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走れダイジロー③

 走れ走れダイジロー 短距離マイルも駆け抜けて

 走れ走れダイジロー 掻き込め飲み込め喰らい付け

 走れ走れダイジロー 中距離長距離駆け抜けて

 走れ走れダイジロー 掻き込め飲み込め喰らい付け



 出走ゲートの中、頭の上から飛び出た耳に青年の歌が聞こえてくる。

 ここからは見えないが、きっと貴賓室のテラスで歌っているのだろう。

 耳だけをそちらに向けながら、ルイは目の前のゲート扉を見つめ続けた。


 どうしても勝ちたい。


 巻き込まれるかたちで出ることになったエキシビジョンレース。

 ハルミに振り回されるのはいつものことだし、耳と尻尾が気に入った。

 大観衆の前で走って見せることは、踊って見せる快感に通ずるものを感じたのも確かだ。

 しかし、今のルイを駆り立てるのは、そんな能天気な気持ちだけではなかった。


 それはレースの数日前。

 平日は閑散としている競技場において。


「ルイさん、なかなかいいタイムね。 きっと一番獲れるわ」


 練習としてコースを走った際に、シズカにそう話しかけられた。

 静寂の中に美しさと強さを兼ね備えた彼女は、まさに理想の具現だ。

 すこし迷ったルイだが、せっかくチャンスとばかりに決意を固める。

 ハルミや青年が聞いていないことを確認すると、真っ赤な顔をシズカの耳元に近づけて、こっそり尋ねた。


 一番になれば、あなたのように、なれますか? と。


 レースに出ることになってから、ずっと聞きたかったことだ。

 シズカは今でこそ引退しているものの、フットレースではとにかく強かった選手だと聞いた。

 では彼女のようにレースで勝てば、大人びた美しさが自分にも宿るのだろうかと。

 この問いに対し、シズカはわずかに考えた末に小声でこう答えた。


 それはわからないけど、ハルミに勝ってからはレースで一番を逃したことはないわ、と。



 どういう意味だろう。

 レース当日まで、ルイはその言葉の意味を考えた。

 その小さな頭で考えて考えて考えた結果、とりあえず一番を獲ろうという結論に達した。

 そんな思いを胸に、ルイは目の前のゲート扉を射抜かんばかりに見つめ続ける。


 ついにファンファーレが鳴り響き、その時を向かえる。

 王都競技場右回り、ちょうど一周すればゴール。

 バンッと扉が解き放たれ、ルイの右足に込められた力が解き放たれた。


 その直後。


 ドンッと鈍い音が鳴って、目の前に地面がせまる。

 わけが分からずつんのめった身体を何とか踏ん張って持ち直した。

 思わず足元を見ると、ターフがめくれて地面に大穴が穿たれている。


「ちょっと!なんであんな大穴が開いてるのよ! ちゃんと整備してたの!?」


「いや、地面を蹴る力が強すぎたんだ。 ストライカー牙刃(キバ)で読んだことがある」


 両耳からハルミと青年の声が聞こえてきて、ルイは我に返った。

 気負いすぎたことで、力が入りすぎて空回りしたらしい。


 いけない、走らないと!


 呆けていたのは一瞬のこと。

 しかしこの一瞬がレースでは命取りになる。

 他の選手たちの背中ははるかに遠く、小さい。

 ルイは今度こそ地面を蹴って駆けだした。


『十五番の絢爛(フラワリー)舞踏(ダンサー)、かなり出遅れた』


『本日初出走の招待選手ですからねえ。 やはり経験不足は否めません』


 そんな実況解説が聞こえてくるが、ルイの失敗を残念がる観客の声はほとんど聞こえない。

 それよりも聞こえてきたのは、やはりハルミと青年の話し声だった。


「ちょっと、あんたの歌のせいで出遅れたんじゃないの!?」


「そうかも・・・、いやきっとそうだ。 ルイ、すまん!」


 ルイは出来ることなら首を振って否定したかった。

 あの歌のせいでも、まして青年のせいでもない。

 いつも以上に気負う理由が、決して打ち明けられない理由があったから。

 ぐっと歯を食いしばると、ルイはなおも加速する。

 たなびく緋袴の裾が、後ろに赤い線を描きながら第一コーナーへ。


 見えてきたのは赤い勝負服と長く揺れる銀髪の後ろ姿。


「よう、舞踏(ダンサー)。 遅いじゃねえか、寝坊でもしたのか」


 走りながらも後ろを向いて話しかけてきたのは、世界(ワールド)一周(ラップ)だ。

 うしろから二番目のくせに、ずいぶんと余裕のある感じだった。

 ルイは少し無理をして、コーナー外から横に並ぶ。


「なあなあ、あたしと一緒に走ろうぜ。 最後にまとめてぶち抜きゃいいんだよ」


 相変わらず緊張感のかけらも感じさせない軽口だが、ルイは警戒を解かない。

 この選手は最終直線で一気に加速する豪脚と無尽蔵のスタミナがあるという。

 可能な限り距離を取って逃げろと、ハルミに注意されていたんだった。


「・・・」


 ルイは前を向くと足を速めた。


「なんだ、いっちまうのかよ。 またあとでなあ」


 そんな世界(ワールド)一周(ラップ)の声が、プレッシャーとなって背を押す。

 大丈夫、まだまだ間に合うはず。

 自分を励ましながら第二コーナーを回ってむこう正面の直線に入った。


 目の前に映ったのは、十重二十重と行く手をふさぐ選手たちの背中。

 先頭を走る選手はもう少しで直線の中ごろまで差し迫りそうだ。

 本当であれば、あれの少し後ろを走っていなければいけなかった。


 必死に猛追するルイの目前に、先を走る選手集団が近づく。

 縦に長いが、横にも三人分くらいの膨らみがある十人以上の集団だ。

 走る距離が延びることを承知のうえで大外に回るか。

 それとも選手たちのあいだを縫って集団に突っ込むか。

 ルイは少し考えて決断した。




『おっとこれは、出遅れた絢爛(フラワリー)舞踏(ダンサー)、中団グループに突っ込んだ!』


『体力のロスが大きいですからねえ。 大外をまわる余裕はないのでしょう』


『これは!? 右に、左に、見事なステップで集団の中を上がっていく!』


 実況解説の声が貴賓室にも響く。

 観客席正面の巨大モニターにも、蝶のようにヒラヒラと舞いながら集団の中を進んでいくルイが大きく映されていた。


「無茶な走り方だわ。 あれなら体力を温存して最終直線に賭けるほうが・・・」


 暗い面持ちでシズカがつぶやく。

 最後尾からコース全行程で追い抜きをかける走り方などありはしない。

 間違いなく体力切れが先にやってくるからだ。


「ルイちゃん先行策しか知らないから。 ちょっとギンガ、なんとかなんないの?」


 テラスの手すりに噛り付いて観戦するハルミが、歌い終わったばかりのギンガに振った。

 その目には必死さがありありと浮かび、血走っている。


「なんとかって言われてもなあ。 そこまで無理させなくてもいいじゃねえか」


「なに言ってるのよ! あの娘は絶対勝たなきゃいけないの!」


 そこまでして勝つ意味が見出せないギンガであったが、ハルミはこちらにも噛り付かんばかりの形相だ。


「わかったよ、もう一回歌ってみる」


「精一杯でかい声でレースが終わるまで歌い続けなさい! なんとしてでも勝たせるわよ!」


 ギンガの尻を叩きつつ気炎を吐くハルミ。

 その姿を目の当たりにして、シズカは思った。

 あの少女がこっそりと告げた願いを、ハルミは知っているのかもしれない。

 人のためにここまで一生懸命なハルミははじめてだ。

 やっぱり変わったわね、と自然に笑みが浮かんだ。




絢爛(フラワリー)舞踏(ダンサー)、中団グループから抜け出した!』


『悪事姫の弟子とはいえ凄まじいセンスですねえ。 このまま走り切れば大したもんです』


『つづいて先行集団に追い付いた! これは! 追い抜くか!? 追い抜くか!?』


 左右のステップを繰り返し、体力と引き換えに抜け出した中団グループ。

 その先にルイが見たのは、三人からなる先行グループだ。

 ルイが本来いるべきポディション。

 速度を維持したまま四番手につけると、ルイは集団に速度を併せつつ安堵した。

 ようやく遅れを取り戻せたと。

 しかしその安堵もつかの間、すでに第三コーナーは目前だ。

 ここで先を行く三人を抜いて先頭に立たなければならない。


 意を決して外側から追い抜きにかかるが・・・。


「・・・!?」


 脚が前に行かない。

 いままでずっとルイの身体を押してくれていた脚が。

 青年の歌により、人並み外れた力を得た脚が悲鳴を上げていた。

 予定外の出来事に揉まれ、散々酷使され続けた脚に限界が来たのだ。


 速度こそ辛うじて維持できるものの、コーナーを抜けた先は最終直線。

 各選手がラストスパートに入れば、無残に追い抜かれるのは明らかだった。

 シズカのように女性になるには、勝たなきゃいけないのに。


 ・・・どうしよう、・・・どうしよう


 必死に考えるが、頭が回らない。

 脚がもつれないようにするので精いっぱいだ。

 苦境を意識してしまうと、途端に息も苦しくなる。


 ・・・やっぱり、・・・無理だったのかな


 シズカを目標にすること自体が間違っていたのか。

 パニックでルイの頭の中が、真っ白になり始めた。

 それでも辛うじて止まらずにいられるのは、あの歌に込められた力かもしれない。


 そうだ、

 あの歌は、

 おかしな歌だったけど、

 あったかい歌だった。

 もういちど・・・。




『さあ第四コーナー回って、絢爛(フラワリー)舞踏(ダンサー)下がっていく』


『かなり苦しそうですねえ。 顎が上がっています』


『これは果たして完走できるかどうか』


 ルイがついに力尽きた。

 その小さな身体が後続集団に飲み込まれていく。

 まるで今までの追い抜き劇を逆回しするかのように順位を落としていった。

 最後尾で待っていたのは、ずっと脚を溜めていたイリスだ。


「なんだよお前、へばったのか。 しっかりしろよ」


 相変わらずの軽口でしゃべりかけられるが。


「・・・」


 ルイは応えない。

 目もすでにうつろだ。


「じゃあな。 あたしは行くから無理すんなよ」


 子供にすればよくやったほうだ。

 イリスが励ますつもりで肩を叩こうと手を伸ばす。

 しかし二人の身長差ゆえだろう。

 その手は耳の生えたルイの頭をぽんぽんと撫でていった。


 触られた条件反射で、ペタリと伏せられていた耳が起き上がる。

 同時にしばし飛んでいたルイの意識がわずかに戻った。


 なにかが聞こえる。



 走れ走れ走れダイジロー 東西南北駆け抜けて

 走れ走れ走れダイジロー 掻き込め飲み込め喰らい付け



 もう一度聞きたかったあの歌だ。

 頭にかかっていた白い靄が徐々に晴れていく。

 いつもよりもずっと大きな青年の歌声は、ところどころ掠れ始めていた。


 ルイはやっと気付いた。

 あの青年は、歌い続けていてくれたのだ。

 それなのに気持ちばかり空回って、

 出だしでつまづいて、

 遅れを取り返すのに頭がいっぱいになって、

 一人きりで戦っているような気になって、

 心も耳もふさがって・・・


 ルイはいま一度ブルンと頭を振ると、前を向いた。

 ようやくコーナーを回り切り、最終直線に差し掛かる。

 シズカという目標は、やっぱり自分には無理かもしれない。

 でも、この歌の聞こえる先に待っているのは目標ではなく目的。

 帰るべき場所が、あそこにあるんだ。


 両脚に再び力がみなぎってきた。



 走れ走れ走れ走れ走れダイジロー 春夏秋冬も駆け抜けて

 走れ走れ走れ走れ走れダイジロー 掻き込め飲み込め喰らい付け



 歌のスパートに合わせて、一気に加速をかけた。

 青年のいる貴賓室はゴールライン正面。

 ここから先は、走れば走るほどあの歌が近づいてくる。

 ルイは大きく溜めを作ると、思い切り地面を蹴った。




世界(ワールド)一周(ラップ)が一気に上がってきた! 脚色は衰えない』


『彼女の勝ちパターンですねえ。 規格外の豪脚ですよ』


世界(ワールド)一周(ラップ)が先頭だ! 大地が弾んで世界(ワールド)一周(ラップ)!』


 実況解説を聞きながら、イリスは軽快に飛ばした。

 意図せぬ理由で出走したレースだが、これで勝てば結構な賞金が手に入る。

 そうすれば目的にしている買い物の、手付金くらいにはなるだろう。

 悪事姫には逃げられ絢爛舞踏は期待外れだったが、しかたがない。

 さっさとこのレースを仕舞にしてしまおう。


 なおも加速しようとするその背中に、ぞくりと悪寒が走った。


 やけに静けさが耳につく。

 ゴール直前で、なんでこんなに静かなんだ。

 気付けば、歓声が途切れている。

 数万の観客たちの視線がうしろの一点に注がれていた。


「まじかよ! あのチビっ子!」


 なにかが追ってくるのが、重圧でわかる。

 正体はわかっているが、なにに化けたのかがわからない。

 火照っているはずの背中に、冷たい汗が伝って落ちた。

 思わず振り返りたくなるが、それよりも逃げなければ。


 豪脚の追い込み選手として鳴らしたイリスが、はじめて追われる身になった瞬間であった。

 奥歯をギリリと噛みしめた顔は、なぜか笑っていた。




『まさかまさかの絢爛(フラワリー)舞踏(ダンサー)、再び上がってきた!』


 実況を忘れて呆けていたアナウンサーが、我を取り戻して叫んだ。


『ものすごい末脚! ごぼう抜きで四番手! 三番手! 二番手!』


 言葉を失っていた観客から一気に歓声が沸き起こる。


一周(ラップ)が逃げる! 舞踏(ダンサー)とどくか!?とどくか!?とどくか!?』


 その瞬間、王都競技場全体が一つの生き物のように雄たけびを上げた。


『並んだ!並んだ! 大接戦のゴール! これはわからない!』


 それは王都の中心にある王城からも聞こえたという。





 うつぶせのままの身体が、あちこちから悲鳴を上げ続ける。

 ゴール直後に脚がもつれて、芝の上にずざざっと滑り込んだようだ。

 なんとか首だけを持ち上げて、ルイは正面スクリーンを仰ぎ見た。


 審議


 そこにはこう書かれていた。

 観客席が大きくどよめき、職員たちがせわしなく行き来している。

 ゴール横の審判席では、審判たちがなんども水晶玉をのぞき込んでいた。

 ルイは知らなかったが、その水晶こそが映像を記録するための魔道具だ。

 そこに記録された映像に光を当て、巨大モニターに投影する仕組みである。

 喧々諤々の審判団をよそに、ルイは思った。


 負けた、と。


 ゴールの瞬間、必死の思いで世界(ワールド)一周(ラップ)に並んだ。

 少なくとも、二人の腰の位置は一直線だったはず。

 しかし相手には、モデルのように長い手足と凹凸に富んだ身体がある。

 腰が同じ位置なら十中八九負けだろう。


 再び顔を芝生にあずけて息を整える。

 もうしばらくは立ち上がれそうにない。


 二、三分ほど経っただろうか。

 観客席から大歓声が起こり、ルイは今一度首をもたげてモニターを見る。

 そこには思った通りの結果が映されていた。


 一着 世界(ワールド)一周(ラップ)

 二着 絢爛(フラワリー)舞踏(ダンサー) 指差


 第十レースと違ってゴール時の映像は流されず、文字だけの発表。

 どうやら指先の差で負けてしまったらしい。


 しかし、ルイの心境は晴れやかだった。

 あの最終直線で、なにかを掴んだ気がしたから。

 それは、目標と目的の違い、とでもいえばいいだろうか。

 大きいとか小さいとかは、目的を獲るための手段のひとつ。

 しかしそんな小難しいことは、自分にはきっと似合わない。

 ゴールが見えているのだから、まっすぐ走って身体ごとぶつかればいい。

 きっと自分には、そっちのほうが似合っているのだから。



「よう舞踏(ダンサー)、今回はあたしの勝ちだな」


 ルイが寝そべるすぐ横の芝生を、土まみれの白いレースシューズが踏みしめる。

 見上げると、赤い勝負服と長く揺れる銀髪の女だ。


「しっかしボロボロだな。 そんなちっこい身体のどこにあの力が入ってんだよ」


 そんなことを言いながらイリスが手を差し伸べた。

 好敵手がいつまでも地べたに寝そべっているのは見ていられないらしい。

 ルイは引っ張ってもらって、何とか上半身を起こしたのだが。


「おいおい! 前、隠せ前!」


 観客席からかばうようにイリスが身をかがめた。

 何ごとかとルイが自分の身体をあらためると、

 白衣が大きくはだけて、桜色に上気した諸肌があらわになっていた。


「・・・!」


 慌てて服装をを正す。

 イリスの機転で、おそらく観客席からは見えなかったはず。

 それでもレース後で上気した顔が、さらに赤くなった。


「その衣装、空気抵抗が多そうだしな。 あの速度で走ったらそうなるわな」


「・・・」


「あたしの専用衣装だってこのベルトで絞めなきゃ、ボタンは飛ぶし胸は暴れるし」


 イリスの自慢話で、なぜそうなったのかを知るルイ。

 なるほど巫女装束特有の長い袖が、空気抵抗で引っ張られてしまったらしい。

 いったいどのあたりから、もろだしになっていたのだろう。

 そう考えると気が沈む。


「気にすんなって。 下着はちゃんと付けてたんだろ?」


「・・・・・・」


 ルイはコクリとうなずくが、そこには大きな問題があった。

 いま胸に付けている下着は、つい最近買ったものだ。

 つまり”大きくする”計画発動後に買い求めたものであり、そこには実物以外に未来予想と希望的観測の詰まった・・・。

 早い話がやや大きめのサイズで頼んだ代物であった。

 とっさに衣服を正してしまっただけに、元の状態は憶えていないが・・・。

 諸肌がさらけ出された状態ならば、めくれ上がっていても不思議はない。

 耳も尻尾も、いっそうシュンとなる。


「まあなんにしろ、あの速度で走ってれば、人の目には留まらねえよ」


 イリスが励ますように言った。


「・・・うん」


「審判がモニターにゴール映像映さないのも、案外それが理由かもな」


 そう言ってルイの背中をバシバシたたくイリス。

 なるほどその通りだと、ルイはようやく落ち着いた。

 クタクタだった身体も少しは回復したようだ。

 かがんでいたイリスが、芝の上に立ち上がると、


「やっぱお前面白すぎるぜ! なあ、またレースに出るのか?」


 改めて手を差し出してきた。


「・・・・・・・・・わからない」


 ルイはそれを掴んで立ち上がる。

 なし崩し的に、握手になった。

 観客席から万雷の拍手が鳴り響いた。

 こんなに清々しいのなら、またレースに出てもいいかもしれない。

 またあの青年の歌で踊って、この青々としたターフの上で。

 そんな心境だった。

 見上げた空は、どこまでも青く、高かった。







 ここで終わっていれば・・・

 どんなに素晴らしい幕引きだっただろう。









「その審議、納得いかないわね!」


 聞き覚えのある声にルイがびくりと振り向く。

 見ると、悪事姫ことハルミがすごい形相で審判席に怒鳴り込んでいた。

 ターフ上は関係者以外立ち入り禁止だが、あれにそんな理屈は通じない。

 審判席に備え付けられた拡声用の魔道具が、騒動を会場に轟かせる。


「私はルイちゃんが勝ったように見えたわ! きっとなにかの間違いよ!」


 迎え撃つのは同じく貴賓室から駆け付けたシズカだ。


「公平な映像判定の結果よ。 これが覆らないのは知ってるでしょう」


 やはり(おうこく)(フットレース)(きょうかい)の威信にかけて引き下がるつもりはないようだ。


「だったらなんで映像を公開しないの! 協会ご自慢の特大モニターでしょ!」


「それには事情があるのよ」


「怪しいわね。 ルイちゃんが協会員じゃないからって相手を贔屓してんじゃないでしょうね」


「そんなわけないでしょう」


「だったら見せなさいよ! 水晶をよこしなさい!」



 まずい。


 響く言い争いと観客席からの騒めきに挟まれながらルイは焦った。

 ハルミはきっと、僅差で負けた自分のために食い下がっているのだろう。

 しかしそれでゴール映像が公開されれば、大変恥ずかしいことになるかもしれない。

 止めなければ。

 きっと自分が言えば、ハルミも引き下がるに違いない。


「・・・ハル姉」


 ボロボロの身体を押して審判席に歩み寄ったルイは、見てしまった。

 シズカに食って掛かるハルミの、その目の色が普段と違う。

 あの色は、なんらかのスキル習得がかかった時の目。


 そういうことだったのか。

 すべてを悟ったルイが、その場に崩れ落ちた。


舞踏(ダンサー)大丈夫か? まだ無理すんなって」


 怪訝に思ったらしく、イリスが追いかけてきてくれたが、それどころではない。

 ああなったハルミは止められない。

 こうしている間にもハルミはグイグイと審判団に詰め寄っている。

 騒動を面白がった観客たちからは「見せろ」コールが起こり始めた。


「悪事姫も粘るなあ。 こりゃ映像公開になるかもなあ」


「・・・ううう」


 ルイはおもわず頭を抱えてた。


「そんなに公開されるのがいやなのか? たかがブラチラだろ?」


 とうとうイリスまでとんでもないことを言い始めた。

 ブラチラでも恥ずかしいが、その中身が映っている可能性があるのだ。

 ここにはもはや味方はいない。

 先ほどとは真逆の感情で、空を見上げたルイの耳に・・・


「おい! ルイ、大丈夫か!?」


 あの青年の声が飛び込んできた。

 顔を下げて周りを見回す・・・・、いた。

 選手出入り口スロープの端っこに、あの青年が身を潜めていた。

 ターフまで入ってこないのは、関係者以外立ち入り禁止を律儀に守っているからか。

 きっと突然崩れ落ちたルイのことが気がかりで、声をかけてきたのだろう。

 青年と目が合って、ルイの顔が真っ赤に染まった。


 どうしよう・・・どうしよう・・・


 自分のあられもない姿など、誰にも見られたくはない。

 しかしハルミはなんとしても映像を公開させるだろう。


 ならばせめて・・・

 せめてあの青年にだけは・・・

 こんなかたちで見られたくはない。


「ん? なんだ? あの冴えない兄ちゃん、お前の知り合いか?」


 イリスが尋ねると、赤面したルイの頭から蒸気が噴き出た。

 目じりには、もはやこぼれんばかりに涙が盛り上がってきている。

 その反応でイリスはだいたいの事情を察した。

 勘が冴えていなければ、探検家など望むべきもない。


「あーーー。なるほどなるほど・・・。 あいつに見られたくない、と」


 ニチャリと笑いを浮かべるイリス。

 ルイはもはや蒸気が出っぱなしの頭を縦にわずかに振った。


「乙女だねえ。 なら手段は一つしかねえ。 いい方法教えてやんよ」


 そう言ってイリスはルイの耳元でささやいた。

 もちろん蒸気でほかほかになっている、頭の上の耳だ。




 いっぽう、いまだ口論の続いている審判席。


「ああもう! らちが明かないわね! こうなったら」


 押し問答を続けていたハルミがしびれを切らし、最後の手段に出た。

 腐ってもかつての最優秀選手候補、悪事(エビル)(プリンセス)である。

 十重二十重と立ちはだかる職員たちのあいだを稲妻のようなステップですり抜けると、その奥に安置されていた映像水晶を奪い取った。


「ええと、これ、操作はどうするんだっけ・・・」


 あとを追ってくるシズカや職員から逃げつつ、ハルミは水晶をいじり回す。

 ”アイテム鑑定”スキルを持つハルミなら、起動させるのも時間の問題だ。


 もはや時間はない。

 ルイは再び立ち上がると、走り出した。

 向かう先、ゴールはあの青年。

 わずかに回復した身体を押して、走る、走る。


 青年が笑って手を振った。

 ルイが無事なことに安堵したらしい。

 さらに速度を上げて勢いを増す。


 ゴールまで、あと四歩。


 三歩。


 二歩。


 ありったけの力を両脚に込めて、ルイは地面を蹴った。

 小さな身体がふわりと身体が宙を舞い、緋袴は美しい弧を描く。

 打点の高いそれは・・・

 それは見事なドロップキック。


 顔に直撃を食らったギンガの意識が飛ぶのと、

 巨大モニターに問題のゴール映像が流れたのはほぼ同時であった。


 映像が始まってからハルミが”それ”に気付き、水晶を叩き壊すまでの時間。

 三十一秒六は、観客たちの記憶に深く刻み込まれることになった。





 そのあとはいろいろと大変だった。

 まず、ギンガが意識を失ったために歌の効果が消失。

 当然ながらルイの耳と尻尾も消え、巫女姫本人であることが観客たちにばれてしまったのだ。

 熱狂する観客たちと追いかけて来る職員たちから逃げるように、ハルミはルイとギンガを担いで家に逃げ帰った。

 今日ほど”ランナー”スキルを持っててよかったと思った日もないかもしれない。


 さらにその日の晩。

 食事と風呂もそこそこに、三人は居間で顔を突き合わした。


「さて・・・、白状してもらおうか、ハルミ」


 ギンガが口を開いた。

 顔に張ったばかりの絆創膏が痛々しい。

 最初に怪しいと思ったのは、貴賓室でシズカと二人きりになったとき。

 彼女は言った。「ハルミは変わった。昔はスキルのことしか頭になかった」と。

 何の冗談だ? あいつは今もそのままだ。 ということは・・・。


「ええと、なんのことかしら?」


 とぼけて明後日を向くハルミ。


「・・・ハル姉」


 今度は、直感で気付いたルイが追撃する。

 ジト目が下から突き刺さった。


「ルイちゃんも、誤解してるわよ」


「今回のお前は、なにもかも不自然なほど強引だった」


「それは・・・、 私はルイちゃんを勝たせたい一心で・・・」


「なんでも”勝負師”というスキルがあるらしいな」


 ハルミの声を遮って、ギンガが一冊の本をどさりとテーブルに置いた。

 なんとも分厚いハードカバーのそれは『全国共通スキル一覧』。

 いわずもがな、ハルミがいつも枕元に置く愛読書である。


 あんた、女性の寝室に無断で入るなんて最低、とは言わない。

 これから始まる糾弾において、印象をこれ以上下げるのは悪手だ。

 ハルミは粛々とうなずいた。


「なになに・・・、倍率一〇〇倍以上の博打で一点掛けして、一〇〇万ギルダン以上稼いだ場合に習得できる、勝負運がごくわずかに上がるスキル、と書いてある」


 いきなり核心に触れられて、冷や汗が噴出した。


「はい。 そのとおりです・・・」


「ところでルイ、オッズは何倍だったっけ」


「・・・・・・百十三倍」


 いつもより重い口調のルイ。

 様子をうかがうとギンガは元より、ルイの目までが完全に座っていた。

 ハルミは、もはやこれまでと観念した。


「ルイの素性を隠したのも、目立つ行動を禁じたのも、オッズを上げるためか」


「はい」


「で、ルイを送っていったあと、帰りが遅かったのは投票券を買ってたから」


「そのとおりです」


「そもそもルイを巻き込んだのは、競技規定によって選手は自分自身の投票券を買えないから」


「ルイちゃん、ごめんなさい」


 ソファから降りて土下座をする。

 ルイはぷいっと横を向いた。


 全てが誤算だった。

 練習でコースを走らせたところ、ルイは予想以上の好成績を叩き出した。

 本番でさらに歌を重ね掛けすれば、負けるはずなどなかったのに。

 どうして歯車が狂ってしまったのか。

 ハルミはなんども考えるが、ルイの複雑な乙女心が空回ったことなど想像しようもなかった。




 さらに騒動は尾を引く。


 エキシビジョンレース以降、悪事(エビル)(プリンセス)がターフに返ってきた。

 高額な魔道具である記録水晶を弁償するため、ハルミがフットレースに復帰したのだ。

 三人の貯金には手を付けずにレースで稼げ、というのがギンガとルイの下した罰であった。


 こうして高額賞金のかかった大レースに馬車馬の如く出走するハルミであったが。

 同じ目的で走っている現役最強選手が、なんども行く手に立ちはだかることになる。

 悪事(エビル)(プリンセス)世界(ワールド)一周(ラップ)の激戦に次ぐ激戦。

 観客たちは盛り上がり、フットレース業界に空前のブームをもたらした。

 しかし、この二人のレースが語られる際には、必ずもう一人の名がついて回ったという。

 いわく「もし絢爛(フラワリー)舞踏(ダンサー)が出ていれば」と。


 またその盛り上がりがフットレースを知らない層にも及んだことで、あのレースも広く知られることになった。

 巫女姫の噂話に「諸肌を脱いで爆走するらしい」が追加されたのもこのころだ。


 そうなると黙っていないのが、巫女姫の後見人を語る王宮神官の老人。

 なぜ教えて下さらなかった、あまりにも無体な、と散々喚かれた挙句。

 ありとあらゆる権力と人脈を駆使して画策し、王国競技場開場三〇〇周年記念エキシビジョンレースは翌年から、『巫女姫特別記念』と改められて毎年開催の運びとなった。

 その都度とどけられる人気投票結果と出走嘆願書に、ルイは悩まされることになる。



 さらにさらに尻尾は続き、数年後・・・


 ある探検家が、長い航海の末にたどり着いた極東の島において、

 伝説上の存在とされていた、馬の頭を持つ亜人種を発見したのだ。

 探検家によって「ミコタウロス」と名付けられたそれは、王都でも大いに話題になった。

 そしてその名前の由来としてまたしてもあのレースの話題がほじくり返されることになり、すっかり成長したルイの古傷をえぐったりするのだが・・・。


 まだまだ少女である今のルイには、予想し得ない未来の話だ。

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[良い点] 疾走れ疾走れダイジロウ どうしてそんなにのろいのか [一言] 最後は耳の差でかってほしかった
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