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淀み、薄汚れ、腐敗した街。結局、ルカはこの街から抜け出すことは出来なかった。少年が、産まれてきて死ぬ、その僅かな瞬間に、幸せを感じる時などあったのだろうか。
ルカの身体は、大樹の根元に穴を掘り埋葬した。虫けらのように殺され、看取ってくれる肉親もいない。祈りも唱えて貰えず、花一つ捧げられない。これが、人間としての死に方か?
「ナルシア様。あなたに、お伝えしなければならないことがあります」
ナルシアの背に、パロディアスの声が響く。たが、ナルシアは振り向かなかった。
「エンリトは、崩壊しました」
聞きたくなかった現実。耳を、覆ってしまいたい。
「我が国、ロード・ガルナでも、調査団を派遣しておりましたが、原因は不明。突如、光は暴発し、エンリトの全てを焼きつくして天上へと消えたそうです。ミドロル国王によると、その後、光脈のありかを突き止める事は叶わなかったと。ナルシア様が、レイダートの軍勢に襲撃されたのは、おそらくそのためでしょう」
パロディアスの声が、遠くに聞こえる。ぼんやりと、朦朧としているのに、耳に粘りついて離れない。
「精霊の消失。光の暴発。そして、光脈の喪失。トラル様は、世界に起きた異変に懸念されておいでです。世界の調律をただせる者は、あなた様しかおらぬとトラル様はおっしゃっておいでです。私めは、微力ながら、あなたの力添えをするよう命じられました」
私しかいない? ナルシアは口を開いた。
「トラル様は、私を買い被りすぎだ。私はエンリト国皇子だった身でありながら、何の力も持っていない。精霊の声も聞こえず、光脈のありかも知らない。死にゆく人間を、誰一人として助けられない」
そこでナルシアは、ゆっくりと振り返った。その面は、青く、張りつめていた。
「こんな出来損ないの私に、一体、何が出来るというんだ」
ナルシアは声を荒げた。
知らない。聞こえない。助けられない。何も出来ない。
掠れ、血の滲むような声だった。
「しかし……」
パロディアスは、ナルシアの輝くような美しい黄金の瞳に、くすみのような翳りを見た。自信の消失。苦しみ、責めるかのような自己への憎しみ。伝え聞いたアヴェルガ家皇子としての光に溢れる面影は、どこにもない。ハンセンに陥れられ、俗世に投げ出された経験が彼を変えたのか……?
いや……、パロディアスは思った。これが、ナルシアの本質だったのかもしれない。遠眼には、その人間の真実など、解らぬものだ。
パロディアスは、何と言ってナルシアに声をかけるべきか、解らなかった。ナルシアは顔を背け、二人の合間に、じりじりとした沈黙が走った。
「このままなら、もっと人は死んでいくだろうな」
沈黙の隙間に、ロックの呟きが響いた。突然のその言葉に、皆、驚いて、一斉にロックを見た。
「どういう事だ?」
ロックは腰掛けていた大樹の根から立つと、天上へとすっと指を持ち上げた。
「風が消えてる。俺達が、ヤタ付近の森にいた辺りから、段々弱くなっていたが、今はまったく吹いていない」
その場は、凍りついた。ロック以外の人間は皆、驚愕に眼を見開いている。
ナルシアは、空を見上げた。雲が動いていない。静止した空に、ナルシアは、全身総毛立った。何故……、何故、気が付かなかったのだろう。
「火、水、風、土。全ての精霊が消滅すれば、この世界は間違いなく滅ぶ。勿論、生命は維持していけなくなるだろう」
ロックは、切れ長のその眼を、ナルシアに向けた。




