14
「……グラハム王からラトニウスの書記を受けとる時、礼もかねてという事で、私はエンリトへ呼ばれました。飛行船に出迎えられ、私は重い腰をあげマルクル城へと行ったのです。あなたは、まだ幼くあどけなくて、カルテロ殿やノア王妃の後ばかり追いかけていらっしゃいました。幼少のみぎりの事であられましたので、覚えておられないのも無理はありません」
まったく、記憶に無かった。ハーブル法王と自分との間に、そんな繋がりがあったとは思いもよらなかった。だが、ハーブルが時折、見せる態度に、どこか親しみのようなものが浮かんでいたのは、そのせいだったのかもしれない。
「少しばかりの間、私はエンリトに滞在していたのですが、ある時、エンリトとアーク・レイの交流を願って祝賀会が開かれる事になりました。大広間には、客人が集まりそれは賑やかなものでした。暫く私は、グラハム王と談笑していたのですが、酔いもまわった頃、ナルシアの剣術の成果を見せたいと言われました。私は、唐突な申し出に面食らいましたが、王は家臣にすぐさまそのように手配させたのです。広間の中央を見ると、あなたと、おそらく従者の息子だったのでしょう、同い年くらいの子が真剣を持ち向かい合って立っていました。その少年は、きっと剣など握った事がなかったのだと思います。ぶるぶると震えておりました。こう言ってはなんですが、ナルシア様が勝つようにと、はじめから仕組んであったのでしょうね」
「私の皇子としての力を、誇示させるためですね……」
ナルシアは、ぼんやりと呟いた。
殺せ、と命じられたのだろう。容易く想像がついた。友好国とは名目の、力による制圧。たとえ、血の繋がった孫息子であろうが利用する。ハーブル法王への、アーク・レイへの牽制のために。
「皆が、見守るなか、両者は一歩として動きませんでした。従者の息子は、動けなかったのでしょうね。死を恐れ、抵抗したとしても、あなたに傷をつければ打ち首は必須。どちらにしろ、死が待つのみ。甘んじて、あなたの剣を受け入れるしかない」
ナルシアは、喉元をヒクリと鳴らした。
脳裏に、震える少年の姿が浮かんでくる。補食される小動物のように、おびえる瞳が。
「私は……、その子を殺したのですか?」
ハーブルは、フッと息を漏らした。
「あなたは、剣を放り投げると、その場から背を向けられました。その行いに、周りいた誰しもが、呆気に取られ立ちすくんでいました。そしてグラハム王は、決闘に背いたあなたを――、烈火のよう怒りました」
ナルシアは、眉間に皺がよるほど強く、ギュッと瞼を閉じた。
「きっと……、きっと臆病風に吹かれたのでしょう。戦いから逃げ出すなど……、恥ずべき事です」
足音が止んだ。隣で立ち止まる気配を感じた。
「どうして、そのように思われるのですか? 私はあの時、この方はなんとお優しいのだろうかと、感動を覚えたものです」
ナルシアは、ハーブルを振り返った。
老人の眼が、見守るかのよう穏やかに、自分を見ていた。
「臆病と優しさは、とてもよく似ていて、見誤りやすいものです。ですが、私は、あなたの人を想う心を信じております。そして……、それは私だけではなかったはずです」
ハーブルはそう言うと、懐へ手を入れた。
「ナルシア様、これを」
老人の皺だらけの手が指に触れた。かさついているが、染み入るように温かかった。
ごわごわと手触りの悪い、安価そうな封書が手のひらに乗る。茶色い紙面にインクが滲んでいた。
手渡されたものは、一枚の手紙だった。
「人を傷つける事が、゛出来ない″。それもまた、素晴らしい才能の一つだと、私は思いますよ。どんな境遇に産まれたとしても、人にはその人の道がある。誰に縛られる必要など、ありません。あなたは、あなたの思うままに歩いていけばいい」
「自分の、思うままに……」
ハーブルは、ゆっくりと頷いた。
「さぁ、こちらが湯殿になります。新しい召し物も用意させておりますので、どうぞ、お着替えになられてください」
気付けば、扉の前に立っていた。
「ありがとうございます」
ナルシアがそう声をかけると、ハーブル法王は軽く礼して、立ち去って行った。
天窓が、開いている。
午後の暑い陽光が室内に降りそそぎ、広々とした浴槽へ張られた水面に日だまりをつくっていた。




