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瞼を開けて、最初に飛び込んできたのは太陽の光だった。そう気付いた瞬間、今まで放棄していた五感が覚醒し始める。
大空を、線雲が羊の群れのように飛びかっている。その隙間からふりそそぐ日差しは、長時間、闇に慣れた眼には刺激が強く、うっすらと涙が浮かんだ。
頬にあたる爽やかな風に、土と緑の匂いを感じた。自分が、いつも使っている真っ白な麻の布団の上ではなく、人の体温のように生々しい温かさをもった大地の上に寝かされていることに気付き、ロックは身を起こした。
眼の前に草原が広がる。一面に彩られた淡い緑。産毛のように柔らかい草達が、穏やかに風に揺られている。ロックは、その景色に呆気に取られた。
「ここは……、どこだ」
静かで、美しく、ロックが今まで見たことのない場所。絵や写真でしか見たことのない樹や草や花が、惜しげもなく生息している。
エンリトの人間が、踏むのも恐れるような精霊達に愛された場所。だが、ロックは不思議な心地よさを感じていた。色も匂いも手触りも、全てが優しい。ここは天国じゃないかと錯覚してしまう程……。
混乱に飲み込まれそうな頭に、警報のように、弱々しい鳴き声が鳴った。ロックは、はっとして振り返った。少年の身を温めるようにして寄り添って寝ていたホールのものだった。
ホールの身は、ぼろぼろだった。長時間、激しい嵐のような空を、あの光を無理に避けながら飛んだせいで翼は不恰好によじ曲がっていた。
逃げようと思えば、己だけでも逃げれたはずなのに、重い荷物になるだけの自分をここまで運んで来てくれた。
「お前……」
ロックが、苦しそうな呼吸で上下するホールの身を、そっとさすってやると、ホールは無垢な瞳をかえした。その眼に、ロックは有難いと感じると同時に哀しく、辛くてやりきれない思いを味わった。
助けを探しに行かなきゃな。ロックは、ホールの脇腹に下げている鞄を外すと中身をさぐった。
たいした物は入っていない。昨日の昼に食べた固くなった干し肉の残りと、一袋の木の実。それをホールと半分にして、口に押し込む。
仕事柄、方位磁石は持ってはいたが、ここがどこだか解らない以上、方角など意味がなかった。後は、一度も武器として使ったことのない、柄に革を巻いた短剣。ロックは中身を確認し終えると、鞄を自分の脇腹に下げた。
植物があるということは、エンリトから完全に出た場所には間違いないが、ライナ鳥が一晩で飛べる距離を考えれば、そう遠くには来てないはずだ。
エンリトから隣接した街と言えば、ロード・ガルナのリーター、ミドロルの貿易都市エンタレス。アーク・レイのノルウィンの街。そして、最悪は、レイダート公国のアーストリアの街。
そのいずれかに辿り着くかはわからないが、ロックは草原の奥に広がる森の中へ入ってみることに覚悟を決めた。
文明は水のある所に栄えるものだ。川を見つけ、それをたどって行けば人の住む場所に着くだろう。
「待ってろよ。すぐに戻ってくるからな」
ロックがもう一度、身体を撫でてやるとホールはおとなしく眼を閉じた。
エンリトの人間が踏むをも恐れた精霊達に愛された場所。その場所へと、ロックは自分の足で歩きはじめた。そんな彼の前を流れる風のように、一匹の狐が走り抜けた。
産まれて初めて、生きた森というものの中へ踏み込んで行くことに躊躇や戸惑いはなかった。うねる緑は美しく、どこか懐かしく、何故か切ないような心地よい痛みをもたらした。しかし、自然のない、人工の国エンリトで育ったロックは、自分が今まで゛森″だと認識していたものがどれだけ一部分だったか思いしらされた。




