ごくありふれた異世界転生物語だった
私、ミレア・ウィンディアには、前世の記憶がある。
幼い頃から薄らと違和感があったが、それがはっきりしたのは五歳の頃、転んで膝を擦りむいた時。膝からにじみ出る血を見て、咄嗟に「バンソウコウはってぇ……!」と泣きながら訴えた。「バンソウコウ?」と不思議そうに首を傾げる大人達を見て、あれ? と思った次の瞬間に前世の記憶が一気によみがえった。
前世の私は、恐らく三十歳の誕生日に風邪をこじらせてその生涯を終えたのだろう。だって最後の記憶がそこらへんだし。
三十年分の記憶は五歳のミレアには大きすぎた。人格形成前にあふれ出した大人の記憶と知識は、ミレアの成長と性格を捻じ曲げ、前世の自分から地続きの感覚を持たせもしたが、それでも私はミレアだった。
「今にして思えばすごい世界だったのね」とか「色々な便利な物を再現できないかしら」とか、そんな事は思っても、「帰りたい」とか「本当の私は違うのに」とかは思わなかった。
前世の記憶ははっきりとある。それでも私はミレア・ウィンディア。ウィンディア伯爵家の一人娘。異質であろう前世の記憶は口に出さず、他より少し賢い少女として貴族として生きていくつもりだった。
そう、『だった』とはつまり、過去形である。
ミレア・ウィンディア、十歳。今日はワーグナー侯爵家と会食である。
「初めまして、ケイン・ワーグナーと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ケイン・ワーグナー~~~~~~!!!!! やばいやばいやばいガッツリ覚えてるこの美少年の顔と名前噓でしょただの生まれ変わりじゃなかったのこれもしかしてもしかしなくても……!
ここって少女漫画の『残響なるアモネリス』の世界なの?! 私って、あのミレア? 初登場時には落ちぶれて元貴族のプライドだけは持った平民で、逆に平民から貴族になる主人公を激重感情でとことん邪魔して、最終的にヒーローであるケインに仕返しされる、あの?! あのミレア?!!!
訂正する。私は今から滅茶苦茶賢い子になって家を助けて国立音楽院には絶対行かずに婚約者も持たずに独り身貴族を貫き通すつもりだ!!
「……ふぅ」
必殺、か弱い少女ぶりっ子の技『気絶(嘘)』
「ウィンディア嬢?!」
「ミレア?! どうしたの?!」
「しっかりしろミレア!!」
突然倒れてごめんなさいね、ケイン君ワーグナー侯爵夫妻、驚かせてごめんなさいね、お父様お母様。でも私もうミスリルの意志でこの顔合わせが終わるまで起きないから。早くお家に帰りましょう。
そんな私の祈りが通じたのか、婚約前提の顔合わせは済し崩しに終わった。勿論、家に帰ってから目を覚ました私は「あんな失態をおかしてしまうなんて! 恥ずかしくてもうワーグナー家の前には立てません!」と泣いて喚いて婚約なんて無理無理と叫んで引き籠り宣言をした。父と母は困って、数日はそっとしておいてくれた。けれど我が家は伯爵家。私は一人娘。いつまでも我儘は通じない。
「ミレア、あのね、ケイン君を覚えている?」
「実はあの子と婚約を結ばないかという話があがっているんだ」
うーん、なかなか逃げられない。
ちなみにケイン君は、婚約者になると数年は仲良くしてくれるが、その後うちが没落したら見向きもしなくなる、ある意味貴族としてはごく普通の音楽の才能に溢れた少年だ。あと主人公への愛が重い。ケイン君は落ちぶれた私を無視するようになるが、私が主人公の邪魔をし始めると吹雪の如く怒って仕返しをしてくる。いやまぁ邪魔してるから自業自得なんだけど、かつては仲の良かったケイン君にそれをされるから、主人公だけじゃなくケイン君へも可愛さ余って憎さ千倍となる。そして最終的には社会的に抹殺され顔に一生残る傷をつけてくるという、出来れば関わりたくない相手である。
「お断りしてください」
「ミレア……!」
ケイン君との未来はどうでもよい。改善しようとも思わない。私にはするべきことがある。家の没落を防ぐことだ。
さて、ところでこの世界は少し不思議がある。いや、この世界では常識で、私に前世の記憶があるから少し不思議に感じるのだが。
この世界には生きとし生けるもの皆に魔力がある。そして、その力は音律により使うことが出来る。
そう、この世界での音楽とは、魔力を使う手段であり魔法なのだ。
魔力は特に王族と貴族が強く持ち、そして魔法は国の発展の要。音楽の才能とは魔法の才能、国に重宝される才能という事である。だからこそワーグナー家は、家が没落しても音楽の才能ある私を保護するのだ。
「実はあの会食の時、私に知らない音楽が幾つも下りてきたのです……!」
「……え?」
そんな世界だから、新しい曲とか歌とかにはとても注目するし、作り出す人を保護する法とかもある。
「これは天啓です! お父様、お母様、私はその音楽達を正しく譜面に落とし込み、国へこの身を捧げるべきなのです! ですので、婚約は、無理です!!」
だからこんな理由で出家とか独り立ちとかする貴族も実は少なからずいるのよね、どうかしらこれならワーグナー家もうちも納得せざるを得ないし、作曲家の保護法はその家族も対象に入っていたから、つまり没落を防ぐ一手となる筈!!
「……ミレア」
「はい!」
「教会へ行きましょう」
「はい?」
「さて、皆さんにはテストを受けていただきます。簡単なテストです。はいかいいえでお答えください」
こんにちは、婚約から逃げようとしたら、何故か教会に連れていかれて、何故か簡単なテストとやらを受けることになりました。ミレア・ウィンディアです。
大聖堂の中には私以外にもそれなりの数の人がいます。特に関連性はなさそうで、子供もいれば大人もいて、でもほとんど子供かな、性別も半々といったようで……。
「やぁ、ウィンディア嬢」
「ひ! あ、わ、ワーグナー様?!」
神父様の説明の途中で隣に座ってきたのは、ケイン・ワーグナーだった。にっこりと笑うケインは天使のようではあったが、私には没落後の象徴のようにしか見えない。
「父と母にウィンディア嬢とどうしても婚約したいと申し出たら、ここのテストを受けるように、と言われてね」
「ど、な、何故、私と、どうしても、などと……ッ」
動揺しながらも尋ねると、妙に大人びた、訳知り顔の笑みを浮かべられた。
「その答えは君が知っているんじゃないかな? 『最後の歌姫』」
「…………はい?」
何それ、知らん。
「……ん?」
「え……?」
お互い頭に疑問符を浮かべながら見つめ合う。何も理解できない。何だ『最後の歌姫』って。現在進行形で黒記録作ってるの?
「そこの二人、テストを始めますよ」
神父様に言われて、私達は慌てて配られたテストに向き合う。
一体何のテストなのか……。
『第一問.自分には前世の記憶、もしくはもう一人の自分の記憶、もしくは他人の記憶がある』
一問目。その一文を読んだ時、大聖堂の中の空気が騒めいた。
「何で……ッ?!」
思わずと言ったように叫んで立ち上がったのは私でもケイン君でもなく、見た事のないピンクの髪の美少女だった。
ついその少女を見てしまった私とケイン君を、美少女は目を見開いて見つめてきた。
「何で……ケインとはもっと後で会う筈で……ていうかあの女の子誰……?」
誰? はこちらのセリフである。
「ワーグナー様、お知り合いですか?」
「いや、知らないが……君の知り合いでは?」
「いえ、私も知りません」
不躾な眼差しを受け、私達は少し引き気味に会話をする。私にも彼にもピンクの髪の美少女について心当たりはない。しかし美少女はケイン君を知っているようである。
「皆さん、静粛に。どうぞテストを続けてください。最後まで終わりましたら、その指示通りにしてください」
神父様がそう言うと、司祭様がピンクの美少女を座らせる。と、同時に、神父様の前に何人かの人が並ぶ。それぞれが何か書かれている板を持って。
大聖堂の中の騒めきは収まらない。それでも、皆戸惑いながらテストを進めていく。
テスト、と言うけれど、これは……。
『第一問.自分には前世の記憶、もう一人の自分の記憶、もしくは他人の記憶がある』
「はい:第二問へ」
「いいえ:第八問へ」
『第二問.その記憶は此処とは別の世界のものである』
「はい:第三問へ」
「いいえ:第五問へ」
『第三問.その記憶の中で、現在のこの世界を実在するものとして認識していた』
「はい:異世界転生、異世界転移等の可能性があります。異界研究部異世界交流課のところへ集合してください」
「いいえ:第四問へ」
『第四問.その記憶の中で、現在のこの世界を架空の存在として認識していた』
「はい:特殊異世界転生、特殊異世界転移の可能性があります。異界研究部特殊異世界課のところへ集合してください」
「いいえ:異世界転生、異世界転移等の可能性があります。異界研究部異世界交流課のところへ集合してください」
『第五問.その記憶は此処と同じ世界だが、異なる時代(※記憶の中と現在が少しでも重複しているならば同じ時代とする)である』
「はい:第六問へ」
「いいえ:第七問へ」
『第六問.その記憶はここと同じ世界の過去の時代である』
「はい:転生の可能性があります。時流保安部転生課のところへ集合してください」
「いいえ:転生、何らかの力による時間転移等の可能性があります。時流保安部時流保護課のところへ集合してください」
『第七問.その記憶は今の自分とは違う人間の記憶である』
「はい:何らかの力による洗脳、憑依、魂の入れ替え等の可能性があります。特殊医療部特殊保護課のところへ集合してください」
「いいえ:何らかの力による繰り返し、逆行等の可能性があります。時流保安部時流保護課のところへ集合してください」
『第八問.今の自分の記憶しかないが、学んでいないのに知っている知識、知恵がある』
「はい:記憶障害、無自覚転生、無自覚転移、天啓等の可能性があります。特殊医療部保護課のところへ集合してください」
「いいえ:第九問へ」
『第九問.現在、日常生活を送るのに困っている事がある』
「はい:現状把握されていない特殊な条件下にある可能性があります。特殊医療部相談課のところへ集合してください」
「いいえ:これ以上の調査診断の必要はありません。本日はご協力ありがとうございました。ご自由にお帰りください」
これは、テストというよりもチャートだ。診断チャート。
正直に答えてもいいか、と逡巡するも、すぐに手が勝手に動き出す。頭の一部が、正直に答えなければ、と自分を突き動かす。
何故? と思ったが、すぐに理由が分かった。微かに、だがしっかりと聞こえている聖歌。教会の清浄化をしているのかと思ったが、これが恐らく自白に近い状態にしているのだ。
逃げられない。それがわかって不安を抱えながらも進めていく。そして進めていくにしたがってわかってくる。
この世界は、きっと――……。
進めていった結果、私は『特殊異世界転生、特殊異世界転移の可能性があります。異界研究部特殊異世界課のところへ集合してください』というところにたどり着いた。もしかして、と前を見ると、『異界研究部特殊異世界課』と書かれた板を持った人がやはりいた。
呆然としながらも私は立ち上がりその人のところへ行く。フラフラとした足取りを、やはり呆然とした様子のケイン君が無意識のように支えてくれた。ケイン君も同じところを目指すようだ。そして、ピンクの髪の少女もやってきた。私達と同じように呆然として。
テストを受けていた人達が全員、それぞれの板を持った人たちのところへ散らばった。
「皆さん、テストは終わったようですね。それでは、各場所の担当者の指示に従ってください。教会からは以上になります。本日はご協力ありがとうございました。皆さんに神のご加護がありますよう」
神父様はそう言って去っていくと、待ち構えていたように『異界研究部特殊異世界課』の担当者が話し出した。
「えー、今回は三名ですね。では説明をしますが、大聖堂を借りている時間がそろそろ終わりますので、我々の方で手配してある喫茶店へ行きましょう。斜向かいの店ですので、すぐですよ」
言いながら歩き出すので、私達も慌ててその後をついていく。
そうして辿り着いた落ち着いた雰囲気の喫茶店で、担当者は説明を始めた。
恐らく、何度も口にしたであろう説明を。
「改めまして、わたくし、国立総合研究所異界研究部特殊異世界課主任、ドミニク・ディーゼルと申します。まず、我々の紹介ですが、総合研究所のことはご存じですか?」
「……国が運営している、国が必要と定めた、様々な研究を、している、ところだと……」
ぼそぼそと答えたケイン君は俯いている。正直私も俯きがちだ。色々予想がついてきた。ピンクの少女はわかっていないらしく、ずっと首を傾げている。
「はい、そうです。ええと、ケイン・ワーグナー様ですね。ワーグナー侯爵家の御嫡男……ご家族から何か聞いてますか?」
「いえ、総合研究所というものがあって、国の為のものだという事しか……」
「素晴らしい。ミレア・ウィンディア様はどうでしょう、当研究所の事はご存じで?」
「あ、私も、ワーグナー様と同じ程度です……」
答えながら完全に俯いてしまう。穴があったら入りたい。
「ワーグナー侯爵家もウィンディア伯爵家も規律を守られているようで何よりです。貴族の皆様方のご協力にはいつも感謝しております。サンドラ様はどうでしょう」
「いや、研究所とか知らないし……けど、貴方たち、もしかして……『地球』って知ってる……?」
『チキュウ』? 何だそれ。
私とケイン君は謎の言葉に困惑し、担当者は「チキュウ、チキュウ……」と言いながら持っていた資料を確認していく。
「ああ、あった。『チキュウ』の発音から考えるに、サンドラ様は『ニホン』の記憶がおありですかね」
「! そ、そうよ! 何? 貴方ももしかして……!」
「あ、私は転生も転移もしておりませんので。ええと、少し先走った形になりましたが、当課の事を説明しましょう。あ、皆さん飲み物のおかわりが欲しくなったら遠慮なく言ってくださいね? 経費で落ちますからお気になさらず」
ああ、やはり。
この世界は、きっと、私が想像しているよりずっと進んでいる。
この世界では、転生、という現象が珍しくないようだ。
稀ではあるが、それがわかった時の対処法が確立されているくらいには、よくある事。
転生という現象が起こるという事は、記憶や感情を保存する魂という存在があるという事で。ではその魂とは何ぞやと研究を進め、稀に生まれる転生者の対処をしているうちに、どうやら異なる世界があるのでは、という事もわかってきたようで。同時に、転生や記憶障害だと思われていた人達の中には、世界を転移してきた人がいたのではないか、という事もわかってきたようで。
異世界。そう一口に言っても色々なパターンがある事もわかった。
いわゆる並行世界。この世界ではあるのに何かの分岐があった、もしもの世界。それだけではなく、この世界の過去に未来、未開の場所。そして完全に異なる世界。さらに、その完全に異なる世界の並行世界等々……。
「ちなみに、この世界は平面概念拡張世界だと考えられていますが、御存じですか?」
「わかります。あの、今の常識としても知っていますし……僕の前世も、同じ、でしたから……」
「あ~、しょせん中世レベルね、平面って……実際は惑星っていう球体の天体で宇宙が広がってるのよ」
「ええと、サンドラ様は……九歳、幼学院中学年か……サンドラ様が言っているのは幼学院高学年でも教えている物質界の話ですね。多分来年位に習いますよ。今お伝えしているのはその一つ上の概念の話です」
「え?」
「あの、私もこの世界の知識としては知っていましたが、前世ではそういった考えはなくて……」
「そ、そうだよね?! 物質界とか概念とかわけわかんないよね?!」
「私の前世では世界は紡錘形の天船でしたし、次元重複可能性としてしか異世界の存在を予測していませんでした……」
「何それぇ?!」
「少なくとも、私が死ぬまでには異世界どころか亜種天界の存在も証明はされてなかった筈で……」
「だから何それぇ?! ねぇ待ってよ、ここは乙女ゲーの『ミュージックフォーラビリンス』の世界でしょ?!」
「私は少女漫画の『残響なるアモネリス』だと思ってました……」
「……僕はどちらとも違う作品だと思ってたよ……」
「片方聞いた事がありますね、確か……あった、今から十年前に『残響なるアモネリス』だと仰っていた方がいました。という事は、ミレア・ウィンディア様は、先ほど天船とも仰ってましたし、『フィファイフェーヌ』の記憶がおありですかね」
ズバリ当てられたかつての遠き国の名前に、懐かしさと恥ずかしさで泣きそうになりながら「そうです」と答えた。
異世界は、沢山ある。
私もケイン君……いやこれもう間違いなく私が知ってる『残アモ』のケイン君じゃねぇな、心の中でもワーグナー様って呼ぼう……ワーグナー様も、そしてサンドラさんも、それぞれまったく違う世界から転生したようだった。
「異世界からの転生、もしくは転移、これだけでしたら異世界交流課の方でよかったんですが、皆さんは前世でこの世界を架空の世界として知っていた、という事でしたので……こちらどうぞ」
渡された冊子には事細かに研究所の事や今後の予定や私達の権利や報酬等が書かれていて、最後の部分は詳細調査に関する誓約同意書になっていた。
「読みながら聞いてください。我々特殊異世界課は、この世界の確立を物質、概念とも違う方向から証明、保護する事を目的としています。この世界からの転生者、転移者が記憶をたよりにこの世界を舞台にした架空の話を作り出した……それならばよいのです。ですが、逆だと困る。我々、生きてますから」
ドミニクさんの言葉に、私達三人共がピクリと反応してしまう。
そう、そうなのだ。私達はここで生きている。きっと都合のいい事なんて起こらない、多分未来なんてわからない、恐らく何の物語の世界でもない、ただの現実の世界に。
「誰かの空想から生み出されたのがこの世界ならば、そこから切り離しての生存を掴み取らねばなりません。ですので、ここを架空の世界としていた異世界から転生、転移した皆さんには、その異世界の情報を提供していただきたいのです。我々の存在証明と生存のためです。皆さん今は混乱しているでしょうが、どうぞ詳細調査にご協力ください」
一通りの説明を受けて、私達は解放された。
サンドラさんは「そんな、だって私ヒロインに転生したって思って……逆ハー狙えるって……そんなぁ……」と涙を滲ませながら帰宅の途についた。
そしてワーグナー様は……。
「……前世の僕は、あまり優れた人間ではなくて……」
俯きながら話し出した。
「角もなかなか生えなくて」
「角」
「概念介入もうまく出来ない出来損ないで」
「概念介入」
「正直に言えば、いじめられるような人間だったんだ」
「…………そうでしたか」
そうか、ワーグナー様の前世はこことはちょっと違う人間が主流だったんだな……まぁ私も物心ついた時に羽根の名残が何もないのに気が付いて違和感あったな……。
「前世を思い出した時、僕は自分が『マクロティア』のヒーローに生まれてるんじゃ? って思ったんだ。あ、『マクロティア』ってアニメなんだけど、アニメってわかる?」
「はい、アニメは前世でもありましたので」
「そっか。でね、その『マクロティア』って音楽が世界を救う、っていうコンセプトでさ。もうまさにこの世界でしょ? ヒーローの名前はケインだったし、顔はもうちょっと大きくならないとそっくりかどうかわかんないけど、髪と目の色は同じだったし」
「なるほど、それは思い込んでしまいますね……」
「君だって出てた。ダブルヒロインのうちの一人のミレア。その……没落した元貴族の少女って設定だったから……」
待って欲しい。何だ? 私はどの架空世界でも没落するのか? 何それ強制力? ええ、こわ……。
「今のうちに婚約して保護すればいいかなって婚約したいってお願いして会食の場までつくったのに……君が、作曲家になる為に婚約を断るって言いだしたって聞いて、これは君も『マクロティア』のことを知ってる転生者で没落を防ごうとしてるんだって確信して、仲間だって思って、だから何が何でも婚約したいって、言ったら……」
「教会に行くことになり、訳知り顔の笑顔で『最後の歌姫』と」
「ちょっとカッコつけたかったんだよ忘れてくれ!!」
顔を赤くしてしゃがみこんだ彼は年相応に見えた。多分彼は私よりも若くに亡くなったような気がする。
「……いや、実際ずっと格好つけてた」
ゆっくりと立ち上がった彼は、なんだか悪夢から覚めたようにほっとしていて力が抜けていた。
「僕はここよりも進んだ世界から来た特別な人間だと思い込んでいた。父や母は好きだけど、それでも僕の方が賢いだろう、優れているだろう、しょうがないから僕が家族も国も救っちゃうか、と、思って……君の事だって、上から目線で、助けてあげようと……君だって、ちゃんと意思を持ってこの世界で生きてるのにね。それに、君がいた世界の方が進んでいたかもしれないし……」
多分だけど、ワーグナー様がいた世界の方が私のいた世界より進んでいる気がするが、ここは黙っていよう。もしかしたら何らかの分野ではそうかもしれないし。
それに、これはきっと文明が進んでいるかどうかの話ではないだろう。
『転生、転移、天啓、こういったものの当事者はかつて様々な方面から狙われていました。当然です。この世界にはない、それでいて重大な益となる知識があるかもしれないのですから。同時に、当事者が何かしらの問題を起こす事も多々ありました。どうやら異世界からの転生者や転移者にはこの世界や我が国を実験台か何かかと思っている事が多いらしく、独自に色々と試したり暴走したりで環境破壊や治安悪化を引き起こしたり……そういう方々に限って児戯にも等しい技術を誇らしげに語るんですよねぇ……話がそれてしまいましたね。当研究所では最先端技術も学べますので、その上で皆さんのかつての世界の技術や考えを教えていただけるなら、是非正当な手順を踏んでの技術提供をお願いいたします。楽しみにしていますよ』
牽制のようにドミニクさんに言われた事を思い出す。私の、もしかしたら、という縋るような気持ちは、児戯、という言葉が出た事で叩き潰された。
この世界には魔力が、魔法がある。そしてもう一つ、理力というものがあるらしく、この理力というものがむしろこの世界の根幹だった。魔法はどちらかと言うと副次的な力で権威的なものだった。
わずか十年の生涯を振り返ってみれば、確かに大規模の天災どころか小規模の天災もなく、家屋は使用人が少数でも快適、遠距離通信も映像音声なんなら匂い付きで整っている。魔法便利だな、と思っていたが、それらは別に音楽を介していなかった。その時点で気付くべきだったのだ。魔法だけではなく、かつての私の世界での技術『天ノ学』に並び立つ、もしくは勝る何らかの力もあるのだと。
実際、この世界の理力と『天ノ学』のどちらが優れているとか発展しているとかはわからない。だって私はこの世界ではまだ十歳の子供で、前世ではただの一般人でただの販売員だった。『天ノ学』についてすべて教えろ、なんて言われたとしても答えられない。学者でもあるまいし、すべてなんて知るわけがない。学者だって専門外の事はわからないだろう。
そして、もし仮に『天ノ学』がこの世界の技術よりも優れていたとして、私がそれをすべて伝えることが可能な天才だったとして、けれどこの世界の決まりも影響も人々の感情も無視して広めようとしたら、それは迷惑以外の何物でもない。
『まぁそんなわけですので、我が国では国が後ろ盾となり当研究所がそういった方々を保護する事になりました。法も整備しました。結果、貴族の皆様も囲い込むような事は無くなり、また、互いを監視し合い、そして平民の方々も速やかに報告されるようになりました。勿論、まだまだ問題はありますけどね』
大人の義務の一つとして、幼少児達の言動を見守り違和感を覚えたら速やかに教会に連れていく、というものがあるらしい。転生、転移、天啓といったものも、幼学院の最高学年、大体十二歳位で詳細に教えるまで伝えてはならない、というのも義務の一つ。大人が先に転生や転移の事を教えてしまうと、子供は思い込んでしまったり空想と現実を混ぜて話してしまったりするからだ。
そうして私達はまんまとその網にかかった。賢しげに運命を操ろうとして、けれど、世界は異物を管理することなど容易く出来てしまうほど強く整っていた。
「チート能力が付与されて、とかだったらまた別なんだろうけど、そんな事もなかったし……」
「そうですね……」
私達は、ちょっと珍しいけれど、ごくありふれた存在でしかなかった。
「……恥ずかしい。めちゃくちゃ『トーニ症候群』じゃないか僕……」
「え? なんて仰いました?」
「ああ、えーと、前世の言葉なんだけど、こう……思春期の子供にありがちな万能感とか芝居がかった言動に酔いしれる、何ていうか、若さゆえの過ちというか……」
「ああ、私の前世でもありました。『黒記録製造期』って言うんですけど、大人になった時に振り返ると恥ずかしい過去を作ってしまう時期がどうしてもあるってことで、子供がやらかすと『黒記録作ってるなぁ』とか『黒記録が更新された』とか言うんです」
「……なんだか、何処でも似たようなところがあるのかな」
「同じような文明文化の発達度だったのかもしれませんね」
言って、私達は顔を見合わせて情けなく笑いあった。
「ウィンディア嬢、色々と申し訳なかった。婚約の申し込みは取り下げるよ。君はあのミレアじゃない。僕がどうこうしなくとも、ウィンディア伯爵夫妻にしっかりと守られていて、君自身も自分で動ける意思のしっかりとした人だ」
「ありがとうございます。こちらこそ、会食の時もその後の対応も大変失礼をいたしました。婚約に関しては、ええ、取り下げていただけると助かります」
互いに謝罪をし合っていると、互いの家からの迎えの馬車が来た。
前世の記憶の中では中古代の乗り物と似ているこれは、乗りこめば快適な温度湿度を保たれ、遮音性に優れ、何物にもぶつかることなく、柔らかな座り心地を提供してくれる。本当に中古代の乗り物ならばそんなことはあり得ないのに、あまりにも当たり前に馴染んでいて気づけなかった。
「思い込みって駄目ねぇ」
「え?」
「いえ、長く生きたつもりでも、それで人間が出来ているというわけではないのだと痛感しまして」
「確かにね……いや、ウィンディア嬢、僕は開き直るよ」
「といいますと?」
「僕たち十歳だから! 正真正銘十歳! 十歳なら間違えるのは仕方ない!」
きっぱりとまさに開き直って言い切った彼は、教会での訳知り顔の暗い笑顔よりもとても好ましい明るい笑顔だった。自棄になってるとも言えるだろう。
だけどそうだ。彼も私も、さっき別れたサンドラさんも、その中身はともかく、まだ十歳程度の子供。正しく、この世界ではまだ十歳程度の存在。この世界の子供。それならば開き直ってしまえ。黒記録は更新されながら大人になるものだ。この世界の大人に。
「そうですよね、子供なんだから間違えたってしょうがない!」
笑って同意すれば、彼は今度は嬉しそうに笑った。
ああ、今ようやく、私達は生まれ変わったような気がする。
「研究所への協力を考えると、どうやら今後も顔を合わせる機会はありそうだ。そういう意味では……今後もよろしくお願いしたい」
「ええ、私も友人になれたら嬉しいと思っています」
「僕もだ」
私達は強く握手をしてから互いに馬車へ乗って別れた。これは願望にも似た予感だけど、彼とは仲が良くなれると思う。
心地良い揺れに身を任せて、私はこの世界に想いを寄せる。
異世界転生というものをして、自分ではそんなつもりはなかったけれど、無意識のうちに少し自分を特別に思っていたようだ。けれど、どうやら私と言う存在はありふれたものだったらしい。
その事に、少しの寂しさと恥ずかしさを覚えるけれど。
けれど、しょうがない。何もかも知っていたつもりで何もかも知らなかったのだ。この世界の事を、他人の事情を、何も知らないという事を、今ようやく知った。きっと本当に特別な存在の人だって、全知全能の神でもなければ何もかもを知って生まれるなんて出来ない。
だから、これからだ。
一人で思い込むのはやめよう。知らないものは知っていこう。目の前の当たり前を調べていこう。それはきっと転生なんて関係なくて、人が生きていく上で大切な心構え。
ありふれた異世界転生者の物語は今始まったばかりで、この先がありふれた物語になるかどうかは、どこにでもいる私が決めていく事なのだ。
2024/11/29 誤字修正
2024/12/07 誤字修正
2025/10/13 誤字修正




