第九話 人質妃、緑の女帝と龍の言い伝え
しゃらん。
今日の陛下の耳飾りか少し皮肉をはらんだ鈴の音がする。
「姫様、ずいぶん遠くまで探しものをしたんだね」
緑の賓客として客間で過ごすこと2日。
玫玫と晴藍の元に太星が到着した。
太星は玫玫を見るなり彼女の頬を引っ張り上げた。
「行って帰ってくるだけだから大丈夫って言っていなかった?」
「ひゅいまへん、へいは」
「侍女共々、連れ去られるとはね」
十割、嫌味である。
当然、顔は笑っていない。
「さて、二人とも黒へ帰ろう」
玫玫の頬を解放した太星は二人に黒へ帰ると告げた。
「あの、景旬様とのお話は済んだのですか?」
「話? 何も話すことはないだろう」
「でも……」
「俺は怒ってる。皆まで言わせるな」
「私のことなら、何も問題ありませんよ? 何もされていませんし、お話くらい」
「姫様の身の安全の問題じゃない。黒の民が勝手に連れ去られたことが問題なんだ」
「それには理由があって」
「理由があれば連れ去られてもいいのか?」
「黒の民であり、黒の季太星様の妻である私が問題ないと言っているんです! 景旬様のお話だけでも聞いてください!」
太星は玫玫の勢いに驚いていた。
「姫様は自分のこと以外になると随分強気だね」
なぜか太星の機嫌が直った。
玫玫が今回だけは太星に折れない理由は緑に連れてこられた日、景春が打ち明けたことに心を動かされたからだった。
景旬は玫玫と晴藍を前に膝を床について非礼を詫びた後、なかなか顔をあげなかった。
一国の王である景旬が膝をついたままになっている様子はただ事ではない。それだけで玫玫はただ事でないことを悟った。
桃でこんな王の姿は見たことがなかった。
「お顔をあげてください。景旬様」
「今、緑は呪われている。私ではどうにもできない」
景春はぼそぼそ語り始める。
二年前、景春の夫である柳 秋水が亡くなった。
緑の西部へ視察に行った日、突然の豪雨にみまわれた。
道中、土砂崩れが発生し秋水や侍従を含め、数十人が土砂に巻き込まれて亡くなった。
夫亡きあと、かわりに女帝となったのが皇后の景旬だった。
夫のかわりに行う仕事量に毎日振り回されながらも景旬は緑の民のために睡眠を削り走り回っていた。
「景旬様!」
そんな景旬の働きに反し、豪雨による土砂崩れで秋水が亡くなってから、緑は天災が相次いだ。
長期間の日照りにより農地は干からび、食物が育たないこともあれば、長雨による河川の氾濫による水害。
民の生きようとする志は天災によりへし折られ、ただ疲弊をしていく日々。
「そんな時、王宮内の蔵書の中から黒に関する記述を見つけた」
「どんな内容ですか?」
「黒は厄災や天災を癒す浄化の術を有している者がいる」
「浄化の術……」
「玫玫殿は聞いたことがないか?」
「今、はじめてお聞きしました。力になれず申し訳ございません」
「そうか」
「景旬様……でも、どうして私を? 何もお力にはなれそうになくて」
「最近よく噂を聞く。黒の皇帝、季太星殿には寵愛している妃がいると聞いた」
寵愛……?
身に覚えがない。やっぱり、庭園で見たのは幽鬼じゃなくて本当に存在する私以外の妃?
「恥ずかしながら、緑は黒と交渉するだけの材料がない。交渉材料がないからこそ、玫玫殿を攫って強引に話し合いの機会を作って頂く方法しか思い付かなかった。民のためならば、私はなんでもする」
「景旬様は緑を……民をとても愛しているのですね」
「当たり前だろう。私は緑が好きだ。夫との思い出も民も全て守りたいのだ!」
玫玫は桃で父や兄の話を何度か聞いたことがある。
どれくらい民から税を巻き上げるか、次はどの国を攻めるか、民という駒をどう使えば国益になるか、そればかりだったことを思うと景旬の姿には胸が熱くなった。
少しでも、力になれないだろうか。
まったく折れようとしない玫玫に折れたのは珍しく太星だった。
「話だけでも聞いてあげてください!」
玫玫は距離をつめて懇願した。太星は大きく息を吐いて頷いた。
「わかった、話を聞く」
「ありがとうございます!」
ようやく話し合いの場を設けることを了承した太星は玫玫と晴藍を連れて景春の部屋へ向かった。
玫玫と晴藍が景春にはじめて会った部屋だった。
扉が開いてすぐ景春は太星の前に手を組んで、膝を床へつけて頭を下げた。
「李太星殿、遠方より感謝いたします」
「妃がどうしても話を聞けと言うもので」
「此度の非礼、心よりお詫び申しあげます」
話し合いの席についた太星に景春は玫玫に話した事と同じ内容を説明した。
「緑が呪われている?」
「恥ずかしながら、私にはもう成す術なく……黒は全ての厄災、天災を癒す術を有しておられると過去の記録を見つけた次第。どうか、緑にお力添えをいただけないかと思います」
「黒の利点はありますか?」
「差しあげられるものであれば、なんなりと。民の生活が元に戻るのであれば私の命さえ、惜しくはありません」
「なるほど……」
太星が何か思案するように数秒の間、口元に手を当てた。
「景旬殿。緑の地図をここに。それとあなたの夫、柳 秋水殿が亡くなった前後で行っていた国策や大きな天災についての時期を教えてください」
太星はてきぱきと指示を出し、机の上には緑全土の地図が広げられた。
景旬と玫玫、そして晴藍は机の上を覗き込んだ。
「国策……というと」
景旬は手記を手元で確認しながら、ぱらぱら頁を遡った。
そして、該当の頁を見つけ読み上げた。
「民の居住区画の拡大を進めるべく、山を開きはじめた」
話を聞いて太星は静かに地図を眺めていた。
景旬はどの地方で行ったものと説明する前に太星は該当場所を迷うことなく指さした。
しかし、指さされた場所には山の記載などはひとつもなかった。
「山を開こうとしたのはここではないですか?」
「なぜわかるんだ? まだ何も……」
「秋水殿が訪れ、亡くなった場所もここですね」
「太星殿の仰る通りだ」
「陛下?」
玫玫、晴藍、景旬はそれぞれ眉を寄せた。
黒の皇帝である太星が緑の地形に詳しいどころか全て理解しているような口ぶりで話をしていたからだ。
「信じるか信じないかはお任せします。話を続けても?」
「あぁ、お伺いしたい」
「黒、桃、青、緑の四国は元々色という国だったことをご存じですか?」
「あぁ、知っている」
「昔、色には大きな龍が棲んでいて、民を天災や厄災から守っていたとされています。そして、龍の住処。または休む場所とされていた地を龍穴と呼びます。現在の地形だと、桃と青に一つずつ、そして緑はこちらです」
太星は人差し指でしなやかに地図の該当する場所を囲むように円を描いた。
「龍穴には龍の気が宿る場所。山だったり、川だったり、崖だったりするんです。そこを荒らしてはいけない、穢してもいけない。破るとたちまち龍の気は爆発し守るべき民へ牙をむきます。そういう言い伝えがあります。馬鹿馬鹿しいと突っぱねても結構、選択するのは王であるあなただ」
「仮に龍穴を荒らしてしまっていたとして、どうすればいい」
「木を切り倒したのなら、木を植え、山を中途半端開いたのであれば元に戻してください」
「すぐにとりかかろう」
「突拍子のない話、信じてくださるのですね」
「私には話を聞いてとりかからない理由がない。藁にも縋る思いで玫玫殿を攫い、太星殿に話し合いの機会を設けてもらった。可能性のあるものは全て行う。感謝する太星殿」
景旬はすぐに緑の王宮内の人出を集めはじめた。
景旬を中心に地図を囲み、明朝から動き出すぞと役割を振っていた。
そして、景旬の姿に呼応するようにして皆、背筋を伸ばし声をあげ、士気を高めていた。
明朝、景旬に見送られながら馬車に乗り込んだ三人。改めて、玫玫と晴藍は太星に頭を下げていた。
「陛下、迎えに来てくれてありがとうございました」
「どういたしまして」
「あの、ひとつお聞きしたいんですけど」
「ん?」
「私以外に黒の妃って……います?」
「は?」
「景旬様から黒の皇帝が寵愛している妃がいるから今回交渉材料に攫われたみたいで、どうにも人違いのような気がして」
「ちょっと、玫玫」
晴藍が口を挟んだが、時すでに遅し。
「姫様ってさ……いい、やめておく」
太星は大きなため息をついて小窓の外を覗いていた。
「あの~陛下?」
太星が玫玫の言葉に返答することはなく、微妙に気まずい雰囲気のまま黒の王宮に戻ってきたのだった。