⋯!」
と悲鳴すらか細くなってしまった少女に鱗を纏った前足が遅いかかる。
ーーしかし、同時にリュウは魔力を使い、走り出していた。常人の目には瞬間移動したようにしか見えない速度で、一気に魔物に肉薄する。
魔物の前足が少女に届く前に、これもまた刹那の早さで抜刀したリュウの剣で弾かれる。
「グギャウッッ!」
先ほどまで少し離れたところにいたリュウがいきなり目の前に現れ、魔物はうろたえた様子だったがすぐに体勢を立て直し、次の攻撃に移れるようにしている。
「⋯⋯っ! 固えな⋯⋯!」
リュウは前足を切断するつもりで剣を振るったのだが思いの外鱗が固く、弾く程度で留まってしまった。
ーー もっとも、数年前の彼なら間違いなく切り落とせていたのだが。
じん、と右手が痺れる感覚を無視して次こそはその足を断つ、という勢いで剣を振るう。
リュウの上段からの切り下げを四本の足を使うステップで右に避け、左前足が斜めに振り下ろされる。
自分の三倍ほどの体躯を持つ魔物からの一撃を余裕を持って剣で受け止め、鍔迫り合いに持ち込んだリュウはにやり、と笑みを浮かべて背後の少女に向かって叫んだ。
「そこのお前! 俺が守ってやるからもう安心しろ!
⋯⋯ さて、本調子じゃないのは間違いないが、いいハンデだ。楽しませてくれよ?」
その言葉が通じたのか、魔物も喉を鳴らして一度距離を取る。
「オオオォォォォォォン!」
と一鳴きすると魔物の足元に魔法陣が浮かび、魔物の口から火球が現れた。
「高位魔術も使えるのか⋯⋯!?」
魔法が完成する前に距離を詰め一撃入れる、仮に間に合わなくても避けられる、と考えたリュウは走る態勢に入ったが、そこでハッと魔物とリュウ、少女が一直線上にいることに気づいた。
ふと横目で少女の様子を伺うと、何が起きているのかわからない様子で、恐怖で大粒の涙を流したままへたり込んでいる。
「くそっ!!」
舌を打ち、その場で防御の構えを取る。
その瞬間魔物の口から火球が吐き出され、瞬く間にリュウの身長と同じくらいの直径となり、襲いかかる。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉっ!」
その火球の中心を捉えるように剣を構えて魔力を込め、火球に裂帛の気合いとともに叩きつけた。数秒、そのままの体勢で火球と鍔迫り合いをしたのち、ついに真っ二つに、斬った。
斬られた火球はリュウと少女を避けてV字に伸びて行き、運良く木に燃え移ることなく、消えた。
「ふーっ。おいおい汚え真似してくれるじゃねえか。お前らにスポーツマンシップって概念があるのかは知らねえけど⋯⋯ 遊びは終わりだ」
剣を両手で持ち、肩の上で相手に突き立てるように構え、腰を落とし、魔力を貯める。魔物も火球を切り裂かれたことに驚きと怒りを覚えつつ、前足に力を込め構えを取り、両者同時に走り出した。
「ーー ガルルルァァァァァ!」
「いくぜっ! ーー 竜閃天駆!」
地を蹴り、空中に跳ぶ瞬間両者は叫び、空中ですれ違い、そのまま着地した。
否、すれ違う瞬間、跳躍しながら一閃したリュウの剣は魔物の牙ごと鱗と骨を砕き、上下で真っ二つに切り裂いた。着地したのはリュウだけで、魔物は2つの肉塊となり無数の血の雨とともに地面に落ちた。
肉塊はしばらくすると魔力の奔流となって空に消え、後にはV字に伸びた火球が通った後と魔物の血だまり、リュウと少女だけが残った。
リュウは剣に付いた血を剣を振るって払いながら少女に近づき声をかける。
「お前大丈夫か? なんで1人でこんなところに? 」
少女はびくっと身体を震わせ、こちらを見上げて涙を拭いながら言った。
「あ、あの、ぐすっ、助けてくれて、ありがとう。でも、わたし、なにもわからないの⋯⋯」
「⋯⋯は?」
「ご、ごめんなさい。思い出せないの。頭、痛い⋯⋯」
そう言って、頭を抑える。
「記憶喪失ってやつか⋯⋯? ひとまずここは危険だ。街に戻ろう。立てるか?」
「ごめんなさい⋯⋯ 腰が抜けちゃって⋯⋯」
「わかった。俺の肩に掴まれ」
そう言って有無を言わさず彼女をおぶる。彼女は驚いたようで手足をばたつかせたが、すぐに大人しくなった。
「なんでだろう。あなたの魔力、すごく安心する」
「へ? そうか? 変わった魔力だなって言われることはよくあるけど⋯⋯」
リュウはこれまで言われてきた自分の第一印象を思い出しながら答えるが、どうやら彼女は気に入ってくれたらしい。
「俺はリュウ。お前は⋯⋯、名前も思い出せないか?」
「うん。ごめんなさい⋯⋯」
「謝ることはないさ。ただ名前がないのは困ったなあ」
「うん⋯⋯」
「歳⋯⋯もわかんないか。見た感じ俺の二、三歳下ってところだから十九、十八ってとこか?」
「そうかも⋯⋯」
わからないことだらけだな、とリュウが心の中で途方に暮れていると、少女が顔を真っ赤にして恐る恐る話しかけてきた。
「あ、あの、重くない⋯⋯?」
「重い⋯⋯。街までたどり着けないかもしれないなあ⋯⋯」
と、あえて意地の悪いことを言うとさらに顔を赤くして降りようと手足をばたつかせた。
「ご、ごめんなさい! もう大丈夫だからすぐに降ります⋯⋯っ!」
「ははは! 嘘だよ。あんなに怖い思いをしたんだ。街までゆっくり休んでくれ。聞きたいことも思い出してもらいたいことも山ほどあるしな⋯⋯」
◇
帰りの道中も魔物に遭遇することはなく、いつの間にか少女は眠ってしまっていた。宿屋に着く頃には完全に日も暮れてしまい、これはマルクとマーラにどやされるぞ、とまた一人で苦笑しながら宿屋に入った。
「おせえぞ! 何時だと思ってやがんだ! 死んでなくて良かったよ! ばーか!」
「こんな時間までなにやってたの! 怪我はない?」
「私が押しかけたばっかりに、危険な目に合わせてしまい本当に申し訳ありません!」
入るや否やマルク、マーラ、行商人から矢継ぎ早に各々のコメントをぶつけられ、ついに笑いを堪え切れなくなったリュウに、怪訝な表情が向けられる。
「いや、ごめんごめん。絶対どやされると思ってたからさ。予想通り過ぎてつい⋯⋯。 そんなことより聞いてくれ」
リュウは背中におぶって寝息を立てている少女を起こさないように椅子に寝かせる。 どうやらリュウが帰ってくるまで酒場の営業をやめてくれていたようで、他に人は見えなかった。
ーー そして、森で起こったことの顛末を話した。
◇
「森が見たことないほど静かで、見たことのない記憶喪失の女の子と、この辺じゃ見たことのない強力な魔物の出現か⋯⋯」
マルクが腕を組んで自慢のヒゲを撫でながら、考え込む素ぶりを見せる。
「あんたはバカなんだからそんなに考えてもわかるわけないでしょ。行商人さんはなにか知らない?」
マーラにぴしゃりとあしらわれてシュンとしたマルクを尻目に行商人も深く考え込んでいる。
「情報屋に問い合わせたところ、私達が多数の魔物と遭遇する前、膨大な魔力を感じ、森のどこかに一筋の光が落ちたのを見た、という報告があったようです。 間違いなくその女の子が鍵を握っていると思うんですがーー」
行商人が一点を見つめて、言葉を止めたので視線の先を見ると、先ほど椅子で寝かせていた少女が目を覚まし、あたりをキョロキョロと伺っているところだった。
「ここ、どこ⋯⋯?」
「あら、目が覚めたのね! お腹空いてるでしょう? 何か出してあげるわ!」
「嬢ちゃん酒は飲めるか? おじさんサービスしちゃうぞ?」
無言で自分より一回り大きい男の耳を引っ張って厨房に連れていくマーラと、ごめんなさいを連呼し、耳を引っ張られる筋骨隆々の髭面の男の絵面を見てリュウは声をあげて笑い、行商人もやれやれといった様子で笑みを浮かべている。
「ここがさっき言ってた街の宿屋だよ。 この人は森に異変が起きてるって知らせてくれた行商人さんで、さっきの優しいおばさんがマーラさんで、髭面のおっさんがマルク」
「よろしくお願いします」
と、行商人が恭しく挨拶をすると、少女もぎこちなくお辞儀をした。
「さて、当面の問題ですが、まず彼女の名前をこちらで決めなければなりませんね。ちなみに寝てる間に何か思い出せました?」
行商人の問いに彼女は首を振って答える。
「ですよね。うーん、では名前はどうしましょうか⋯⋯。栗色の髪に白いワンピースを着ているから⋯⋯、マロン・ショートケーキさんはどうでしょう?」
「⋯⋯あんた本気で言ってんのか?」
リュウの冷たい視線にダメでしょうか。と、肩を落とす行商人の姿を見て、こいつも残念な人だったのか、と心の中でリュウも肩を落とした。
「行商人さん、今のはひどいわよ⋯⋯」
いつの間に帰って来ていたのかマーラがシチューと黒パン、リュウにはエール、少女にはオレンジジュースを配膳してくれていた。マーラの一言でさらに肩を落とす行商人は見ないようにして、マーラにお礼を言ってリュウも考え始める。
「そうだなあ⋯⋯。最初に会った時の印象は⋯⋯、フレーナはどうだ? 古代言語から取ってみたんだけど」
「どういう意味なんです?」
「⋯⋯まあ、泣き虫って意味なんだけどさ」
「それだってひどくないですか? ていうか、古代言語わかるんですね」
「マロン・ショートケーキより百倍マシだ。大体の人間は古代言語なんかわかんないし、知っててもちょっと変えてるから気付かないだろ。まあちょっと昔教わる機会があってな」
行商人が口を尖らせて茶々を入れてくるが、マーラは頷きながら賛同してくれた。
心なしか左耳が大きくなったように見えるマルクも厨房から帰って来て、
「フレーナちゃんか!よろしくな!」
と、笑いかける。
すると、あの、と少女は遠慮がちに声を出した。
「わたしマロン・ショートケーキがいい」
全員が凍りついた。行商人と少女を除いて。