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「あぁ……、ご無事で良かった。私はてっきり、ナルシア様が……」
涙ぐむカルテロの隣で、パロディアスは首を傾げる。
「しかし、一体、どう為されたのでしょうね。何か、あの男と口論しているようですが」
屈んだナルシアの足元には、痩せこけた少年が倒れていた。遠眼にも、彼が息をしていない事がわかる。死んだ少年というのは、あの子供の事か。ロックは眉をひそめた。
もごもごと、男が何かを口走ると、ナルシアは立ち上がった。
そして、ナルシアの表情が変わった。
「たった……、たった、それだけのために、ルカを殺したというのか」
浮かぶ驚愕。混じる絶望。ナルシアの、眉が、眼が、鼻が、口が、薄汚れた男を拒絶していた。
躊躇いもなく、ナルシアは、するりと剣を鞘から抜いた。一斉に、野次馬達は、驚き息をのんだ。
ロックは舌打ちをした。あいつは、あの男を、殺す気だ。
「おい、カルテロ。あんたの剣を貸せ」
「剣? それを、どうするつもりだ」
戸惑うカルテロを、ロックは苛ついた眼で睨む。
「いいから、早く貸せ!」
引ったくるようにして、カルテロの片手剣を受け取ると、ロックは駆け出した。おい、ロック、待て、と慌てるカルテロの声が、背で聞こえる。
「死んで、償え」
ナルシアの剣が、大きく振りかざされた。
閃光が、瞬いた。
剣と剣が、交錯する。ナルシアの眼が、驚愕に見開かれた。ロックは、受け止めた剣の重みに顔をしかめながら、後ろを振り返った。
「そこの、お前。死にたくないんなら、さっさと行けっ」
殺されそうになっていた男は、唖然として突っ立っていたが、その言葉に我に返ると、慌てて走り去った。ナルシアは、その姿に、大きく舌打ちをした。
「何故、止めるんだっ」
ナルシアは叫んだ。たいして動いたわけでもないのに、呼吸は乱れ、肩は大きく上下していた。唇は、わなわなと小刻みに震え、眼が血走っている。
「そこを、どけ! あいつは、あの男は、たった一切れのパンを奪うために、小さな子供を手にかけたんだ。あんな奴は、人間の屑だっ。許せない」
ロックの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。心を、一瞬にして凍てつかせるような、冷笑。
「許せない? だから、あんたは感情のままに人を殺すっていうのか」
だが、その眼には、燃えるような怒りが浮かんでいた。
「笑わせるなよ。人間の屑だからと言って、あんたの何処に、それを裁く権利があるっていうんだっ!」
ナルシアの身が、衝撃を受けたかのように固まった。強張った眼をロックに向けたまま、ほどかれた指から剣を落とす。
ナルシアの身体から、力が抜けた。
「ナルシア様……」
言葉を失うナルシアに、カルテロは声をかけた。その声に、ナルシアは振り向く。
「カルテロッ!」
いるはずの無いその姿に、ナルシアは息をのんだ。
「お前、どうして、ここに……」
「お探ししておりました、ナルシア様。お痛わしいお姿になられて……」
「探していた?」
ナルシアの顔に、戸惑いが浮かぶ。その間に、パロディアスが口を挟んだ。
「その、ご説明は、私が致しましょう」
パロディアスの奇妙な風貌を眼にしたナルシアに、狼狽が浮かぶ。
「ナルシア様。お初にお眼にかかります。私は、ロード・ガルナの賢者トラル・ガロウェイの弟子、パロディアスと申します。トラルの命で、エンリト国皇子ナルシア・アヴェルガ様の御身を保護するようにと承っております」
パロディアスは膝まづく。その姿に、ナルシアは顔を背けた。
「止めてくれ。僕は、エンリトを追放され、王位継承権も剥奪されているんだ。僕は、もうエンリト国の皇子じゃない」
ナルシアの言い放った言葉に、パロディアスは眼を見開いた。
「ですが……」
困ったように眉を下げるパロディアスに、ロックは、ため息をつくと首を振った。
「パロディアス。ここは騒がしいし、場所を変えよう。それに、いつ間でも死者を、このままにしておく訳にはいかないだろ」
首の折れ、動かなくなった少年の身体を抱きかかえると、群衆に背を向けてロックは、歩き出した。
丘の上から見渡す、くすんだウィルズレアの街に、朱の灯りが差し込んでいた。落陽の、束の間の瞬きに、街は黄昏る。日暮れと共に、住民は棲み家へと戻り、喧騒が終わった街のパノラマをナルシアは眺めていた。高く聳える時計台の下を、みすぼらしい土塊の住居が街を細々と埋めつくしている。




