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天のカリカチュア  作者: 綾崎 伊志
 第5章 一切れのパン
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 6

「なんだよ。お前にゃ、関係ねぇだろ」


 ナルシアは立ち上がった。いつの間にか、騒ぎに気付いたのか二人の前から人は引け、何事かとこちらを窺っていた。群衆に浮かぶ好奇。だが、厄介な事には関わるまいと、誰も口を挟まない。


「お、俺は、ただよぉ、こいつがパンをよこしやがらねぇから」


 ナルシアは自分の耳を疑った。この薄汚れた男の、ゲスな冗談なのかと思った。だが、ルカの手に握りしめられたパンは、その握力でぐちゃぐちゃに潰れている。


「たった……、たった、それだけのために、ルカを殺したっていうのか」


 信じられなかった。少年の手に収まる程の、小さなパン。たったそれだけの理由で、呆気なくルカは死んだ。少年の未来も幸せも、駆け換えのないものが、そんな理由で壊された。


 心がざわつく。理性が、かき乱され、荒らされ、喰い潰される。


 ナルシアは男を見た。こんなこと、人間にできる筈がない。下劣で非道で、まるで悪魔の所業じゃないか。それならば、こいつは人間じゃない。


 気が付くと、ナルシアは剣を抜いていた。


「死んで、償え」


 ナルシアの剣は、男の頭上で大きく弧を描いた。




 「あぁ、疲れた。足が震えてるよ」


 ロックは、額に玉のように浮いた汗を、シャツで拭った。


「誰だよ。ウィルズレアの街まで、森の中を走って行こうなんて言った奴は」


 息を切らせながらも、嫌味を言うロックに、パロディアスも賛同する。


「ロック殿は、まだ良いですよ。剣の稽古でスタミナもついてきたでしょうし。私はトラル様のお屋敷で、頭を使う仕事しかしてないんです。あなた方について行くのが、どれ程、大変だったことか」


 恨みがましい声を、一人涼しい顔をして受けながら、カルテロは笑った。


「まぁ、いいじゃないか。ウィルズレアにも速く着いたし、体力作りにもなった。一石二鳥ではないか。それに、ロックの勘が外れているという事もある。急ぐにこした事はないだろう」


「勘じゃない。予測だ」


 いちいち訂正する小憎たらしいロックの頭を、カルテロははたいた。


「それにしても、人が多いですね」


 街の中心に向かって歩くに連れて、人の出が増えてくる。道を埋めつくすかのような人出に、パロディアスは眼を丸くして呟いた。


「何か祭りでも、あってるんではないか?」


 それにしては、皆、沈んだ顔つきをしている。眼は虚ろに、ぼやけたように宙をさ迷い、足に重しでも付けられたかのように、ずるずると引きずって歩く。街に漂う異様な空気に、ロックは眉をしかめた。


「それより、どこを探そうか。宿屋にでも、聞き込みに行くか?」


 人と人との合間をすり抜けるように歩きながら、カルテロは言った。ガヤガヤと大勢の人の声に混じって、聞き取り辛い。人の波に埋もれそうな身を強引に前へと押しやり、ロックは声を張り上げた。


「あぁ、それが無難だろうな」


 一行は、商店の多い通りまで来ると、宿屋の看板を探した。゛エルンの宿屋″と描かれた、古ぼけた釣り看板を見つけると、人の波を苦労して横切りながら、そこに入った。


 扉を閉めると、騒音は遮断され、いくらかは静かになった。扉の向かい側には、狭いカウンターがあり、痩せこけ、目の下には隈の出来た陰気そうな若い女が、赤子を抱いて座っていた。女は、……いらっしゃいと、ぼそぼそした声で呟く。主人は留守のようだが、赤子に乳をやっている姿を見ると、この女が店の女将らしい。

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