第7話『諸君!これがタワマンである!』
二人がエントランスに入ると、空調が効いた涼しい空気とほのかなアロマが流れる。敦斗が緊張から糸哉の背後に隠れたその時。コンシェルジュの塔野がデスクから顔を上げ、すぐ彼等に視線を向けた。
「糸哉君、おはようございます」
「おはようございます塔野さん。紹介するね。僕の友達の敦斗です。様付けじゃなくていいよ」
「かしこまりました。敦斗君初めまして。こちらのマンションで管理コンシェルジュを担当しております、塔野と申します」
「はじめまして。よ、よろしくお願いします!」
塔野は柔らかく微笑み、丁寧に一礼する。
「ようこそお越しくださいました。本日はごゆっくりお過ごしください」
「はい!」
エレベーターを待つ間、敦斗は喉に引っかかっていた疑問を吐き出した。
「管理コンシェルジュって?」
「管理人とコンシェルジュじゃ業務内容が全然違うんだけど、どっちもやってる人を管理コンシェルジュって言うらしいよ」
「へぇー。もうほぼホテルだろ……エレベーターもいっぱいあるし」
敦斗は自分の家が近所でも群を抜いて大きく、広い家だと理解していた。しかしあまりの格式高さに目を奪われ、金持ちの世界に心がざわつくのであった。糸哉は自分も最初に来た時は流石に驚いたと微笑む。
「ホットは高層ホテルに泊まったことある?」
「ある。今めっちゃ思い出してるとこ」
「じゃあ分かるか。下りる時さ、高層階専用のに乗らないと各階で止まって時間食うんだよねー。上る時は上る時で、この前中階層までしか止まらないエレベーター乗っちゃって面倒だった……」
「効率良いようで悪いね。しかもシェンの部屋ほぼ最上階でしょ?絶対大変じゃんこんなの」
ちゃんと最上階まで行くエレベーターに乗り、敦斗は感嘆の息を漏らす。
「でも五十四階の角部屋ってエグ。家のトイレ我慢できなそう」
「ここだけの話、何回か漏らしてるらしいよ」
「おい」
糸哉が笑ってスマホを出すと、スピーカーからシェンの声が聞こえた。
「シェンおはよー!今からお邪魔します!このマンション凄すぎ!」
「だろ?じゃねーわ!今何時か言え」
「午前八時」
「早えーわ小学生!もっと配慮せーや!」
「へへ……楽しみすぎて父ちゃんと同じ時間に起きちゃった」
「配慮ー?勝手に入って静かに過ごせてれば問題ないじゃん」
「小僧共が……。部屋来る前にちょっと疲れとけ」
シェンの文句は一理あることにはあると判断した二人は、糸哉の案内で共用施設を見て回ることにした。
まずは六階のパーティールーム・カラオケ・シアタールーム。
「この階にある共用スペースは別名『恋人エリア』らしいよ」
「誰が名付けたのそれ」
「塔野さん」
「えっ意外。テディじゃないんだ」
「塔野は敦斗が思ってるよりユニークじゃけぇ」
敦斗が一番興味を示したのは大型のスクリーンとサラウンドシステムを導入した部屋――シアタールームだった。
「ホントにマンションの中?映画館じゃん!」
「HDMIで繋げばゲームもできるよ」
「最高かよ」
敦斗が目を丸くしたまま前を見つめる。天井には小さなLEDライトが散りばめられ、オットマン付きのリクライニングチェアに光が落ちた。
すると日常から切り離された特別な空間の中にシェンの声が響く。
「一室だけじゃけぇいつも予約埋まっとる。俺は使わんけど」
「えー絶対家よりコッチのがいいって!」
次に八階の共用ジム・プール・サウナ・スパ。
「ここは別名『力エリア』」
「おぉーっ!」
壁一面が鏡張りになっている広いジムには有酸素マシンや筋トレマシン、フリーウェイトが規則正しく並び、他の住人が利用している姿も見られた。
「プールはこっちだって」
糸哉に促されて進むと、眼前に二十メートルプールが広がった。幸い他に利用者が見当たらなかったため、二人は靴下を脱いでタイルの床を踏みしめた。天井まで届く大窓だけでなく、その上部にある巨大なスカイライトウィンドウから真夏の光が滝のように降り注いでいる。
「ジャグジー・タオル・プールサイドチェア完備か……」
「シェン行ったことないの?」
「意識高いパリピしかおらんけぇ顔合わせると惨めな気持ちになるじゃろ。俺が」
「上層階の住民が言う台詞じゃない……」
「力エリアすげーよ!走って泳いでエアロバイク漕いだ後サウナ入れんの!?」
「疑似トライアスロン完成しちゃったね」
さらに十六階の共用ラウンジ。通称『塔ルーム』にて。
落ち着いた色のソファやローテーブルが並び、壁のスピーカーからは小さなピアノのインストが流れている。
「もうホテルのロビーじゃん」
大きな窓からは市街地が一望できるが、暑いので近づこうとしなかった。
「おいホット。そこは景色見てすげー!って言うとこじゃろ」
「だってシェン家の方が高いじゃん」
「あはは確かに」
奥にはドリンクバーカウンターが設置されており、それを見つけた敦斗は驚きが声にそのまま出た。
「本当は住人専用だけど、シェンが好きなの飲んでいいってさ」
「マジ!?シェンありがとー!俺コーラ飲も!」
「ひれ伏せ」
「今そんなことしたらゲップがシェンの足にかかっちゃう」
「お前その顔面で二度とゲップなんて言うな」
☆彡
敦斗と糸哉はシェンの家のベランダに行き、五十四階から景色を見下ろす。
「テレビ塔より絶対高いよ……テディ!俺らの家どこら辺か分かる?」
「丁度真反対だからベランダからは見えないんじゃない?」
「えー」
――今度双眼鏡持って行こ!
少し残念がった敦斗は、次から次へと浮かんでくる疑問を言葉に乗せる。
「シェン。何でベランダなのに網戸ないの?」
「虫が来んけぇいらん」
「カラスは普通に飛んでるけどね」
敦斗は夢中で写真を撮り、通信状態が思いのほか良いことに驚いた。
「ネット回線めっちゃ強くない?こんな高くても電波届くんだ」
「近くに無線基地局があるから特に問題ないみたい」
「最高じゃん。俺も住みたい!」
「引っ越しの費用だけで五十万はかかるよ?」
「ぐえっ!」
糸哉は『絶対言うと思った』という本音を言外に込め、今まで経験した不満をぶちまける。
「ここから学校行ったことあるけど朝はエレベーター馬鹿混むし」
「で、でもほぼ最上階だから満員で乗れません。にはならないじゃん!」
「ラウンジもシアタールームも綺麗すぎてパジャマじゃ来れないし」
「スウェットでも無理!?」
「あとこれが決定打……部屋までめっちゃ遠い」
「ぐあーっ!」
敦斗はガクッと膝を折り、完全敗北の体勢を取った。テディの勝利である。
「……このままじゃ各所にクレーム来ちゃうよ……いいとこ上げて?」
「シェン。いいとこ上げてけだって」
一拍置いて糸哉のスマホからシェンの回答が返ってくる。
「勧誘来ないところ」
「チラシはめっさ来るけどね」
「各階にダストステーションがあるところ」
「外出なくていいのは楽だけど分別は普通にあるし曜日の決まりも守らなきゃだよ」
「テディどした?タワマンに親でも食べられた?」
糸哉は口笛を吹いて誤魔化し、ダイニングテーブルに勉強道具を広げた。
「さーお昼まで勉強勉強」
「はーい」
――こんな凄い家住んでんのに中は俺の家とそんな変わんない……何か逆に安心してきた。
午後三時。寝起きのシェンとホットが初対面して最初の挨拶は――
「えっ手術着じゃない」
「バーカ普段着じゃねーよ。画面の話を現実に持ち込むタイプ?うわー」
「ぐっ、口くさっ!じゃなくて口も悪っ!シェンだってバカヤニ臭いが!?キッチンよりキツい……」
「二人共最初の会話がそれー?」
――まあまあ最悪だった。
シェンはご飯。テディはおやつのお菓子と牛乳を用意する。
「改めて、シェンは『諸君!これがプロである!!』の裏方スタッフだよ。主にモデレーターやSNSアカウントの運営をやってもらってるんだ」
「モデレーター?」
敦斗も馴染みのない言葉――モデレーターとは、実況者の代わりにコメント欄・チャット欄の秩序を守る管理人役のこと。過度な暴言や悪意のある書き込み、スパムや連投など……他の善良な視聴者が見て不快にならないような雰囲気を作るために、モデレーターは無くてはならない存在である。
「僕のチャンネルはありがたいことに結構応援してくれてる視聴者がいて、多分これからも増え続けると思う。でも母数が増えるほど、僕の活動に対して否定的な人や注目目当てで過激なことを言う人の割合も増えてくワケで……」
「えー。嫌なら見るなよ」
「嫌いだからこそ噛みついてくる人が同じクラスにもいるじゃん」
敦斗が納得したのを見て糸哉はシェンを讃える。
「そんな不適切なコメントをした人たちを取り締まる……はちょっと言い過ぎだけど、シェンは僕らの世界が崩れないよう秩序を守ってくれてるんだ」
「あがめろ」
「昼夜逆転してる謎のヘビースモーカー兄ちゃんじゃなかった……全国のモデレーターさん。いつもありがとうございます」
敦斗が窓に向かって合掌すると、背後でシェンがわざと音を立てて漬物を食べた。
お互いの第一印象
シェン「(テディ絶対顔で選んだだろ)」
ホット「(めっちゃ普通の人だった。それに思ってたより若い……?)」




