第十三話 人質妃、ままならない選択肢
母の危篤の知らせで桃に戻った玫玫を待っていたのは……
「ちち、うえ」
私はまた失敗したのだ。
父の扇で顔を叩かれて、ようやく気付いた。
私が生まれて育ったのは、桃だ。
黒のような活気のある誰もが上を向いて笑っている国ではない。
緑のように民のために全てを捧げられる王のいる国ではない。
青の皇太子のように家族を救いたい程、仲がいい家族ではない。
「陛下、晴藍。行ってきます」
「玫玫が戻ってくるまでには書庫の書物を全て頭に入れておくさ」
「よろしくお願いします」
「何かあればすぐに遣いを出して。わかったな」
「はい……」
太星と晴藍に見送られ玫玫は黒を出た。
嫁入りをした日と同じ道をひたすらまっすぐ戻っていく。
「開門!」
早く、桃へ。母上の元へ。
「なにを! 離しなさい」
黒から桃へ戻ってきた玫玫を待っていたのは桃の兵士だった。
馬車を降りるなり、玫玫は地面に押さえつけられた。
「無駄な抵抗はされないように」
母の重篤な状況であると桃に戻ってきた元桃の姫である玫玫だったが、扱いは罪人だった。
兵士に囲まれ、桃の王宮内に連れられていった。
これは、ただの帰郷ではない。
黒へ嫁入りをしろと言いつけられた父の部屋へ入ると肩から押さえつけられ、両ひざを床につけた。
目の前には父と母がいた。
母は別れた日と変わらず元気そうに見えた。
「母上、お身体の調子はよろしいのですか……重篤なじょうきょうだと、おききして、いそいで、まいったのです」
玫玫のとぎれとぎれの言葉に母は顔をそむけた。
何も返答がなかったとしても、玫玫は元気な母が見られただけで満足だった。
よかった。母上は無事だ。
玫玫は噛みしめるように床を見つめていた。
「玫玫」
落とした視界の中に父の先のとがった靴が見えた。
名前を呼ばれて顔をあげた時、左眉の上あたりに痛みが走った。
押さえつけられている玫玫は痛みの場所をおさえることも出来ない。
「いっ」
目に液体が入り、視界がじわりと真っ赤に染まった。
ぽた、ぽた。
床に一滴、また一滴と血が溜まる。
自分の額から流血していることを理解した。
真っ赤な左目を瞑り、父を見上げた。
「文の一通もよこさないとはな」
父の顏は琴を失敗した時と同じ鬼の形相だった。
「黒の終末兵器は見つかったのか?」
「……いえ、まだです」
「知り得たことを全て話せ」
「なにも、しりません」
「嘘をつくな! お前が黒の皇帝に気に入られているのは知っている。見せてもらったのだろう? 見てはいなくとも、教えてもらっているはずだ」
玫玫は大きく首を振った。左眉から垂れる血液が飛ぶ。
「それは間違いです。陛下は、私なんて」
「私が嘘の情報を握らされるわけがないだろう!」
「か! かくしごとなど、してません。誓って、私は……なにもしりません」
「黒に情でも移ったのか? 一丁前な態度を取りよる、このガラクタめ! お前ではなく、姉の桃珠をいかせるべきだったな」
父は玫玫の肩を蹴り身体を床へ倒して踏みつけた。
「そいつは反逆者だ牢にでも入れておけ。太星を黒から引きずり出す餌くらいにはなるだろう」
「へいかは、とうへはきません。わたしなんかのためには……きません」
意識が遠くなっていく玫玫は床に転がったまま目を閉じた。
目を覚ましたのは額の痛みと寒さからだった。
父の命令通り、玫玫は牢屋に入れられていた。
「また……失敗した」
何が失敗だったのか玫玫は丸くなり考えていた。
桃に帰らなければよかったのかもしれない。でも、本当に母上が重篤な状況で最期に間に合わなかったら私は後悔でどうにかなってしまう。
晴藍についてきてもらえばよかったのかもしれない。
けれど、父に青の皇太子だとばれてしまったら、晴藍が殺されていたかもしれない。
「何を選んでも全部失敗な気がする。いった……」
玫玫は額をおさえた。
日の光すら入らない牢に入れられて何時間たったのかわからない。
最低限の食事はもらえるようだった。
「陛下をおびき出すためには殺さない……ってこと、か」
玫玫はうずくまった。
「玫玫」
何度目かの最低限の食事を運びに誰かが入ってきて、名前を呼ばれた。
顔をあげると手に食事を持った母が牢の前に立っていた。
「母上……」
「どうして、戻ってきたの?」
「母上が重篤だと……きいて」
「桃に戻るということはあの人に会わなきゃいけなくなることを考えなかったの?」
「かんがえましたけど、かんがえたけど、母上が本当に重篤なら戻らない理由はないではありませんか……」
玫玫はぽろぽろと涙を流した。
母の声と姿に張りつめていた糸が緩んでしまったのだ。
牢の格子の隙間から母の手が伸びてきた。玫玫は両手で握って泣きついた。
「よかったです。お元気で……」
「あなたが黒で太星殿と仲良くやっていることは風の噂で聞いていました」
「母上それは、間違いで」
「間違いではないわ。黒は桃との和平協定の内容を一部受け入れたのよ。条件はあなた」
「私、ですか」
「当初、黒は桃からの嫁入りを快く思っていなかったの。それをあの人は強引に諜報のための嫁入りを推し進めた。玫玫を気に入らなければ婚姻は破棄し、勝手に処分して構わないとまで伝えていたのよ」
玫玫は開いた口が塞がらなかった。
「それが婚姻を結び、緑へ夫婦そろって視察に行った情報が入ればあなたが太星殿と仲良くやっていることはすぐにわかった。だからこそ、あの人はあなたを黒に置いておくこと自体、だんだん怖くなってきたのよ。あなたは桃の王を良く思っていないもの」
「……陛下が、私のことを、大事におもってくれているんですか……」
「ええ。母として太星殿には感謝が尽きないわ。だから、もう少し辛抱して。準備が出来たらちゃんとあなたを黒へ返してあげる。私の命に代えてもね」
「ははうえ」
「ようやくあなたの力になってあげられるわ。そうそう。気晴らしになるといいけれど」
母は懐から一冊の本を手渡した。
随分痛んだ表紙に何度も何度も読んだのがわかる。
「あなたが小さい頃、何度も読み聞かせた本。最近、本棚で見つけたのよ」
「それ……」
程なくして侍女が母を呼びに来た。
わかりましたと頷いた母は食べ物と本を玫玫に渡して牢から出ていった。