くりぼっちたちの夜
僕は頭がおかしくなってしまったんじゃないか? 短編もこれで二作目だ。つたない文章かもしれないけど、こんなどうしようもない僕の主張をこうして読んでくれる君には感謝したい。
十二月二十五日、世間はクリスマスを迎えている。
年々温暖化により降雪量は減りつつあるが、それでもクリスマスを祝う風習は廃れることなく続いている。
真っ暗な夜空からしんしんと無数に雪の結晶が降りてくるその下で、店や企業のビルでできたコンクリートの街並みは煌びやかな電飾で飾りつけされていた。
普段は皆忙しくて立ち寄る人がまばらで閑散とした広場のど真ん中には近頃から、大きなクリスマスツリーがデンとおかれている。
その巨大なツリーの周りでは、恋人や仲間どうしで待ち合わせをする若者たち、仕事帰りで家路を急ぐ通勤者、ご馳走の買い出し帰りの主婦たちで賑わいを見せていた。
そんな喧騒の中で、まるで雪だるまみたいに着膨れた男がポツリといた。彼は、眼鏡を時おり掛け直しながら、どこか落ち着かない様子であたりを見渡す。彼はたった今、自分が「クリぼっち」であると悟ったばかりであった。
一昨日の午後、彼が通う大学で最後の講義を終えた時だった。
周りでは女子たちが、かなり離れた席にいても聞こえる声でクリスマスの予定について話していた。
仲間どうしで買い出しや準備の計画を立て、協力してクリスマス女子会を開くところもあれば、彼氏との先約があってそれを断る者もいるし、中でも多いのはバイトが詰まっていて忙しい学生だ。
そのどれにも該当しないが、クリスマスの予定が特にないその男は、数少ない友人を誘い、クリスマスをダラダラして過ごそうと声を掛けたのだが。
「ああ、ゴメン。俺、彼女とメシの約束してる」
見事に撃沈。
おまえはいつからデキていた。
どうして俺に黙ってた。
そう問いただしたくはなったが、彼はただ、おめでとうというありきたりな祝いの文句を掛けて、そのどこか憐れみを感じる友人の返事に頷くと背を向けて去った。
彼の胸の中には「無念」の感情が湧き始めていた。
ああ、残念だ。
あれ、でもどうして残念なんだ。
他のやつが彼女とクリスマスを過ごすのに、自分はいないからなのか。
それとも運動サークルの連中は仲間どうしで集まっているのに、僕は友人と予定が会わなくてそれができないからか。
そもそも僕には何故、彼女がいない。
どうしてクリスマスの夜を共に明かす友人に恵まれない。
考え事をしながら歩いていると、彼はもう一人の友人が正面から歩いてくるのがわかった。彼とはお互いによく話す間柄だ。
やあ、と彼は声を掛けたわけだが。
その友人は、彼の挨拶には目もくれずに、立ち尽くす彼の横を通り過ぎていった。
「おう、みんな待ってるぞ」
続いて彼のすぐ後ろから、よく通る快活そうな声が、その友人に向けて掛けられる。
五人の男女グループだ。皆、笑顔をその友人に対して向けている。声を掛けられたその友人は、ごめんごめんと、先に挨拶した彼には気づいた様子がない。
それは、まるで彼がそこにいるのがみえていないかのような振る舞いだった。
それほど深い仲ではないにしても、その日まで気兼ねなく話し合えていた相手に無視されショックを受けた彼はしばらく笑顔で凍りついていた。
しかし、すぐに立ち直ると挙げたままの手を仕方なく下ろし、これで今年いっぱいは顔を見ないであろう同級生たちに、よいお年を、と短い月並みの挨拶を贈った。
すると友人のグループのうち、女子が一人だけ彼のことに気づき、そのことを友人に確認するのがわかった。
しかし、その友人は女子からの問いかけに対して、怪訝そうな顔で幾つか返事を返すと、また前を向いて歩き出してしまった。
そして、わざわざ確認までしてくれた女子は振り返って懸命に彼のことを探す素振りを見せるが、どういうわけか先ほどの位置からちっとも動いていない当人のことを見失ってしまったらしく、怪訝な様子で首を傾げて仲間の会話の輪へと戻っていった。
その後も彼は、数少ない友人を順に誘おうとするも、皆同様に恋人や仲間と過ごすクリスマスの支度に忙しい様子で、まったく相手をしてもらえなかった。いや、そんなものではない。みんな、そもそも彼のことが見えていないかのように振舞った。
彼が声を掛けてもこれを無視して、肩を叩いても反応はあり、肩を叩いた主を探すそぶりは見せるが、視線は彼がいるあたりを彷徨うだけで、しばらくすると怪訝な顔をして、恋人や仲間との会話にもどっていく。
それは普通では考えられない、冷たいどころか、こちらを認識すらしてくれないフラットな態度に気付き始めた彼は、それにとても大きなショックを覚え、さらに同じことが二人三人と続き、この不気味な現象が繰り返されるごとに、はっきりとその存在を現してくると、背筋に冷たいものが走るのを覚えた。
初めのほうは、知り合いに声をかけたり、肩を叩いて注意を引いたりするだけだった。知り合いに嫌われているのかと思った。
しかし、道端で無造作に通行人を選んでやっても同じで、カップルや団体で賑わう雑踏のなかで手を叩いて大きな音を出しても怪訝な顔して見渡しは擦るけど誰もすぐ目の前にいる僕がやったことに気付いた様子がない。
ただ、サンタの格好をしたアルバイトのティッシュ配りやケーキ販売の人や店の呼び込み、チラシ配りをする人だけは変わらず対応をしてくれるけど、それ以外の人はみんな僕が見えてないみたいだ。
まるで僕がそこにいないかのように振舞う。
本当に僕は今、ここにいて、生きているのだろうか。
だんだんと胸に悲痛さが込み上げてきて、誰もが示す一様に同じ態度に失望し、そして悟った。
「そうなのか、どうやら僕は既に「クリぼっち」になっていたらしい」
最近、若者の間では「クリスマスをひとりぼっちで過ごす人」を縮めて「クリぼっち」と呼ぶそうだ。その言葉には、残念なニュアンスがあり、とても不名誉なものであり、彼の周りではそう呼ばれることに対して地団太を踏む学生も少なくなかったらしい。
しかし、彼の場合は違っていた。
一度、そのことを悟ってしまうと、見失いかけていた自身の存在が改めて定義されて、存在を認めて貰えない不安から一時的に、心の安定を取り戻したのだった。
それからは、悩んでいたことがどうでも良くなり始め、かえって彼の頭に現状を分析するだけの冷静さが戻る。
クリぼっちは、同じクリぼっちや、客なら誰でも相手にする店の人以外には、姿が見えない。いや、正確に言えば、恋人や友人たちと充実したクリスマスを過ごしている彼らは精一杯、自分たちの時間を過ごし、とても彼らを相手にしている余裕は無いのかもしれない。
充実したクリスマスを過ごす彼らに認識されない存在に自分がなったことを知ると、はじめは他人の視線から解放されたことによる言い知れない高揚感が湧き起こった。
自分は特別だ、何でもできそうだという自信が生まれたのだ。
広場のツリーによじ登ったり、噴水に打たれて見たり、橋の上からダイブして見たり、待ち合わせスポットでPP◯Pを踊りだしたい衝動に駆られた。
もちろん踊りはしたし、そんな非常識なことをしても周りは気にした様子はなく、何をしても僕の自由であり、世界が僕を中心に周りだしたように錯覚してしまいそうになった。
でも、しばらくして落ち着くと目の前にある駅前広場は大勢の人で賑わっていたが、それがまるで何の意味もなさない背景に変わってしまい、この世界に生きている人が自分ひとりだけであるかのような感覚がした。
すると、だんだん寂しく思えてきた。
誰にも自分が見えていないという現実が途端に押し迫ってきたようだった。
それから逃げるように、近くにある自販機に走り寄って自分がこっそり「甘ちゃん」と呼んでる銘柄のコーヒーを買うと、温かいそれを両手でしっかりと握り締めて、奇跡的に空いていたベンチに座った。
開缶前によく振った。
いつものように、決めた回数だけ、縦に、水平に、気取って見えないように。
缶のプルトップを引き起こすようにして開けると、いつもと変わらない癖のある匂いが漂ってきて、まるでしばらく会わなかった旧友に再会したように。
それがとても懐かしくて思わず、まぶたに火照りを覚えずにはいられず。
あたたかい、あたたかい。
いつもといっしょだ。おいしい。
実際はそれほど美味いものでもないのに、そう口に出してしまうくらいに感動に打ち震えていた。
クリスマスより前と変わらない、休憩時間にいつも一人で買っていたコーヒーの味に。
僕はどうして「クリぼっち」であることを悩むのか。
いや、そもそも本当に「クリぼっち」であることを苦にしているのか。
どうして周りは僕のことが見えないのだろう。
僕は見つけて欲しいのか。
僕は相手をして欲しいのか。
僕は一緒になって何をしたいのか。
自分はそれを本当に望んでしているのだろうか。
「失礼ですが、煙草の火を貰えませんか?」
クリスマスの開始を境に親しくしていた友人たちに見向きもされなくなった彼は、自身の存在の希薄さに対し、まるで生きながらにして「幽霊」になってしまったかのような心細さと無力さを抱いていた。そんな彼に、とうとう話しかける人間が現れたのか。
急に声を掛けられた彼は肩をびくりと震わせたが、声の主を確認しようと顔を上げた。そのとき彼は、自分が話しかけられたことがまだ信じられなくて、確認せずには要られなかった。
「もしかして、あなたは僕のことが見えるんですか」
声の主に彼はまったく心当たりがなかった。彼よりも年が少し上くらいの男性は穏やかな笑みを浮かべて返事をした。
「まるで、自身が幽霊であるみたいに言いますね」
その男性の声が自分に向けられたものであり、自分が自分自身の存在を他人に認識してもらえたと確信できたとき、彼はふいに目頭が熱くなるのを覚えたが、声を振り絞って答えた。
「・・・ええ。まるで自分が幽霊になってしまったかと思ってしまうくらいに長くて孤独な時間でした」
その男性の声はとても落ち着きがあり、久しく聞かなかった他人からの声は生きた人独特の温もりで、クリスマスの孤独のなかで彼の心を凍て付かせている緊張を徐々に溶かしていった。
それから男性は、自分が独身でクリスマスになって、職場の友人や同僚に食事に誘われなくなり、遠くにいる友人ともコンタクトが取れなくなったことを話した。故郷にいる家族とは、そこだけが全世界から隔絶されているかのようにいつもと変わらず、自分の連絡を温かく迎えてくれるそうだ。
「私たちのように、クリスマスを独りで過ごす人のことを若者の間では「クリぼっち」と呼ぶそうですね」
「ええ、友人たちがそう呼んでいるのを聞いてると、まるで僕たちを哀れんでいるように聞こえます」
「恋人がいないのは、作らない当人の努力不足。友人がいないのは、いない当人に問題あり。世間ではそうとられますからね」
二人の間に沈黙が流れた。お互いに思い当たることがあった。この状況は起こるべくして起きたものであり、今年の自分の行いが呼んだものであると納得がいったからだ。身から出たさび。ぐうの音も出ない。
「果たしてそうでしょうか」
口火を切ったのは彼だった。
「一人であることは寂しい。一人であることは努力不足。一人であることは問題がある。そんな結論で済ませていいことでしょうか」
男性は、彼の言葉に興味を持った様子で話の続きを促した。
「僕には、恋人がいませんし、誰か一人が別の予定で抜けても集まってクリスマス会ができるほどの沢山の知り合いも作りません。授業に出て、大学の課題をこなすと疲れて家に帰ってました。それはやりたいことが別にあったからです。
大学に入り、暇になるとパソコンでネット動画を見てました。そこには僕が小学生の頃に流れてたCMがアップされていました。
小学生の頃の僕はゲームに興味がある反面、難しい物にぶつかるとすぐに投げ出してしまう性質でした。
でも、その動画でそのゲームについて思い出して無性にそのゲームをしてみたくなって、さらには実家においてきた、半年もしないで投げ出してきた父からの贈り物のことを次から次に思い出して、とにかくそれをやりたくなったんです。楽しそう、て。
これを遣り残したままにしておくと後で絶対後悔するって。
恋人がいない。友達との予定もない今しかできないなって。
僕たちが今「クリぼっち」であることにも、きっと何か『意味』があるって。」
彼の話に黙って耳を傾けていた男性は、実家かと感慨深げに相槌を打った。
「もうどれくらい帰ってないかな・・・」
「え?」
「いえ、こちらの話です。そうですか・・・どうやら私たちにはお互いに成すべき事があるみたいです。どうや私自身もそれを今まで忘れていました」
彼は独り立ちするとき初給料で親にご馳走する約束をしたけれども、職場の秩序を身に付けたり、人間関係を考えたり、仕事の多忙さですっかり忘れていたらしい。
「僕はこれから実家に帰ろうと思います」
「お互いに充実した年末を過ごせるといいですね。よいお年を」
「こちらこそ。よいお年を」
短い時間ではあったが、クリスマスの孤独を分かち合った同じクリぼっちである男性に対し、彼は手を振り別れた。
男性は、人で賑わう広場の外に広がる闇夜の中に元気よく走り出していった彼の後姿に対して手を振り返して送り出すと、携帯を取り出して連絡を入れた。
「久しぶり、まだ起きてる? 俺だけど・・・まだ覚えてる? こっちに来る前にした約束のこと。明日は休みだけど予定はある? 店は俺が予約しとくからさ・・・連絡? ごめん。いろいろと忙しくてさ。なんとかやってるよ。いろいろあるけどさ・・・」
男性は携帯電話をポケットにしまうと、歩き始めた。充実したクリスマスを過ごす若いカップルたちや賑やかな団体たちに対して抱いていた疎外感は微塵もそこには感じられない。彼らの間を堂々と胸を張って歩くたその男性の目はしっかりと、これから自分がやるべきことを見据えているようだった。
一方で彼は、自分のアパートの部屋に帰ると荷物を作りながら、実家に電話をかけた。
「あ、母ちゃん? 俺、あした帰るわ。なんでって。やっぱり家族で過ごすほうがいいだろ。え、ゲームばかりって、母ちゃん、エスパーかよ」
二人は何時しかその瞳に、やり残してきた心から望んでいたものを再び見つけることができた悦びとその実現に自身を駆り立てる情熱で、温かみのある輝きを灯していた。
十二月二十五日、聖夜とも呼ばれるその日は、敬虔なキリスト教徒の家庭では、親戚が揃い、教会であるいは家でクリスマスの歌を唄い、プレゼントを贈り、家族でご馳走を食べる行事であることは一般的だ。だが一方で、すでに社会に出て自立しつつある若者たちは恋人や仲間たちと過ごし、それが若者たちの間ではある種のステータスになりつつある。
反対に、恋人と別れたり、友達と予定が会わない、あるいはそもそも恋人や友達がいないという、一人でクリスマスを過ごす彼らを「クリスマスをひとりぼっちで過ごす人」を縮めて「クリぼっち」という呼称を与え、憐れみ同情する風潮が注目されている。これは、その人に恋人を作る能力がない、だからそうでない男よりも劣っている、友達がいない、だから人として欠陥がある、それでも努力をしない、或いは間違った方向を正そうとしないから、彼らはそんな寂しい結末を今迎えているのだと聞こえる。
果たしてそれだけだろうか。クリぼっちであることは彼らが恋人や友達とクリスマスを過ごさない、過ごす支度をしないのは、したくても移れない理由があるとは考えられないだろうか。私は思う。
クリぼっち、それはこの世にまだやり残したことがあり、「未練」を捨て切れずに、聖夜を彷徨う亡霊たち。
彼らもいつかは「クリぼっち」でなくなる日がきっと来る。そのときに後悔しないために、人間関係が今より充実したとき、心から幸せが充ちるように、彼らは思い残しと向き合い、それを「今」清算すべく動き出す。使命と呼べるほど大それたものではないし、他人から見ればしょうもないことかもしれない。
自分が今クリぼっちであることは、たとえ世間が不幸の烙印を捺そうと、それ自体にきっと意味があることなんだ。クリぼっちであるときに見て聞いて触れたことが、感覚が、すべて無意味で悪いことばかりじゃない。クリぼっちである今しかできないことがきっとある。そう信じて。
もしもクリぼっちでなくなった後で、嘗ての自分たちを聖夜の街で見かけたら、きっと心のなかで言葉を送るに違いない。
君たちの「今」にはきっと意味がある。やるべきことがきっとある。これは決して戦いなんかじゃない。敵なんてものは初めから存在しない。強いて言うならば、冒険。クリぼっちたちが自分たちを縛る原因であるやり残してきていることと向き合い、それを精算すべく、前を向いて歩き出す希望と夢に充ちた冒険物語。
そんな「物語」があってもいいのではないだろうか。