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「綺麗な色の鳥が飛んでいるんだ」
つられてカルテロが窓に眼をやると、鮮やかな真紅の鳥が背を向けて彼方へ飛んでいくところだった。
「あぁ、あれはライナです。珍しい。アーヴィングの街に、唯一人、今もライナに乗っている少年がいると聞いた事がありますが、きっとあれがそうですよ」
「少年? あんなに高くまで飛んでいたのに子供が乗ってるのか? ……怖くないんだろうか。」
ナルシアは誰も居なくなった空に、再び眼を向けた。
「羨ましいな。私もあんな風に、気持ち良さそうに空を飛んでみたい」
すると、カルテロは軽く笑った。少年は空に憧れるものだ。ナルシアもまた、例外では無かった。
「貴方には、貴方の務めがあるではありませんか」
「エンリトの王になり、国を守るという務めか? でも……、私には、精霊の声は聞こえないのに」
その言葉に、カルテロは慌てて振り返った。
「ナルシア様! その事は口外なさらないと、御祖父上との約束のはすでしょう。誰かに聞かれでもしたら、どうなさいますか」
入口を気にするカルテロに、ナルシアは冷めた視線を返した。
「何故、隠す必要がある? 私に精霊を静める力が無いのは……、真実じゃないか。」
そう言うと、ナルシアは顔を曇らせた。
精霊の声が聞こえない。ナルシアは、その事を罪深く感じている。精霊の声が聞こえずに、精霊の悪行を予兆する事は出来ない。
その自分がエンリトを精霊達から守れるのだろうか。王位戴冠式を前にし、ナルシアの焦りは募るばかりだ。カルテロはナルシアの不安が手に取る様にわかった。
「何度も言うようですが、ナルシア様。王になられるのに、精霊の声が聞こえる資格などいらないのです。貴方には、まごう事なく英雄アヴェルガ様の血が流れている。それに、貴方はアヴェルガ家の子孫にふさわしい立派な考えと資質を持っている。何も心配する事などないではありませんか」
カルテロは、そう言いながらナルシアを見つめた。
漆黒の髪と、抜けるような白い肌に浮かぶ、黄金色に輝く両の瞳。
数々の猛将達を破ってきたカルテロも舌を巻く程の卓逸した剣技の才を持ちながら、己の恵まれた才能に溺れる事なく、いつでも国民の事を思いやる優しい気質。
このナルシア様を差し置いて、一体誰がエンリトの王になれるだろう。カルテロはいつも、そう考えていた。
「けれど、国民は皆、私が精霊と話せると信じている。なぁ、カルテロ、父様には聞こえていたのだろう? 父様は、私に、精霊とどんな話しをしていたのか教えてくれなかったけど」
ナルシアにそう聞かれ、カルテロはナルシアが生まれるもっと以前に、シドラス王の狩りに付いて行った時の事を思い出した。
その頃のカルテロはまだ見習い騎士で、王の家臣であった父の側について、王の小間使いを任される事になったのだ。
植物の育たないエンリトには森などは無いため、エンリトの北にある友好国の一つであるロード・ガルナの領地であるルトの森までの遠出だった。
狩りには、ロード・ガルナ王の家臣も大勢来ており、カルテロはその中の一人の老兵から、ルトの森に纏わるある話しを聞いた。
「このルトの森の奥には、美しい泉があり、水の精霊の使い、ミシュテリアという魚が守っている。ミシュテリアは細く長い、大蛇に似た魚でな、泉が永久に清くあるように泉を汚すものがあれば怒り罰するという」
カルテロは、その話しにぞっとした。
精霊の怒り。それは幼い頃から、母に聞かされてきた、おぞましいもの。
――良い子にしていないと、精霊達がやって来ますよ。精霊達が怒ると、恐ろしい事になるわ。火は燃え盛り、風は渦を巻く。大地は割れ、水全てを飲み込む。世界がそうなりたくなければ、アヴェルガ様に祈りを捧げ、大人しく良い子にしていなさい。
震え上がっている若きカルテロに、老兵はカカカと笑った。
「面白そうな話だな」
いきなり背後から声がしてカルテロと老兵は飛びあがった。