23話 絶望に堕ちたとき(過去)
ただただ、自分は悪くないのだと喚き散らす父親に、自分が少しだけ落胆していることに驚く。
・・・私はまだ彼らに期待する気持ちを捨てきれていなかったのか。
しかし、その思いもすぐに冷めていった。顔を赤くしてまるで猿のようにも見えてくるそれに、同情も落胆も、期待も怒りも、悲しみでさえ消えていき、ただ生理的な不快感が残る。一種の恐怖とも取れるこの本能的な拒絶は、もしかしたら過去にまだ赤子だった私に向かって彼らが抱いたものと似ているのかもしれない。
服の上から鳥肌がたった腕を摩った。
・・・うぅ、早く月たちの元に戻りたい・・・。どうやってこの場を切り抜けよう。
「ご当主さま!こちらにいらっしゃいましたか」
一人の使用人が私たちを見つけてこちらに駆けてくる。そういえば、かなり長い間席を外していた。誰かが探しにきてもおかしくはないのだけど・・・。
束ねていない栗色の波打つ髪。物凄く極限を攻めた、下手すればずり落ちてあらぬものが見えてしまいそうな襟元。あえて大きく足を動かしているためにちょくちょく見えている生足。見た事はないけど、遊女ってあんな感じなのかな。少々どころではない露出をする使用人に、父親はすっかり鼻の下を伸ばしている。
「もう。大切なお客さまなのでしょう?待たせちゃダメじゃないですかぁ」
「分かってるさ、そんなこと。だが、お前も来たことだし、もう少し遅れていくか?」
「だぁめ!もぉ、ご主人さまったら、奥様にばれちゃいますよぉ」
いちゃつき出す始末。なるほど、義母に秘密の妾ってところか、それでこの身なりね。使用人規則どうなってんの?それにしてもつくづく屑だな、この父親。
しかし、このままでは本当に戻るのが遅くなりかねない。
・・・仕方ない。
「戻るのではないのですか」
「いやぁっ!忌子じゃない!私に話しかけないで!」
愛妾さんは私のことをものすごい勢いで嫌っているようで、
二人の世界に割って入るようにして話しかけた私の襟から覗く痣を見ると、父親────とも呼びたくないので以降、太白と呼び捨てる
ことにするが────を突き飛ばすようにして、走り去って行った。
・・・いや、ずっといたのに今の今まで気づかなかったわけ?恋は盲目ってそういうこと?
一方、やられた側はというと、ごほごほと咳き込みながら私をギッと睨みつける。
「お前・・・」
「私だって邪魔したくなかったです。あんなの。ただ、流石に皇子さま方を待たせるのはまずいんじゃないですか。下手すれば不興を買ってお家取り潰しですけど」
家や血筋にこだわる頭カチカチ人間である太白にお家取り潰しという言葉は結構効いたらしい。
・・・まあ、領税を誤魔化して懐に入れてる時点でもう遅いと思うけどね。
正論を言われて黙り込んだ彼は一際強く睨んできたかと思うと、肩を怒らせて客間へと戻って行った。遠ざかっていく後ろ姿を見て、私は長く息を吐く。
・・・疲れた。
でも、これで終わりじゃない。終わりになんかさせない。むしろここからが本番だ。
彼らが私にしてきたように、絶望の底に落としてやる。
◇◇◇
毎日毎日泣いていた。
痛くて、苦しくて、惨めで、悲しかった。
母は死んだ。
父は私が嫌い。
義母は私が憎い。
麗凛は私が玩具。
鈴花以外に安心できる人なんていなかった。
父は気が向いた時に母屋に呼び出し、暴力を振るった。
何度も何度も。いちばんの味方であって欲しかった血縁に嫌われて、私を傷つけようとする悪意が怖くて泣いていた。
幼い私も、母屋に呼び出された時は殴られる時だと学習して、母屋に行くことを一度だけ拒んだことがある。けれど、離れで見つからないように隠れた私を見つけ、引き摺り出すと、本当に死んでしまうのではないかと思うほど、殴られた。
義母の悪意は陰湿だった。
母屋で食事をしているとき、私の物だけなかったり、残飯同様だったり。苦しむ程度の毒を入れられたこともあった。
母の形見を目の前で壊されたりもした。
自分の愛する人を政略結婚に奪われた分だけ、私から母を奪った。
外出から戻ってきて離れに帰ると、母が仕向けた男が待ち伏せしていて何度も襲われそうになった。
安心して眠れた日なんて、一度もなかった。
麗凛がいちばん酷かった。
両親は私を虐げることを心のどこかで悪いことをしているという認識があったから自分の保身のために幾らかは手加減をしてくれたが、麗凛は私を虐げることを、微塵も悪いことだと思っていなかったからだ。
それが当たり前で当然の権利。彼女は本気でそう思っていた。
私物を盗まれる、罵声を浴びせられる。こんなの、凄く機嫌がいい時だけ。
両親の虐待は鈴花がいない隙に行われたが、麗凛はわざと鈴花の目の前で行った。
まず先に私を引き連れた男どもに殴らせ、心身が弱ってきたところで鈴花を殴る。
『お前と関わるから苦しむのよ』
その後にいつも囁かれるこの言葉が耳にこびりついて、私の心は簡単に壊れてしまう。
私が離れに住み着いた猫を隠れて可愛がっていると知れば、取り巻きに殺させて踏みつける。
私が唯一残った母の形見を大切に持っていると聞けば、わざわざ私を父に呼び出させ、離れに帰った時にはもうそれは麗凛に持ち去られた後だった。
珍しい紫色の石英の玉がはまった首飾り。だから、数日後、麗凛がつけている首飾りが母のものだと、すぐにわかった。
その直後、私は麗凛のことを殺そうとしたらしい。
ぽっかりとそのときの記憶が抜け落ちていて、我に返ると、怯えたように座り込み、真っ青な顔で震える麗凛と、険しい顔で心臓の辺りを押さえた鈴花がいた。あたり一帯は嵐が通った後のように荒れていて、今考えてみると、私は金龍の力に喰われかけていたのだと思う。
引き金は、深い絶望や、役目の放棄を願ったとき。
私は、喰われかけていた時のことは何一つとして覚えていないのだけれど、直前に感じた、心が壊れるほどの悲しみと、脳を焦がし、視界が赤く染まるような怒りは、
強く、つよく、覚えていた。
ちょっと更新遅くなりました!読んで頂きありがとうございます!




