愉快なアワビさん一家
気ままな錬金術師の朝は他の職業より少し遅い。
日の出から随分後に目を覚ましたハルミは、隣で眠る少女を起こさないように寝床を後にした。
いつもどおり洗面所で顔を洗い、その金髪を彼女のトレードマークであるポニーテールにまとめ上げると台所へと向かう。
台所とつながる居間では年下の青年がソファーの上で毛布にくるまって眠っていた。
気ままな一人暮らしのはずが、なぜこうなってしまったのか。
飛竜襲来騒動の後、ギンガとルイを自宅に招き入れてから2日目の朝だった。
あの晩のことを思い出すのも何度目か。
呆れたことに、互いの名前さえ知らなかった妙な2人。内心、出来ることならこれ以上関わりたくはないと思った。
しかし彼らが予知夢どおり、城下町を災厄から救った立役者であることは間違いない。それを唯一知っている自分が、彼らに何も報いないのはさすがに後味が悪い。
深く関わるか否か、複雑な胸中で2人の会話に耳を傾け、見守った。
どうやら2人ともこの城下町に頼る宛ても無く、泊まる宿も無いらしい。
やがて野宿をしている教会前広場へ帰ると言って、ギンガがフラフラとその場を去ろうとする。
そこまでは何とか思い留まった。しかしルイがそれにノコノコついていこうとしたところで聞いていられなくなり、つい2人を自宅に招いてしまった。
限界を超えたスキルの使用により、精神力がスッカラカンになっていた2人はハルミの自宅に着くや否や倒れるように眠り続け、ルイが目を覚ましたのが次の日の昼。ギンガは夕方まで眠り続けた。そしてその翌朝が本日である。
「で、これからの話、2人はパーティ組んで冒険者になる気なの?」
3人でパンとサラダの簡単な朝食を囲みながら、身の振り方について尋ねる。
「ああ、とりあえずの金を稼ぐ方法が他に無いから。 モンスター退治は無理でも、町中での雑用や薬草集めならできるだろ」
一言に冒険者といっても、ピンからキリまで様々だ。
一獲千金を狙ってレアモンスターを追う者もいれば、行商人の護衛や村落の警備を続けて定額報酬を得る者もいる。洞窟の底で財宝を発見し財を成した者もいれば、その日の糧を得るために働く者もいる。
それどころか冒険者ギルドに行けば、町中での労働者募集から迷子の犬探しまで多様なクエストや・求人依頼が掲示板に張られていたりするのだ。
周辺数キロにわたって危険なモンスターが駆逐されている王都の冒険者ギルドは特にその傾向が高い。
ギンガの言葉に、ルイもこくりとうなずく。
吟遊詩人と踊り子という完全支援職編成のパーティである。
地道なお使いクエストをこなして日銭を稼ぎつつ、少しづつレベルを上げていこうという方針は、昨晩ギンガとルイが話し合って決めたことであった。
確かにそれが堅実で安全だ。本人たちがそう決めたのならそれでいいかと思い、ハルミは1つの提案をする。
「だったらさ、2人の門出を祝って私がクエストをお願いしようかしら。 近くの森に薬草採取に行くんだけど、その手伝いと荷物持ちでどう?」
「え、いいのか?」
「いいのいいの。 この手のお使い依頼ってどうも不人気でね。 いつも自分で行ってるのよね」
スキル習得にかまけているハルミだが、本職は錬金術師である。
需要と利益率の高いハイポーションを作っては冒険者ギルドに卸し、生活費を得ているのだが、そのためには材料となる薬草が必要となる。
採取クエストは全般的に報酬が低いので受け手は少ないが、駆出し未満の2人には十分だろう。
ギンガにしても、大いに不安を抱えたこれからの冒険者生活に図らずも飛び込んできた初クエストだ。否応無しに引き受けることとなった。
朝食後しばらくして、ギンガとルイの冒険者登録、そして今回の依頼申請のために揃って冒険者ギルドに向かう。
今回のように依頼者と冒険者が、ギルドを通さずに話をすることも良くあることだ。
しかしクエストの達成基準や報酬を巡って後々いざこざになることが懸念されるため、冒険者ギルドは直接交渉の際にもギルドに申請をするように広く呼び掛けていた。
この場合仲介料は取られず、さらにクエスト達成報告時には冒険者の評価基準に加点が付くため、僅かとはいえ2人の足しになるだろうと、ハルミの計らいもあった。
2人の冒険者登録が済み、ギンガは手渡されたギルドカードをしげしげと眺める。
所持者の能力を自動的に反映させる特殊なカードのデザインは、どこか見覚えがある。
それもそのはず、ロールプレイングゲームのステータス表示のようなシステムは、20年ほど前に召喚された日本人技術者が苦心の末に開発したものであった。
職業は初級冒険者。レベルは1。
スキルは「吟遊詩人」のみ。各ステータスも平均以下らしい。
ひょっとしたらという淡い期待も砕け散り、ギンガは現実をかみしめる。
「ああ、やっぱり手厳しいな・・。 ルイはどうなんだ?」
「・・・わたし?」
ルイは少し逡巡する様子を見せたのち、顔を赤らめながらギルドカードを差し出した。
別に口頭で答えてくれればよかったのだが、突如差し出されたそれを条件反射で受け取ってしまう。
なんか学校の身体測定で女子のデータ表を無理やり奪い取ったような感じがして大変後ろめたいギンガは、罪悪感を薄めるために自分のカードをルイに押し付けた。
ちなみにギルドカードに関して、不用意な開示・または開示の強要について冒険者ギルドは強く注意を促している。
「な!? レベル3!?」
ルイも初級冒険者だったが、そのレベルは3。
スキルは「一族の踊り巫女」と書かれていた。
「なんで」と言いかけて、ギンガはモンスター討伐数に3と書かれていることに気が付いた。そういやこの娘はこの小さい身体で、あの馬よりもでかい翼竜を3匹倒していたのだった。その後の飛竜戦のインパクトが強すぎてすっかり忘れていた。
曳き吊る顔を無理やり作った笑顔でごまかすと、カードを返す。
「まあなんだ。良かったな。 俺ももっと頑張るから、改めてよろしくな」
「・・・うん。・・・頑張る」
「まあまあ君たち若いんだから。 これからよね。 ・・・・え?」
お互い励まし合うギンガとルイをフォローしながら、ハルミは更新をかけた自分のギルドカードを見て絶句する。
前回の更新では7だったはずのレベルが15にまで跳ね上がっていたのだ。
そしてスキル欄に追加された、金文字で輝くそれは・・・
「りゅ、竜殺し・・・」
愛読書『全国共通スキル一覧』の最後のほうに載ってた気がする。
あれは確か、過去に2件ほど報告例が挙げられているだけの未確認スキルだ。効果は竜属性モンスターへの攻撃力超強化。
正直なところ竜属性モンスターと戦うようなトップレベルの冒険者でもない限り宝の持ち腐れなのだが、紛うことなき飛び切りのレアスキルであった。
実はこのスキル、単身の攻撃だけで一定レベルの竜を討伐した時にのみ修得できるものである。
一昨晩、飛竜を迎撃した衛兵や魔術師、バリスタ、大砲の攻撃はことごとく翼風ではじき返されており、ダメージを与えていたのは電脳戦竜ガルという兵器を使ったハルミだけであった。
慌ててギンガとルイのギルドカードをひったくり確認するが、当然ながら2人のカードにはその記載がない。ちなみにギルドカードの強奪に関して、冒険者ギルドは厳しいペナルティを設けている。
「じゃあハルミさん、さっそく薬草採りに」
「ちょっと、水臭いわね。 ハルミでいいわよ。 これから一緒に頑張るパーティなんだから!」
初クエストの出発を急かすギンガに、ハルミは笑みを浮かべて応えた。
それはそれはいい笑顔だった。
何回考え直しても、いつ彼女がパーティに加わることになっていたのか。
ギンガには結局わからなかった。
冒険者登録とは別の窓口で、クエストの依頼申込と受注を同時に行う。
対応してくれた受付嬢エーリカさんから、注意を受けた。城壁北門付近は、飛竜騒ぎで衛兵が調査を行っているので近付かないようにと。
余談だが、飛竜の調査名目で独占的にその素材収集を任されたのは、王国が誇る剥ぎ取り専門部隊スカベンジャーズであり、彼らが通った後にはぺんぺん草一つ残さぬ死肉漁り部隊として恐れられている。
その中には「幸運」スキル持ちということであの茶髪青年が新人として配属されていたのだが、今回の剥ぎ取り調査でレア素材「飛竜の胆石」を見つけ出し特別手当を得ることになる。
さておき、初クエストとはいえ所詮は薬草採取である。
目的地は城壁東門から出て、道なりに歩いて10分ほどの小さな森。
危険なモンスターなど衛兵たちによってとっくに駆除されている。
ギンガにとっては草抜きのアルバイトにしか感じられなかった記念すべき初クエストは、2時間ほどで十分な量の薬草を集め終え、近くの丘で昼食をとることになった。
雲一つない青空に陽気な気候。絶好のピクニック日和である。
「そういや一昨日のあれって、あなたたち2人の力なの?」
ハルミが言う「あれ」。
もちろんあの晩飛来した鎧の飛竜と、ルイがまとっていた銀の鎧のことである。
「多分そうだと思うけどよく解らない。 吟遊詩人てそんな強力なスキルじゃないし」
「・・・踊り子もそう」
ずっと気になっていたが2人に深く関わるつもりが無かったため、我慢していた疑問だ。
現金なもので、彼らの利用価値が高いと断じた今となって尋ねたハルミに対し2人は答える。
あの晩に数回ほどスキルを使っただけのギンガはともかく、幼少より踊り巫女のスキルを使い続けてきたルイにしても、あの事態は異常だったのだ。
不明瞭な回答に満足しないハルミが、さらに踏み込む。
「じゃあさ、私に歌ってみてくれない? それでどれくらいの効果があるのか見てみましょうよ」
「え、歌うのか?」
突然の提案にギンガは思わず面食らう。
彼も昨日1日、何も考えていなかったわけではない。
それなりに思い悩んでいた。スキルの計り知れない力を懸念し、最悪「吟遊詩人」を封印することすら考慮していたのだ。その矢先に思わぬリクエストがかかってしまった。
「・・・わたしも・・・歌、聞きたい」
ハルミの提案に、無口な少女がすかさず乗っかる。
実のところルイはルイで思い悩んでいたのだった。
興奮状態に当てられてはっきりと覚えてはいないが、あの晩パーティ結成を懇願されたおり、確かに言ったはずだ。
「また歌を歌ってくれるなら」と。
ところがこの青年は夕方まで眠り続け、やっと起きたと思ったら約束を履行しようとする様子が無いではないか。四六時中とは言わないが朝晩に1曲ずつ、出来れば寝る前に大人しめの歌をもう1曲くらい歌ってほしい。
自分自身の思わぬ強欲さに驚きながらも、それでも青年の歌う不思議な歌を求めて焦がれていることを認めるしかなかった。ハルミが青年を歌わせようとしているこの機会を、見逃す手はない。
ハルミの期待を乗せた視線と、ルイのどこか恨みがましい視線の十字砲火。
なんだかんだ言いながらも、やはり人から求められるということは気持ちのいいものだ。
ギンガはおだてられた豚よろしく、すすんで観念するのだった。
とは言え、未知の部分が多いスキルであることに変わりはない。
強力な力を持つ曲目は避けたいものだ。出来れば平穏無事に終わるような曲。
さて、なにを歌うか。しばらく考えたのち、ギンガは歌いだした。
のどかな野原を歩いたら
つくしとヨモギが生えていた
今日は楽しい 今日は楽しい 野草摘み
ほらほらみんなが笑ってる
ルルルルルー アワビさんは愉快だね
東京目黒区に住む浜野一家の日常を描いた国民的アニメ『アワビさん』のエンディングテーマである。
それは放送から50年にも及ぼうかという、ギネス認定の長寿番組。ギンガが物心ついた時には当然ながら放送していた。そして今もなお継続中である。
彼に限らず多くの日本人にとって「不変」「平穏」の代名詞であり、アニメ声優の担当が交代するときなど毎回大きな話題となった。もし最終回にでもなったら、多くの日本人にどれほどの影響を与えるのだろうか。
とにかくこのアニメの曲こそが、平穏無事にことを済ませようとしたギンガの選曲であった。
「なにこれ。 え、もうスキル発動してんの!?」
歌い終わったギンガにハルミが尋ねる。
彼の歌に集中して耳を傾けていたはずが、いざ終わってみても何の効果も感じられない。
確かめるように身体を動かしてみるがどこにも変化が無いのだ。いくら吟遊詩人スキルが効果の低い不遇スキルとは言え、流石にこれはおかしい。
「全然効かないわね。 さっきの歌、どんな内容の歌なのよ?」
「ああ、いや、普通の主婦が普通の日常を過ごす話だな」
「ふーん。・・・で、その歌にどんな効果があるのかしら?」
明後日の方向を視線を逸らしながら、ギンガもようやく気付いた。
一般人を題材とした歌を歌ったとしても、スキルからは一般人の効果しか得られないのだと。
「悪い・・・。 考えてなかった」
平穏無事を狙い過ぎて、歌の効果がほとんど無かったことに自ら呆れながらスキルへの意識を切る。
ほどなくしてスキル効果は消滅し、密かにブロッコリー状に変形していたハルミの金髪が、元のポニーテールに戻った。ようやく目を合わせて会話が出来そうだ。
「ほんと、呆れたものよね。 あんたが愉快だわ」
「いや、俺は危険が無いようにだな」
「ほら見なさい。 ルイちゃんもあんなにがっかりしてるわよ」
そういって2人が向けた視線の先で、ルイはその場にぺたんとへたり込んでうつむいていた。
ギンガとハルミは落胆によるものだと判断したのだが、実際はそのような生易しい話ではなかった。
ハルミに対しては髪型を変える程度の効果しか及ぼさなかったこの曲だが、「踊り巫女」スキルを持つルイに対してその程度で済むはずがない。なんと言ってもギネス級の国民的アニメである。
歌とともに小さな身体に流れ込んできたのは、圧倒的な、あまりに圧倒的な力の流れ。
飛竜の時の歌が荒れ狂う激流のようなものであったのに対し、今の歌は言うなれば悠久に流れる大河のようなものか。本来人間が感じられるものではない類の力であった。
このときルイは知りようも無かったのだが、その身体には「不老不死不変」という神域にも及ばん効果が発動していた。どこにも川岸が見えないほどの大河の真ん中を、ゆっくりゆっくりと漂い流されていくような感覚。そして人間というもののちっぽけな存在感に、彼女の脳は混乱を極めた。
やがてスキルが切れるとともに効果も消え去り、蹂躙され尽した少女はたまらず腰を抜かしてしまっていたのであった。
理解すら及んでいない事象に、説明することすらままならない。
ただその場にへたり込むしか出来なかったのだった。
「次はもっと刺激的なやつ歌いなさいよ。 バーンと解りやすいやつ」
「わかったよ。 なんにしようか」
朝晩に1曲ずつとか思っていた自分の認識の甘さを恥じつつ、2曲目を選び始めた2人につぶやくのが精一杯のルイであった。
「・・・・・ちょっと・・・休ませて・・・」