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故郷……。その言葉は、不思議な感触がした。生まれおち育った場所だというのに、エンリトをそんな風に感じた事は一度も無かった。だが今は、その素朴な言葉に胸が締め付けられる。
「エルア、僕は……、エンリトに戻らなきゃ」
エルアは、濡れたタオルをぎゅっと握りしめた。
「そう……。でも……」
エルアは、顔を曇らせた。
「一つ問題があるの。ミドロルは要塞国家だから、よその国へ出る通行税が、ものすごくかかるの。一般市民が簡単に支払える金額じゃないのよ」
無一文で放り出された自分に、そんな大金があるはずがない。街で普通に仕事をして、地道にお金を貯めていたら、戻るのはいつになるのか解らない。だが……、ナルシアは自分の右手を見つめた。
そこには、父の形見の指輪がおさまっている。
「この指輪を売れば、通行料ぐらいにはなるかもしれない。これは珍しい鉱物で出来た物だから」
「そんな、駄目よ。あなたは怪我しているのよ。遠出するのは無理だわ。心配なのは、わかるけど無茶しないで」
「だけど……」
それでも、じっとしていられない。ナルシアの沈痛な面持ちを見つめていたエルアだったが、少女は震えるナルシアの両手に自分の手を添えた。
「わかった。じゃあ、私が、アシルの街に行って来る。そして、換金したら、あなたは馬車を呼んで、関所まで行ったらいいわ」
「そんな……、君に迷惑はかけられないよ」
すると、エルアは首を振った。
「いいの、たいした事じゃないわ。それに、私、あなたの力になりたいから」
「エルア……」
少女は、ナルシアを励ますかのようにそっと微笑んだ。
「家族が、無事だといいわね」
手から手へと、エルアの体温が伝わってくる。ナルシアはエルアの手を、強く握り返した。
「エルア、僕は全てが終わったら、ここへ帰ってくるよ。そしたら、ずっと僕と一緒に居てくれないか」
エルアは一瞬、泣き出しそうな顔をした。だが、それを打ち消すように少女は笑うと、頷いた。
エンリトには、雨は、精霊ウェンディーネの涙だという古き伝承がある。幼い頃、何かの本でそれを読んだ時、ロックは、昔の人というのはえらくロマンティストなものだなと思った覚えがある。しかし、広大な草原に降り注ぐ雨を実際、眼のあたりにしてみると、確かに雨というものは涙のようにもの悲しい。だが、もし、雨がウェンディーネの涙なら、精霊は何を想って、泣いてい るのだろうか――。
「凄い雨だな」
背中から、呆れたような感嘆したようなカルテロの声が、雨音に混じって聞こえてくる。ロックは振り返りもせずに、それに答えた。
「この調子だと、当分、止みそうにないな」
身体は、とうにずぶ濡れで、雨の染み込んだ重い衣服が絡みついてくる。ロックは、無駄だと思いながらも、髪からしたたる水滴を拭った。
「はぁ……、参りましたね。こんな事なら、トラル様のお屋敷から雨具を持ってくるべきでした」
そうため息をつくパロディアスの顔は悲惨な事になっていた。厚く塗ったドーランこそ落ちていないものの、眉墨やノーズ・シャドウは雨で溶け、のっぺらぼうのようでありながら、眼から黒い涙を流しているかのように頬にいくつもの筋ができていた。カルテロはちらと彼に眼をやったが、すぐに顔を背け、その大柄な身体を震わせていた。
「今さらそんな事を言っても、しょうがないだろ。さっさと行くぞ」
ロックは、そんな二人には構わすに小走りになった。そろそろ関所まで着いてもいい距離まで来たはずだが、もたもたしていると、この雨の中、野宿するはめになる。ぬかるんだ足元を必死に蹴りつけながら進んでいると、カルテロが声を上げた。




