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魔法使いの依頼

 朝の一杯は、やはり酒に限る。

 それも度数の強い奴だ。

 喉に流し込み眠気を焼き尽くす。


「カハッ」


 我ながら嬉しそうな声を上げるモノだ。枕元に酒を常備する習慣が付いたのは何時の事だったか。振り返ればいい生活スタイルだ。朝から酒を飲み頭を茹らせ、そして暴力に身を投じる。後は良い女がいれば俺の人生何も言う事はない。


「……っと」


 ベッドから起き上がり、そのまま風呂場へと直行する。

 お湯が出る等と言ったサービスは無いが、冬場に川の水に浸かった経験のある俺にとってこの程度の温度は苦ではない。シャワーのノブを捻ると勢い良く水が飛び出る。先日の工事の影響か水圧が上がっている様だ。

 睡眠中に分泌しこびり付いた汗を擦り流しながら予定を立てていく。まあ、予定と言ってもどうせ暴力を振るうだけだ。魔王を倒して英雄になる訳でもなければ俺が魔王になる訳でもない。荒事を専門に活動して来た為に、俺にトラブルシューティングを依頼する奴は大抵そういったジャンルの問題を持ち込む。危険度が高ければ高い程羽振りが良く、何より荒事は嫌いじゃないからさして問題にもならないのだが。

 大体十分ぐらいのシャワーが終わったなら、身体を拭き適当な下着とズボンを身に付けリビングに出て朝食だ。


「お早う御座いますマスター。今日の朝食はパンと甘辛焼き肉、そしてスープです」


 リビングではメイド服の女が俺を待ち構えている。

 名はアドルフィーネというこの女は、華奢な身体つきだが肌触りは絹の様であり抱き心地も良い。戦闘でも役に立つため、仕事と私生活の両面において俺の良きパートナーである。


「ようフィーネ。コーヒー頼むぜ」

「畏まりました。暫しお待ちを」


 一礼し、柔らかく微笑むとフィーネはコーヒーを入れに行く。

 腰まで伸びた白銀の髪が揺れる様子と足の動きに連動して軽快にその形状を変化させる尻を目で楽しみながら朝食を取る。


 パンはつい三日前に焼いたモノであり、まだ固くなっていない。噛み千切り、十回ぐらい噛むとそこへスープを投入して口の中で味を混ぜる。香ばしさを内包するスープがパンの味わいと溶け世界を引っ繰り返す。無論比喩だが、パンの味からスープの味へと切り替わる瞬間は非常に刺激的だ。

 口の中のモノを飲み込むと肉へフォークを伸ばす。少し厚めに切った肉を甘辛く焼いたものだが、歯応えと味が俺の好みに丁度良く合致している。

 まったく、良い女だ。


「コーヒーをお持ちいたしました」

「おう、ありがとよ」


 一言告げフィーネが食卓へコーヒーの入ったマグカップを置く。

 肉を飲み込みマグカップを手に取る。心地よい香りが舌で味わった時の深みある苦みを期待させる。口に付けゆっくりとその黒い液体を味わう。


「今日のご予定は如何なさいますか?」


 すぐ後ろで待機していたフィーネが丸い金属性のトレイを胸元に抱えながら聞いてくる。


「今日は仕事だ。机に向かって依頼を待つ。飯を食ったら暖簾を上げるさ」

「! では、私を使う機会が?」

「あるかもしれんぞ? 精々期待しとけ」

「はい!!」


 フィーネは己の出自故に何よりも戦闘を好む。

 ここ最近は荒事が少なかったからフラストレーションも溜まっているらしく、毎晩ベッドの上で行われる格闘訓練は右肩上がりでヒートアップしていた。


「ふぅ、美味かったよ」

「ありがとうございます」


 食い終わるとフィーネが即座に皿を片す。

 手際良く洗い場へと持っていくのを確認すると俺は椅子から立ち上がった。


「さて、開業準備と行くか」


 若干の気怠さを感じながら、椅子に掛けていたレザージャケットを羽織り部屋を出た。



 スタール帝国、グレーフェンベルク伯爵領に属するある程度の規模を保持する街。

 その街の一角で、俺は問題解決屋を営んでいた。

 問題解決屋にも様々な奴がいる。事件の捜査を専門に行う奴が居れば、住民間のトラブルを仲裁する奴、街の防壁周辺に屯した魔物の討伐等それぞれ選り好みしているが、問題と呼ばれる事象はこの世界に満ち溢れていた。

 俺はその中でも荒事を専門に活動を行ってきた。街のゴロツキからゴーレムの軍団に至るまで、様々な敵と戦った経験は今でも身体中の筋肉や神経に染み付いている。決して若いとは言えんが、積んできた経験は評価に繋がり、少なくともこの界隈で俺の名を知らない者はいない。

 故に掛け板をクローズからオープンにすれば依頼が直ぐにでも舞い込む。


 俺の家は商業区に有り、依頼を熟す為に必要な物を買い込む時非常に便利だ。

 二階建てで、二回に居住スペースを設け一回を事務所として使っている。暖簾を上げるのは三日に一回と決めている。そこまで切迫した経済状況でも無い為、大口の依頼を月に数回うける程度なのだが、時期によっては一つの依頼で数週間も拘束される事が有るため暖簾を上げるタイミングは一定ではない。

 そこらへんは仲介家が様子を窺って来るから閉店中に客が押し掛けるといった問題は起きない。

 生きやすいモノさ。


「……よし、これでいいか」


 事務所の入り口。

 煉瓦で構築された我が家の前に、白地の布へ赤いの染料を用いて作製した店の暖簾を掲げる。朝早いからか、大通りの人は疎らであり、開店している店も少ない。


「レイジさん!!」


 幼く元気の良い声が俺の名を呼んだ。

 レイジとは俺の名だ。そしてこんな朝早くから起床し、尚且つ俺の名を元気良く呼ぶ人物を俺は一人しか知らない。向かいにある商会の事務所。そこに住まう商会主の娘、エルナだ。エルナ嬢ちゃんは仕立ての良い服を身動きが取りやすい様に改造してる。その為かスカート丈が短い。……もう少し大人になってくれたなら、嬉しいハプニングなどを期待したのだが。


「お早うエルナ嬢。今日もご機嫌だな」

「はい!! それもこれもレイジさんのお蔭です、今後ともウチの商会を御贔屓お願いします!!」


 この年でしっかりとしている。

 このお嬢ちゃんとの出会いは、二年程前に起きた誘拐事件にあった。攫われたのは勿論嬢ちゃんで、助けたのは無論俺だ。以来この嬢ちゃんは俺の周りを忙しなく回り続けている。悪ガキとは違ってしっかりとした考えを持つ子供に懐かれるのは悪い気がしない。

 また、嬢ちゃんは商会で得た情報を俺の下へいち早く持ってきてくれる為、非常に有り難い存在でもある。


「今日も色々と仕入れてきましたよー?」

「ほぅ? そいつは興味深い」

「最近は緋色狼の群れが東の森で活発に動いていたり、南の山脈では竜が目撃されたなんて噂まで流れています。他にも……」


 はきはきと聞き取りやすい声は聞く者を明るくさせる。おまけに仕入れた情報は有益なものだ。活性化した魔物の情報を、それに対する以来を受ける前に知っておけば対策の効率も上がる。


「……ってまあ、そういった感じです」

「なるほどな」

「てなわけでレイジさん!!」

「あん?」

「結婚してくださいッ!!」

「十年後なら考えてやらんでもない」


 いつものやり取りの後、エルナは向かいの事務所へ戻って行った。


 それを見送り俺も我が家の事務所へ戻る。



 昼食を食い終り、食後のコーヒーと洒落込んでいる時にそいつは現れた。


「解決屋のレイジさんであってますか?」


 入り口の扉をノックする音を聞き出迎えに行くとそいつは居た。

 灰色のローブを身に纏い、とんがり帽子を被った少女。恐らく魔法使いであるこの少女、年の頃は15くらいか。


「ああ。……依頼か?」

「はい」

「そうか、上がれ」


 依頼を持って来た客人を一先ず事務所へ招待する。

 デスクの前にある長机とソファ。そのソファへと腰掛け話を聞く。


「まあ座れ。それで、誰からの仲介だ?」

「第三協会のシルムさんからです」

「傘男か、なら良いか。よし、じゃあ話を聞こうか。フィーネ、客人に茶を持ってきてくれ」

「畏まりました」


 すぐ後ろで待機していたフィーネが動く。

 フィーナはてきぱきとコーヒー入れそれを俺と客人の前に差し出した。


「で、俺の所に来たってことは荒事だろう?」

「……はい」


 返答し逡巡した後、眼を見開きこちらをしっかりと見て言った。


「貴方に倒して欲しい魔物がいます」



「……詰まる所、俺は東の森に住まうと聞く鬼顔動樹を倒し、その眼球を持ち帰ればいいのか」

「はい。……お願いできます?」


 飲んでいたコーヒーを置き、両手でマグカップを持つ灰色の魔女へと聞く。灰色の魔女の表情には不安が募っている。

 依頼はよくある内容のモノだ。

 灰色の魔女の妹が難病に罹った。それを治すには鬼顔動樹という魔物の目玉が必要である。しかしその魔物は、灰色の魔法使いどころか中堅所の戦士であろうとも倒すことが難しい強さを誇っている。故に荒事で有名な俺へ依頼を持ちかけた。


「モノによるな。中堅所で敵わないようなヤツが相手だってんならそれなりの報酬が欲しい所だ。こっちも慈善事業じゃないんでね」

「……それは、承知しております」

「ならアンタは死地へと向かう俺に何を捧げる?」


 俺が聞きたいのはそこだ。

 己の肉親を助ける為に此奴は何処まで捧げられるのか。向ける思いは如何程のモノか。それが知りたい、聞きたい。


 見つめる視線の先、灰色の魔法使いは懐から短剣を取り出した。


「待てフィーネ」

「っ、はい」


 反応し即座に殺しに掛かるフィーネを止める。

 フィーネは既に刀を取り出しその切っ先にて穿ちに掛かる一歩手前だった。


「どういう心算だ?」

「……貴方に」


 瞳の中には怯えが浮かんでいる。逃避欲求、自壊願望、そして若干の焦燥が少なくとも見て取れた。

 そして、それらを抱えて尚この女は毅然と俺に言った。


「――――貴方に、私の命を差し上げます」


 告げると、その手の中にある短剣の刃を持ち柄を俺へ差し出した。


「命、だと?」

「はい。あの子が居れば、……いえ、生き残るべきはあの子です。あの子は百年に一度の逸材でした。

先に生まれた程度で家督を継ぐことが決まった私とは違う、本当の意味での魔法使いでした。

あの子の為にこの命を捧げられるなら、あの子の人生の糧となるなら、この命は惜しくないのです。

そして何よりも、私はあの子の笑顔が好きなんです。命を懸ける理由なんて、これで十分でしょう?」


 言い切ったその言葉に俺は心底愉快な気持ちになった。長々と語りやがったが、この女が一番言いたい事は最後の部分だ。発言時の声に纏わせる感情で丸解りだ。

 ああ、コイツは良い女だ、貪りたい。


「ああ、十分だ。だが、それなら違う条件を俺から出させてくれ」

「じょう、けん?」


 訝しげに見つめる女の方へ、俺は身を乗り出す。女は若干引いたものの逃げようとはしない。その陶器の如く繊細な顎に手を当て顔を上に向かせる。被っていたフードが外れその素顔が現れた。

 ……核心はあったが、顔までイイ。

 優しげな目元、サファイアの如く輝く瞳、そして薄赤く染まった頬。それらは俺を魅了して止まない。

 この瞬間、俺の心はこの女のモノだった。


「俺の者になれ。お前を抱きたい」

「…………………………………………は?」


 呆然と呟いた後、女は勢い良く赤面した。

 愛らしいモノだ。暫し観察していると女の眼が泳ぎ始める。先程までの下手な戦士よりも戦う覚悟を宿していた目は、一瞬で女のそれへと変異していた。


「いえ、でも、私その、経験ないですし、その……」

「嫌か?」

「嫌って言うか、その、まだ貴方の事、知らないし」

「ベッドの上でじっくり教えてやるさ」

「べっ!? あぅ、ぇと、うあぁぁぁぁぁぁっ」


 限界が来たのか、女は顔を両手で覆い蹲った。

 後ろに佇むフィーネの視線が冷たいが、まあいつもの事だ。


「実際、お前の命を散らすには惜しい。あれだけの啖呵を堂々と言い切れる良い女を、一体どうして殺せるか」

「うぅ……」

「俺はお前が欲しい。それがこちらの要求だ。……返答は?」


 暫くの沈黙の後、女が顔を上げる。

 まだ頬が赤いが、その顔には決意の色が見える。


「……よろしく、おねがいします」

「くくっ。ああ、任された」


 契約は成された。

 後は、結果を出すのみだ。



「で、また女漁りの為に命を投げ打つのですね? まったく、貴方はいつもそうだ」


 魔法使いの女、コリーナが去った後、フィーネがコーヒーを淹れながらそう言った。


「そう言うな、これが無ければ俺じゃない」

「しょうがないマスターです。本当に……」


 呆れたように言うフィーネだが、その声には若干の怒りが含まれている。

 可愛い女だ。


「そう拗ねるなよ、お前は誰よりも俺と長いだろうが」

「でしたら!!」


 ガシャン、と陶器を勢いよく置いた音、そしてフィーネの怒声が響く。

 いや、どちらかと言えば泣き声に近い。


「新しい女なんて作らないで私を見てください!! 私はこれだけアナタを思って心を焦がしているというのに、貴方は当たら良い女を作って、私はっ、わたムグッ!?」


 フィーネを抱き寄せ、その唇を塞ぐ。

 しばらく腕の中で暴れるが、やがて大人しくなる。


「……そうか、寂しかったか?」

「わ、私は、……私は、ただ」

「この流れ、もう百回以上はやった気がするんだが?」

「……っ」


 腕の中でフィーネの体温が上昇したのを感じる。

 癇癪を起こし、泣き喚く。それを計算付くでこの女は何回もやってきた。付き合ってれば誰だって慣れる。面倒な女だが、それを補って余る程の魅力がフィーネにはある。

 手放す事など考えられない。


「まったく、寂しいならそう言え。お前が言うのなら、いの一番で相手をしてやる」

「他の女にも、言うのでしょう?」

「いや、これを言ったのはお前が初めてだ」

「マスター!!」


 お前が初めて、と言った瞬間フィーネは力強くこちらを抱き返した。


「私は、マスターの特別なのですよね?」

「ああ、お前は既に俺の半身だろうが。何を不安になっている。ほら行くぞ?」

「はい!!」


 その後、俺はフィーネを連れて己の自室へと向かった。

 眠りに付いたのは夜が明けるか明けないかという時間帯だった。



「……してやられた。今日こそは、と思っていたのにっ」


 朝起きると、珍しくフィーネが隣に居た。

 何やらぶつぶつと言っている。その身体を抱き寄せる。柔らかい感触と心地良い匂いに包まれながら眼を開けフィーネの顔を見る。若干拗ねている様だ。


「よう、フィーネ」

「……お早う御座います、マスター」

「何だ、不満そうだな。まだ足りないか?」

「別に、そういう訳では。ただ欲望に流された自分を恥じた、それだけです」

「別にいいじゃないか、誰が困るでもないし」

「私の心情の問題です」

「そうか、ならしょうがないな」


 二人同時にベッドから抜け出す。

 フィーネは先にシャワーを浴びる為に風呂場へ。飯を作るのがフィーネである以上、優先されるべきはフィーネだ。

 俺はその間枕元から酒の瓶を取り出し煽る。アルコールが喉を焼き身体へ熱を入れる。


「さて、やることはやっとくか」


 寝室の片隅に有る木製の棚。

 俺はその引き出しを漁り始めた。中に入っているのは使い捨ての魔道具だ。端から端までぎっしりと詰まったそれを軽く手に取りながらどれが良いかを考える。


「木の怪物が相手なら燃やすのが手っ取り早い。が、森だしな、原住生物の恨みはおっかないし、何より森を焼いちまったら最悪の場合敵諸共キャンプファイアーだ。さて、どうしたもんか……」


 赤いラベルの張ってある細長い瓶や赤い色をしたカード類は無視し、他の道を模索する。


「……純粋物理攻撃、か。それならそれで破壊を助長する効果のモノを使いたいわけだが、……品切れか」


 ちっ、と舌打ち一つ。

 粉砕呪文を封入したカード類は先月のゴーレム師団戦で使い切っていた。引き出しの中は大体赤いモノで埋まっていた為次の引き出しを開ける。

 目に入るのは青。水への干渉や治癒力を高めるモノを収めた引き出しだった。


「保険に幾つか持っていくか……」


 その中から青の装飾が施されたカードを五枚程抜き取る。回復の魔法が封入されたカードだ。その他にも使えそうな物が無いか探す。

 ふと、視界の端に紫色のラベルが貼られた細長い瓶を見つける。


「!、壁貫蜂カベヌキバチの毒か!!」


 壁貫蜂。

 全長1メートルに達する蜂であり、尾に生えている針は城壁を貫いたと言われていることからこの名が付けられた。またその毒も強力であり、サンドドラゴンが一撃で死に至る程の威力を誇る。竜の生息域に隣接する生物には珍しくも無いが、人間にとってまず戦ってはいけない存在だ。

 確か、エルナ嬢ちゃんを助けた時の報酬だったか。その希少性から割と高値で取引されているモノだ。


「コイツならイケそうだ」


 それを枕元に置き、良くなった機嫌のままに風呂へと乱入した。


「フィーネ!! 今日の俺は冴えてるぜぇ!!」

「きゃぁぁぁぁぁぁ?! 何してるんですかマスター!! 馬鹿ですか? 馬鹿なんですか貴方は?! 」

「そう嫌がるなよ、ほれ」

「あぅん!? や、やぁ、やめてくださぃ……」


 最初は騒いでいたが、暫く抱き着くと大人しくなった。、



 昼の街。

 各種道具を揃え、俺達は我が家を後にする。装備は最小限、俺ならば戦闘用に拵えたナイフが二本、フィーネは各種薬剤と投げナイフ一式だ。大勢の人々がそれぞれの目的に従い道を行きかう中、俺とフィーネは街はずれにある小高い丘を目指す。

 その丘の上は行きつけの場所だ。見えるのは大きく、それでいて古めかしい屋敷。ある偉大な魔法使いの住居だ。

 依頼に来たコリーナとはその位階が違う。比べるのも烏滸がましい程の実力だ。


「……徒歩ではダメなのですか?」

「ああ。道中で危険に曝され依頼を投げ出すようじゃ信用に関わる。お前がアイツに苦手意識を抱いているのは知っているが我慢しろ。埋め合わせはしてやる」

「……はい」


 押し黙る。

 依頼の最中は仕事をしているという意識が有るのだろう。いつもならここで文句の一つも垂れる所だが、やはり弁える事の出来る良い女だ。


(……そんな真剣な目で命じられたら、私は貴方に逆らえないというのに)


「おや、レイジ君。私に何か用事かな?」


 屋敷の門。

 その前に女は待ち構えていた。白い肌を黒の衣に包み、高い背を揺らし鋭い声で話す。

 魔法使いのベラ。

 俺がガキの頃からその美貌を衰えさせていない正真正銘の魔性。この女にその人生を狂わされた男は数知れず。


「転移魔法を頼む。行先は東の森だ」

「急ぎかい?」

「まあな。後ろに居る俺の女が不機嫌で敵わん」


 更にむすっと拗ねたフィーネに俺とベラはニヤニヤと笑う。


「で、料金は?」

「ホラよ」


 レザージャケットのポケットからそれを取り出し魔女へと放る。


「これは?」

「ゴーレムの中に埋まっていた宝石だ。研究材料としちゃまあまあだろう」

「……ふむ、悪くない」


 魔女は考えた後、どこからともなく杖を取り出す。黒い杖だ。先端に杖自体の色とは真逆な白色光を放つ宝石がはめ込まれている。魔女が杖を横薙ぎに一振りする。するとどうか、輝く魔法陣が魔女の足元へ展開された。


「さあお入り?」

「応。行くぞフィーネ」

「……はい」


 俺とフィーネは同時に魔法陣へと踏み入る。

 途端に視界が引っくり返った。



「うぅ……」

「おーよしよし、怖かったなぁ」


 東の森、その入り口。

 徒歩ならば三日はかかるだろう距離を、魔法で転移する事により一瞬の内に移動してしまう。移動に時間がかかる場合の手段だが、これを頼んだ場合盛大に金をふんだくられるので乱用は出来ない。

 鬱蒼と生い茂る超自然領域を前にして、俺はメソメソと泣き出したフィーネの頭を撫でていた。フィーネは過去、ベラに研究材料にされた事が有った。その時の恐怖が今も尚根強い為、どれだけ気を張っていてもこうして泣き出してしまうのだ。


「……もう、大丈夫です。見っともない所をお見せしました」

「気にしちゃいない。お前の涙ぐらい、幾らでも拭ってやるさ」

「も、もう……」


 フィーネが本調子に戻ったところで森へ突入する。

 木々の背は高い。日の光は遮られているため真昼間だというのに薄暗く、そして若干涼しい。踏み抜く大地は若干湿っている様だ。腐葉土、というのだろうか。

 これらの土がこの立派な木々を育てたのだと考えると中々込み上げるモノが有る。


「マスター、前方から来ます」


 フィーネの言葉に意識を現状へと向ける。

 聞こえるのは足音と遠吠え。木々の間を縫うように複数の気配がこちらへと接近する。姿を現すのは美しい緋色の毛皮をその身に纏った狼の群れだ。

 緋色狼。

 東の森固有の魔物であり、恐るべき速度を持つ。その速さたるや、速度自慢のシーフ共が全く抵抗出来ない程だ。


 そして此奴らにはもう一つ語るべき特徴がある。


『人間、名は?』

「レイジだ。ここへは鬼顔動樹を討伐に来た。お前らの縄張りを荒らして済まないが、どうかこの森で活動させて欲しい」


 緋色狼には確かな知性が有る。

 そして人語を解し、対象へ己の意思を伝える伝心の魔法を扱う。この魔法こそが緋色狼を森の最強種族へと押し上げた要因だ。そして緋色狼は森の警備を務める。森の中で人間が活動する際には見張りを付ける。

 人間が森や緋色狼達にとって有益ならサポートをし、不利益を出すなら即座に噛み殺す。しかし、最近は受付要員まで出来たらしい。


『……ふむ、レイジか。一時期この森で活動していたモノだな?』

「ああ」

『リタから話は聞いている、ようこそ我らが森へ。彼奴等には此方もほとほと手を焼いていた所だ。若いのを三体付ける。頼むぞ?』

「任せとけよ」


 若い緋色狼の雄が三体こちらへと近寄る。

 そいつらに対しポケットの中のジャーキーをくれてやる。


「……リタって誰ですか?」


 先程の会話で出た女の名前にフィーネが反応する。


「以前この森で活動していた時に知り合った人狼の女だ。あいつも中々に良い女だったな」


 思い出すのは緋銀の毛並。

 豊満と呼ぶべき胸と、機能美を持つしなやかな肢体、森から取れる薬草で作った不思議な匂いの香は一度抱いたら忘れる事等出来ない。野性的でありながら下手な人間よりも賢い森の民。

 自然の中にいるアイツとは良くじゃれ合ったものだ。


「……また、女ですか」


 どうやら、今夜もフィーネの機嫌を取らなければならないようだ。



 森の奥。

 ここまで来ると日の光は殆ど届かない。ジメジメとした湿度の高い空気が漂い、街で暮らす者にとっては不快な環境を形成している。緋色狼のサポートにより、ここまでの道のりは快適の一言につきた。赤い残光を残し襲い掛かる野生動物共を喰らうのだ。その度にジャーキーを強請るのだが、まあ揺れる尻尾に癒されるからお互い様だろう。


「マスターはいったいどういった経緯で緋色狼と仲良くなったのですか? これ程の力を持つ生き物です。いくらマスターと言えど対峙したらただでは済まない筈です」

「対峙していないからな。ま、後々話すさ」

「そうですか、楽しみです」


 聞きたがりなフィーネを煙に巻き、俺達は森を歩む。

 暫く歩き開けた場所に出る。


『旦那、付きましたぜ?』

「応」

『ここからは決まりに従って手出しはしません。……御武運を』


 緋色狼が下がり物陰から見守る。

 正面には蠢く大樹が有る。でかい。10メートル程だろうか、両側面の一際大きな枝を震わせている。暫く注視していると変化が訪れる。地面から木の根が露出したのだ。それ等は意志を持つかの様に大地を押し、やがてそれは動く木の足となった。

 鬼顔動樹。

 鬼の顔を持つ動く樹。恐るべきはその硬さだ。樹皮は岩のように固く、針葉樹特有の尖った葉を鋼鉄の様に硬化させ撃ち込んでくる。常人では目で捉える事の出来ないその攻撃を緋色狼達は回避する事が出来る。しかし決定打が無い。文字通り樹皮に対し歯が立たないのだ。

 故にこいつらは秩序無く暴れまわる。

 

「さて、じゃあ行くか。……フィーネ」

「はい」


 呼びかけと共に、フィーネが何処からともなく投げナイフを取り出す。

 そして即座に投擲を行う。大気を引き裂きながら回転し殺到する五本のナイフは、しかし鬼顔動樹の樹皮に阻まれ刺さらない。


「情報通り硬いようです」

「らしい、なっ!!」


 敵対行動に対し鬼顔動樹が動き出す。

 尖った葉を鏃の様に其処ら中にばら撒きこちらを殺そうとする。しかしその程度で死んでやる程、俺とフィーネは温くない。広範囲に飛び散った葉が木や地面に深々と突き刺さる中、俺とフィーネは跳ぶ。俺の身体能力は過去に起きたとある事件以降人間の域を外れている。この仕事ではそれが十全に活用出来る為不満はないが、それでもどこか違和感が付き纏う。

 そしてフィーネはそもそも人間では無い為こ程度の速度は問題に成らない。俺達は木々の間を飛び交い、そして一本の大きな木の陰で集合する。


「速度は問題に成りません。あの樹皮さえ如何にか出来れば勝利は確実と言えるでしょう」

「まあな。いつも通りの狩りだ。……行くぞ?」

「Yes,Master!! この魂、主に捧げます」


 抱き寄せるフィーネのテンションは高い。

 そしてここからは俺達の独断戦場だ。

 俺はフィーネの細い首を右手で掴む。


「――――魂食み」


 一言呟く。

 その一言を告げると同時にフィーネを構成していた霊素が紐解かれ、俺の中へと流動する。

 魂食み。

 ある地方に住まう森の民の秘奥である。彼らは大地や動植物と意思を交わし、契約を行いその魂を己の中へと取り込む事で絶大な力を発揮する。その対象は狼であったり精霊であったりと様々だ。

 狼の魂を取り込んだ場合、使用者は狼の力と特徴をその身に発現させる。互いの魂が深く融合するとそのまま分離せず一つの種族、亜人としての姿を持つ事と成る。そして力に溺れ魔に魅入られた時、その亜人は魔人へと姿を変える。

 数年前、俺は魂食みの民に命を救われ一族の末席に名を連ねる事と成った。以降俺の思考は本能的なモノに切り替わってしまったが、まあ楽しくやっている。


 俺とフィーネが深く重なる。

 己の欠損部分が満たされた事による安堵感と全能感が思考を侵食するが、敢えてそれを無視し力を行使する。


「――――起きろアルト・シュメルツ、祭りの時間だ」


 呼び掛けと共に己の手の中へ一振りの剣が姿を現す。

 魔剣アルト・シュメルツ。

 フィーネのもう一つの姿であり、俺の切り札の一つだ。


「――――裂傷を、打撲を、骨折を、頭痛を、何より苦痛を思い出せ」


 走り出す。

 鬼顔動樹は急速に葉を生やしているが、今の俺の脚ならば射撃をされる前に一太刀入れることが可能だ。

 走り、既に懐。踏込み、力を込め、そして振り抜く。振り抜かれた剣は鬼顔動樹の樹皮を捉え、そして弾かれる。

 その瞬間降り注ぐ葉の鏃。飛び退き躱し、様子を窺う。敵は堪えた様子も無く二歩三歩と歩く。


 そして、十歩目を踏み込んだところで鬼顔動樹の樹皮が裂けた。

 その異常は魔剣の能力に他ならない。アルト・シュメルツとは古き痛みの意を持つ名であり、その力は破損経験の全てを現在に再現するというものだ。

 つまり、鬼顔動樹は生まれてこの方経験してきたダメージを一斉に全てその身に受けている事となる。裂けた樹皮をそのままにのた打ち回る鬼顔動樹。

 既に戦意等無い状態に成ったそいつへ俺はゆっくりと近づいた。近付き、懐から壁貫蜂の毒を取り出しそれを樹皮の裂け目へと挿し込む。細長い瓶から流れ出た毒が鬼顔動樹の幹を内部から腐らせていく。

 暴れる力が弱くなる。どうやら此奴の終わりも近いようだ。


「じゃあその目ん玉を貰っていくぜ?」


 アルト・シュメルツの切っ先で眼球の周りにある樹皮をなぞり、そして破壊する。

 零れ落ちた眼球を保存用の特殊な魔法が掛かった袋へと入れ、入り口を紐で結ぶ。ふと見れば、鬼顔動樹の死体は人間のモノに成っていた。


「……成程、お前魔人だったのか」


 こいつも元は人間であり魂食みの民だったのだろう。森の精霊なりと契約し、樹の亜人と化したこいつは何らかの理由で魔人へ落ちてしまった。

 その姿に、一歩間違えれば俺も成っていた。


「あばよ、鬼顔動樹。次に生まれてくる時は安らかに暮らせると良いな」


 融合を解き、俺とフィーネはその場を去った。

 薄暗い森には、誰かの死体のみが残されていた。



 森の中間区。

 鬼顔動樹の居た奥の暗い場所とは違い、木々の間から若干の木漏れ日が見える。そこで俺達は人狼に囲まれていた。


「パパー!!」

「父上ー!!」


 訂正がある。

 俺の娘の人狼に囲まれていた。


「マスター!? 何ですか誰ですかその可愛らしい娘は!? え!? パパ!? 父上!?」


 後ろのフィーネが面白い感じに混乱している。

 娘の数は八人。

 それぞれ10歳程度の外見年齢であり、どいつもこいつも母親に似て愛らしい顔つきをしてやがる。張り付いてくる娘の内二人の頭を撫でた。灰銀色の毛並は触り心地良く、撫でられるのが嬉しいのか目を細める様子に和ませられる。


 ふと、前方の木々が揺れるのを感じ視線をやる。

 森の影から人影が現れた。背の高い女だ。長い灰銀の髪を揺らし、豊満な身体を動物の毛皮で作った簡易衣服で包むその女は、俺の知っている奴だった。


「ようリタ、久しぶり」

「久しぶり、レイジ」


 リタ。

 東の森にて人狼部族の頂点に立つ女。

 俺がまだフィーネと活動していなかった時代、森にて名実共に俺のパートナーを務めた女でもある。そして、現在八人の子の母親である。父親は勿論俺。


「え、マスター? 育児放棄ですか?」


 フィーネが俺の方を見て信じたくないと言う様に言った。

 育児放棄、か。

 そうだな、俺は殆ど親らしいことをこいつらにしていない。月に何度か会いに来てお土産を置いたり遊んだりする程度だ。一緒に居てやるべき時間が、こいつらは圧倒的に少ないのではと思うが、生憎こちらも親の顔を知らない為どう接していいかは模索中なのだ。


「違う。レイジは親として立派。獲物取ってくる、子供と遊ぶ、頭が回る。そしてアッチも上手」

「……アッチって何ですか?」


 フィーネが物凄い形相でリタを見つめる。

 対照的にリタは柔らかな笑顔だ。


「貴女がフィーネ?」

「え、あ、はい。私がフィーネです」


 リタは戸惑うフィーネに近寄り抱き寄せるとその首筋を舐め始めた。


「って、きゃあ?!」

「落ち着けフィーネ、それは人狼族特有の好意表現だ」


 首筋とは生物にとっての弱点だ。

 主要な血管を切り裂けば出血多量で死に、気道を絞めれば窒息死する。

 そこに舌を這わせる事で、危険に遭遇した際は助けるという証としているのだ。ちなみに仲間と認識される儀式においては首筋を甘噛みされ逃げなければ仲間という事となる。逃げようとするとそのまま首筋を噛み切られるので注意が必要だ。


「ぅひゃぁぁぁぁぁぁ!?」

「ん、フィーネ、良い匂い」

「ああ、確かに」

「和んでないで如何にかしてくださいマスター!!」


 そうは言っても足元には愛しい娘共が張り付いている為に動けない。

 暫しの間、フィーネはリタにベロベロと嘗め回されていた。匂いを気に入ったからか、中盤から嘗め方に気合が入っていた為着ている服の方が涎臭い事に成っていた。


「う、うぅ……」

「そう怯えるな。悪気が有ってやった訳じゃないんだから」

「悪気が有ったらぶっ殺してますよ!?」


 リタの中において、フィーネの位置づけは二番の者らしい。

 というのもこの部族、俺を一位に据えている為に現行のパートナーであるフィーネが二位となるのだ。無邪気に慕ってくる人狼達の様子にフィーネはたじたじといった感じだ。


「今日は村に厄介になろうと考えているんだが、大丈夫か?」

「平気、歓迎する、精一杯」


 その後人狼達とスキンシップをした後、俺達は部族の村で一晩を過ごすことと成った。



 早朝、人狼族の村。

 東の森から俺の居た街までは結構な距離が有る。

 徒歩では丸一日かかるところを、今回は緋色狼の背に乗せてもらえる為、昼過ぎくらいには街へ着く予定だ。


「じゃあなリタ。元気でいろよ」

「うん、レイジも。お土産期待してる」


 抱擁とキスを交わし離れる。

 そして俺の後に洩れなくフィーネもやられていた。雄の人狼共の何人かが前屈みになり同族の雌から白い目で見られているが自業自得だ。俺とフィーネは緋色狼に跨りその地を去った。


 草原。

 疾走する緋色狼の背から見る景色は趣深い物が有る。木や動物が線の様にブレるのだ。自分で目標を立てて移動するのとは違う視点がこうも楽しいモノとは思わなかった。


 暫く走り、草原から突き出ている岩の陰で休憩を取る。その際に緋色狼達へジャーキーと水を渡すのを忘れない。

 ジャーキーとは、緋色狼達にとって至宝に近いモノだ。自然界において肉は肉の味しかしない。そしてこのジャーキーは肉の味を濃縮しつつ様々な味付けのバリエーションを持つ。一時期は緋色狼達が一切れのジャーキーを巡って争いを起こしてしまう程の人気だった。

 まあ俺の娘やリタには定期供給している訳だが。


『美味い、美味いのぅ……』

『良く噛み締めておけよ、若造? 次はいつ来るか解らぬからな』


 こんな事を二匹の緋色狼が話している。その頭を撫でると心地良さそうな唸り声を上げる辺り愛らしい生き物だ。


「……マスター」

「ん、どうした?」


 水の入った水筒を渡しながらフィーネが話しかけてくる。


「リタさんとは、何故別れたのですか?」


 フィーネの疑問も尤もだ。

 俺とリタの中は悪くない。どころかとても良好だと言える。しかし、俺が魂食みの民である以上、リタをパートナーとする期間には限界が有った。


「限界?」

「そう、限界だ。リタは元々灰色狼だった。死後その魂と俺が契約し、俺達は一心同体で森の様々な問題を解決した。そんな有る時、リタが人狼の形態を取れるようになったんだ。物理干渉を起こし生物の肉を喰らう事で己の身体を構成した。それは魂の格が一段階上がりより高位な存在となった事を示したいた。が、同時に魂食みの民における別れの一形態でも有った。魂食みの民は力を行使する内に選択を迫られる。契約した魂と一心同体となり生きるか、それとも新たな肉体を獲得し別の道を歩むかだ。俺は、正直どちらでも良かった。あいつと一心同体となって駆け抜ける森は心地良かった。けどアイツが望むならそれも悪くないと思ったのさ」

「……何で、リタさんは別れを?」


 薄々と勘付いたのだろう、聞いてくるその表情には陰りが見える。


「恋慕が故、だそうだ。リタは狼の魂としてではなく、人として俺と交わりたかったと言っていた。その答えがあの人狼の姿なのだろうさ。数多の魂を喰らった狼が肉体を生成する事で、その力は従来の人狼とは比べられない程高い次元のモノとなった。その恩恵のお蔭か、俺も人狼並みの力を人間のままで所持している訳だしな」

「……そうですか」


 それ以降、フィーネは押し黙った。

 フィーネが何を聞きたいのかは何となく予想できる。


「では、私もマスターと離れなければならない時が来るのでしょうか?」

「さあな。まあ魂食みは出来なくなるだろうが、お前が望むなら一緒に居るよ」

「……はい」


 返答に対し納得したのかフィーネは立ち上がった。

 それに続いて俺も立ち上がる。

 俺達は再び草原を疾走した。



 目の前の扉をノックする。

 木製の扉は年季が入ったモノだがっしっかりと補修がされておりみすぼらしくなったりはしていない。灰色の魔法使い、コリーナとその妹が住む家だ。木製であり、魔術関連のモノであろう彫刻が壁の細部に彫刻され不思議な雰囲気を醸し出している。


「はーい、どちらさ、あ!!」

「よう。依頼の物、持って来たぜ?」


 袋を取り出し、それをコリーナへ手渡す。

 応対の為に出て来たコリーナの恰好はこの前見かけた灰色ローブの上に黄色いエプロンといったものだった。コリーナは驚いた顔のまま袋を受け取り中を覗く。開けた袋の中には硬化した巨大な眼球が入っている。鬼顔動樹の眼球だ。


「これが、鬼顔動樹の……」

「ああ、眼球だ。報酬は後で良い。さっさと妹さんの薬を作ってやりな」

「はい、ありがとうございます!!」


 コリーナは玄関を開けっ放しにしながら家の奥の方へと走って行った。後には俺だけが残される。何とも微笑ましいモノだ。


「……さて、帰るか」


 踵を返し我が家へと歩み出す。



 翌日。

 いつも通り酒飲んで眼を覚まし、風呂から上がってコーヒーを啜っている時にそいつは訪ねてきた。

 事務所の玄関を叩く音。それを聞いて、応対に向かう。


「はいはい、どちら様で?」


 内向きに開く玄関の扉を開き外に誰が来たのかを確認する。しかし視線の延長線上には誰もいない。これが今流行の悪戯、通称ノックダッシュと呼ばれるそれかと内心戦慄する俺。


「レイジさん、ですよね? 鬼顔動樹を倒した……」


 唐突に下から聞こえた声に視線を下げる。そこには灰色のローブと同色のとんがり帽子を被った子供が居た。出で立ちからしてコリーナの妹だろうか。だとしたら症状は回復したのか。

 だがだとしたら可笑しな話だ。あれだけ妹を心配していた姉が病み上がりの妹を一人でうろつかせるモノだろうか。


「……ああ、俺がレイジだが」

「そうですか、良かった。貴方に一言、言いたい事が有って来ました」

「ほう?」


 言いたい事。

 病み上がりで体力を戻す筝から始めなければならない筈の子供が、俺に言いたい事とはなんだろうか。姉に俺の女になれと言った事への文句か。だとしたら納得だ。あの姉の妹だ、家族の身について案じている可能性は十分ある。

 そして、何を言われるのかを考えている俺の目の前で、コリーナの妹は頭を下げた。


「姉を、どうかよろしくお願いします」

「……ん?」


 期待していた回答と違う為に頭を捻ってしまう。

 家族を宜しく頼むというのは何ら間違った言葉ではない。問題なのはその状況だ。家族という第三者から見れば、俺はどこの馬の骨とも知れない男だ。その俺に、一体どうして頼み込んだり出来るだろうか。順序から言えば、まず俺の見極めから入る所だろうに。

 その様子を見て、コリーナの妹は顔を上げ、何故その様な事を頼むのか説明しだす。


「何故、という顔をしていますね……」

「おう」

「説明いたしますと、姉は奥手なのです。研究が好きで、且つ異性を苦手としている為引き籠りがちで出会いも無く、私は常々姉の将来に危機感を抱いておりました。私? 私はもう、バッチリですよ? いざとなればそこら辺のを引っ掛けますし? まあ、ちょっとした拘りも有りますが。で、姉です。私の病気の件で姉は貴方と知り合い関係を求められたと言っていました。嬉しそうに。……そう、嬉しそうにですよ!? あの姉が、まるで馬鹿な連れ合いの惚気話でもするかの様に寝ている私に話すんですよ!? これはもう、行くしかないと思いましたね。収入の面でも心配ないですし、貴方が関係を持った女性を蔑ろにしたという話も聞きません。このご時世です、多少の浮気にもまあ目を瞑りましょう……」


 まるで弓兵隊が一斉に放った矢の雨の様に、言葉が降り注ぐ。灰色の魔女の妹も、姉と同様に家族思いの様だ。微笑ましい限りである。


「……ですので、どうか姉を宜しくお願いします」


 そう言って、また頭を下げた。


「そう何度もペコペコするなよ。むしろこちらから願いたいくらいだ。お前の姉は良い女だからな」

「えへへ、自慢の姉です」


 コリーナについて褒めると、まるで自分が褒められたかの様に微笑むこの妹もまた良い女だ。が、如何せん若すぎる。


「でもってですね、姉は〇才までオネショをしていまして……」

「何を言ってくれやがりますかこの妹はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 妹は突如現れた姉に拳骨を喰らっていた。

 とても痛そうだ。落とされた個所を両手で押さえ蹲ってしまった。まあ、身内の恥部を話そうとしたのだ、当然の報いだろう。貴族なんかじゃお家騒動に発展する所だ。……魔法使いなら、魔法合戦だろうか。


「そういう貴方だって〇才まで一人でトイレ行けなかったでしょうが!!」

「ちょ、それは酷い!! それを言うならお姉ちゃんだって……」

「貴方何か……」


 玄関前で魔法使い姉妹の喧嘩が繰り広げられる。実に和む光景だ。


「いや、止めましょうよマスター」


 後ろでげんなりしているフィーネに言われ、俺は二人の喧嘩を仲裁し始めた。



「この度は本当にありがとうございました」

「ああ、仕事だ。気にするなよ」


 事務所のリビング。

 魔法使い姉妹を座らせコーヒーと菓子を出す。出す菓子はフィーネ手製のクッキーだ。しっとりとした触感と仄かな甘みが特徴的である。俺のお気に入りの一つでもあった。

 反応は上々、と言った所か。

 クッキーを食べ燥ぐ様子から姉妹の口にあったようだ。


「……それで、その」


 姉の方が戸惑うように何事かを言おうとする。が、その真っ赤な頬を見れば要件は一目瞭然と言えよう。その様子を見て、要件を勘付いたフィーネが白けた眼で俺を見てくる。


「ああ、解っているさ。ならさっそく準備に……」

「悪いが、それはまた今度にしてもらおうか?」

「!!」


 突如響いた声に姉妹が驚き、フィーネが刀を構える。対して俺は既にこの声を発する者の遣り口に成れている為気楽だ。

 声の響いた方向を向けば、黒の燕尾服を纏う長身の男が居た。手にはこれまた黒い傘、そして目にはサングラスを掛けている。


「よう、相変わらずの登場じゃないか傘男。一体いつに成ったらノックを覚える?」


 傘男。

 第三解決家協会の依頼仲介人シルムとはこいつの事だ。暴力系統の依頼を専門に仲介する為、コイツとは長い付き合いだ。シルムは構えるフィーネを眼中にない様に扱い、そして俺に一枚の紙を手渡した。上質な羊皮紙であり、縁に描かれた紋様からも書いた者の権力を窺わせる。


「依頼か? それも、俺のスタイルを知った上での」

「ああ、悪いが緊急だ。――――クライムドラゴンが降りて来やがった」


 その言葉に、その場に居る全員が戦慄した。



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