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薔薇色の夢~一秒のノイズ

作者: 時輪めぐる

それは緩慢な自殺。


 人生を自力で生きることを放棄し、安楽死までの一か月間、薔薇色の夢を貪るシステム。薔薇色夢カンパニーは、人生に絶望した者や私のように生きる気力を失くした者、しかし、自殺することの出来ない者達の支持を集めて急成長した企業だ。


 二〇五×年、前年制定された安楽死法の施行を受けて、鉄道各社が協力して設立した。これ以後、鉄道の人身事故、所謂いわゆる、飛込みは急激に減少した。


 私はそれをネットで知った。気になる費用は全財産と書いてあった。富める者、貧しい者、それぞれの全財産だという。売却できるものは全て売り、なけなしの貯金を解約して集めた全財産は、四十四万四千四百四十四円だった。


「全財産を偽る人はいないのですか?」


「こちらは、お一人お一人の身辺調査を致しております。少しでも財産を残されると、後々相続などの問題が生じますので」


「それで、採算が合うのですか?」


 余計な事を訊ねてしまったと後悔したが、受付の若い女性はにこやかに回答してくれる。


「皆様のご遺体はこちらの所有物となりますので、それなりに採算は採れるようなシステムでございます」


 何処かに売却するのか、何かに利用するのか。富める者も貧しい者も、それぞれの全財産というのが公平であると思えた。


「それでは、ここに自署をお願いします」


 一瞬ためらったが、大きく一つ息を吐き、力強く自分の名を書き記した。


「これで、契約は終了です。あちらで、入眠着にお着替えされてから、薔薇色夢ドームにいらしてください」





「それでは、始めましょう」


 VRゴーグルの様な装置を装着した私にスタッフの男性は言った。薔薇色夢ドームには、透明なカプセル状のベッドが何列も整然と設置されていた。ベッドには生命維持装置が取り付けられ、カプセルの中に横たわる者は一か月後の安楽死まで、薔薇色の夢をひたすら見続ける。体は定期的に洗浄され、食べることも排泄することも何も心配ない。契約時に提出する薔薇色の夢のイメージに沿った夢が提供される。何が薔薇色の夢であるかは、人それぞれである。





 カプセル内に横たわると催眠ガスが充満した。深い眠りに落ち、私の薔薇色の夢が始まる。これは事前に夢オプションの中から項目を選んだ。複数選ぶことも、項目にない設定を作ることもできる。




『おはようございます、奥様。お目覚めの紅茶でございます』


 天蓋のあるキングサイズのベッドで目覚めると、執事がモーニングティーを運んで来る。


 まだ隣のベッドで眠っている、優しくてイケメンの旦那様を起こさないように小声で確認する。


『今日の予定は?』


 執事は、私と家族の予定を伝えた。私は、レースのカーテン越しに、庭園の木々を眺める。


 身支度をし、別室で世界各国の重鎮とweb会議をしてから、運転手付きの超高級車でオフィスに出社する。私は世界を股に掛ける実業家だ。


『子供達に明日のことを伝えるのを忘れてしまったわ。あとで伝えて置いてちょうだい』


 秘書に伝言を頼む。


 明日は、ヨーロッパ社交界の舞踏会がウィーンで催される。いずれは、娘も社交界デビューさせたいと思う。


 メンサ会員で知能も高く、最高の学歴であり、数か国語を淀みなく話す私は、社交界で人脈を広げ、ビジネスは順風満帆だ。私の薔薇色の夢は続く。






 現実でどの位時間が経ったのか分からないが、夢の中では数年が経った頃のことだ。




 ヴッ!




 一秒のノイズが入る。


 その途端に、夢の中で場面が変わった。


 此処は、何処だろう。少なくとも、先程まで居た都会の高級住宅街ではない。


 あの山に見覚えがある。山に囲まれた寒村。


 刈り取られた田は一つ一つが狭く小さい。


 映像は、すぐに薔薇色の夢に戻った。


 一瞬であったが、それは私が生まれ、十五年前、中学卒業と同時に捨てた故郷の風景だった。心の奥に仕舞っていた暗く重い存在が思い出されて、嫌な気持ちがした。




 その日から、薔薇色の夢に度々ノイズが入るようになった。




 ヴッ!




 また、故郷の映像だ。


 出奔してから、一度も家に帰らず、音信不通。心の奥に封印していた故郷。ノイズは、何故、捨てて来た故郷を見せるのだろうか。もしかしたら、この薔薇色の人生を故郷の人に見せ付けろということなのだろうか。


 ノイズは、日に日に回数を増し、また故郷の映像の時間も伸びて行った。




 ヴッ!




 当初は、薔薇色の夢を中断する厄介な現象と嫌っていた。が、度重なる内に心の奥から湧き上がってきた懐かしいという想い。戸惑いながらも、私はノイズを心待ちにするようになった。




 ヴッ!




 ある日、私は実家への道を辿ることにした。


 凱旋というのではなく、見てみたくなったのだ。


 田んぼの中の道に人影はなく、穴だらけの舗装で通る車も無い。


 途中見付けたバス停の時刻表には、一日に一本のバスしか無かった。


 相変わらず何もないド田舎で、見渡してもこれといった大きな建物は無い。自分が出て行った頃そのままの寂れっぷりだった。


 さて、自分の家は。


 半分崩れた様な襤褸ぼろ家。昔の木造住宅は耐用年数をオーバーしている感がある。


 壊れたままの門扉を開けて進むと、主の居ない古びた犬小屋や、枯らしっぱなしの植木鉢がゴロゴロ置いてある玄関に辿り着く。


 そう、此処だ。玄関のガラス戸の前に立つが、懐かしさと罪悪感。胸に様々な思いが去来して、私は中に入ることが出来ない。躊躇している内に、薔薇色の夢に戻った。ホッとする気持ちと、入れば良かったと後悔する気持ち。次は、絶対中に入ってみようと思った。




 ヴッ!




 ガタピシと、玄関の木製の建付けの悪いガラス戸を開けると、我が家特有の臭いがする。


 暗い土間には靴がきちんと揃えられていた。


「ただいま」と言うべきなのだろうか。何と声を掛ければ良いのだろう。


「お邪魔します」


 そう言って、ハイブランドの靴を脱ぎ、揃えて家に上がって行くと、奥の茶の間で人の声がした。近付くにつれて、ゆっくりと足音を忍ばせる自分に苦笑する。


 玄関から続く廊下から室内をそっと伺うと、


 両親と姉と弟、そして中学生の自分がいた。


 これは、家を飛び出す前の誕生日の場面だ。


「今日はフジコとタカオの誕生日だから、お母ちゃん、ちらし寿司を作ったよ。沢山お食べ」


 飯台に盛られたちらし寿司が食卓にドンと置かれている。母親が特別な日に作る十八番おはこの献立だ。甘辛く煮込んだ椎茸、人参、ごぼう、油揚げ、いりごまなどを混ぜ込んだ酢飯の上に錦糸卵や細切りキュウリ、カニカマがのせてある、田舎のちらし寿司。懐かしい味が脳裏に蘇った。


 姉と弟は一日違いの誕生日だ。


「マミコは来週だけど、一緒にな」


 父親が中学生の私に宥なだめるように言う。


「誕生日プレゼントは?」


 三つ下の弟の問いに、両親は困ったように顔を見合わせた。


「……ごめんな」


 父親は申し訳なさそうに頭を掻いた。


「えーっ、他所のお家では」


「他所は他所、家は家」


 何度も聞かされた母親の、この言葉。


 三人の子供の誕生日を一度に済ますのは、つまり、この家が貧乏だからだ。誕生日プレゼントを貰った記憶はなく、学校で友達の話を聞いて、その存在を知ったくらいだ。


「お誕生日プレゼントは、いつも通り、お父ちゃんとお母ちゃんの抱っこだよ」


 母親が笑いながら言う。弟は不満そうだったが、膝に抱っこされると、照れながらも嬉しそうに笑う。


 姉も笑いながら軽くハグするように両親に抱き付いた。


「マミコの番だよ」


 笑顔の父親が私を呼んだ。


 私は貧しいこの家が大嫌いだった。だから、中学卒業と同時に家を出たのだ。


 家を出た自分は幸せだったか? 


 幸せであるなら、生きる気力を失くしたり、薔薇色の夢(安楽死)を買ったりしない。


 私は廊下にしゃがみ込んで自らを抱いた。


 やがて、言い争う声がして、茶の間から中学生の自分が飛び出して来た。うずくまる私が見えないのだろうか。そのまま、泣きながら玄関を出て行こうとする。


「待って」


 私は立ち上がって追い掛ける。中学生の自分が靴を履いたところで追い付いた。


「都会に行っても、貴女の幸せは無いわよ。この家に不満はあるけれど、それでもこの世で、曲がりなりにも貴女の誕生日を祝ってくれたのは、優しく抱きしめてくれたのは、家族だけ。貧しかったけれど、此処には愛があったの」




 中学生の自分に向かって言った言葉は、聴こえなかったようだが、全て私に返って来た。


 両親は、朝から晩まで一生懸命働いて、貧しい中で子供三人を育ててくれた。他所の家と比べたら、足りないことだらけであったけれど。


 当時、貧しさに目が曇り、両親の無償の愛が分からなかったが、今なら胸が痛くなるほど分かる。都会に出て様々な職業に就き、働いても、働いても、私は貧しかった。自分の身一つでも生きるだけで精一杯だったのに、両親は子供を三人育て上げたのだ。そして、ささやかではあるが誕生日を祝ってくれた。


 涙が後から後から溢れてきた。おうおうと声を上げて泣きながら、心に深く落ちるものがあった。恋しくて堪らなかった家族、本当は戻りたかった故郷。


 自分が本当に求めていた薔薇色の夢は、何処でもなく、此処にあったのだ。


 突然、夢は終了し、私は覚醒した。





 通常は、薔薇色夢スリープに入ったら、一か月後の安楽死に向かって目覚めることはない。イレギュラーに覚醒してしまった私は、マイクを使って呼び掛ける。


「……目が覚めてしまいました」


「えっ、も、申し訳ございません」


 オペレーターが戸惑うのが分かった。


 こんなことは有り得ないことなのだろう。


「少々お待ちください」


 管理者の指示を仰いでいるのだろうか、マイクがオフになった。


「お待たせ致しました。途中で覚醒することは、理論上、有り得ないことなのですが。何故、お客様だけ覚醒されたのか、ただいま、総力を挙げて原因究明を行っております。システムの復旧まで、しばらくお待ちください」


 私がイレギュラーに覚醒したのは、ノイズの所為ではないかと思ったが、言わなかった。原因不明のノイズにより、潜在意識が揺り起こされて、昔の夢を見たのではないだろうか。 


「あの、薔薇色の夢(安楽死)を中止することは出来ますか?」


「現在、復旧にどの位のお時間が掛かるか見通しが付きませんので、ご希望でしたら中止は可能です。ですが……」


 オペレーターは、言いにくそうに続ける。


「……契約書に記載のように、お納め頂いた財産の返却には応じかねます。それでも、よろしかったら可能です」


 私は迷わず申し出た。


「構いません。中止します」





 薔薇色の夢カプセルに入ってから三週間経っていた。一週間後には安楽死の予定だった私は、無一文になっていた。


「大変、申し訳ございませんでした。当方のシステムの不具合でございますので、よろしければこちらをどうぞ」


 入眠前に着ていた衣類は処分されていたので、薔薇色夢カンパニー側から、新しい衣類が提供された。さすがに、入眠着では外を歩けないのでこれは助かった。


「ありがとうございます」


「それと、こちらは詫び料でございます。お餞別とも申します。お客様は、本日新たに生まれました。第二の人生に幸ありますよう、スタッフ一同、心よりお祈り申し上げます」


 薔薇色の封筒には、故郷への旅費程度の金額が入っていた。


 私は本物の薔薇色の夢を求めて歩き出す。


 まずは、あの寂れた故郷に帰ってみようと思う。

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