第十一話 人質妃、前のめりな想い
太星の後をつける玫玫
真夜中、満月が天高く上っている。
「洛、今日もいつもの場所へ頼む」
「心得ました」
馬車の前で太星を待ち構え、身を低くし頭を下げている御者が二人。
洛の横にいる少年は御者見習いの少年に化けた玫玫である。
「その者は?」
「御者見習いになります」
「そうか」
太星が馬車に乗り込んだのを見届けて玫玫は洛に抱き上げられながら馬に乗った。
「玫玫様、くれぐれも落ちないようにお願いしますよ。しっかり掴まっていてください」
「わかりました! よろしくお願いします」
小声で玫玫は意気込んだ。
「間もなくです」
「ここ、ですか?」
馬が歩みを止め、玫玫と洛は急いで馬を降り、身を低くして頭を下げた。
太星が馬車を降りるのを見届けて、玫玫はこっそり後をつけていく。
「洛さん、ありがとうございました!」
「玫玫様、大人しくしているはずでは?」
「大丈夫です」
「ここ……」
太星が入っていったのは玫玫が二度訪れたことのある池に浮かぶ庭園だった。
この場所で寵妃様と密会? でも、もしかして身分違いの秘密な関係だったりするのかも。
こっそり逢引きをしていて……それだったら、私がそれを見てしまうのはどうにも野暮だ。
洛の待つ馬車前に戻ろうとする玫玫の目の前を一つの光の粒がふわりと浮かんでいた。光の粒は一つ二つ、次第に数十と増えていく。
「蛍?」
呼吸する様に光り、暗くなるのを繰り返す蛍だった。
蛍の淡い光に包まれる太星は言葉にならないほど、美しかった。
陛下のこんなにも穏やかな表情は見たことない。
あまりに甘い表情に見てはいけないものを見てしまった気になった。
蛍とともにゆっくりと庭園を進んで行った太星は亭に入って腰を下ろした。
月を見上げ休憩するようにも、誰かを待っているようにも見えた。
寵妃様はどちらから現れるんだろう。
玫玫は太星以外の人影をじっくり探した。
とっても綺麗な人なんだろうな。
なんでも出来て、頭も良くて、私みたいに失敗ばかりじゃない。わざわざ陛下に会いに来てもらえる素敵な女性。
「いいな……」
玫玫は体中の空気を抜くように息を吐いた。
何故かすごく気分が落ちてしまう。
寵妃様は私みたいに真夜中に出歩いて、御者見習いの格好もしないし、陛下の後を追いかけるようなこともしない。
私ってどうしてこんなに駄目なんだろう。
「あれ……」
もう一度自然とついたため息にハッとした。
なんでこんなにも落ち込んでるの?
終末兵器を探し出すために、寵妃様にお会いして話を聞くために訊ねて、洛さんに協力してもらってここまで来たのに、私は何に落ち込んでるの。
「……おかしい」
玫玫は気持ちを落ち着けるために蛍を数え始めた。しかし、それは逆効果だった。目の前で蛍がふわりと光を放つと同じように心に光が灯るだけだった。
ひとつ、またひとつ、気持ちが照らされていく。
緑で景旬様に寵愛されている妃がいると聞いて驚いたと同時に、今まで感じたことないくらい内心はざわついて仕方なかった。
侍女や侍従にそのような妃は見たことがないと言われ、安心していた。
真夜中に通っている場所があると聞いて、いつの間にか目的を忘れてとても嫌だと思った。
今も、寵妃様を見つけたい気持ちと合わせて現れないことを祈っている。
てん!
突然、どこかで琴が鳴った。以前この場所で聞いた音だった。
てん、ててん!
琴の音は玫玫を立ち上がらせた。
背中を押されるようにして前傾で走り出した。
てん、てん、ててん。
玫玫の動きに蛍が驚いてぱっと散り散りになる。
履きなれない靴でうまく走れない玫玫は大きな足音をたてて、池に浮かぶ庭園を駆けていく。
桃色の髪を隠していた被り物が置いていかれる。
玫玫の足音を聞いた太星はゆらりと立ち上がって月灯りに溶ける桃色を見つけた。
「陛下!」
駆け出した勢いを止めることが出来なかった玫玫は太星につっこむ形となってしまう。太星は身体で玫玫を受け止めた。
「はぁ、はぁ」
玫玫は息を切らしながら顔をあげた。
目の前には溜紺色の瞳が大きく見開かれ揺れ、驚いており、太星が薄く口を開いた。
今にも一言苦言でも飛び出しそうな様子にも玫玫は配慮をしている余裕はなかった。喉を超え口から飛び出しそうな感情を飲み込むことはもう出来ない。
「陛下のことが、好きです!」
何もかもすっ飛ばして玫玫は今伝えなければ気の済まない言葉を口にした。
好きだからなんだと言うのか、伝えて気が済んだらどうしたらいいのか、玫玫は分からなかった。
太星から何も返答がなかったからだ。
亭に腰掛けた太星は玫玫の腕を引いて膝にのせて怪訝そうにしていた。
「御者見習いの分際で、皇帝である俺に突進はいい度胸だな」
玫玫は自分が今御者見習いの格好で太星の前にいることを思い出して顔のパーツを中心に集め、ついてきた理由を話した。
「なるほどね。姫様以外の寵妃と密会か」
中心に集まった顔のパーツを丁寧に広げるように太星は玫玫の頬を引っ張った。
「こんなことをせずとも直接聞けばよかったんじゃないのか?」
「おひえてくだはったんえすか」
「それは……気分次第」
「む」
玫玫の頬から手を離した太星の耳飾りの鈴がしゃらんと鳴った。
玫玫の腰に太星の手が回り抱き寄せた。
「気分がいいから一つだけ教えてあげる」
「はい」
「姫様以外の妃は俺が死ぬまで現れない。今までもこれからも絶対」
「それってどういう」
「さて、帰ろう。馬車を動かしてくれ、御者殿」
太星はとんっと玫玫を降ろし、立ち上がった。
いつもと同じく飄々とした表情で後ろ手を組んで歩き出した。
心なし、楽しそうな陛下の背中はどういう意味合いを孕んでいたのだろう。