ムシラの歌①
初飛行体験の晩、落ち込み疲れて早々に眠ってしまったルイは、翌朝ハルミよりも先に目を覚ました。
ハルミを起こさないようベッドを降りると、台所で顔を洗い乱れた黒髪を櫛で梳かしながら居間を見回す。
ソファーの上、毛布にくるまって眠る青年に起きる気配はない。
不思議な歌を歌う、不思議な青年。
パーティーに誘われたあの時、何の危機感も疑問も抱くこと無く即答してしまった。
あの時どんな気持ちで答えたのか、自分でもよくわからない。もとから自分で何かを決めたことの少ない少女である。ただ単に場の雰囲気に流されてしまっただけかもしれないし、そこに自分の居場所を求めたのかもしれない。
いや、そんな格好いいものじゃない。心身疲れて隣に寄り添ったら、隣もまた似たような有様で互いに支え合っているだけかもしれない。
思い出したくも無いような出来事が起きることもあるが、それを含めて少女はおおむね今の状況が気に入っていた。
窓の外、良く晴れた空を背景に飛び交う雀の姿を眺める。今日も良く晴れそうだ。
よし、昨日のことは忘れて頑張ろうと、その小さなこぶしを2つ握る。
ルイの決意空しく、その日パーティは休暇であった。
土砂崩れで足首を軽くひねったハルミの休養のため、今日は休みを取ったのだ。昨日、帰宅直後の打ち合わせで決まったのだが、ボケっとしていたルイは聞き逃していた。
またクエストに行く予定がないということで、巫女装束は昨晩の内にハルミによって洗濯桶に入れられてしまっていた。強力な自浄効果を持つ巫女装束は下手に洗濯するよりも清潔が保たれるのだが、年頃の女の子が一張羅を着たきりというのが、我慢できなかったらしい。
着替える服が無く困っていたところを、起きてきたハルミが確保。朝食後30分ほど着せ替え人形になったルイは、お古の青いワンピース姿を披露することとなった。
ガラリと変わるその印象に驚きながらも、ギンガは「似合う」と無難に感想を述べる。照れて居心地の悪そうなルイと、何故か大いに誇らしげなハルミの表情が実に対照的であった。
恒例となりつつある、午前中の冒険者ギルド訪問。ただし今回は昨日のクエスト達成の報告と、採取した鉱石の持ち込みだけである。
養生中のハルミは当然留守番するのだろうとギンガは思っていたのだが、「なにか修得してるかもしれない」とよくわからない主張をして結局付いてきた。いつも通り3人で訪問する。
まずはクエスト達成の報告をおこない、ギルドカードの更新をかけたのだが、ギンガとルイは据え置きのまま変化無しだった。一方のハルミはアイテム鑑定スキルが中級になっていた。ここ数日間にレアアイテムやユニーク装備を鑑定したことでスキルの経験値が貯まり、昨晩の巫女装束鑑定でレベル上がったらしい。
2人の目を盗んでこっそりと持ってきていた『巫女の粉塵』に鑑定スキルを使い、そして絶句する。どうやら中級になったことで、売却時のおおよその金額が見えるようになったらしい。
ちなみに昨晩、風呂から上がったルイは寝間着に着替えた後クローゼットに引きこもってしまったため、巫女装束から発見された謎のアイテムこと『巫女の粉塵』の存在を知らない。ハルミも敢えて教えなかった。教えていたら引きこもり時間が2時間から3時間に増えていたかもしれないからだ。
カード更新に続いて、昨日集めた鉱石を買い取りカウンターへ持ち込んだ。
昨日はさすがに変身中のルイを引き連れて冒険者ギルドに直行する訳にもいかず、城門近くにルイとハルミを待たせ、ギンガが家に台車を取りに行くはめになった。
その甲斐あってか、網かご一杯の鉱石は結構な値が付いた。事前申請によって買値に色が付けられたことも嬉しい。特に岩肌から引っこ抜いて土砂崩れの原因となった大鉱石は純度の高い銅鉱石だったらしく、総額30000ギルダンの買い取り価格を聞いたギンガとルイは素直に喜ぶ。
その後ろでハルミが何とも言えない微妙な表情を浮かべることには気付かなかった。
さて、これで本日の用事は終了なのだが、ひょっとしたらとても美味しい依頼が入っている可能性がある。そんなわずかな期待に駆られた3人は、依頼掲示板だけは確認して帰ることにした。
「飛竜回収作業に伴う城壁北門の通行制限」「大猿モンスター警戒に伴う城壁東門の監視強化」に加えて、「魔人の目撃報告に伴う注意勧告」が新たに追加された広報掲示板の前を見なかったことにして、素通りする。
依頼掲示板には子供でもできるような低賃金の雑用か、とても出来そうにない高難易度の依頼しか残っていなかった。いわばアルバイトか熟練者限定求人の二択である。
「相変わらず、丁度いいのが無いんだよなあ」
「まあ良い依頼は早いもの勝ちだからね。 みんな狙ってるのよ」
そう言ってハルミは、ギルドハウスの一角を眺めた。
ここ、王都の冒険者ギルド本部は食堂や酒場を備えている。
本来はクエストを終えた冒険者たちから、その報酬を幾分か巻き上げるための施設なのだが、依頼を受けずここでたむろしている冒険者も多い。現在もテーブル席に座りながら情報交換や雑談をしている冒険者が散見される。朝っぱらから酒を飲んでいるものもいるようだ。しかし彼らは意味も無くギルドで時間をつぶしているのではない。
ギルドに寄せられた依頼は緊急案件を除き、担当職員が受付処理をしたあと掲示板に何件かまとめて依頼票を張り出すのだが、ハルミが言うようにその受注は早い者勝ちである。好条件の依頼をめぐる冒険者同士の争奪戦など壮絶を極め、依頼達成よりも受注のほうが難易度が高いといったケースもあるらしい。そうして彼らは新たな掲示の時を待ちながら、その中の美味しい依頼を虎視眈々と狙っているのである。
ちなみに「掲示板付近で待機する冒険者は袋叩きにされる」「担当職員が職員室に帰るその扉が閉まる音が開始の合図となる」「一度依頼票を確保した冒険者には手出ししない」などいくつかの不文律が存在し、それに誇りをかけて依頼争奪戦を繰り広げるバカどもをギルド職員は『餓狼』と称するのだが、さすがにハルミもそこまでは知らない。
そんな激戦の後の残りカスのような依頼を3人で物色していると、普段あまり依頼票に関心を示さないルイがハルミのエプロンドレスの裾を引っ張りながら口を開いた。
「・・・ハル姉、これは? ・・・・蝶舞の森」
昨日の悪夢があってなお、ルイにとって空を飛びたいというのは未だ夢である。もちろん空を飛ぶものも大好きだ。ゆったりと空を流れる雲も好きだし、勇ましく飛翔する鷹も格好いいと思う。
それでもやっぱり一番好きなのは、ヒラヒラと舞を舞うように華麗に宙を飛ぶ蝶だ。
踊り子としての血が反応するのかもしれない。
そんな「蝶」の一文字が目についた依頼票であった。
「どれどれ、えーと。 蝶舞の森の調査依頼ね」
「蝶舞の森? 近いのか?」
「南門から歩いて1時間ほどの森よ。いろんなチョウチョが生息してて近くには綺麗な泉もあるの。この辺りじゃちょっとした行楽地ね」
「・・・チョウチョ」
目を輝かせるルイをよそに、ハルミは依頼票の続きを読む。
王都から南の方角へ5キロ弱の場所。半径1キロに満たない孤立森林は、蝶舞の森として王都の住民から親しまれている。しかし数年前から森の南端に毒キノコが繁殖しはじめ、じわりじわりと森をむしばみ始めているらしい。
城下町周辺の森を生活基盤とする木こりや猟師の所属する森林組合は事の重大さを考え、定期的な毒キノコの駆除をしているのだが、それに先立って毒キノコの分布情報を集めていた。四半期に一度、冒険者ギルドに依頼する調査依頼は、毒キノコの繁殖地域とおおまかな個数を冒険者に調査させるという情報収取の一環である。
しかし毒キノコといっても人体への影響は少なく、キノコが放つ毒胞子も一度に大量に吸引すると危険であるという程度のもの。やろうと思えば子供ですら出来そうなこの依頼は8000ギルダンと報酬のほうも控えめとなっている。調査に丸1日森を歩くことを考えると進んで受けようとする冒険者は少なかった。
「あー、ルイちゃん。 これはやめたほうがいいわよ。 面倒なわりに報酬も大したことないし」
「・・・そう」
残念そうなルイをフォローするつもりなのか、ハルミは続けて言う。
「この森自体はすごくきれいな場所なのよ? ただね、毒キノコの調査は森の中をあちこち歩くし、毒の影響があるかもしれないから周りの野草を採取することもできないのよ」
「・・・・わかった」
「それにしても森林組合もケチよねえ。 こんな一日仕事に8000ギルダンとかどこの小遣いよ。こんな面倒事、自分たちでやればいいのにね」
「・・・・すまないな。 ・・・・手が足りんのだ」
その低く渋い男性の声は、頭上から聞こえてきた。
音を鳴らさず背後に現れたのは、全身黒ずくめの男。
ハルミより高い身長は180cmはありそうだ。服の上からでも無駄なく鍛えられて引き締まったその身体が見て取れる。黒頭巾が鼻と口を隠してしまっているため表情は読めないが、その力強い眼力は表情以上にこの男の意思の強さを表していた。
どうやらギルドハウスの天井に巡らされた梁の上に潜んでいたらしい。
突然の男の出現にハルミは「うおっ」と年頃の女性らしからぬ声を上げ、ルイは条件反射になっているのか、ギンガの後ろに隠れる。
「ちょっと! 脅かさないでよライヤ! 女の子の背後に忍び寄るなんて最低じゃない」
ギンガは一瞬身構えるのだが、どうやらハルミの知り合いらしい。
苦言に対しその黒ずくめ男は再度渋い声で「・・・・すまない」と答えるのだった。
男の名はライヤ。森林組合所属のレンジャーである。
ハルミに言われて黒頭巾を外したところ、銀髪と表情の少ない寡黙な顔が現れた。歳は30代半ばくらいか。イケメンというよりは男前と言ったほうが近い。
以前、「フィールドワーク系のスキルを教えろ」と言って突然森林組合に乗り込んできたハルミの面倒を見たのがライヤであった。正確には彼が寡黙であることをいいことに、他の組合員が押し付けたというのが正しいところである。
しかしハルミにとってはそれが幸運であった。以前は冒険者でレンジャーをやっていたライヤは、目的であった「中級植物鑑定」「釣り」「狩猟」の他に「偵察」や「罠解除」など様々なスキルを持っていたのだ。彼女からすればこれほどの得物は滅多にいない。
そうして四六時中まとわりつくハルミに根負けして、ライヤはスキルを伝授するのだった。以前彼女が使った「ランナー」と「跳躍」はこの時教わったものだ。
「つまり、ハルミの師匠ってことか」
「まあ、そんなとこ。 あ、この2人は私のパーティメンバーのギンガとルイちゃん」
立ち話もなんだと近くの長机に移動した一同。さっそくハルミが2人を紹介した。
人に紹介されるという経験が乏しいギンガは「あ、どうも」ととりあえず会釈をする。ルイのほうも同じようで倣って無言で会釈をした。それに倣った訳ではないのだろうが、ライヤは無言の上に目礼で応えた。その隙も無駄も無い動きからギンガは内心「レンジャーというかニンジャだよな」と感想を漏らすのであった。
そんな人見知り、臆病、寡黙の織りなす静寂のトライアングル。普段から騒がしいハルミは耐えかねたのか、次の話題に移る。
「で、何でこんなとこにいるのよ。 森林協会はどうしたの?」
「・・・それを張りに来た」
そういって視線で指したのは、未だハルミが持っている依頼表。
それはついさっきライヤが掲示板に張り付けたばかりのものであり、その直後にハルミの近付く気配を感じてとっさに梁に身を隠したのだった。
「うら若き可愛い弟子が近付いてんのに、その仕打ちはあんまりでしょ」
そう言って口角をとがらすハルミであったが、彼女がまた教わっていない「窃盗」「暗殺術」のスキルをしつこく狙っていることをライヤは忘れない。
「でもさ、こんなしょっぱい依頼、受ける人いるの?」
「・・・・駆出し冒険者には人気がある。 ・・・だが、今回は難しいかもしれん」
この手の調査依頼は前述のとおり受ける冒険者は少ない。その反面、調査結果を報告すればとりあえず失敗とはならず報酬も出るため、経験も装備もない新人冒険者からは一定の需要があった。
早い話、ギンガとルイには錬金術師のハルミがいるため、素材採取からポーション作成というとても実入りの良い稼ぎ方が出来るのであり、ハルミが仲間になっていなければこの依頼を喜んで受けていたのはこの2人だったのではないだろうか。
表情を変えないままライヤが続ける。
「・・・ここ数日の異変は知っているか。・・・東門郊外に出たという大猿、・・・そして昨晩西の山林に現れたという巨人」
このパターンは、知ってる。
友達の父親と同席して食事をとるような微妙な雰囲気に飲まれ、ライヤ登場以来大人しくしていたギンガだが話はちゃんと聞いていた。そしてこの後に起こるであろう話の流れも察していた。
連日の不可解な怪奇現象を調査すべく、王宮の上層部は大規模な調査を決定した。
軍隊や衛兵の一部を調査団として東と西の郊外に派遣し、その究明に乗り出したのだ。また手伝い役として森林組合に協力が要請され、さらに冒険者ギルドにまで割のいい調査依頼が張り出されることとなった。
つまり毒キノコ調査にかかわる組合員や新人冒険者を、この怪奇大調査に持っていかれることになる。
それを危惧し、冒険者ギルドに依頼を張りに来たライヤ自身も、この後大調査に合流する予定だという。
「・・・今回は難しいかもしれん」
「うっ」
寡黙な男の一言には重みがある。
再度繰り出されたその一言は、より一層強力な眼差しとともにハルミ目がけて放たれた。
一連の異変騒動。関係があるどころか、主犯格である。またしてもちっぽけな良心が、その重みを増し始めた。こうなれば、かつての恩義と罪悪感の挟み撃ちだ。結局ハルミにこれを躱すことは出来ず、「今日は休むから明日なら」と言い返すのが精いっぱいであった。
かくしてギルド職員シーラさん仲介のもと、『蝶舞の森の調査依頼』は受注された。
「ほんと、ごめんね。 結局受けることになっちゃって」
「いいよ、他に良い依頼も無いしな」
ギルドからの帰り道。ハルミは改めて謝る。
正式に依頼受注を結ぶ際、すでに2人には了承を得ているのだが、この依頼に一番反対していた手前、罪悪感がいまいち拭えないらしい。それを払しょくしようとギンガは努めて何事も無いように答えた。
「それにルイは喜ぶんじゃないか? 蝶が沢山いるんだろ?」
そう言ってルイに話題を振ったが、返事が無い。その瞳はこちらを見ているので聞いていなかったわけではないようだが、その口はいつも以上に閉じられている。心なしか瞳がフルフルと痙攣しているように見える。
「ルイちゃん、ひょっとしてそれ、ライヤのマネ?」
ハルミの問いにコクリとうなずいたルイは、ようやく一言だけ喋った。
「・・・かっこいい」
ワンピース姿の巫女少女はそう言って、引き続き震える眼差しを向けて来る。
力強い眼差しを勘違いしたらしい、力を籠められ続けた眼球周りの筋肉が痙攣を起こしているのだ。
この少女にとって、口下手と無口は大きな悩みであった。
決して好きでやっている訳ではない。言いたいことも言えない。伝えたいことも伝わらない。そんなもどかしさに胸を痛めてきたこの少女にとって、先ほどの黒ずくめの男性は輝いて見えた。
自分と大して変わらない程度の口数だったが、言葉に重みがあった。そして何よりもあの眼差し。決して睨むわけではなく、脅すわけでもない。ただただ言いようもない力が宿っていたあの視線が、ついに饒舌なハルミを説得してしまったのだ。そのこともまた衝撃だった。
己の目指す道はここにある。
その考えに至ったルイ、はさっそく形から実践に移すのだった。
「ライヤがかっこいいって、ルイちゃんも渋い趣味してるわねえ」
「・・・・・」
「だったら明日は黒のワンピースにしようか。 お古だけど可愛いのがあるのよ」
「・・・!?」
いまだにお尻周りがスースーとして落ち着かない。
まして胸元の生地余りがチクチクとプライドを刺しているというのに、とんでもないことを言い出した。
慌てたルイは必死に視線を送るのだが、結局「明日は自分の服を着る」と口に出すまで、それがハルミに伝わることは無かった。




