第三話 人質妃、初夜
初めての夜です。
「これで移ったか」
静かに唇を離した太星は玫玫の唇から黒い紅が自分に移ったことを指で確認した後、声高に宣言をした。
「今日これをもって、苦しみも悲しみも幸せも、そして寿命すら夫婦で分け合うことを月女神様にお誓い申し上げます」
太星が宣言し終えた後、雨のような拍手が降り注いだ。
負の感情は一切感じられない爽やかな音だった。
玫玫は唖然としていた。
なんで、失敗したのに……陛下に恥をかかせてしまう場面だったんじゃないの?
ちゃんとできなかったはずなのに拍手されるの。
頭の中でぐるぐる思考が巡る中、太星に手を引かれて大広間を出ていく。
「陛下……」
謝らなきゃ。取り繕わなきゃ。
「姫様、言わなければ誰もわからない」
「でも」
「陛下」
太星は人に呼ばれて早々どこかへ行ってしまった。
玫玫は胸のあたりをさすりながらふうっと大きく深く息を吐いた。
噂とは違うのかもしれない。
陛下は無慈悲な皇帝陛下ではないのかもしれない。
玫玫はすでにくたくただった。すぐにこの場を離れ眠ってしまいたい気持ちでいっぱいだった。
「玫玫様」
「あの私の部屋は……」
「玫玫様! お式、圧巻でした。わざと器をはたき落とされていましたよね! かっこよかったです」
「え」
玫玫の目が点となる。
侍女は目を輝かせ、息巻いて玫玫に言葉をかけた。
「あれは」
「大変、申し訳ありません。お次の予定がありました! お急ぎください」
侍女は今度も慌ただしく玫玫を先導した。
素早く湯浴み、そして婚礼衣装ではない上等な夜着に着替えさせられた。
「このまま、初夜にございます」
「初夜!?」
とても気が遠くなる思いだった。
「こちらで陛下をお待ちください」
通されたのはあまり物が置かれていないとても広い部屋だった。
部屋の中央には大きな天蓋付きの寝台が設置されている。
寝台の装飾は細かく繊細、布団や枕、掛けるものに関しても見て触っただけでとても高価で貴重なものだというのが分かった。
しんと静まり返る部屋の中央で玫玫の頭の中で父の言葉が響き渡っている。
『使えるものは全て使え』
『ガラクタ』
そして、先程盛大に器を床に落とした事を思い出した。
「陛下は言わなきゃわからないなんて、仰って下さったけれど……」
次こそはちゃんとやらなきゃ、気に入られないと。
「ちゃんと! 初夜をのりこえないと」
しゃらり。
鈴の音がした。
真っ黒な婚礼衣装ではなく、軽やかな夜着の太星が現れた。
婚礼の儀の際は結わいていた髪がおろされている。
太星は部屋の中央で固まる玫玫の目の前に立ち、玫玫を見下ろした。
「ずいぶんだな。俺は今から殺されでもするの?」
「そんな滅相も」
「もう一度、姫様の顔色読もうか?」
婚礼の儀前と同様頬をなぞられて、玫玫は半歩後ろに下がった。
上半身で呼吸をしながら、夜着の腰ひもを手で探り、するりと解いた。そして、紐を床に落とした。
自分から脱いで、次こそは失敗しないようにちゃんとしなきゃ。
胸の前の合わせを開こうとした時、太星が夜着の合わせを閉じるように手で押さえた。
「こら」
「え」
太星は眉を寄せた。
怒られると思っていたなかった玫玫はぴたりと動きを止め、さらに呼吸も止めた。
「姫様、色仕掛けするならそんな表情はしないほうがいい」
「色仕掛けなんて」
「桃の人って積極的なの?」
床に落ちた腰ひもを拾い上げた太星は玫玫の腰に紐を回して、結び直しながら話を続ける。
「みんなが姫様は面白いって言っていた。黒へ嫁に来て婚礼の儀で勢いよく器を叩き落とせる豪傑だ、未来は明るいって」
「豪傑……叩き落とした……」
そんな事実はないはずで、ただ私は失敗して。
きゅっと紐を結び終えた太星は再び、玫玫を見下ろした。
「そんな豪傑な姫様は黒へ何しにきたの? ただ和平の人質であるためだけに来たわけではないんでしょう?」
「わたしは……」
太星は大きくしなやかな手を玫玫の細い首に添えた。
今にも首を絞められてもおかしくない。
玫玫は太星を見上げた、彼は妖しく、目を細めた。溜紺の瞳から逃げられない。
「答えろ」
じわりじわりと太星は首を絞めるように力を込めていく。
陛下には全て、お見通しなのかもしれない。
このまま首をへし折られてしまうのかもしれない。
それもいいのかもしれない。
私はどこへ行っても失敗続きで、ガラクタ以上にはなれないのだ。それならば。
「黒が所持しているといわれる……終末兵器を探しに来ました。あなたに気に入られて、取り入って聞き出すためにお嫁に来ました!」
最期くらい、堂々としていよう。これが私の最後の失敗なのだから。
太星の手が緩まった。
なぜか降ってきたのは、笑い声だった。
くつくつと喉を鳴らしていた。そして、玫玫の手を引いた。
外に出される!?
「え、陛下!」
「潔いのは嫌いじゃないよ」
太星は窓際まで歩き、窓枠に腰掛けた。
窓からは夜空が見えた。大きな満月もそこにいた。
「月女神様の前で宣言してよ。姫様の目的」
満月が煌々と玫玫の言葉を待っている。
「はやく」
「黒の、終末兵器を見つけだします」
太星は玫玫の腰を抱き上げ、膝に乗せて顔を合わせた。
「その終末兵器とやら、見つけてみせてよ」
その表情は通常、妻に向けらるような慈愛に満ちたものではなかった。
無慈悲の皇帝陛下と噂されるに相応しく、玫玫を試すようなものだった。
「黒のどこかにあるはずだよ」
バクバク。
玫玫の心臓は今にも壊れそうだった。
陛下に目的を打ち明けたのは失敗だったのかもしれない。
彼は噂通りの恐ろしい皇帝陛下に違いない。
好戦的な初夜でした。
父の言葉通り、玫玫ちゃんが物理的に懐に入れてなによりです。