2.スール辺境伯の農業事情
「スール辺境伯領、到着しました」
やっと着いた。腰痛い……。
当然のように見送りなく公爵邸を出発してから丸三日。エレナたちがやってきたのは、ここウィスト帝国で有数の農業地域──スール辺境伯領だ。
「なんて言うか、すごく静かな場所だね」
「……と言うより活気がない感じがする」
昨今の異常気象による水不足と暑さによって、スール辺境伯領では不作が続いていた。加えて畑を荒らす魔物まで出る始末。
この不作の解決が、ライオスに下った最初の勅命らしい。
「エレナちゃん。いい友達が見つかるといいね」
そう言ってライオスが馬車を降りると、エレナに手を差し出すが、エレナは当然スルー。苦笑いを浮かべるライオスを横目に、馬車に残ったマリアに手を差し伸べる。
「ねえ、あの人たち誰だろう?」
囁く声のする方を見やると、みすぼらしい格好をした領民たちが、訝しげな目でこちらを見ている。
「なんだか私たち、すっごく見られてますね」
顔を手で隠しながら、マリアが呟くように言うと、ライオスも人だかりに目を向ける。
「ああ。こんな時に他の貴族がやってきたら、嫌でも領主交代の可能性が頭に浮かぶ。スール辺境伯は領民たちから好かれているという噂は本当みたいだね」
まもなく辺境伯の使いが来て、四人はスール辺境伯邸の応接室で辺境伯と対面した。
「お初にお目にかかりますライオス殿下。この度は私どもの救援依頼をお引き受けしてくださりありがとうございます」
「社交辞令は結構だ。スール辺境伯、さっそくだが本題に入りたい。実際の畑を調査しても構わないか」
貴族とのやり取りにおいては、王族らしく威厳のある話し方をするライオス。
「はい、もちろんでございます」
「では荷物を部屋に置き次第、すぐに調査に向かう」
「かしこまりました。では、お部屋をご案内させていただきます」
流れるようなやりとりに置いて行かれたエレナは、
ライオスって結構しっかりしてるなー。
と感心しつつ、部屋に向かおうとすると、扉の影から、金髪のツインテールをした十歳くらいの女の子がこちらを見ていることに気づいた。
「ああ、あの子はコーデリア。私の娘です」
辺境伯の手招きに応じてぴょこぴょこと歩くコーデリアの姿はとても愛らしい。
父親の足にしがみついたコーデリアは、大きな水色の瞳でライオスを見つめている。
あれは、ファンがアイドルを見る時と同じ目だな。まあライオスってビジュアルだけならいいし、そうなるのも無理はないよね。
エレナが温かい目でコーデリアを眺めていると、不意に二人の視線が交わった。
「あなたライオス様のなんなの!? まさか婚約者じゃないわよね!」
「ええと……」
アイドルに恋人なんていてはいけない。この愛らしい女の子の夢を奪うわけにはいかないっ! だからここは全力で誤魔化す。
「私はただの……」
「紹介がまだだったな。彼女は俺の婚約者、エレナだ」
余計なことを……。これでコーデリアちゃんが泣き出したら許さないよ!
だが、コーデリアの取った行動は、エレナの想像の斜め上を行く。
「そんなの、このわたくしが許さないわ。エレナ! ライオス様を賭けてわたくしと勝負しなさいっ!」
そう言ってエレナに杖を向けるコーデリア。彼女は魔力を杖に集中させようとして、
「コーデリア! いい加減にしなさい!」
辺境伯に拳骨を落とされた。
***
「ねえエレナちゃん。コーデリアちゃんとは仲良くなれそう?」
「無理だと思います」
エレナの淡白な答えに、ライオスは「はは……」と苦笑い。
前方に目を向けると、父親のそばを離れないコーデリアが、拗ねたように頬を膨らませてエレナ見ていた。
「二人は気が合うと思うよ」
私があなたの婚約者である限り不可能です。
そう声に出さずに嫌味を言う。
「ライオス様、畑に到着いたしました」
スール辺境伯の言葉に、ライオスの表情が引き締まる。
辺境伯と話してる時もそうだった。普段は飄々としてるけど、意外とやるべきことはちゃんとやるんだな。
私なら、すぐにでも魔術でどうにかできそうだけど、これはライオスの役目だ。流石に邪魔するわけにはいかない。
エレナが静観するなか、ライオスは畑の土や作物を丁寧に調査した。
そして、
「やはり作物は水分不足をおこしている。それに暑さが原因で土壌の中にいるべき益虫も死んでいて、そのせいで土壌の質もかなり悪い」
と結論付けた。
「では畑を以前のようにするにはどうすればいいのでしょうか?」
スール辺境伯が僅かな希望に縋るようにライオスを見る。辺りを見渡すと、コーデリアも、領民たちもみな両手を合わせてライオスの答えを待っていた。
「空気を冷やす風冷の魔道具と、水を生み出す召雨の魔道具を大量に仕入れ、それらをもって異常気象の影響を相殺する。そのための資金だが……」
ライオスは言いにくそうにスール辺境伯を見る。
スール辺境伯は自分の財産を使い、収穫量が回復するまで領民を飢えさせないように奮闘していた。そのため辺境伯の私財はとうに限界、魔道具を購入する余裕などないのだ。
「領地の十分の一を国に売る。悔しいが、現状ではこの方法しかないだろう」
「やはりそうなりますか」
貴族にとって、己の権威を示すものの一つである領地面積を削る。
スール辺境伯は領主として、何より貴族として認め難いライオスの提案を聞いても一切取り乱さず、ただ受け入れた。
おそらく辺境伯も最初からこの方法しかないとわかっていたのだ。
「ですがライオス様。一つだけ……。私の領民たちはみな、苦楽を共にしてきたいわば戦友。我々の勝手な事情で彼らを離れ離れにすることだけは、どうかご勘弁願いたい」
通常、領地間を移動するには関税がかかる。農民たちの収入では、離れた人とは月に一度会うのが限界だろう。
この人も優しいんだな。
「辺境伯様! 俺らのことは気にすんな。あんたは俺たちの領主として、十分すぎるぐらいよくやってくれたよ」
「そうよ! これは全部異常気象のせいでしょう。誰も悪くないんだから、辺境伯様が責任感じることないよ!」
領民たちの声に、スール辺境伯の瞳が潤む。つられて領民の中にも、涙を流す者たちが現れる。
うーん。私は今回手を出さないでおこうと思ったけど、こんな光景を黙って見過ごせるほど、私って人間性終わってないんだよな。
徐に、エレナは畑に近づく。そしてライオスと辺境伯を交互に見てから、手のひらサイズの杖を抜く。
「緑を司る森の妖精たちよ、我が導きに従い、彼らに輝きを分け与えん。フェクトグロウ」
エレナの言霊に応じて、杖に緑色に光る魔力が収束し、飛散する。
その光の粒が雨のように降り注ぎ、作物に触れた瞬間、奇跡が起きた。
「ありえねぇ! まだ植えたばかりだっていうのに、作物が一瞬で成熟しやがった」
領民たちは踊り出すほどに喜ぶ。スール辺境伯も、涙をポロポロとこぼし、掠れた声を振り絞る。
「ありがとう、本当にありがとうございますエレナ様。これで領地を売らずとも魔道具を買えます。あなたこそ、この国の宝です!」
歓喜に震える声で、スール辺境伯はエレナの手を握る。
「いえ、たいしたことでは……ん?」
背中に軽い衝撃が走った。振り向くとマリアが背中に抱きついている。
「さすがエレナだよ。 こんなの神様の奇跡としか言いようがないよっ!」
「ああ全くだ、こんなことが出来る者なんて、俺も今まで見たことがない」
マリアとライオスが、重ねてエレナを褒めた。
まあ、褒められて嫌な気はしないな。
そう思いながらなんとなくコーデリアを見ると、目を逸らされた。
いやぁ、やっぱり嫌われてるな。
コーデリアから視線を外そうとしたその時、少女の口が動いた。
「……あんた、少しはやるじゃない」
エレナは内心驚いてコーデリアを凝視すると、コーデリアは頬を赤らめ、辺境伯の影に隠れた。
「よし、エレナちゃんのおかげで天候問題は解決した。残るは畑荒らしの魔物討伐だけだね」
「面白かった!」
「エレナやばっ!」
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