2
「それにしても……、さて、どうしたものか。アレフまでも失敗に終わると言うことは、あなた方、残りの将軍を向かわせても同じ結果になる事は眼に見えているし」
困ったように首を傾げる様は、可憐なものだった。エリスは、綺麗に整った長い爪を唇にあて微笑むと、黒衣の男に眼をやった。
「レテ、あなたが行きなさい」
場が、騒然とする。レテは、エリスの切り札だ。アレフが替えのきく装飾品ならば、レテはまさしく血の通った己の右腕。それを出すということは、エリスは本気でナルシアを叩こうとしている。
そして、この男ならば遣れるという多大な信頼を、エリスはレテに寄せていた。
「エリス様、よいのですか? 私がゆけば……」
表情の無い白い仮面。動かぬ唇から聞こえてくるのは、感情の見えない虚ろいだ声だった。
「ナルシアを、殺してしまうかもしれませんよ」
死神の行く手には、ただ死が待つのみ。生きて捕らえ、光脈の情報を聞き出す事は出来なくなるだろう。
レテの言い様に、エリスは鈴の鳴るような笑い声を上げた。
「遠慮は要りません、レテ。先刻、光脈の所有を巡って国王会議が開かれる事が決定したのです。その時に、ナルシアを担ぎ上げられては厄介な事になりますからね。゛神の子″が生きていれば、我々の不利になる。ナルシアが居なくとも、エンリトを手に入れれば、時間はかかろうとも、じっくりと光脈は探せるでしょう」
飽くまでエリスは和平の道など望んでいなかった。血を好み、世の混乱に歓喜する。恐怖と殺戮を持って、人を従わせようとしている。
残忍なる女帝の前に、レテは跪つくと、呟いた。
「全ては、貴女の御意のままに」
謁見の間から続く大階段を降りると、そこには花の咲き乱れる中庭が広がっている。レイダートの特質な風土でしか咲かない希少な花や、別種の配合によって産み出された珍しい花が、ふんだんに生息していた。
レテは、その合間の通路をゆっくりとした歩調で歩いていたが、背に名を呼ぶ声を受け立ち止まった。
「レテ、待ってくれ」
振り返ると、そこには自分を追いかけてきたレイダート国王子アルベル・ロンネルの姿があった。
息を切らせ、しかめる顔は、美貌の母に似ず不器量だった。煤けたような灰色の髪と、ずんぐりとした体躯は、亡きレイダート国王のものを譲り受けている。
「これは、アルベル様。私に、何か御用ですか?」
アルベルは普段、滅多にレテに関わろうとする事はしない。密偵、不義工作、そして暗殺を手がける闇の生き物。母の穢れである、この死神をアルベルは激しく嫌悪していた。
アルベルは、滲み出る汗を切ると、レテの白い仮面を、小作りな眼で睨み付けた。
「お前は、本当にナルシアの元へ向かうつもりか」
その問いに、レテは身動ぎもせず答えた。
「それが、我が主の命でございますから」
アルベルは眉間に皺を寄せると、首を振った。
「母上は、何を考えているのだ。エンリト奇襲に、ウォルナの被害。確実に、戦力は消耗しているのだぞ。今の、レイダートは圧迫されている。母上は、何故、あぁまで無謀な真似を為さるのだ」
レテ、とアルベルは死神に呼びかける。
「母上は、お前の言うことならば耳を貸すだろう。母上を止めてくれ」
アルベルの眼に宿る嫉妬を見つけ、レテは微かに笑った。
「あなたには、わからないのですよ。たった、僅かな差で、人の生きる道など大きく擦れてしまう。同じ人間に生まれながら、神に選ばれなかった者の苦しみが」
何故、神に愛される者は、自分ではないのか。一番に優れている者は自分なのに、と。報われぬ欲求が、業火のように身を焦がす。
「それが、我がレイダートに流れる血の定め。そして、私の道はエリス様と共にあります」
レテは、笑う。何が可笑しいのか……、何に対して笑っているのか。嘲笑か、狂気か、死神の心意など掴めない。
アルベルは、レテの仮面に、忌々しそうに言葉を吐き捨てた。
「お前は……、母上の汚らわしい操り人形だ」
母の大事な、黒い人形。だが、それには、おぞましい血がこびりついている。
レテは、アルベルの侮蔑に何も答えなかった。
「レテ、ナルシア討伐には、私も同行する」
「エリス様は、ご存知なのでしょうか」
「私の意思だ! 私はお前とは違う。母上の言いなりになるなど真っ平だ!」
アルベルは、いきり立つと、レテへ背を向け立ち去った。その後ろ姿を、゛死神″はじっと見つめていた。
使い古したブーツの底から、真昼の太陽に温められた砂の熱が伝わってくる。振り上げた腕の筋肉は張り、踏み出す足は既に重くなっている。刺すような日差しと、内から込み上げてくる熱に、喉が干からびる。呼吸は乱れ、じくじくと脇腹が痛んだ。




