世界で一番可愛い私が振られるなんてあり得ないから、私が彼を振ったことにしよう
「世界で一番可愛い私が振られるなんて...絶対にあり得ない!」
明智沙也加は、憤慨していた。世界で一番可愛い女子中学生を自称する彼女にとって、男に振られるという事実は耐えられるものではなかった。純潔を象徴するような艶のある黒い長髪を靡かせ、小ぶりな頭部を掻き毟っている。
擁護するわけではないが「世界一」が過大な評価であることは、この美少女も自覚している。主観的に評すれば「控えめに言って県内一」というのが、彼女の現実的な見立てらしい。
そんな世界一の美少女を振ったのは同級生の男子生徒で、名前は杉崎大成という。大成は地元のサッカークラブに所属していた。ジュニアユースと呼ばれる、サッカー界における謂わばプロの卵だ。
沙也加の告白に対し、大成は少し困った素振りだった。高身長で長い脚、爽やかな短髪を撫でる様は、仮にサッカーが下手でも人目を引いただろう。少し日に焼けた顔を背け、サッカー少年は紡ぐべき正解の言葉を探していた。
「ごめん。今は誰とも付き合えない」
その回答は、誰かから借りてきた物だと推察される。しかし、借り物と言っても返す必要もない。アニメとか漫画とかでよくありがちな、傷口をなるべく広げない慈愛に満ちた、有り体に言えば年期入りの断り文句であった。
彼は、告げるべきことを告げて、足早に体育館裏から立ち去った。残された沙也加は、湿り気のある9月の土の香りに吐き気がしていた。近くにある腐葉土の香りだろうか。しかし、自称世界一の美少女にとって、そんな補足事項はどうでも良いことだった。
沙也加は、屈辱感を嚙み殺すことができなかった。嚙み殺せないのだから飲み込めるわけもない。このゴムのように苦く弾力のある感情をどうやって吐き出そうか。彼女は耐え難い現実と彼の言葉を反芻した。そして、彼女の捻り出した最終的な答えは次のようなものだった。
「そうか、大成はクラブチームで忙しいんだ!プロを目指しているみたいだし、実力を認められれば高校にも推薦で行けるって話じゃない!」
沙也加は、自身の完璧な推論に大変満足した様子であった。彼女の世界観で言えば、自分が原因で振られることなどあってはならないし、前提からしてあり得るはずもないことなのだ。
しかし、納得感が確信に変わる刹那、かつての屈辱は恐怖へと変貌していた。自分が振られたことは仕方がない。それは自分の問題ではなく、大成の問題なのだから。けれど、事実と解釈の不整合は正さなければならなかった。
「明日、学校中で私が振られたって噂になるかも...。でも、私は振られてないんだから、それっておかしいよね」
彼女は振られていないらしい。正確に沙也加の意見を代弁すれば「大成はサッカーが理由で私とは付き合えない。だから、私が振られたのではない」ということだ。更に正確に言えば、彼女の見解は明らかに事実とは反するのだが、既に沙也加の中では揺るぎようもない盤石な真実へと昇華されていた。
とどのつまり、沙也加の主張は次の言葉に集約される。「大成は私のことが好き」。今のところ客観的に認めるための状況証拠は存在しないが、彼女の目から見た真っ直ぐな現実ではそうなっていた。
更に解釈は拡大されることになる。最終的な結論では「私とは付き合いたかった。だけど、サッカーを理由に私と向き合うことから逃げた」という、第三者目線で言えば完全に歪んだ認識へと変貌していた。
彼女の見解はどこまでが正しく、どこまでが妄想なのだろうか?それを知る術は、現状では書き手にも読み手にも存在しない。ゆえに、その答えを知るには物語を進まなければならない。もう少しだけ、彼女を注意深く見てみよう。
「そう。私が大成を振ったんだ。だって、私はサッカーに専念していることを知っていれば告白なんかしなかったし。それどころか、もし大成から告白されていたとしても断ってた。"あなたはサッカーに専念しない"って、そう言ったに決まっているんだから」
この後の沙也加の行動は想像に易い。彼女は知り合いのクラスメート全員にメッセージを送った。
ーーーー
私、大成に告白されちゃった。でも、あいつってサッカーでプロ目指してるでしょ?それなのに、私のことで頭がいっぱいってヤバいよね。だから、はっきりと断ってあげたんだ。でも、大成だってサッカーばかりで疲れてたんだと思う。でも、ここで甘やかしたら彼のためにもよくないから。みんなも、大成にはこの話はしないで欲しい。大成が私について何か言っても、温かく見守ってあげてください。
ーーーー
沙也加は一仕事やり終えたといった具合の満足感で、嬉々として明日を迎える準備を整えた。
「明日は私の話題で、学校中が持ち切りだろうな。まあ、それはいつものことか」
そうは言いながらも、彼女は寝付けなかった。
明日への期待に胸を膨らませ、その妄想が萎んだ時には、もう夜明けも近かった。
ーー
翌朝、学校に着いた彼女を待っていたのは現実だった。ここで書かれた「現実」とは、彼女にとっての都合の現実ではない。賢明な読者諸君は既にお気付きかと思うが、客観的な世界と彼女の認識する世界とでは少なからぬ乖離がある。ここからは、彼女の学び舎における純然たる事実をご覧いただこう。
「おはよー」
沙也加は、何食わぬ顔で自分の席に着いた。窓際というには少し微妙な位置取りではあるが、陽光が彼女の艶のある黒髪を照らしている。その様は、窓際から少し距離を置かれた令嬢と言った風情を醸し出している。
学級内は、彼女の登校で大きくざわついた。その状況に対して、沙也加の心臓は兎跳びでもするみたいに大きく脈打っていた。偉業を成したなどと思い違った少女は完全に悦に浸っており、酩酊状態とも呼べる錯綜を起こしていた。
「ねえ、沙也加。昨日のメッセだけどさ」
「しっ!その話はここでしちゃダメだよ」
隣の席に座る少女は昨晩の奇行に対して意見を述べようとしたが、沙也加は大成のことを慮って話題に挙げる愚行を窘めた。当然ながら愚かなのは、この世界一を自称する幼気な美少女の方である。いや「痛い気な微少女」と書いた方が、この現状を正確に叙述できているだろう。
「ねえ、沙也加ちゃん」
「ん?」
沙也加が振り返ると、そこには美少女が立っていた。世界一とは言えないが、県内一を自称しても許される程度には整った顔立ちである。
「なに?シラちゃん」
シラちゃんと呼ばれた美少女の名前は、白石美月という。名は体を表すというが、白く儚い美しさを纏う彼女には名実相応な氏と名であった。完全に必要もない補足事項となるが、美月のことを「シラちゃん」と呼ぶのは、この世界においては明智沙也加が唯一である。それが親愛の証なのか、特別な感情に端を発した迷走の帰結なのか、それは書き手にすら知る由もないことだった。
「大成に振られたんだってね?」
「は?何言ってんの?大成が振られたんだけど」
「ん?大成が誰に振られたの?」
「私に決まってるでしょ?日本語も読めないの?」
美月の表情が歪んでゆく。歪むと言っても、彼女の美しく整った顔ならば多少の歪みを以てしても、その容姿端麗を疑う者はいないだろう。しかし、沙也加にしてみれば自分よりも器量の劣る彼女の顔が更に歪んだとなれば、笑わずにいられる道理などあるはずもない。
「あ、ごめ~ん。私、シラちゃんにはメッセ送らなかったか。じゃあ誰かから間違った内容で伝わったんだね。それとも、わざとシラちゃんには嘘を教えたのかもしれないね~」
教室の一角には水を打ったような静寂があり、他方では蜂の巣を突いたような騒然があった。女同士の鍔迫り合いに野次を投げるのは男子の役割であり、「やべー」などの語彙力に欠ける感想が飛び交っている。女性陣は白石美月の華麗なる切り返しに期待していた。そして、その三日月のように鋭利な刃が抜かれる。
「大成は、私と付き合ってるんだけど」
「え?」
あまりにも美しい袈裟斬りであった。言葉という形なき刃で人が一刀両断される様を、多くの者は初めて見ただろう。これが単なる比喩で済むわけもなく、沙也加が精神をバッサリと絶たれたことで味わった疼痛は、人体が真っ二つに裂けるのに勝るとも劣らない激しさであった。
しかし、沙也加も返す刃を持たぬわけではない。それが本当は鈍らであることを本人も薄々感づいているのかもしれないが、彼女にとってそれだけが唯一の武器であり、最愛の人から施された縋るべき最後の優しさだった。
「大成は、今は誰とも付き合えないって」
「大成がそう言ったの?」
「そうだよ!お前が彼女なわけないじゃん!」
「でも、沙也加ちゃんが大成を振ったんだよね?言ってること矛盾してない?」
沙也加の顔から血の気が引いていく。既に勝負はついているが、美月の怒りの刃は鬱憤を晴らし切るまでは鞘に収まる気がないらしい。敗者を嬲る斬撃は、容赦なく沙也加を切り刻んでいく。
「私と大成が付き合ってることは隠しておきたかったの。なんでか分かる?大成は今が大切な時期だからだよ。付き合ってても遊びに行く時間も取れない関係だけど、私はサッカーに集中して欲しかったの。というか、周りの女の子たちは察して、知らないふりしてくれてたじゃん?なんで沙也加ちゃんには、それが分からないの?」
美月の言葉が正しいとすれば、女子たちは美月と大成は実質的な交際関係にあると認識されていた。しかし、杉崎大成というプロの卵に対して多くの女子生徒が気遣いを見せていたのだ。語彙力の足りぬ男子たちは、この事実を知らなかった。そして、現実認識能力の足りぬ少女も、この事実を知らなかったのである。
美月は溜飲を下げるために必要な、矛を収めるに足る最後の一振りを沙也加に放つことになる。熱狂する民衆たちも待ち望んだ、認識の歪んだ女子中学生に浴びせられるべき言葉。
「勘違いが激しいみたいだから教えてあげる。沙也加ちゃんは、あんまり可愛くないよ。男子からは全く人気はないし、女子からも結構嫌われてるから。いい加減分かろう?あと、シラちゃんって呼ばないで。普通に気持ち悪い」
8時35分。ゴング鐘鳴。担任教師入室。全生徒着席。担任教師は少しのざわめきを察知。中学生の日常における些細なイベントであると判断。クラス朝礼は恙なく進行。なお、この学級において実質的な殺人事件が発生していたことを、担任教師は知る由もない。
ーー
その後について書き記すことは、誰にとっても憚られる。しかし、責任ある者の務めとして、記さねばなるまい。だが、せめてもの情けである。それは彼女が帰宅してからの、僅かな親子の会話に留めさせていただきたい。
「どうしたの沙也加?ずっと鏡の前で睨めっこして」
「ねえ、お母さん。私って可愛いよね」
「え?もちろん世界一可愛いよ。大切な娘だもん」
「じゃなくて。アイドルとか女優とか、そういう」
「アイドルは難しいかもね。お母さんの子だし」
「じゃあ、どれくらい可愛い?」
少し日に焼けた顔を背け、沙也加の母は紡ぐべき正解の言葉を探していた。そして選び出した回答は極めて誠実で、真正面から現実を捉えた回答であった。
「クラスで6番目くらい?」
沙也加の現実はぐにゃっと歪み、この出来事は消えない心の傷として刻まれた。




