第十四話 人質妃、御伽噺を懐かしむ
幼少期、玫玫が大好きだった御伽噺『桃琴伝』
『桃琴伝』
桃で有名な御伽噺の題名。
老若男女、誰しも聞いたことのある女の子の物語。
玫玫もよく読んでいた本である。
とある国に桃色の髪の女の子がいた。
名前は明鈴働き者で明るく優しい女の子。
ある日、明鈴は道端で倒れていた老婆を助けた。
その老婆は傷だらけでとても痩せ細っていた。
「大変、このままじゃ死んでしまう」
明鈴は老婆を家に連れ帰り怪我を手当てし、元気になるまで献身的にお世話をした。
「もうすこしで傷も治りそうですね!」
満月の夜、布団をかけながら老婆に声をかけた明鈴に老婆が微笑んだ。
「えぇ、あなたのおかげ」
「え?」
今までゆっくりゆっくり一音一音話していた老婆の口調が嘘のようにはきはきとしたものに変わった。その突然の変化に明鈴は驚いた。
改めて明鈴が老婆を見るといつのまにかこの世の人とは思えないほど美しい女性に変わっていた。
「えっ!」
腰を抜かした明鈴は床に尻餅をついて口をぱくぱくさせていた。
ぎしっ。
女性は寝台に腰掛けて、明鈴を見下ろした。
「ありがとう、明鈴」
「あの……あなたは」
「私は月女神。月蝕で力が使えなくて困っていたの。あなたのおかげで救われたわ」
「あ、いえいえ」
明鈴は目の前の美女が月女神だということよりも元気になったという事実の方が嬉しかったらしく、抜けてしまった腰を引きづりながら近寄り月女神の手を取った。
月のように白く美しい手だった。
「それは、それは本当によかったです! 元気になったんですね。毎日痛そうな傷口を見て苦しかったので安心しました」
その的を外れた喜びように月女神は大笑いした。
「あなた、私が月女神だということには何も思わないのね?」
「月女神様なんですか!?」
そこで明鈴も理解が追い付いた。
月女神とはこの国の誰もが知っている民を守って下さる月に棲む神様のことだった。
「お礼をしたいわ。何か望みはある?」
「い、いえ。特になにも」
「なんでもいいわよ? 欲しいものでも、叶えたい願いでも」
「恐れ多いです」
「こんな機会滅多にないわよ?」
明鈴は数秒息を止めて考え、照れながら願いを口にした。
「せっかくなら、一度でいいので……琴を奏でてみたいです」
明鈴は身分の高いお屋敷へお遣いで品物を届ける際、同じくらいの少女が琴を奏でる姿を見るのが好きだった。
華美な服に身を包み、姿勢を正し、繊細に指先で奏でている姿に憧れていたのだ。
「分不相応だとは……思っているんですけど」
「いいじゃない。あなたは月女神である私を助けたのよ? 分不相応上等。それくらい許されるわ」
月女神は指を鳴らした。
目の前には立派な琴が現れた。さらに、ふうっと息を吹きかけると琴が光ったように見えた。
光り輝くことを触ろうとする明鈴の手に月女神は自身の手を重ね合わせた。
「え、えっ」
「月女神直々に琴の指導をしてあげるのだから、光栄に思いなさい?」
月女神は明鈴に琴の弾き方を丁寧に教えて月へ還っていった。
明鈴が月女神からもらった琴は不思議な力を持っていた。
どんな傷も病も琴の音色で癒してしまう。
人の喧嘩もいざこざも、悲しみも全て琴の音色で癒してしまう。
そのことに気付いた明鈴は決心する。
「せっかく月女神様が不思議な琴をくださったのに私だけのものにしてしまうのはもったいない。国中の傷ついた人たちを癒しにいこう」
彼女は国中をまわりはじめた。
困っている人へ手を差し伸べ、癒しを求める人へ琴を奏でた。
「この先は通れないよ」
国中を回り終えた明鈴は元居た場所へ戻ろうとしていた。
しかし、道中この道は使えないと通行止め。
明鈴を含め、道行く人全て止められており大渋滞。
明鈴は塞がれた道の前で自分以外にも大勢困っている人たちを見つけ、話を聞いた。
「あの、何かあったんですか?」
「この先の洞窟に獣が住み着いてるらしい」
「獣?」
「洞窟付近は物流の要なもので、困ったもんだ」
「凶暴な獣なんですね……」
「近づこうものなら今にも食いちぎられそうな勢いで威嚇してくるらしくて手の出しようもないって話だ」
「獣がいない時を見計らって道を通るとか」
「それがずっとその場から動かないらしい」
明鈴はその話を聞いてふと思いついたことがあった。
「私が様子を見に行ってきてもいいですか?」
「あぶねえからやめとけ。あんたみたいな小娘があんな得体のしれない獣に近づいてもいいことねぇ。やめておいた方がいい。頭から喰われてお陀仏よ」
「でも、怪我して動けないだけかも」
「尚更、息絶えるのを待ったほうがいい」
彼女は反対を押し切り、一人で琴を抱えて洞窟に向かった。
小さい火を頼りに真っ暗な洞窟の中を進んで行った。
灯が小さく揺れた。
そして、彼女は空気を揺らす程大きなうめき声を聞いた。
恐怖で身体は強張り、顔はひきつった。
彼女は琴を力強く抱きしめて洞窟のさらに奥へ進んだ。
「え」
洞窟の奥に横たわっていたのは得体の知れない獣であり、ただの獣ではなかった。
体は蛇に似た鱗で覆われ、獅子のようなたてがみがあり、立派な角が生えていた。
ぱしゃ。
彼女の足元で水音がした。
しかし、若干粘度のある生暖かい液体に彼女はすぐ気が付いた。
これは血だ。
「怪我、してるの?」
「触るな!」
空気を震わす声がした。
気圧されながらも彼女はへこたれず、距離を取ってゆっくりと琴を奏ではじめた。
てぃん、てぃん。
洞窟で音が反響して、すぐに音色が充満した。
次第に空気の揺れもなくなった。
琴を演奏し終えた彼女は静かに洞窟を出ていった。
数年後、明鈴の住んでいた地域と近隣の地域の争いが起きた。
琴の音色で傷を癒すことが知れ渡った彼女の元には昼夜問わず、怪我人が運び込まれてきた。
「明鈴! いるか!」
明鈴は嫌な顔一つせず、寝る間を惜しんで琴を奏で続けた。
指が切れ、血を流しながらも琴を奏でるのをやめなかった。
ある日、弦が一本切れた。そして、また一本切れていく。
不思議なことに替えの弦は替えた途端に切れてしまいどんな弦も使い物にならなかった。
最後の弦が切れてしまった日。
明鈴はもう人を癒すことが出来なくなってしまった。
「すみません、もう琴が……」
明鈴の琴に頼っていた人々は一斉に手のひらを返した。
「はやく夫を治して!」
「うちの息子を見殺しにしないで!」
「インチキ」
「うそつき」
「詐欺師」
今までの恩を忘れたかのように皆、明鈴を罵った。
そして、彼女は罪人扱いとなり牢屋に入れられてしまった。
明鈴の指は改めて見るとぼろぼろだった。指も動かない。
おそらくもう琴を弾くことは出来ない。
「……いつ、間違えたのかな」
牢屋の小窓から月を眺めた彼女にはもう苦笑する気力すらも残っていない。
「月は静かそうでいいね」
その時だった。
ドン、ドン、ドン。
牢屋の壁が音をたてはじめた。
彼女の身体が先に危険を察知し、壁から離れて隅で丸くなる。
「かみなり?」
ゴロゴロ。
突然、石の壁が崩れて月光が自身に差し込んできた。
「あ……」
月の光を反射している蛇に似た鱗。
夜風になびくたてがみ。
気高さを象徴する天を差す角。
明鈴は思わず声を零した。それは洞窟の獣だった。いや、月の光に照らされてようやくわかった。その姿は間違いない。
「……龍」
大きな身体が牢に入ってくる。礼儀正しく龍は明鈴に頭を下げた。
「もう……けがはしてないんですか……」
「あぁ」
「そうですか……それは」
よかったですと言う彼女の姿はどう見てもよくはなかった。
龍はさらに近づいて鼻先を明鈴の顔に寄せた。
「恩を返しに来た」
その言葉を聞いた途端、明鈴は涙が止まらなかった。
恩を返しに来てくれたのは龍だけだったからだ。
一人も味方はいなかった。彼女は泣きじゃくりながら龍に抱き着いた。
「どこか、行きたいところはないか?」
とても優しい声だった。明鈴は言葉を途切れさせながら呟いた。
「月に、いき、たい」
「わかった」
龍は彼女を背に乗せて、静かに夜闇を昇っていった。