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人々の寝静まった深夜、宰相エドリー・ハンセンは、一人掛けのソファーに身を沈め、思案にくれていた。彼の自慢でもある黄金の台座に置いたグラスを取ると、血の様に赤いワインで舌を濡らす。
老王の葬儀から数日たつ。突然の炎の暴走の後、あれだけの業火が水で鎮火するでもなく消えた。
そして数日たった今になっても存在が消滅したかの様に、炎が再び燃え上がる事は無かった。
その後、ハンセンが部下を使って調べさせたところ、その不思議な現象は大陸全域にわたって起きた事がわかった。生活に使用する炎は、光の力で代用できる。問題は、精霊の呪い、とその恐怖が国民に根づきだす事だ。現に、頭の古い元老院の司祭達は、慌てふためき、祈祷を行なっている。
しかし、とハンセンは司祭達の行動に失笑を浮かべた。
草木も生えぬような呪われた国、炎が消えたところで今さら、という気がせんでもないがな。それに光脈さえあれば、たとえ全ての精霊が消滅したとしても、エンリトだけは生き残れる。そう思いながら、ハンセンは心地よく酔った身体を震わせた。
コツ、コツ。コツ、コツ。静寂の中、ノックの音が鳴った。ハンセンは立ち上がると、部屋のドアへ向かった。
現れた客人は、ぞっとするような風貌の人物だった。黒いフードに身を隠し、俯きかげんのその顔には不気味な仮面。まとわりつくのは、異様な、死の臭い。
しかし、ハンセンは、その真夜中の来訪者に恐れをなすどころか、逆ににやりと笑うと、部屋に招き入れた。
「首尾は上手くいったようだな。死神レテよ」
ハンセンはグラスを戸棚からもう一つ用意すると赤いワインをそれに注いだ。しかし、レテと呼ばれた人物はワインに手を伸ばそうとせず、佇んでグラスを見つめている。
「しかし、あぁも上手くいくとは思わなかったぞ。どんな魔術を使って……、グラハム王を殺害したのだ」
レテはふところに手を入れると、粉の入った小瓶を取り出してハンセンに見せた。
「これは、レイダートの奥深い産地で採れるウロという植物の粉です」
ハンセンは瓶を手に取って、興味深気にそれを観察した。
「毒、なのか? しかし、医師の調べでは遺体に毒は無かったと言っていたぞ。それに、王には毒味の者がついているはず」
「えぇ。毒味は、私が致しましたから。王の死ぬ晩、私は従者に成りすまし普段飲んでいる薬と見せかけて、これを飲ませたのです。面白いのは、このウロの粉、強力な精力剤なのですよ。健康で若い者が飲めば、力が沸くものですが、病魔に冒された年寄りが飲めば刺激が強くて死に至る。さすがのエンリトの医師も、植物の知識にかけては遅れているようですね」
低い笑い声が、仮面の下から漏れた。
「ふむ、成る程な。しかし、レイダート王直下の暗殺者、レテの手腕をもってしても、ナルシアは仕損じたようだな」
レテは、それを聞くと軋むような笑い声を止めた。
「少々、ナルシアという子供を甘くみておりました。ナルシアを誘き寄せたは良いが、まさか、黒龍団のロイス・アルテを上回る剣技の才を持っていようとは……。戦死に見せかけ殺害しようとしましたが、失敗したとなると、難しくなりましたね。毒殺、事故死、今この時期をもって行なったとすれば、疑いがかかるのは、まずあなたでしょう。ハンセン宰相」
「ナルシアの初陣というのは、願ってもないチャンスだったのだがな」
ハンセンは悔しそうに歯ぎしりをした。
「しかし、政権乗っ取りであるならば、殺さずともお飾りにしてしまえば良いではないですか。まだ十六にもならぬ子供。操るのも容易いのでは……?」
「いや、大人しくいうことを聞くようなたまでは無い。無能か、取り引きのできるほど狡猾であれば、また話は別だ。しかし……、ナルシア様はな、皇子として産まれついたにしては、あまりにも純粋なのだ。だが、それ故に無知でもある。王の器というのは、世を知らぬ未完成の甘い理想には見合わぬ力だ。それに……」




