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天のカリカチュア  作者: 綾崎 伊志
 第4章 悪魔の森
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 1

 



 何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。全てを覆い隠す闇の中に、ナルシアはいた。


 漆黒の無は存在をあやふやなものにさせ、ナルシアは力の抜けた身体をあてもなく放り投げていた。


 隔離された孤独。闇は恐怖すら呑みこんで安楽へと誘おうとしていた。


゛ナルシア″


 ふいに、自分の名前を呼ばれた気がした。誰の声なのかは、わからない。だが、ひどく懐かしい。暖かく力強いその声を掴むように空に手を伸ばすと、ナルシアの眼の前に光が溢れだした。


 それは目覚めだった。薄い瞼を開きはじめに認識したのは、天井の、巨木で出来た磔だった。視線をずらすと深く蒼い空を映した窓が眼に入った。心地よい風が、ふわりとカーテンになびく。


 ナルシアは、清潔なベッドに横たわっていた。自分の温もりの伝わった毛布をゆっくりとはぐと、冷たい床へと足を下ろした。その途端、瞳から涙が溢れ出て、とめどいなく頬を流れ落ちた。ナルシアは何故、自分が泣いているのか、わからなかった。悲しい訳でも苦しい訳でもない。だが、涙は止まらなかった。

 


 トントンと、歩きまわる小さな音が聞こえたかと思うと、部屋のドアが開いた。ナルシアは一瞬、身を固くしたが、そこから現れたのは髪の長い小柄な少女だった。その子は、静かにドアを閉めるとベッドに眼を向けた。すると、少女の柔らかな輪郭にギクリとした驚きが走った。その表情に、ナルシアは顔に手をやり涙を拭った。


「ごめんなさい……。水を替えようと思って」


 彼女は、小さな洗面器を両手に抱えていた。それに、白い布がかかっているのを見て、ナルシアは彼女が自分を看ていてくれたことに気付いた。


「あの、ここは?」


 ナルシアがしっかりした口調だった事に安心したのか、少女は、ほっとした様に口元に笑みを浮かべた。


「ここは私の家よ。あなたは、近くの森で倒れていたの」


 森で倒れていた……。そうか、私は……。ナルシアは空から落ちた時の事を思い出した。あの時、スタイズを渡されたナルシアは、落ちていく中でそれを装着しようとした。しかし、不安定な身体と落下するスピードに邪魔されて、うまくいかなかった。焦りも加わって指先が不器用に滑り、スタイズは風に飛ばされてしまった。


 ナルシアは死を覚悟し――、そして意識を失った。それからの事は覚えていないが……、よくぞ無事だったことだ。広大な森の葉や枝がクッションとなり、それで助かったのかもしれない。


 黙りこくってしまったナルシアに、少女は困ったように首をかしげた。


「でも、良かった。あなたを見つけて、もう三日にもなるけど、全然、眼を覚まさなかったから」


 少女は、ナルシアが回復した事に心から喜んでいるようだった。


「ありがとう。君が助けてくれたんだろう」


 少女は何も言わず微笑むと、水の滴る布を固く絞り、ナルシアへ差し出した。それを受け取ろうと腕を伸ばした瞬間、左肩に激痛が走った。兵士に撃ちぬかれた傷跡だ。よく見れば、服の下に包帯が巻かれているようだった。苦痛に歪むナルシアの表情に少女は不安気に顔を曇らせた。


「まだ、ゆっくりしてて。何か口に入れるものを作ってくるから」


 そう言って、部屋を出ようとする少女をナルシアは呼び止めた。


「あの……、君は?」


「私は、エルア」


 少女は優し気に微笑むと言った。


 エルアが出て行った後、ナルシアはベッドから降り窓際へと立った。窓を開くと、そこには森が広がっていた。ナルシアは二階に寝かされていたらしく、窓際から手を伸ばせば触れそうなくらい樹の枝が近い。緑の匂いが風に乗って、ナルシアへと届く。どうやら、この家は森の中に建てられているようだった。

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