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「力が無い。だから、自分には何もする必要もない。あんたはそう言って、足掻こうともしないのか」
眼が合った。艶やかな、琥珀。硬質で、ただひたすらに、強い眼差し。その眼に、ナルシアはきつく引かれた。
「ロック! お前、ナルシア様に何という口の聞き方を」
憤るカルテロを、パロディアスは手で制した。その顔には、道化の化粧に似合わぬ、真剣な表情が現れていた。
「ナルシア様。ロックの言い方は無礼なものですが、私もこの者の意見に賛成です。たとえ精霊の声が聞こえなくとも、エンリト王宮で育ったあなた様ならば、必ず何か知っている事があるはずです」
知っている事……? そんなもの、あるはずがない。父も、祖父も、どうすれば良いのか何も教えてはくれなかった。私に期待しても無駄だ。何も、出来ない。
だけど……! ナルシアは、頭を押さえた。
゛ナルシア″
不意に、名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。その声は、ルカのようでもあり、エルアのようでもあり、そして父の声のようでもあった。その時、ナルシアの頭に、天啓のように父の言葉が甦った。
――かつて、精霊達は、霊域を棲み家とし、人間はその場所を恐れ近よらなかった。だが、対極に、神の力すら封じる事のできる地が、エンリトの何処かにあるといわれている。
それから、あの時、自分の手のひらに指輪を落とした父は、何と言ったか。封印の地から採れた石。アヴェルガが愛しき女性に送った。そして……。
「ラトニウスの、書記……」
気付くと、ナルシアは呟いていた。パロディアスは、その言葉に首を傾げた。
「ラトニウスの書記? それは、一体……」
「父に、昔、聞いた事がある。アーク・レイの聖堂図書館に、アヴェルガ率いる光の騎士団の一人、ラトニウスの残した書記があると。それになら、精霊について、何か手がかりが載っているかもしれない」
「聖堂図書館。確かハーブル法王の所有物で、アーク・レイのサウゼンの都市にありましたよね」
頷くナルシアに、パロディアスは力を込めて彼を見た。
「ナルシア様。ご英断ください。精霊の声が聞こえなくともあなたは゛光″に最も近しいお方。どうか、我々にお力をお貸しください」
ナルシアは、自分を見つめる眼を、見返した。一瞬の沈黙の後、頷く。
「わかったよ」
パロディアスは、安心したように微笑んだ。
「では、皆、お疲れでしょうし、今日はウィルズレアの宿屋に泊まりましょうか。アーク・レイには明日の早朝、出発する事にしましょう」
パロディアスの提案に、街へと下りようとする三人の後ろで、ナルシアは、もう一度、空を見上げた。精霊のいない空は、張りつめたような静寂が漂っていた。
夜の闇が、宿屋の狭い部屋に侵食している。ランプのない部屋に、月光が淡く、窓から差し込んでいた。二階の窓からは、満ちる光を遮るものもない。煌々と照らされた窓際に置いた椅子の上へ、ロックは腰掛けていた。
皆、夕飯に行き、部屋には誰も居ない。手持ちぶさたな夜だった。窓枠に肘をつき、傾けた頭を左手で支え、ぼんやりとした顔つきで手のひらの短剣を弄ぶ。
ロックは器用に動かしていた指を、ふと止めた。
鋭利な光の奥に、自分の顔が映る。薄い瞼の切れ長の眼。口元は強情に結ばれている。
ロックは暫く、その顔を見つめていたが、ふっと息を吐き眼を反らすと短剣を鞘に戻した。それから鞘に納まった剣から手を離した時、ふと、ロックは柄に巻いていた紐の結び目が、ずれている事に気が付いた。




