ストックホルム症候群
♢
奏玲邦が、拉致監禁されて2週間が過ぎた。
毎日の寄付金額は、30万円を割り込む日もある。
それでも、ごじゃる丸から提供される食事は、下手なレストランで食べるよりも美味しいものばかりだ。
それも、和・洋・中と出される食事のメニューもバラエティーに飛んでいる。
毎日の寄付金額は、正直なところあまり気にならなくなっていた。
それなので、毎日午後8時の発表もそっちのけで、ごじゃる丸とのなんてことはない会話を続ける。
時折り流される過去の自分の映像も、国会議員になる前のタレント時代の映像ばかりだ。
このすべての様子は、変わらずリアルタイムで全世界に流され続けている。
但し、そこに映っているのは、生成AIと会話しているか、独り言を言っている、本当の年齢が顔に出始めた、少しきれいな女性の姿だ。
そうして寄付金額の合計が1000万円を超えたある日。
ごじゃる丸から、ある提案がされた。
「玲チャン。これからあなたを、ここよりも快適できれいな場所に移ってもらうでごじゃる」
「あたしをどこに連れてってくれるの?」
「すごく良いところでごじゃる。その為に、まずはこちらをつけてほしいでごじゃる」
そう言うと、テーブルにアイマスクとワイヤレスヘッドホンが乗せられて出てくる。
奏玲邦は、なんの疑いもなく、そのままアイマスクとヘッドホンをつけた。
そして、「カチッ」という音とともに首輪のワイヤーの結束部が外れる。
「もう玲チャンには、首輪は必要ないでごじゃる。ささ、ドアも開けたでごじゃるから、そのまままっすぐに進むでごじゃる」
奏玲邦は、ごじゃる丸に言われるがまま、立ち上がって、手探りしながら、いままで監禁され続けていたトイレの個室から出た。
「では、ここから拙者が手を引いてごしゃるゆえ、安心召されよ」
そう言って、優しく男の手が、奏玲邦の左手を握る。
彼女は、その手に優しく連れられて、運転席と完全に隔離された窓のないバンの後部座席に座らされた。
「玲チャン。もう、アイマスクとヘッドホンを取っていいでごじゃる」
そう言われて、その2つを外すと、目の前には、テレビモニターがあり、そこに前と変わらず「ごじゃる丸」が映し出されていた。
彼女を乗せたバンは、数時間走り続けた。
彼女は、その間もずっと「ごじゃる丸」と話続けていた。
そうして、ある場所に到着する。
「ささ。最初の目的地に着いたでごじゃる。ドアを開けるでごじゃる」
そう言われてドアを開けると、目の前には温泉施設があった。
「拙者はここで待ってるでごじゃるから、玲チャンはここで身体をきれいにしてくるでごじゃる」
そう言われた。
温泉施設に入る為の料金は、乗せられた左のスライドドアの右横にあった小さなテーブル上に、丁寧にトレーに1万円札が置かれていた。
「わかったわ。それじゃ、ごじゃる丸。きれいにしてくるから待っててね」
「玲チャン。行ってらっしゃいでごじゃる」
温泉施設のサービスカウンターで受付を済ませて、タオルセットを選び、女風呂に入っていく。
そういえば、受付の女性スタッフは、少し驚いた顔をしていた。
女風呂で服を脱いでいるときも、こちらを好奇な目で見てくる人が多い。
湯船に入る前に、2週間以上お風呂に入っていなかった身体を、入念に洗う。
特にシャンプーで頭を洗ったときは、気持ちが良かった。
そうしてゆっくりと、湯船に身体を沈める。
そのときの気持ちよさは、まるで生き返ったようだ。
久しぶりのお風呂だった為か、随分と長湯をしてしまった。
お風呂の中に設置されていた時計を見ると、もう1時間もお風呂に入っている。
まだもう少しだけ入っていたかったが、これ以上「ごじゃる丸」を待たせては悪いと、湯船から上がり、温泉施設を出た。
外は、激しい雨が降っていた。
そして彼女を待っていたのは、「ごじゃる丸」ではなく、複数人の私服の警察官だった。
奏玲邦参院議員は、特に外傷もなく、ここで無事に保護されたのである。
♢
週刊weekly JAPAN掲載文抜粋。
奏玲邦参院議員は、拉致監禁から18日後に、ほぼ無傷で解放された。
そのほぼ無傷というのは、心には大きな傷を負っていたからだ。
彼女は、俗にいう「ストックホルム症候群」に、完全に陥っていた。
ストックホルム症候群とは、犯人と被害者が特別な信頼関係に陥ることである。
彼女の話では、彼女は生成AIの「ごじゃる丸」を完全に信用していた。いや、人間以上に信頼していたといっても過言ではない。
彼女、奏玲邦参院議員は、現在のネット社会の被害者ともいえるだろう。
犯人は、「玲邦議員への支援」の名のもとに募金を募った。
しかしながら、前回の参議院選の比例で、33.9万票の票を集めた彼女でも、公開監禁されていた期間に集まった寄付金額の合計は、1057万3000円に過ぎなかった。寄付した人の合計は、759人である。
これが多いのか、それとも少ないのかは判断できない。
但し、これが選挙において、組織票というものが如何に大事なのかを証明したのかもしれない。
奏玲邦参院議員への寄付を集めることになった、国際支援NGO団体ジェイクロスハートにも、警察の捜査のメスが入った。
理由は、善意ある人々から集まった募金の、その後の不透明な流れである。
それはこの玲邦議員の解放後に、何者かにより詳細なデータがリークされた。
その人物も謎のままである。
そして、一番の疑問は、奏玲邦参院議員が、ストックホルム症候群になるほど信頼してしまった、生成AI「ごじゃる丸」が、本当に生成AIだったのかという疑問である。
本当は、複数の人が交代で、陰で生成AIのフリをしていた可能性も否定できないし、ある巨大企業が実験の為にこのような大それたことをしたという陰謀論も完全に否定できない。
彼女が監禁されていたときの、その場所の手掛かりになる記憶といえば、床が緩やかにわずかに揺れ続けていたということだ。
そして、彼女は事件後に、国会議員を辞職した。
これが、この事件の物語の一つの結末である。
文・宮下結子
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
『ANOTHER RAIN』/3 -女性国会議員公開監禁事件- をお読みいただきありがとうございます。今回の/3で、この『ANOTHER RAIN』シリーズは、当面執筆の予定はありません。
このシリーズは、現在の社会構造を風刺した内容として、単なる思いつきで書いてみたいものなので、また小説のネタになるようなものがあれば、次回作/4を書いて投稿させていただきます。
2026/3/2より、毎週・月曜・木曜は、異世界ファンタジーの「サムライの格好で異世界に来たんだが」を、投稿・連載させていただきますので、よろしくお願いします。




