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後編

後編です。

 医師になりたい、というのは幼い頃からの夢だった。

 いつから、何故そう思ったのか、具体的なところははっきりしないけれど。


 大きくなるに従って、医師になるには学力や学費をはじめとした、様々な壁がある事を悟った。

 それでも、それ以外の道考える事は出来ずに、自分の気持ちに従って進路を決めた。

 周囲の人は、夢を叶えたと褒めたり喜んだりしてくれた。


 ――――けれど、いまだに分からない。

 医師と言う資格を手に入れた今でさえ分からない。

 自分が本当に、夢を叶えたのかどうか。




「りーの!」

 顔を上げると、名を呼んできた明と目が合った。

「何?」

 聞き返すと明はちょっと首をかしげた。

「いや、またボーッとしてるなぁって思って声かけただけだよ。みんなご飯食べてるのに、理乃だけ手が止まってるし」

 言われて他の三人を見やると、三人は皿の料理を口に運びながらわいわいと話していた。

 私は微苦笑を浮かべた。

「ごめんごめん、何でもないよ。ちょっと考え事があっただけだから」

「何でもなくないと思うけどなぁ」

 明が笑いながら言った。

「理乃、最近会ってもボーッとしてる事多いし。電話もメールもすぐ切っちゃうしさ。

前はよく話が延々と続いて困るねって話してたこともあるのに、今はもうそんなことないでしょ?」

 目を丸くした私に、明はニヤリと笑う。

「時期的には理乃が就職したあたりからだけど、別に仕事が忙しくてとか疲れててそうだってわけでもなさそうだしね。ってなると、何かがあったって考えるのが自然でしょ?」

 ……全く……敵わないなぁ。

 ほろ苦い思いで笑いながら思った。

 自分では出さないようにしてたつもりなのに。

「明、鋭くなったんじゃない?」

 そう言うと、明はちょっとだけ不満気な顔をした。

「鋭くなったって、まるで前の私が鈍かったかのような言い方だなぁ」

「少なくとも中学までは、人と比べたらのんびりだったでしょ」

 しれっと返してやると、明は軽く顔をしかめたが、何も言わなかった。身に覚えは一応あるらしい。

「……まあ、私のことは置いといて」

 とは言いつつも、まだ若干ふてくされたような明の声が続く。

「理乃、やっぱりなんか様子変だよ。……こんだけ幼馴染やってれば、嫌でも分かる」

「……そんなに分かりやすい?」

 確かに、明との付き合いはこのメンバーの中で一番長い。

 家が近所という事もあり、さかのぼれば小学校に入る前からの、正真正銘幼馴染だ。

 ゆえに、四人の旧友の中では一番仲が良く、会う機会も最も多かった。

「あんまり感情を表に出さない理乃にしては、珍しすぎるくらい分かりやすい」

 明が大きく頷く。

「話聞くぐらいしか私には出来ないけどさ。そんでも聞くだけなら聞くから、話してみなよ。―――理乃がそんなに長く考えても答えが出ないのは、どこかでゴチャゴチャになってるからでしょ。整理して私に話せば何か解決しちゃうかもしれないよ~」

 最後は茶化すように軽い口調で言いながら、目は真剣だった。本気で心配してくれているらしい。茶化してみせたのは、話しやすいようにしてくれたのだろうか。

「そう……だね」

 明に答えて、自然に笑みがこぼれた。

 のんびりしているように見えて、人の変化に目敏いのが明だった。

 どの言葉から話し始めたらいいか、少し迷って出た言葉は結局、何も飾りのない単純なものだった。

「なんか、私の叶えたかった夢って、なんだったんだろうって思ってさ」




 将来の夢というのは憧れから始まるのかもしれないけれど、それを叶える為には憧れだけじゃなく覚悟も必要だ。

 そう感じたのは、大学に入った頃だったか。

 入学する前は、なんとか夢を叶える資格を手に入れようと勉強に必死で、他の事を考える余裕なんてなかった。

 けれど、大学に無事に合格し本格的に医療を学ぶにつれて、だんだんとその思いが湧くようになってきた。

 理論を学ぶのは楽しい。でも、現実は厳しい。

 学んでいる理論で、すべての人を完全に救うことは出来ないのだ。

 大学の付属病院で実習などをするたびに、その思いが強くなる。

 担当してくれた教授や同級生に相談をしたら、今の自分に出来る事を精一杯やることが大事だと言われた。

 完全に悩みを解消は出来なかったが、悩み続けても仕方がないと自分を無理に納得させ、淡々と、だがその悩みを考える暇が出来ないように、ひたすらに勉強した。

 そうしているうちに、今度は何がなんだか分からなくなってきた。

 将来の夢は医師になる事――――本当にそうだったの?

 〝医師〟という仕事をよく知りもせずに、ただの憧れで、ただ格好いいと思ったから、なりたいって思っただけじゃないの?

 そんな軽い気持ちで、人の命を扱う、こんなに重い仕事が務まるの?


 そんな気持ちも抑え込み、医師免許を取って研修医として働き始めた。

 その矢先。

 私の受け持っていた患者が、容態を急変させて亡くなった。

 そういうことが有り得る病気である事は分かっていた。それでも、ショックは大きかった。

 頭では分かっていても、なかなか患者の死を受け入れることが出来ないのは、この仕事に対する覚悟が本当には出来ていなかったからかと思った。

 あの時、悩みと自分の気持ちにちゃんと向き合わなかったことへの、罰のように思えた。




 私の話を、明は黙って聞いていた。

 できるだけ静かな声で、私は話を締めくくった。

「だからじゃないかな、最近沈んで見えてたのは。患者さんが亡くなった三ヶ月前からずっと考えてるから」

 重くなりすぎたら明に悪いと思ったから微笑んでみせた。けれど、この笑みは心の底からの笑みじゃなかった。

 そういえば、最近ずっと、心の底から笑うことがなかったことに気づいた。

「――――理乃」

 明が伏せていた目をを天井に向けた。

 視線が私を通過して、一瞬痛々しそうな表情になる。

「そんな……辛そうな顔で笑わないでよ。泣く時は普通に泣いていいから」

 泣きながら無理に笑ってるのって、見てるこっちも辛いから。

 労わるような優しい声で言われ、私はびっくりして頬に手をあてた。

 いつのまにか、涙が流れていた。

 言われるまで、泣いている事に気づかなかった。

「…………泣くつもりじゃなかったんだけどな」

 呟いて、指でそっと涙を拭った。




 涙がおさまった頃に、明がポツッと言った。

「私のほうの話もしていい?」

 唐突な質問で、よく考えずに頷くと、明はどこか遠くを見ながら話し出した。

「中学の時、理乃が将来の夢を聞かれて医者って答えてたみたいに、私にも自分の将来の夢があったじゃん?」

 ……よく覚えている。

 言い出したのはもっと早く、小学校だったような気もするが。

「作家だっけ?」

「そ。結局今でもなれてなくて、普通に会社員やってるけどさ。それでも今も小説書いてる。新人賞とかコンクールにも、全部落ちちゃってるけど何回も応募してる」

 明が手元の酒が入っていたグラスをいじる。

「こないだもまた、二次選考で落っこちたんだ。……その連絡がすごく印象に残ったから、理乃にも話すけど」

 その時の事を思い出したのか、明がくすっと一瞬笑った。

「普通なら郵便で結果通知のはずなのに、何故か選考してた編集部から電話かかってきたんだよね。そんで、その電話してきた編集者がすごかった」

「……どんな風に?」

「電話とったらさ、いきなり言われたんだよ。『あんたは賞が欲しいのか作家になりたいのかどっちだ』って」

 ……よく分からない。

「どういう意味?」

「私も分かんなくてさ、『はい?』って聞き返したらすごい勢いでまくしたてられて」

 あんたの事はいつも選考に残ってるし毎回応募してくるから覚えてた。筆力もだんだん上がってきてる。今じゃ最終選考まで残る奴と同程度の筆力は持ってると正直思う。けどな、それでも賞をやらねぇのは、あんたが最初に応募してきた時から一歩も進歩してねぇとこがあるからだよ。

 それがなんだか分かるか?

「当然分からないから『分かりません』って言ったんだ。そしたらさ」

 じゃあ一回しか言わないから覚えろよ。それはな、

 個性だ。

 今世の中に出て売れてる本はみんな強烈な個性を持ってる。強烈な個性が人の心にその物語を刻みつけるんだ。

 筆力なんか技術だから、そんなもん磨きゃ誰でも上手くなる。けれど、個性ってのは作家の心そのものだ。作家がどれだけその物語に心を込めたかを示すもんだ。

 今のあんたの個性じゃ、どんなに文章が上手くたって簡単にその他大勢に紛れちまうよ。

「それ聞いたら、少し恥ずかしくなっちゃってさ」

 明が笑う。

「私、締切に間に合わせてとにかく書き上げる事にばっかり必死になってた事に気づいたんだ。一つ一つの物語を大事に書いてたかって言われたら、自信持って頷くことが出来なかった」

 何も言えなくなった明に、編集者は打って変わった優しい声でこう言った。

『あんたがなりたいのは作家だろ?なら、今度は締切なんか気にせずに書いてみろよ。書き上げて、納得するものが出来たら俺のところに持ってこい。俺は、あんたの全力の物語が読みたい』

「かなり嬉しかった。ここまで私の物語を全力で受け止めてくれる人がいたんだなって。全力じゃないものを全力で受け止めるって、なかなか出来る事じゃないと思うから」

 そう語る明の笑顔は、作家をただの夢として語っていた中学の頃と全然違った。

「良かったじゃん、そういう人がいてくれて」

「うん。かなり恐いおじさんだったけど」

 でね、と笑顔のまま明は続けた。

「理乃の悩みも、私と似てるんじゃないかなって」

 ……私の悩みと?

「悩みのスケールとか全然違うけどさ、悩んでる事に無理に答えは出さなくていいと思う。保留でもいいじゃん、悩むだけ悩んで、いつか自分なりの答えが出せれば。無理矢理に答え出しても、納得してなかったらいつまでたってもモヤモヤしたままだと思うし。出した答えに納得してれば、何があっても自分の方向性は見失わないで済むでしょ?」

 締切ばかり気にして、自分の書く物語にきちんと向き合っていなかった明。答えを出す事ばかり気にして、自分の悩みにきちんと向き合っていなかった私。

 確かに似ている。明は、その問題に〝個性〟という答えを出した。

 私は……どうなんだろう。

「…………」

 しばらく黙って食事を続けた。

 明も、黙ったままだった。

 そして数分後―――。

 飲み干して空になったグラスを、トンッと机に置いた。

「うん、決めた」

 何も言わずに目を合わせてきた明に、宣言するように言う。

「明の言うとおり、好きなだけ悩んでみる事にするよ」

 明に言われて気がついた。

 焦って出した答えでも、人に聞いた答えでも、きっと私は中途半端な所で止まって抜け出せなくなる。自分で出した答えじゃなきゃ、心の底から納得する事は出来ない。

 なら、どんなに時間がかかっても悩み続けるしかない。自分が納得出来る答えを出せるまで。

 答えが出るまでは、その時自分が正しいと信じた道を選ぼう。失敗ももちろんあるだろうけど、それらも全部ひっくるめて出す答えは、私にとってとても大事なものになるはずだ。明の〝個性〟を私風に言えば〝信念〟になる。自分の信念を持ってる人って、素敵だと思う。自分も、そういう人になりたい。

 そういえば、私が医師を目指したきっかけは、自分の信念を持った医師に憧れたことだったな、なんてずっと忘れていた事もふと思い出した。

「そっか。頑張って」

 明が微笑む。私も笑った。

「頑張るよ」

 悩みが解決したわけではない。でも、悩みを早く解決しなくてはならないと思い込んでいたさっきまでよりは、確実に気持ちは軽かった。

 浮かべた笑みは、数ヶ月振りの心の底からの笑みだった。




 勘定を終えて外に出ると、もう夜の十時をまわっていた。

「美味しかったねー」

 真夜がうーんと伸びをする。

「……真夜はタバスコ大量投下すれば何でも美味しいんでしょ」

 弥生が辛い物好きの真夜をからかう。

「一番の大食いだった弥生に言われたくない!」

「デザートにまでタバスコかけようとした人に言われたくない!」

「どっちもどっちじゃん」

 横から口をはさんだ茅に、真夜と弥生が同時に言い返す。

「「茅は少食すぎ!!」」

 明が吹き出す。その通りだと思ったらしい。実際、茅はセットを食べきれず、半分以上を足りないと騒ぐ弥生の皿に移していた。

 そんな他愛もない会話を交わしながら、夜の道を歩く。

 そして、分かれ道に出た。

 歩いて帰れる距離の弥生と茅。自立し、実家から少し離れて一人暮らしをしている明と真夜。地元外の病院に勤務する私。ここで、徒歩組・バス組・電車組の三つに分かれることになる。

「それじゃ、ここで解散だね」

 前を歩いていた明が振り返った。

「楽しかったー」

「また集まりたいね」

 茅のセリフに、真夜がはいっと手をあげた。

「どした、真夜?」

「あのさ、一人ずつここで次会う時までに達成するっていう目標立てない?自分一人で立てるんじゃ怠けちゃう事もあるかもしれないけどさ、ここでみんなに宣言したらそういうこともないでしょ」

「いいね、やろう!」 

 真っ先に明が賛成した。一拍遅れて茅が頷く。

「理乃もいいよね?」

 明に聞かれて、「いいよ」と返事をする。

 弥生が言った。

「ま、私もやるのはいいよー。じゃあ言いだしっぺの真夜からどうぞ」

「……来ると思った。まぁいいけど」

 真夜が笑う。

「私、今英検一級受けようとしてるんだ。英語は前から得意だったし、仕事で外国人の相手をすることもあるからさ。だから次会う時までに受かってるように頑張るよ」

 真面目な真夜らしい目標だ。続けて茅が口を開く。

「私は仕事を増やすことかな。まだまだイラストレーターとしては駆け出しだから名前知ってもらえてないけど、絶対にバイトする暇なんかないぐらい仕事もらえるようになる。……はい、次弥生」

「私!?……えーと、次までに正社員として雇ってもらう!」

 おおー。ついに弥生もニート生活から脱却か。

 残ったのは私と明。アイコンタクトで、明が先に言うことになった。

「私は、電話くれた編集者さんのとこに小説持ってくことかな」

 今また小説書いてるから、と明が笑う。きっと、大事に書いている物語なんだろう。

「はい、理乃の番!最後だから締めてね」

 ポンと肩を叩かれた。「締めてとか無茶言わないで」と苦笑して言う。

「自分の信念を見つけること」

 幼い頃憧れた、あの医師のように。けしてぶれることのない自分の信念を。

「……本当に締めた」

 肩を叩いてきた弥生が言う。……別に締めたつもりはないが。

「なんか理乃のやつが一番大変そうだねー……。まぁ、頑張れ!」

 言って、真夜が「じゃあ」とバス停へ続く道を歩き出した。

「私、もうすぐバスの時間だから行かなきゃ。またね!」

「あ、私もだ。じゃあね、みんな!」

 明も真夜のあとを追って歩き出す。

「それじゃ、私もぼちぼち帰るかな。茅、途中まで一緒に帰ろ」

「いいよ。そんじゃね、理乃」

 弥生と茅も、手を振って道を分かれていった。私は手を振り返し、旧友四人の背中をしばらく見送った。

 昔、持っていた夢。今、持っている夢。同じな部分もあれば、違う部分もある。考え直して、軌道修正した所もある。その考え直した所が、憧れのみで始まった、幼かった夢なんだろう。

 憧れである幼かった夢を軌道修正して現実に近づけていく事で、人は夢を叶えるのかもしれない。

 四人の背中が暗がりに溶けて見えなくなる。私は、駅に向かってゆっくりと歩き出した。




                          〈Fin〉


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