第13話『犬飼敦斗が苦手な日』
二月十三日。糸哉は同居人のライアンと朝食をとっていた。
「いっ君。俺明日は彼女の家に泊まってく」
「弁当と水筒は?」
「いら……あーでもやっぱ作って」
糸哉が了承の意を込めて頷くと、ライアンは好奇心に満ちた視線を送る。
「で、どうよ今年は」
「今年?何?」
「は?バレンタインだよ。どうなの。去年は全部義理チョコだったよね?」
「あー」
――全然頭に無かった。
恋バナ大好きお兄さんのライアンは出社準備そっちのけで糸哉のプライベートを深堀しようとする。彼女と交際一年目という勝ちポジから聞く恋バナほど面白いものはない。糸哉の父の後輩兼、この家の同居人であるライアンはそういう思考の持ち主だった。
「敦斗がチョコ苦手なのに毎年いっぱい貰うんだって。多分その手伝いさせられそう」
「え。それ大丈夫なの?イケメンの優しさ故の……自己犠牲の嘘?神対応?」
「手作りチョコを持ってきてくれた子に、正面からは言い出せなかったんだって。それも小一の頃は平気だったけど小四のあたりから急に無理になったらしくて……」
「不憫すぎてウケんね。ならお決まりのイベントがあるかも。『いっ君これイケメン君に渡してー』みたいな」
糸哉は答える代わりに肩をすくめた。定期的に挿入される説明文だが、敦斗は堀蔵小学校の生徒の中でも屈指のイケメンである。しかも自らの美を誇示しない謙虚なタイプのイケメンであり、学年を問わず多くの女子から絶大な人気と好意を集めていた。
――去年のバレンタインは……あぁそうだ。コラボ撮影の編集とライアンのインフルが重なって超忙しかったんだった。
「敦斗のバレンタイン……怖いなぁ」
「絶対エグい。だってイケメン君と同じ中学行くのいっ君だけでしょ?ほとんどの子が最後のバレンタインだって思うから」
ライアンはやっと立ち上がって食器を流し台に置く。説明が遅れたが、ライアンという名は本名ではなく糸哉が命名したあだ名である。
――まぁ僕には関係ないとも言えるし。平和に終わればいいけど。
そんなフラグを立てながらやって来たバレンタインデー。糸哉が最初に貰ったチョコレートは――
「テディ。これチョコ」
「……へ?」
――まさかの敦斗からだった。
間の抜けた顔で受け取ると、敦斗は素知らぬ顔で「母ちゃんから」と言い添えた。
「あ、あー。敦斗のお母さんから……お母さんから?」
「日頃の感謝だって。最初は家に呼んでチョコプリンアラモード作りたいとか言っててさ……ホント意味分かんない。父ちゃんも反対してくれて良かった」
「このチョコは妥協案ってことね。また会ったらお礼言わなくちゃ」
「いいよ別に」
この会話を最後に、敦斗の休み時間は全て女子に取られてしまった。糸哉は移動教室がある時間だけさりげなく助けながらも、その日は終日――小さな紙袋に収められた箱が意識の底に居座っていた。
――お母さんから、か……。普通に考えればそうだよね。
その日の帰り。糸哉と敦斗は両手に大きな紙袋を持って学校の門をくぐる。
「先生さよーなら」
「お、それ六年の荷物?もう持って帰ろうとしてんのか。早いなぁー。偉い!」
「ううん。これ全部チョコです」
「え。あっ」
敦斗が三年の時の担任だった教師は彼の気まずげな顔を見て全てを察する。微妙な空気が流れる中、糸哉は場を和ませるように笑った。
「なんたって最後ですからね。先生も学年主任も反感を恐れて見て見ぬフリしてました」
「まぁバレンタインは……うん」
本来は注意すべき立場だが……教師たちは余計な波風を立てるのを避け、内心では気にしながらも深くは踏み込まずにいた。
「じゃーそれ全部犬飼君の?熊本君は?」
「ランドセルにちゃんとありますー」
「どうせついでじゃないの?」
「もありますけど、敦斗のお母さんからも謎にもらいましたー」
「「な、何ぃ!?」」
敦斗が声を荒げた教師た教師に驚く一方で糸哉が後ろを見ると――『敦斗のお母さんが作ったチョコ』という発言を聞いた生徒数名が、表情を険しくしたままその場で硬直していた。なお全員が六年生である。
「ってライナーたちじゃん」
「お前っ……犬飼の母ちゃんからチョコ貰ったって言った!?」
「言っ……!?」
糸哉は横から伸びてきた手を躱し、間合いを取るように後ろへ跳ぶ。すると頭上から舌打ちが落ちてきた。
「先生!?」
「熊本君。学校にチョコを持ってきてはいけません。ルール……そうだ。規則だからね。先生が千梨華さんのチョコ……チョコを……!」
「テディ走って!」
「えぇ!?」
敦斗に言われるがまま糸哉が駆け出すと、後ろから犀川率いる数人が追ってきた。学年でも足の速い部類に入る二人は、両手に荷物を抱えていても余裕で差を広げる。
「サイ君が待てって言ってんだろ!」
「っ!い、井鷺君……」
しかし展開を読んだ井鷺は先手を打ち、逃げ道の先で待ち伏せていた。
「え。敦斗のお母さんってそんな人気なの?」
「昔ちょっとだけ声優やってた。顔の方が売れて嫌になって引退したけど」
これもまた定期的に挿入される説明文だが、敦斗の母は十人中百人が振り返るような元女性声優(超美人)で有名である。
「ふーん」
――初知り……多分シェンは知ってるだろうな。
こうして糸哉と敦斗は犀川たちに連行され、近所にある中型商業施設の3階にあるゲームコーナーにやって来た。
「どして?」
「勝負に決まってんだろ。お前等二人対俺たち五人で」
「いいよーん。何本勝負?」
「テディ!?」
――飲み込み早っ!てか勝負って……ゲームで?
敦斗が戸惑いを見せる中、糸哉と犀川で話が進んでゆく。
「犬飼。お前甘いの食えないだろ」
「っ!?」
「俺等が買ったら食うの手伝ってやるよ」
「……え」
「待って!仮に僕と敦斗が勝ったら何してくれるの?」
「……お前に借りたゲーム返す」
「嫌そう……。あーどうする敦斗。やる?まぁやらないと『逃げんのか負け犬野郎』って煽られるけど」
勝負がゲーム分かった途端、糸哉は内心でほくそ笑む。微妙な距離感だったクラスメイトとも、最後にこのゲームと言う名の遊びを通して仲良くなる未来しか思い浮かばなかった。
「テディ。俺たちまだ何も言ってねぇ」
「何でこの状況でも余裕そうなん?」
「ずっと思ってたけどちょっとダセーよな」
皮肉なことに、犀川の取り巻きは糸哉の笑みを糸哉の余裕の表れだと受け取ってしまったが――
「……やったらぁ!」
――敦斗にとって、自分ではなく糸哉が中傷されたことにカチンときてしまった。
「三本勝負でゲームの内容は俺が決める。文句ねぇな」
「いいよー。どーせ僕らが勝っちゃうけどね」
「チッ……最初はコレだ!」
「あー。『ドリームボール ドッカンダイバーズ』ね……はいはい」
犀川が指定した最初のゲームはトレーディングカードアーケードゲーム――お金を投入するとカードが排出され、それを使って遊ぶバトル形式のゲームだった。この筐体は大人気少年漫画『ドリームボール』を題材としたものであり、小中高生のみならず、大人層からも高い支持を集めている。
「敦斗やってる?」
「ない。アニメしか見たことない」
「ごめんライナー。ごめんけど一人でやって」
「お前等クソか!」
危うく最初の勝負は不戦敗になるところだったが、この筐体にはカードのみを購入できる機能があった。井鷺の提案により、敦斗は取り巻きの一人と引いたカードのレアリティで勝負することになった。
「頼む皆……!俺に運気を」
「あ、何かキラ出た」
「はあぁ!?」
まるで当然のように、運命の女神は敦斗に容易く微笑む。彼は人生で初めて引いたカードゲームでいきなり最高レアリティのカードを引き当ててしまった。
「ひゅーひゅー皆!このカードを百円で交換したい人ー?」
「「ぐっ……」」
誰も持っていない豪華かつ強力なカードを前に、犀川の取り巻きたちは降参しかけたものの……土壇場で思い直した。
「テディ!俺ラッキーの風乗れてる?」
「もうビュンビュンだよ!いやー初手から大勝魅せちゃったねー」
二人は笑顔でハイタッチを交わす。二回戦は音に合わせて太鼓を打つ和風リズムアクションゲーム『和太鼓の名人』だった。
「うわそれ公式のマイバチじゃん。ガチ勢だったんだ」
「ゲーム上手いんでしょ?ゴメンけどこっちもガチでいくから」
使い古された備え付けのバチを握った糸哉は、横に立つ対戦相手を見て俄かに焦る。
――実は音ゲーは畑違いなとこあったり……ホットよりは点数出せたけど。
「頑張れ!テディ音ゲーも強いんだよ!この前一緒にやった時も難易度『鬼神』でやってたし」
「い、いやどうかなー」
――うわー。僕の専門はシューティングゲームなんだって!
またとある事情から、糸哉は音楽に特別な興味を抱いておらず、知識も乏しい部類だった。
――エンジョイ勢相手だったら、知らない曲の最高難易度でも集中して叩けば普通にクリア出来るけど……上手い相手に勝つためには知ってる曲じゃないとお話にならない!
「……っこれ!」
カッ、と小気味よい音と共に、糸哉は難易度『鬼神』レベル九の曲を選択した。
犀川軍団(取り巻きの順番は勝負順)。犀川・井鷺・伊達丸・西国原・須合
敦斗「テディは伊達丸君たちにあだ名付けないの?」
糸哉「呼ぶと何かいい気分になる苗字ってあるじゃん。西国原君とか特に」
敦斗「ちょっと何言ってんのかよく分かんないわ」




