登校日に僕が初対面の人に腕を掴まれるお話
アカネからありがたい言葉をいただいて以降、連休中に磐城と再び相まみえることは叶わないまま、登校日が訪れた。
登校日というとかえって特別な日のように聞こえてしまうが、何ということはない平日、という意味である。
僕はいつも通りの通学路を、いつもらしからぬ様子で歩いていた。いつもはただ学校を目指して足を動かしていればよかったのだが、今朝は障害物以外に気を付けないといけないものあった。それというのはもちろん、磐城のことだ。
しかしそもそも僕は彼の通学路を把握しているわけではないので、僕と彼の通学路に一切のかぶりがなくても、なんら不思議なことはないのだ。
それでも僕はいつ彼と出会ってもいいように心構えをし、いつか彼と出会えると信じて目を光らせる。さながら深夜のネコのように。
結果、磐城どころか誰とも遭遇しないまま、僕は学校に着いた。拍子抜けしたような気分で靴を履き替え、教室に上がる。その道中でさえ僕は彼と遭遇しない。ここまで来ると残念という気持ちよりも鬼から逃げ切ったような達成感の方が強くなってくる。
結局この日僕が送った学校生活というものはいつも通り以外の何でもなく、終礼の鐘がなる頃には通学路での決意もコロッと忘れてしまって、直帰しそうになる。
椅子から立ち上がったところで我に返った僕は再び椅子に座り、鞄を開く。ここで何もせずに鞄を閉じてしまうとそこそこの奇行を演じてしまうことになるので、僕はさも忘れ物を思い出したように振る舞って、持って帰る必要の無いノートを鞄に入れる。その際、中を開いて中に書いてあることに目を通してみたりして少々時間を稼いでみたりもした。
もっとも、そんな時間など稼いだところで話しかけてくる者がいるわけでもなく、結局僕はすぐにまた席を立つのだった。向かう先は靴箱。もう今日はこの学校でやることなどひとつも残っていないのだから、当然だ。一応道中で磐城を見付けられたら声を掛けられるように視線はいつもより上を向いていた。
パタパタと上履きが硬い廊下を叩く音に紛れて、僕以外の生徒達が談笑しながら帰ったり、部活動に勤しんだりしてる声が聞こえる。
学校というのは本編にあたる授業中よりも、その後の放課後の方が賑やかなものだというのは、皮肉と言えるだろう。
そんなことを思いながら階段を降りていると、示し合わせたかのように磐城が階段を上がってくる。
しめた。と手を打ちかけて思い留まる。それは単にその行動が変だからという理由だけではない。そこにいたのは磐城だけではなかったからだ。
一人の女子生徒が磐城と並んで階段を上ってきていたのだ。真っ赤なカチューシャで前髪が上げられていたので顔の観察に苦労することはなかった。初めて見る人だ。
制服の胸に付けているバッジが示す学年の色は緑。ひとつ上の先輩のようだ。二人とも何やら難しい顔をして、磐城はしきりに女子生徒に何かを訴え、女子生徒は腕組みをしながら時に頷いたり、首を振ったりしていた。
何か込み入った話をしているように見えるので、正直に言って声を掛けるのははばかられる。しかし無視するべきでないということは分かっている。そんなことをすればもう二度と僕は彼に話しかけられないだろうし、彼もまた僕に話しかけることはなくなるだろう。
それを前提として僕の頭は素晴らしい速度で思考する。そこで僕が導き出した結論は
「・・・・・・」
何も言わない。
しかしそれは声帯を震わせないというだけで、顔と体は完全に「やあ」と挨拶していた。
磐城がこちらに気が付いていれば反応するだろうし、話に夢中なら気付かずに通り過ぎるだろう。一番厄介なのは磐城が気付かずに女子生徒だけが僕に気がつくというパターンだが、どうも女子生徒の方は僕のことをしっかり視界に収めていないように見えたのでこの作戦を実行することとした。
結果として、磐城は右手を軽く挙げて顔で「やあ」と言っている僕のことに階段三段隔てた状態で気がつき、今まで話していた女子生徒を置いて僕と同じ段まで駆け上がる。
「よお兄弟。しばらくだな」
言うだろうとは思っていたが、まさか本当に「よお兄弟」と言うとは。そのことに軽く面食らいながら僕はやっと発生による挨拶を繰り出す。
「やあ」
それだけだった。まあここは階段だし、立ち話などせず速やかに下校する流れだろう。
そう思って彼らの脇を通り過ぎようとすると、磐城のものではない手が僕の腕に伸び、がっしりと上腕を引っ掴んだ。
「え?」
驚いた僕が振り返ると、カチューシャのおかげで前髪が邪魔をすることなく、その手の持ち主と否応なく目が合う。
その目はきらきらよりも煌々が当てはまるような、一般人をすくみ上らせるような、そんな輝きを放っていた。
入学して以来女子に体に触れられるというのは初めてなので、少々青春っぽくドキドキすればよかったのかもしれないが、この時の僕の胸のそれは明らかに恐怖によるものだった。
咄嗟に腕を引っ込めようとしたが、何故か腕どころか体も動かせない。
蛇に睨まれた蛙というか、鷹に睨まれた兎だろうか。今度ユキと答え合わせしてみるとしよう。
などと考えていると、彼女は僕にこう尋ねた。
「あんた、帰宅部やな?」
「あ、はい」
反射的に答えてしまった。そうしなければ何か手痛い報いを受ける気がしたのだ。
「そうかそうか」
彼女は僕の答えを聞くなりそう呟き、目を見開きにっと口角を上げた。
その表情を遠慮なく評価するならば「恐い笑い方」となるだろう。
「おいおい姉さん。山城が困ってるぜ。せめて手だけでも放したらどうだ?」
「ん、そうやな。逃げたりはせんみたいやし」
言って彼女はぱっと僕から手を放す。途端に体に自由が戻った感覚になる。
「ごめんな。驚かせて」
「いえ…。あの、もしかして磐城のお姉さんですか?」
さっき磐城は彼女のことを「姉さん」と呼んでいた。さすがにただの先輩をそんな呼び方はしないだろう。
「いや。うちはただのこいつの先輩や」
こんなにあっさりと予想を裏切られたのは初めてだった。
「あ、そうなんですね・・・」
想定外のことに動揺しつつ、なんとか返事を絞り出す。
「うちの部の決まりなんだよ。先輩をそういう風に呼ぶのは」
「そうなんだ。部っていうのは?」
「うちが部長をやってる部のことや。名前はまだない」
「え?」
「そう。つまり非公式の部活というやつだ」
そんなものが存在するのは学園ものの漫画などの中だけだと思っていた。いや、非公式なのだから学校的にはやはり存在していないのだろうが。
「まあ、うちらにはやらなあかんことがあって、そのために人数を集めてるってわけや」
そういうものを部活と呼ぶなら、僕が森に行くのだって部活動と呼べるのではないだろうか。部員数を数えるとめいめいに単位が異なってしまうが。
「もし興味あるようなら歓迎するで。あるやろ?」
「え?」
不自然に断定的な言い方だった。
もちろん岩城や彼女と仲良くするのは望むところだが、部活に入るかどうかというのはまた別の問題だ。森に行くために基本的にそういうのには入りたくない。
「姉さん、そこまでだ。…山城。気にしないでくれ。姉さんの言うことはたまに的外れなことがあるから」
「ああ、うん」
磐城の口調から察するに、彼女は頻繁に今のような不自然に断定的な発言をしていて、そしてそれらは大体的中するようだ。
一体彼女は何者なのだろうか。ただ単に変わった人だということだろうか。それともただ者ではない何かであろうか。
そんな謎を残して彼女は再び階段を上り始めた。それと同時に示し合わせたかのように階段に人が流れてくる。
このままだと階段を塞いでしまうので僕達はここでお互いの行き先に向けて再び歩き始める。
「じゃ、またな」
「うん。また」
一応の別れの挨拶をし、僕はいつもより遅い帰宅をした。
僕はその日のことをユキとアカネにその日のうちに話す。
「関西弁か・・・ということは俺の遠い親戚かもな」
「そんなわけがあるか。全然兎っぽくなかったぞ」
「ほう。ということは亀っぽくはあったということかの」
「いや、確かに兎と亀は対比されがちだけど、対義語ではないだろ」
兎っぽくもなく、亀っぽくもない人だっているはずだ。
「じゃあどんな人やねん。動物で例えるなら」
「ど、動物…?」
腕を掴まれたときは鷹っぽいと思ったが、それはあの一瞬だけのことで、本質はもう少し穏やかな気がしたが。
「うーん…獰猛な草食動物って感じかな」
「何やそれ?機嫌悪いときの俺か?」
「お前、機嫌悪くなると獰猛になるのか?」
気を付けておいた方がよさそうだ。いつか噛まれてしまうかもしれない。
「安心するんじゃ悠太。獰猛と言ってもその辺の木の幹をガジガジするだけじゃ。
「そうなのか。たまにかじってるの見るけど、あれはそういうことだったんだな」
「ちなみにわしは鹿に一票じゃの。獰猛さで言えば牛の方がふさわしいかもしれぬが、話を聞く限りでは鹿の方がふさわしかろう」
「鹿、か。確かにそっちの方が合ってる気がする。さすがアカネだな」
気高そうなところもぴったりだ。
「ほんじゃあ今度からはその鹿の子にも話し掛けれるようになってんな。よかったやん」
「うん。よかったのは本当にそうなんだけど、本人の前では言うなよ。鹿の子っていうのは」
カモシカと違ってすぐに誉め言葉と分かる類のものではないのだから。まあ、カモシカに関しても誉め言葉になるのは脚の話をしたときであって、存在そのものがカモシカと言うと誉め言葉としての効果が薄れてしまうが。
「そのうち君たちのことを紹介できるような友達もできたらいいけど、まずは休日でも遊ぶような友達を作ることにするよ」
「焦らんでええ。友達作ることと俺らを紹介することは話が違ってくるからな」
「そうじゃよ。わしらのような存在は本来UMAとか呼ばれる存在。信じさせるのは一筋縄ではいかんものよ」
確かにハードルは高いが、いつかできるだろう。僕と同じように彼らのことを友と呼ぶことのできる存在が。いや、きっと作って見せる。
そんなわけで登校日に僕が初対面の人に腕を掴まれるお話は終わる。